トマト栽培において最も恐ろしい敵の一つが「萎凋病(いちょうびょう)」です。この病気は、初期段階での発見が遅れると圃場全体に蔓延し、収穫皆無という壊滅的な被害をもたらす可能性があります。萎凋病の原因となるのは「フザリウム(Fusarium oxysporum)」というカビ(糸状菌)の一種で、土壌中に長期間生存し、根から植物体内に侵入します。初期症状を見逃さないための観察眼と、よく似た症状を示す他の病害との正確な見分け方をマスターしましょう。
参考)トマト萎凋病
まず、萎凋病の典型的な初期症状として、「下葉の黄化」が挙げられます。株全体がいきなり枯れるのではなく、地面に近い下の葉から徐々に黄色くなり、しおれていきます。特徴的なのは、日中の高温時にはしおれているように見えるものの、夜間や涼しい朝方には一時的に回復したように見える現象です。これを繰り返しながら、徐々に症状が上位の葉へと進行し、最終的には株全体が枯死に至ります。また、葉の片側だけが黄色くなる「半身萎凋」のような症状を見せることもありますが、トマトの萎凋病では株全体に広がることが一般的です。
参考)萎凋病
決定的な診断ポイントは茎の内部にあります。発病が疑われる株の茎を切断してみると、茎の中を通る水分や養分の通り道である「維管束(導管)」が茶色く褐変しているのが確認できます。これは、病原菌が導管内で増殖し、道を塞いでしまうことで水分が上がらなくなり、植物が水不足のような状態に陥っている証拠です。
参考)トマト農家必見!知っておくべき病害と主な対策方法を紹介します…
ここで注意が必要なのが、非常によく似た症状を示す「青枯病(あおがれびょう)」との区別です。青枯病も同様に株がしおれますが、こちらは細菌(バクテリア)が原因であり、治療法や対策が根本的に異なります。見分けるための簡易的なテストとして、茎を切り取り、透明な水を入れたコップに浸す方法があります。切り口から白い煙のような汁(菌泥)が流れ出てくれば青枯病、何も出なければ萎凋病である可能性が高いです(ただし、萎凋病でも導管褐変は見られます)。誤った診断は、効果のない農薬を使用することになりかねないため、この確認作業は極めて重要です。
参考)トマトが病害に!萎凋病?青枯病?見分け方を教えて
さらに、「半身萎凋病」や「根腐萎凋病」といった類似のフザリウム病害もあります。根腐萎凋病の場合、根が腐敗し褐色に変色する症状が顕著で、地温がやや低い時期にも発生しやすい特徴があります。正確な病名を特定することは、後述する農薬選びの第一歩となります。
参考)トマト根腐萎凋病
専門家による詳しい病害の見分け方については、以下のリンクが参考になります。
病害の見分け方:トマトが病害に!萎凋病?青枯病?見分け方を教えて | YUIME
(この記事では、萎凋病と青枯病の具体的な症状の違いや、水につける診断テストの方法が詳しく解説されています)
萎凋病が発生してしまった場合、あるいは発生を未然に防ぐために、適切な農薬の選択と使用タイミングが栽培の成否を分けます。まず残酷な現実として知っておくべきことは、「萎凋病に感染し、症状が進行してしまった株を農薬で完治させることは極めて困難」であるという点です。導管が詰まってしまった組織を元に戻す薬剤は存在しません。したがって、農薬の使用目的は「発病前の予防」または「感染ごく初期の拡大阻止」に重点が置かれます。
参考)トマト|急に黄色くなって萎れる|萎凋病|ミライ菜園
トマトの萎凋病に対して登録のある代表的な薬剤には、以下のようなものがあります。
広範囲の殺菌スペクトルを持つ代表的な殺菌剤です。トマトの萎凋病に対しては、定植前または定植後に株元への「土壌灌注」という形で使用されることが一般的です。根から薬剤を吸収させ、植物体内に浸透させることで、病原菌の侵入や増殖を抑える効果が期待できます。家庭菜園向けの「GFベンレート水和剤」としても販売されており、入手しやすい薬剤の一つです。
参考)ミニトマトに使えるおすすめの農薬
こちらも浸透移行性を持つ殺菌剤で、予防効果と治療効果(初期)を兼ね備えています。ただし、萎凋病に対する使用方法は「苗根部浸漬」などが主であり、使用時期が限られる場合があるため、登録内容をよく確認する必要があります。
農薬を使用する際の重要なタイミングとポイント:
最も効果が高いのは、苗を畑に植える直前です。セルトレイやポットの状態で、希釈した薬剤(ベンレートなど)に根鉢を浸す、あるいはジョウロでたっぷり灌注します。これにより、根の周りに防御壁を作り、定植直後の感染リスクを大幅に下げることができます。
畑の中で1株でも発病株を見つけたら、それは緊急事態です。発病した株は「治療」しようとせず、直ちに根こそぎ抜き取り、畑の外に持ち出して焼却または廃棄します。病原菌は株全体に充満しており、放置すれば隣の株へと感染が広がります。抜き取った後、その周囲の土壌と隣接する健全な株に対して、薬剤を灌注して「感染のドミノ倒し」を食い止めます。
また、農薬ではありませんが、植物の抵抗力を高める「バイオスティミュラント(生物刺激資材)」や、拮抗微生物を含む資材の活用も注目されています。しかし、確実な防除効果を求めるならば、まずは登録農薬の適切な使用が基本となります。農薬は必ずラベルに記載された希釈倍率、使用回数、収穫前日数を遵守して使用してください。
参考)https://www.city.hokota.lg.jp/data/doc/1734312285_doc_40_0.pdf
具体的な薬剤の登録情報や使用回数については、以下のデータベースが有用です。
農林水産省 農薬登録情報提供システム:ベンレート水和剤
(トマトの萎凋病に対する正確な希釈倍率、使用時期、総使用回数などの公式データが確認できます)
萎凋病を引き起こすフザリウム菌は、土壌伝染性の病原菌であり、一度発生した畑の土の中には数年、場合によっては10年以上も生存し続けると言われています。そのため、単に発病株を抜くだけでは翌年も同じ被害に遭う「連作障害」の悪循環に陥ります。これを断ち切るための最も強力な手段が「土壌消毒」です。プロの農家が実践する、菌をリセットするための技術を紹介します。
1. 薬剤による土壌くん蒸(化学的防除)
即効性と確実性を求める場合、揮発性の薬剤を使って土の中をガスで消毒する方法がとられます。
非常に強力な殺菌・殺虫効果を持つ燻蒸剤です。土壌に注入した後、ビニールで被覆してガスを充満させ、フザリウム菌を含む多くの病原菌やセンチュウを死滅させます。激発圃場では最も信頼性が高い方法ですが、使用には専用の注入機が必要だったり、刺激臭があったりと、取り扱いに十分な注意と資格(毒劇物取扱者など)が必要な場合があります。
参考)https://www.takii.co.jp/tsk/bugs/atm/disease/aokare/idx_bdy.html
粒剤を土に混和し、水を撒いてから被覆することでガスを発生させるタイプです。クロルピクリンに比べて扱いやすく、土壌表面に散布して耕運機で混ぜ込むだけで処理が可能です。微粉末が飛ばないよう注意が必要ですが、施設栽培を中心に広く利用されています。
液剤で、土壌に散布・混和して使用します。比較的扱いやすく、刺激臭もクロルピクリンほど強くありません。
2. 太陽熱土壌消毒(物理的防除)
夏場の高温期(7月~8月)を利用できる場合に推奨される、環境に優しく低コストな方法です。
参考)https://www.takii.co.jp/tsk/bugs/atm/disease/ichou/
太陽光の熱で地温が50℃~60℃以上に上昇し、その熱で病原菌を死滅させます。萎凋病菌は比較的高温に強い部類ですが、長期間(2週間~1ヶ月)の高熱には耐えられません。
3. 土壌還元消毒(生物的防除の応用)
近年、環境保全型農業として注目されているのが「還元消毒」です。
参考)https://www.jfc.go.jp/n/finance/keiei/pdf/2520.pdf
フスマ(小麦の皮)や糖蜜などの分解されやすい有機物を土壌に混和し、水を張ってビニールで被覆します。すると、土壌中の微生物が有機物を急激に分解する過程で酸素を消費し、土壌が強い「還元状態(酸欠状態)」になります。この酸素がない環境と、分解に伴って生成される有機酸(酢酸や酪酸)の力によって、好気性のフザリウム菌を死滅させます。
化学農薬を使わずに高い効果が得られるだけでなく、地温が比較的低い時期でも効果が出やすいという利点があります。
これらの土壌消毒を行った後は、有用な微生物も死滅してしまっている「空白地帯」になっています。そのままでは病原菌が再侵入した際に爆発的に増える可能性があるため、消毒後は良質な堆肥を投入して、有用微生物のバランスを整え直すことが重要です。
土壌還元消毒の具体的なメカニズムと効果については、以下の公的機関のレポートが参考になります。
土壌還元消毒法によるトマト萎凋病菌の密度低減効果のメカニズム
(還元消毒がいかにして病原菌を死滅させるか、科学的なデータに基づいて解説されています)
農薬や土壌消毒は「攻め」の対策ですが、植物そのものを強くする「守り」の対策も不可欠です。特に萎凋病対策において、最も確実性が高く、プロの現場で標準的に行われているのが「接ぎ木苗(つぎきなえ)」の利用と「抵抗性品種(耐病性品種)」の導入です。
接ぎ木苗の威力
接ぎ木とは、美味しい実がなる品種(穂木)を、病気に強い品種(台木)につなぎ合わせた苗のことです。トマトの萎凋病菌は根から侵入するため、根となる部分(台木)が萎凋病に対して免疫を持っていれば、上の部分(穂木)が感受性の高い品種であっても発病を防ぐことができます。
台木品種には「Tm-1型」「Tm-2a型」などのウイルス抵抗性の型の他に、萎凋病(レース1、レース2、レース3)や根腐萎凋病、青枯病などへの複合的な耐病性が付与されています。自分の畑で発生している萎凋病がどのタイプ(レース)か不明な場合は、最新の広範囲な抵抗性を持つ台木(例:『ブロック』『ドクターK』『グリーンガード』など)を選ぶのが無難です。
接ぎ木苗を植える際、「接ぎ目(つなぎ目)」が土に埋まらないように浅植えすることが鉄則です。接ぎ目が土に触れてしまうと、そこから穂木の根(自根)が出てしまい、その根から萎凋病菌が侵入して、せっかくの接ぎ木効果が無効化されてしまいます(これを「自根発生」といいます)。
抵抗性品種の導入
接ぎ木苗は高価である、あるいは自分で接ぎ木をする技術がない場合、穂木そのものが萎凋病に強い「抵抗性品種」を選ぶのも有効な手段です。
種苗会社のカタログには、品種名の横に「F1」「F2」「J3」などの記号が書かれています。これらは萎凋病(Fusarium)への抵抗性を示しており、「F」があれば萎凋病に強いことを意味します。例えば、「桃太郎」シリーズなどの主要なF1品種の多くは、萎凋病に対する抵抗性を持っています。しかし、古い固定種や特定の食味重視の品種(エアルームトマトなど)は抵抗性を持っていないことが多いため、そうした品種を育てたい場合は接ぎ木が必須となります。
連作障害の回避
いくら抵抗性品種であっても、何年も同じ場所にトマトを植え続ければ、土壌中の病原菌密度が高まり、抵抗性の壁を突破して発病することがあります(抵抗性打破)。
トマト(ナス科)の次は、ネギ類、イネ科(トウモロコシ)、マメ科など、異なる科の野菜を栽培することで、特定の病原菌の増殖をリセットします。特にイネ科植物は土壌中の菌密度を低減させる効果が高いとされています。
家庭菜園で接ぎ木苗を選ぶ際のポイントについては、以下の記事が参考になります。
トマト|急に黄色くなって萎れる|萎凋病|ミライ菜園
(接ぎ木苗の選び方や、発病してしまった際の対処法が初心者向けに分かりやすく解説されています)
最後に、多くの栽培者が見落としがちな「肥料」と「萎凋病」の意外な関係について解説します。実は、良かれと思って与えている肥料、特に「窒素(チッソ)」の過剰施肥が、トマトを萎凋病にかかりやすくしている可能性があるのです。
参考)【トマト編】症状別で見る! 生理障害・病害虫の原因と予防の基…
窒素過多が病気を呼ぶメカニズム
植物は窒素を吸収して葉や茎を大きく成長させますが、窒素が過剰になると植物体が徒長(とちょう)し、細胞壁が薄く軟弱になります。軟弱に育った根や茎は、物理的な強度が低いため、土壌中のフザリウム菌の侵入を容易に許してしまいます。また、過剰なアンモニア態窒素は土壌微生物のバランスを崩し、病原菌が優占しやすい環境を作ってしまうことも指摘されています。
さらに、窒素過多はトマトの重要生理障害である「尻腐れ果」の原因となるカルシウム欠乏(石灰欠乏)も誘発します。カルシウムは細胞壁を強化する役割があるため、カルシウムが不足すると根の防御力も低下し、結果として萎凋病のリスクをさらに高めるという負のスパイラルに陥ります。
参考)トマトの尻腐れを防ぐには?
土壌のpHと排水性
萎凋病菌(フザリウム)は、一般的に「酸性土壌」を好みます。日本の土壌は雨の影響で酸性に傾きやすいため、植え付け前に苦土石灰や有機石灰を適切に施用し、土壌酸度(pH)をトマトの好適範囲であるpH6.0~6.5程度に調整しておくことが、菌の活動を抑制する第一歩です。
また、フザリウム菌は湿った環境でも活発になりますが、それ以上に植物の根が湿害(根腐れ)で弱ったタイミングを狙って侵入します。したがって、「排水対策」は農薬と同じくらい重要な防除手段です。
独自視点:コンパニオンプランツの活用
検索上位の記事にはあまり詳しく書かれていませんが、「ネギ(長ネギ、ニラ)」をトマトと一緒に植える(混植する)テクニックも、プロや自然農法家の間では知られた萎凋病対策です。ネギ類の根には「バークホルデリア」などの拮抗微生物が共生しており、これらがフザリウム菌に対して抗菌物質を出して生育を阻害すると言われています。トマトの植え穴にネギの苗を一緒に植え込んだり、株元に植えたりすることで、農薬に頼りすぎない土壌環境改善が期待できます。
参考)農作物が萎凋病になってしまった。どう対策すればいいですか?
窒素過多と病害の関係、および生理障害についての詳しいメカニズムは、以下を参照してください。
【トマト編】症状別で見る! 生理障害・病害虫の原因と予防の基礎
(窒素過多が萎凋病やその他の生理障害をどのように引き起こすか、詳細に解説されています)
以上の対策、すなわち「早期発見」「適切な農薬」「土壌消毒」「抵抗性品種」「土壌環境管理」を組み合わせることで、恐ろしい萎凋病のリスクを最小限に抑え、美味しいトマトを安定して収穫することが可能になります。