日々の農作業、お疲れ様です。私たち農業従事者にとって「有機酸」といえば、クエン酸や酢酸など、土壌のミネラルバランスを整えたり、根張りを良くしたりするための重要な資材ですよね。しかし、ネットの世界、特に若者の音楽シーンにおいて「有機酸」といえば、まったく別の存在を指すことをご存知でしょうか?
それは、ニコニコ動画やYouTubeで活躍するボカロP(ボーカロイドプロデューサー)、有機酸氏のことです。現在はシンガーソングライター「神山羊」としてもメジャーデビューし、アニメの主題歌を手掛けるなど目覚ましい活躍を見せていますが、彼のルーツは「有機酸」名義で発表されたボカロ曲にあります。
なぜ、農家の私たちが彼の音楽、そしてその「歌詞」に注目すべきなのか。それは、単に名前が同じだからというだけではありません。彼の描く歌詞の世界には、不思議と私たちの日々の営み――植物の育成、道具のメンテナンス、自然の静けさと孤独――とリンクするような、独特の質感が漂っています。
トラクターの振動に揺られながら、あるいはハウスで黙々と定植作業をしながら聴く音楽として、彼の楽曲は意外なほどマッチします。無機質でありながらどこか温かい、まさに化学用語の「有機酸」が持つ「冷徹な化学式」と「生命活動の源」という二面性のような魅力。ここでは、代表曲の歌詞を紐解きながら、農業従事者ならではの視点でその世界観を深掘りしていきます。もしかすると、明日からの圃場でのBGMが変わるかもしれません。
有機酸氏の代表作の一つである『カトラリー』。この曲は、倦怠期にある男女の関係や、冷え切った家庭内のような閉塞感を歌った楽曲として広く解釈されています。しかし、私たち作り手の視点からこの歌詞を眺めると、また違った情景が浮かび上がってきます。
歌詞の中に登場する「お気に入りのカトラリーのように錆びていく」という表現 。これは人間関係の劣化を金属の酸化に例えた秀逸な比喩ですが、農家にとって「錆び」ほど身近で、かつ厄介なものはありません。愛用の剪定バサミや鍬(くわ)、トラクターのアタッチメント。どれほど手入れをしていても、雨風に晒され、土に触れれば、道具は少しずつ輝きを失い、摩耗し、やがて錆びていきます。
「悪い夢」を見ていたような感覚と、現実の冷たさ。曲中で描かれる「冷めた生活」の描写は、天候不順で思うように作物が育たず、ただ時間だけが過ぎていく農閑期の焦燥感にも似ています。カトラリー(食卓用金物)という、本来は食事=生命の維持に使われる道具が、機能不全に陥っていく様。これは、土作りにおいてpHバランスが崩れ、土壌中の養分が固定化され(錆びつき)、作物がうまく育たなくなる現象と重ね合わせることができるかもしれません。
興味深いことに、実際の農業における「有機酸」は、こうした「固定化された成分」を溶かし出すキレート作用を持っています 。歌詞の中の主人公は錆びついていく関係を前に無力感を漂わせていますが、現実の私たちは有機酸資材を投入することで、その錆び(不溶化したリン酸やミネラル)を再び植物が吸える形に戻すことができます。
参考)根張りをよくする「チャンス」の特長 | 中嶋農法の生科研
もし、この曲の主人公が農業化学の知識を持っていたら、関係の修復(キレート化)を試みたのでしょうか?それとも、人間関係の錆びは、どんな強力な有機酸資材をもってしても還元できない不可逆な反応なのでしょうか。『カトラリー』の淡々としたリズムは、解決策のない問題を抱えながらも、日々のルーチン(農作業や生活)を淡々とこなす大人の諦念を感じさせます。その「乾いた質感」こそが、過酷な自然相手の仕事に従事する私たちの心に、すっと染み込んでくる理由なのかもしれません。
参考リンク:有機酸/ewe「カトラリー」feat.初音ミク MV(YouTube) - 実際の楽曲の雰囲気や歌詞の字幕を確認できます。
次に注目したいのが『quiet room』という楽曲です。この曲には、非常に具体的な、そして私たちにとって無視できないキーワードが登場します。それが「桑園(そうえん)」です 。
参考)テキスト「quiet room」
歌詞の一節にある「賑やかが寂しい桑園でいっそ」というフレーズ。ボカロ曲の歌詞として「桑園」という単語がチョイスされるのは極めて稀です。桑園とは、養蚕のために桑を植えた畑のこと。かつての日本の農村風景を象徴する場所であり、現在はその多くが姿を消したり、果樹園や住宅地に変わったりしています。
「quiet room(静かな部屋)」というタイトルが示す通り、この曲は社会や他者との関わりを遮断した、静謐な空間での独白のようです。しかし、その舞台装置として「公園」と対比されるように「桑園」が出てくる点に、有機酸氏の言葉選びの非凡さがあります。
農業従事者としてこの歌詞を読むと、桑園特有の「人の気配はあるが、今は誰もいない」独特の寂寥感がリアルに想起されます。養蚕が盛んだった時代の賑わいは過去のものとなり、今はただ葉が風に揺れるだけの場所。それは、曲のテーマである「過去の記憶への執着」や「取り残された感覚」と完璧にリンクしています。
また、歌詞には「花壇に力無く崩れ落ちた」といった植物に関連する描写も散見されます 。植物は何も語りませんが、その生理現象は正直です。水が足りなければ萎れ、栄養が足りなければ変色する。『quiet room』の歌詞における「言葉なんてここじゃ全く役に立たない」というフレーズ は、言葉の通じない作物を相手に、観察と推測だけで対話しなければならない私たち農家の日常そのものではないでしょうか。
参考)https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/36620.html
静かな部屋(あるいはハウスの中)で、誰かのため、あるいは何かのために黙々と作業を続ける。その孤独な作業の中でふと訪れる「どうしてこんなにくるしいの?」という問いかけ 。それは、価格低迷や資材高騰に苦しむ現代農業の閉塞感とも共鳴し、胸を締め付けます。それでも「きっと誰かの為だよ」と自分に言い聞かせ、また明日の出荷作業に向かう。この曲は、そんな農家の隠れた応援歌(あるいは鎮魂歌)として聴くことができるのです。
参考)quiet room 歌詞 初音ミク ふりがな付 - うたて…
参考リンク:ねぇ、まだいるかい?【quiet room】|藍 - 歌詞の深い解釈や「桑園」という言葉が持つ情景についての考察が読めます。
ここで改めて、なぜ彼が「有機酸」という名前を選んだのか、その由来について触れておきましょう。ファンの間では有名な話ですが、後に「神山羊(かみやまよう)」として活動する際、彼が山羊座(1月9日生まれ)であることが名前の由来の一つと推測されています 。
参考)【”神山羊”さんのプロフィール】イケメン過ぎる素顔とは?誕生…
では、ボカロP時代の「有機酸」は?一説には、無機質なボカロの声に、有機的な感情(酸っぱさや刺激)を加えるという意味合いがあったのかもしれませんし、単に化学用語の響きが気に入っただけかもしれません。しかし、私たち農家にとって興味深いのは、彼が「神山羊」としてメジャーデビューした後も、その音楽性に「有機酸的な成分」――つまり、分析的で、少し冷たく、しかし生命維持に不可欠な要素――を残していることです。
農業における有機酸(クエン酸、リンゴ酸など)は、植物の代謝回路(クエン酸回路)を回すための着火剤です。エネルギーを生み出し、疲労を回復させる。有機酸氏の楽曲もまた、聴く人の心の澱んだ部分を溶かし(キレートし)、感情の代謝を促すような作用を持っていると感じます。
特に「神山羊」名義の『YELLOW』などのヒット曲に見られる、ポップでありながらどこか毒を含んだ歌詞は、過剰な施肥が土を痛めるように、過剰な愛情や社会性が人に毒となる様を描いているようにも見えます 。彼の名前が「山羊」を含むことも、家畜とともに生きる農家としては親近感を覚えずにはいられません。山羊は除草目的で飼われることもあり、役に立つ反面、紙や木なんでも食べてしまう貪欲さも持っています。彼の作る歌詞が、日常のあらゆる感情を貪欲に飲み込み、楽曲として昇華させている点と重なります。
参考)YELLOW【神山羊】歌詞の意味を考察!神山羊名義のデビュー…
参考リンク:神山羊 - Wikipedia - 有機酸から神山羊への改名の経緯や、アーティストとしての活動履歴が詳細に記されています。
有機酸氏の楽曲の中でも、特に美しいメロディと退廃的な歌詞で知られるのが『lili.(リリ)』です。この曲では「花壇」というキーワードが象徴的に使われています。「救いはないよ声は細く千切れて 花壇に力無く崩れ落ちた」という歌い出し 。
参考)https://utaten.com/songWriter/48636
農業や園芸に携わる人間にとって、花壇は「管理された自然」の象徴です。雑草は抜かれ、肥料を与えられ、美しくあることを義務付けられた場所。そこで「崩れ落ちる」というイメージは、管理されたシステムからの脱落や、期待に応えられなかった徒労感を強く想起させます。
タイトルの『lili.』は、百合(Lily)の花を連想させます 。百合は球根植物であり、一度植えれば毎年花を咲かせますが、ウイルス病に弱く、連作障害も出やすい繊細な作物です。歌詞の中で描かれる、繊細で壊れやすい関係性や精神状態は、まさに病斑が出始めた百合の葉のように、美しくも痛々しいものです。
参考)VOCALOIDのFlowerが歌っている有機酸氏のlili…
また、この曲の歌詞には「盲点はハーブと...」といったフレーズもあり(正確な歌詞の文脈は解釈が分かれますが)、植物的なモチーフが散りばめられています 。有機酸氏の視点には、常に植物や無機物(花壇の枠や土)への冷徹な観察眼があります。それは、作物を「商品」としてシビアに見定めなければならない出荷時の選別作業の眼差しに似ています。
参考)https://w.atwiki.jp/vocaloidchly/pages/7641.html
「仕方ないでは済まされない」という歌詞の切迫感。これは、天候のせいにしても市場価格は待ってくれない、私たち農業経営者の厳しさと重なります。美しく咲く花(成果物)の裏にある、泥にまみれて崩れ落ちそうな労苦。それをポップなエレクトロサウンドに乗せて歌うこの曲は、綺麗事だけでは済まない農業のリアリティを知る者にこそ、深く刺さる一曲と言えるでしょう。
最後に紹介するのは『鉛の冠』です。鉛(なまり)は重金属であり、農業においては土壌汚染の原因となる忌避すべき物質です。しかし、歌詞の中では比喩として、逃れられない重圧や、頭をもたげる憂鬱さの象徴として「冠」という形で登場します 。
参考)有機酸 feat. 初音ミクの歌詞一覧|歌詞検索サイト【Ut…
「言い訳ばっかりね、アンタって」という辛辣な言葉から始まるこの曲は、自己嫌悪と他者への失望が入り混じった複雑な感情を描いています。鉛のように重い冠を被り続けること。それは、先祖代々の土地を守らなければならない重圧や、地域コミュニティのしがらみ、あるいは借入金の返済など、農家が背負う目に見えない「重み」と重なって響くことがあります。
有機酸(化学物質)には、実は土壌中の重金属をキレート化して、植物が吸収しにくい形に変えたり、逆に移動させやすくしたりする働きもあります。もし、心に「鉛の冠」を被ってしまったときは、有機酸氏の音楽を聴くことが、心のデトックス(キレート洗浄)になるかもしれません。
彼の歌詞は、決して明るい応援歌ではありません。「頑張れ」とは言わず、「どうせもうまともじゃ居いられない」と諦めを口にします 。しかし、その「諦め」の境地こそが、抗えない自然の力と対峙し続ける私たちに必要なメンタリティであることも事実です。無理にポジティブにならず、雨の日は雨音を聴くように、憂鬱な日は彼の曲を聴く。そうやって心のpHバランスを保つことも、長く農業を続けるための秘訣ではないでしょうか。
この記事を読んだあなたが、次にホームセンターで「有機酸入り液肥」を見かけたとき、ふとボカロPの有機酸氏のメロディを思い出してくれたら嬉しいです。無機質なボトルの向こうに、繊細で豊かな歌詞の世界が広がっていることを。