稲作において、田植え直前の最も重要な工程である「代かき」。この作業の質が、その後の水管理のしやすさ、除草剤の効果、そして最終的な収量に直結すると言っても過言ではありません。多くの農家が経験則で行っているこの作業ですが、科学的な視点と機械の特性を理解することで、より効率的で高品質な仕上がりを目指すことができます。ここでは、基本的な役割から、意外と知られていない失敗のリスクまでを深掘りします。
代かきには主に、「田んぼの均平化(きんぺいか)」、「漏水防止」、「有機物の練り込み」、「雑草抑制」という4つの大きな目的があります。しかし、これらを一度の作業ですべて完璧にこなそうとすると、かえって土壌環境を悪化させることがあります。そのため、プロの農家は時期をずらして「荒代(あらしろ)」と「本代(ほんしろ)」の2回に分けて行うのが一般的です。
田植えの約1週間〜3日前に行います。主な目的は、耕起した土塊を水に馴染ませて砕土することと、大まかな均平をとることです。この段階では、完全にトロトロにする必要はありません。むしろ、ある程度の土塊を残しておくことで、土中のガス交換を妨げないようにします。前作のワラや刈り取った雑草を土中に練り込み、腐熟を促進させるのもこのタイミングです。
田植えの2〜3日前に行います。荒代で馴染んだ土をさらに細かく砕き、田面を鏡のように平らに仕上げます。この作業により、田植え機の爪がスムーズに入り、苗の活着(根付き)を良くする土壌硬度を作ります。また、最後の仕上げとして除草剤の効果を高めるためのトロトロ層を表面に形成させます。
重要なのは、この2回の作業の間に「土を落ち着かせる期間」を設けることです。荒代の直後に本代を行うと、土が沈殿せず、田植え時に「浮き苗」の原因となる柔らかすぎる土壌になってしまいます。
参考リンク:クボタ|お米ができるまで 代掻き(しろかき)の準備(代かきの基本的な目的と効果について、大手農機メーカーの視点で解説されています)
代かきの成否の8割は「水加減」で決まると言われます。水が多すぎても少なすぎても、理想的な仕上がりにはなりません。ここで重要になるのがキーワードである「浅水」と「深水」の使い分けです。
一般的に推奨されるのは、土の凸部がわずかに水面から顔を出す程度の浅水(水深2〜3cm程度)です。この状態で行うことで、トラクターのオペレーターは田んぼの高い場所と低い場所を目視で確認でき、高いところの土を低いところへ運ぶ均平作業が容易になります。また、水が少ないことで土と水の攪拌効率が上がり、練り込みがしっかり行われます。さらに、作業中の波立ちによる肥料や濁水のあぜ越え(漏水防止の観点からも重要)を防ぐことができます。
一方で、雑草(特にコナギなど)の抑制を強く意識する場合や、巨大な土塊が多い場合は、あえて少し水を多めにする手法もあります。水深を深くすることで、ハローの爪による強い攪拌力を利用し、泥水を強制的に作り出します。しかし、深水は田面の凹凸が見えなくなるため、ベテランの勘が必要となる諸刃の剣です。初心者は絶対に浅水から始めるべきです。
肥料の散布(基肥)は、通常、荒代の前に行います。代かきによって肥料を土壌全体に均一に混ぜ込むことで、植え付け直後の苗がムラなく栄養を吸収できるようになります。この時、ドライブハローなどの作業機を使うと、肥料が土壌粒子としっかり結合し、流亡を防ぐ効果も期待できます。
参考リンク:JAレーク伊吹|浅水代かきのススメ(深水代かきのデメリットと、環境保全型農業としての浅水代かきの利点がまとめられています)
実際にトラクターで田んぼに入った際、多くの人が迷うのが「どのくらいの速度で走るべきか」と「PTO(作業機の回転)をどう設定するか」です。これは土質や使用するアタッチメント(ハローかロータリーか)によって異なりますが、基本の黄金比が存在します。
代かき時の適正な車速は、時速2.0km〜4.0km程度とされています。これは早歩きくらいの速度です。速すぎると、ハローの前方に土の波(抱え込み)ができてしまい、その反動で後ろに土が吐き出される際に大きな段差を作ってしまいます。逆に遅すぎると、必要以上に土を練ってしまい、トラクターの車輪が沈み込む原因になります。
一般的に、PTOは1速または2速(低速〜中速)、エンジン回転数は2000〜2400rpm程度で使用します。
ここで注意したいのが、「高回転なら良い」という誤解です。PTOを最高速(3速や4速)にすると、土を後方に跳ね上げる力が強くなりすぎ、均平が崩れる原因になります。また、機械への負荷も大きく、燃料の無駄遣いになります。「適度な回転で、じっくり練る」のがコツです。
参考リンク:農事組合法人グリーンランド養老|トラクター 代掻き 方法(図解付きで、具体的なエンジン回転数や車速の設定値、回り方が実践的に解説されています)
代かき専用の作業機である「ドライブハロー(代かきハロー)」は、耕起用のロータリーとは構造が異なります。爪が短く、軸の回転直径が小さいため、浅い層だけを効率よく砕くことができます。また、後部に付いている長い均平板(レベラー)が、田面の凸凹をならす役割を果たします。
プロの技術の見せ所は、この均平板の押し付け加減です。スプリングや油圧で調整できる機種が多いですが、基本は「土を引きずらないギリギリの圧力」です。圧力を強くしすぎると、枕地(田んぼの端)での旋回時に土を抱え込んでしまい、大きな盛り上がりを作ってしまいます。逆に弱すぎると、表面が波打ってしまいます。土の水分量を見て、都度微調整を行うのが上級者のテクニックです。
田んぼの四隅が高いまま残ってしまうのは、初心者にありがちなミスです。これを防ぐために、以下の手順で回るのが推奨されます。
特に、旋回時は車速を落とし、ハローを持ち上げるタイミングを遅らせることで、泥の持ち上げを最小限に抑えることができます。
参考リンク:ノウキナビ|代掻きをドライブハローでするメリット(ロータリーとの違いや、ハローならではの整地能力について詳しく書かれています)
検索上位の記事では「丁寧にやろう」「キレイに仕上げよう」という情報が目立ちますが、実はプロの現場で最も警戒されているのが「代かきのやりすぎ(過剰代かき)」です。見た目が鏡のように美しい田んぼが、必ずしも稲にとって良い環境とは限らないのです。ここに、独自の視点として「過剰代かきのリスク」を解説します。
砕土された微細な土の粒子が沈殿してできる「トロトロ層」は、除草剤の被膜を作り、雑草抑制に大きな効果を発揮します。しかし、何度も何度もトラクターで練り回し、この層が分厚くなりすぎると問題が起きます。土の粒子が細かくなりすぎると、土壌中の空気が完全に追い出され、土が「還元状態」になります。
過度に還元が進んだ土壌では、微生物が有機物を分解する過程で硫化水素やメタンなどの有害なガスが発生します。これが「ガス湧き」と呼ばれる現象です。硫化水素は稲の根を腐らせ(根腐れ)、活着を阻害し、最悪の場合は苗を枯らせてしまいます。田植え後に気泡がボコボコと湧いている田んぼは、代かきのやりすぎが原因である可能性が高いのです。
また、土を練りすぎてプリンやヨーグルトのような状態にしてしまうと、物理的に苗を支える力が失われます。田植え機の爪が苗を押し込んでも、土が柔らかすぎて苗を把持できず、水面に浮いてしまう「浮き苗」が多発します。
「適度な粗さを残す」ことこそが、根に酸素を供給し、健全な生育を促すプロの技です。何往復もして完璧な平らさを求めるよりも、最小限の工程でサッと仕上げる方が、結果として稲の健全な成長につながることを覚えておいてください。
参考リンク:JA京都にのくに|水田のガス湧き注意!!(過剰な有機物分解や土壌還元によるガス害のメカニズムと対策について解説されています)