化学物質リスクアセスメント例と農業の対象や手順の安全対策

農業現場でも必須となる化学物質のリスクアセスメント。具体的な記入例や対象となる農薬・肥料、義務化のルールを知りたくありませんか?手順や評価方法を分かりやすく解説します。安全な農作業環境は整っていますか?
化学物質リスクアセスメント例と農業の対象や手順の安全対策
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農業特有のリスク

農薬や肥料だけでなく、洗浄剤や燃料も対象です。

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義務化の範囲

労働者を雇う事業場は必須。対象物質は約2900種へ拡大。

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手順と対策

SDS入手から見積もり、保護具の選定までを具体的に解説。

化学物質のリスクアセスメントの例

化学物質のリスクアセスメントは、かつては大規模な化学工場だけの問題と考えられていましたが、現在では農業の現場においても極めて重要な取り組みとなっています。特に、労働安全衛生法の改正により、化学物質の自律的な管理が求められるようになり、農家や農業法人であっても、労働者を雇用している場合には厳しい管理が義務付けられています。

 

農業は自然を相手にする産業ですが、その生産性を支えているのは農薬化学肥料、そして農業機械のメンテナンスに使用される洗浄剤や燃料などの「化学物質」です。これらは適切に使用すれば有用ですが、誤った取り扱いをすれば、作業者の健康を損なうだけでなく、重大な労働災害を引き起こす可能性があります。

 

化学物質リスクアセスメント例と義務化の対象

 

まず最初に理解しなければならないのは、法的な「義務化」の範囲と、その対象となる化学物質の大幅な拡大についてです。ここを誤解していると、知らず知らずのうちに法令違反の状態になってしまう可能性があります。

 

義務化の法的背景と対象事業場
労働安全衛生法に基づき、リスクアセスメントの実施が義務付けられているのは、「化学物質(リスクアセスメント対象物)を製造し、又は取り扱う事業場」です。ここで重要なのは、農業においても「労働者を使用している」場合は、この義務の対象になるという点です。家族経営で完全に家族だけで作業を行っている場合は法的な義務の対象外となることもありますが、パートやアルバイト、実習生などを一人でも雇っている場合は、事業者としての責任が発生します。また、義務の有無に関わらず、家族の健康を守るために自主的に実施することが強く推奨されています。

 

参考)株式会社東海テクノリスクアセスメント対象物質とは?法規制や実…

対象物質の劇的な拡大
従来、リスクアセスメントの義務対象となっていた化学物質は674物質でした。しかし、法令の改正により、この数が一気に約2300物質追加され、合計で約2900物質(2026年にかけて順次適用)へと拡大しました。

これまでは「特定の危険な薬品」だけを気にしていれば良かったものが、現在ではGHS分類(化学品の分類および表示に関する世界調和システム)に基づいて危険性・有害性が確認された、ありとあらゆる物質が対象となっています。

 

農業における具体的な対象物の例
農業現場で「対象物」となり得るのは、以下のようなものです。

 

  • 農薬全般: 殺虫剤殺菌剤除草剤。特に有機リン系ネオニコチノイド系など、ラベルに「危険」「警告」の表示があるものはほぼ確実に対象です。
  • 肥料の一部: 化学合成された肥料の中で、特定の成分を含むもの。
  • 機械メンテナンス用品: トラクターやコンバインの整備に使う洗浄スプレー(パーツクリーナー)、防錆潤滑剤、塗料。これらに含まれる有機溶剤は、吸入毒性のリスクが高いため要注意です。
  • 燃料添加剤や排ガス処理液: ディーゼルエンジンの尿素水(AdBlue等)そのものは比較的安全ですが、添加剤などに指定物質が含まれる場合があります。
  • くん蒸剤: 倉庫の害虫駆除に使用するリン化アルミニウム(使用時にリン化水素ガスが発生)などは、極めて高い急性毒性を持つため、最優先の管理対象です。

    参考)https://anzeninfo.mhlw.go.jp/user/anzen/kag/saigaijirei.htm

これらの物質を購入した際、販売店からSDS(安全データシート)が交付されます。SDSが交付される製品は、原則としてリスクアセスメントの対象であると考えて間違いありません。SDSを受け取ったら、そのままファイルに綴じて終わりにするのではなく、「どの成分が対象なのか」「どのような有害性があるのか」を確認することが、リスクアセスメントの第一歩となります。

 

参考:北海道労働局 農業における労働災害防止対策のポイント
※上記のリンクは、農業特有の作業環境における化学物質のリスクや、SDSの確認の重要性について解説した資料です。

 

化学物質リスクアセスメント例における農業の危険性

農業現場における化学物質のリスクは、工場などの屋内作業場とは異なる特殊な環境要因が大きく影響します。リスクアセスメントを行う際は、単に物質の毒性を見るだけでなく、農業特有の「作業環境」と「使用状況」を考慮に入れる必要があります。

 

閉鎖空間と換気不足のリスク
最も危険性が高まるのが、ビニールハウス(施設園芸)内での散布作業や、通気性の悪い農業倉庫内での調合作業です。

 

  • ハウス内作業: 高温多湿な環境下で農薬散布を行うと、皮膚の血流が増加しているため、経皮吸収(皮膚からの薬剤の吸収)のリスクが格段に上がります。また、換気が不十分な状態で散布すると、滞留したミストを長時間吸入することになります。
  • タンクでの調合: 動力噴霧器のタンクに薬剤を投入・撹拌する際、高濃度の薬剤(原液や高濃度液)が跳ね返り、眼に入ったり皮膚に付着したりする事故が多発しています。

    参考)https://anzeninfo.mhlw.go.jp/anzen_pg/SAI_DET.aspx?joho_no=101683

「慣れ」が生む油断と複合的な危険性
長年農業に従事しているベテランほど、「この程度の農薬ならマスクなしでも大丈夫だ」「風向きを見れば吸わずに済む」といった経験則に頼りがちです。しかし、リスクアセスメントでは、こうした「主観的な慣れ」を排除し、客観的な数値やデータに基づいて危険性を評価しなければなりません。

 

例えば、以下のようなシナリオは非常にリスクが高いと判定されます。

 

  1. 暑熱環境との複合リスク: 夏場の防除作業では、熱中症を防ぐために薄着になりがちですが、それによって皮膚の露出が増え、薬剤ばく露のリスクが高まります。逆に、完全防備をすれば熱中症リスクが上がります。このトレードオフをどう管理するかが、農業のリスクアセスメントの難所です。
  2. 複数薬剤の混用: 単体ではリスクが低くても、複数の農薬や展着剤を混合することで、化学反応こそ起きなくとも、作業手順が複雑化し、ミス(誤飲、誤射、こぼれ)を誘発するリスクが増大します。

急性毒性だけではない慢性毒性の脅威
農薬中毒というと、めまいや吐き気といった急性の症状をイメージしがちですが、リスクアセスメントで特に重視すべきは「慢性毒性」や「発がん性」、「生殖毒性」です。これらは、ばく露したその日には何も起きなくても、10年後、20年後に健康障害として現れる可能性があります。

 

SDSの「有害性情報」の欄に、「発がんのおそれ」「生殖能または胎児への悪影響のおそれ」といった記載がある場合は、どれだけ使用量が少なくても、リスクレベルを高く見積もり、最大限の対策を講じる必要があります。

 

参考:厚生労働省 職場のあんぜんサイト 労働災害事例
※実際に農業用高所作業機や化学物質の取り扱いで発生した災害事例が詳細に掲載されており、リスクのイメージをつかむのに役立ちます。

 

化学物質リスクアセスメント例の具体的な手順と記入

それでは、実際に農業現場でリスクアセスメントを行うための具体的な手順を解説します。難しく考える必要はありません。基本は「知る」「見積もる」「決める」の3ステップです。ここでは、多くの農家で使用されている「水和剤(殺菌剤)」を希釈して散布する作業を例に、思考プロセスと記入のイメージを作成します。

 

ステップ1:危険性・有害性の特定(SDSの確認)
まず、使用する薬剤のSDSを用意します。SDSがない場合は、販売店に請求するか、メーカーのウェブサイトからダウンロードしてください。

 

見るべきポイントは以下の通りです。

 

  • GHS分類の絵表示: ドクロマーク(急性毒性)、健康被害マーク(人の上半身に星のような図、発がん性や呼吸器感作性)、環境有害性マークなど。
  • Hコード(危険有害性情報): 「飲み込むと有害」「皮膚に接触すると生命に危険」「吸入するとアレルギー等の反応を起こすおそれ」などの具体的な文章。

ステップ2:リスクの見積もり(可能性×重篤度)
次に、その作業を行った場合に、健康被害が発生する「可能性」と、発生した場合の被害の「重篤度」を掛け合わせてリスクポイントを算出します。厚生労働省が提供している無料ツール「CREATE-SIMPLE(クリエイト・シンプル)」などを使うと自動計算してくれますが、手動で行う場合は以下のマトリクスを用います。

 

重篤度\可能性 高い(毎日行う/対策なし) 中程度(時々/一部対策) 低い(稀/完全対策)
極めて重篤 (死亡・がん) リスクレベル 5 (即時中止) リスクレベル 4 (要改善) リスクレベル 3 (要検討)
重篤 (休業災害) リスクレベル 4 (要改善) リスクレベル 3 (要検討) リスクレベル 2 (注意)
軽度 (不快感・軽症) リスクレベル 3 (要検討) リスクレベル 2 (注意) リスクレベル 1 (確認)

【農業での記入例:殺菌剤Aの希釈・散布作業】

  • 作業内容: タンクにて殺菌剤A(粉末)を水で1000倍に希釈し、動力噴霧器でハウス内に散布する。
  • 有害性の特定: SDSにより「眼刺激性(強)」「吸入による呼吸器への刺激」を確認。
  • 現状の対策: 一般的な不織布マスクと軍手のみ着用。保護メガネなし。
  • リスク見積もり:
    • 重篤度: 「眼に入ると視力障害の恐れ」があるため「重篤」。
    • 可能性: 撹拌時に粉末が舞い上がり眼に入る、または散布ミストを吸う可能性は、保護具が不十分なため「高い」。
    • 結果: 重篤度「高」×可能性「高」= リスクレベル4(直ちに改善が必要)

    ステップ3:リスク低減措置の検討と決定
    リスクレベルが高いと判定されたため、対策を決めます。

     

    • 検討内容:
      1. 代替: 毒性の低い薬剤に変更できないか?(例:フロアブル剤にして粉立ちを抑える)。
      2. 工学的対策: 自動走行式の散布機を導入し、人がハウス内に入らないようにできないか?
      3. 管理的対策: 散布時間を短縮する。風上から散布する手順を徹底する。
      4. 保護具: 農薬用マスク(国家検定合格品)、ゴーグル、不浸透性の手袋・カッパを着用する。

    このように、手順を追って記録に残すことが「リスクアセスメントの実施」そのものです。頭の中で「危ないから気をつけよう」と思うだけでは、リスクアセスメントを実施したことにはなりません。必ず紙やデータに残し、作業者全員に周知することが不可欠です。

     

    参考:厚生労働省 化学物質のリスクアセスメント実施支援ツール
    ※「CREATE-SIMPLE」などの支援ツールがダウンロードできるページです。農業者でも簡単な入力でリスクレベルを判定できます。

     

    化学物質リスクアセスメント例に基づく低減措置の評価

    リスクアセスメントを行って終わりではありません。重要なのは、導き出された「低減措置(対策)」を実行し、その効果を評価することです。ここでは、対策の優先順位(優先順位のヒエラルキー)という考え方が重要になります。

     

    対策の優先順位(ヒエラルキー)
    労働安全衛生法では、リスク低減措置の検討順序が決まっています。安易に「マスクをすれば良い」と考えるのは間違いで、以下の順序で検討しなければなりません。

     

    参考)https://www.pref.toyama.jp/documents/41672/3risukukanri.pdf

    1. 危険な作業の廃止・変更(除去・代替):

      最も効果が高い対策です。例えば、危険性の高い農薬の使用をやめ、IPM(総合的病害虫・雑草管理)を導入して天敵利用や物理的防除(防虫ネットなど)に切り替えることがこれに当たります。また、粉末製剤から、飛散しにくい粒剤や液剤に変更することも有効なリスク低減措置です。

       

    2. 工学的対策(封じ込め・隔離):

      作業者と化学物質を物理的に離す対策です。

       

      • 密閉化: 薬剤タンクの蓋を密閉構造にする。
      • 遠隔操作: ドローン散布やラジコン動噴を導入し、作業者が薬剤ミストの中に立ち入らないようにする。
      • 換気: ハウス内に強力な循環扇や換気ファンを設置し、滞留したガスを速やかに排出してから入室する。
    3. 管理的対策(マニュアル・教育):

      作業手順やルールでリスクを減らす方法です。

       

      • 立入禁止: 散布直後のハウスに「散布中・立入禁止」の看板を掲示し、一定期間(再入室禁止期間)は誰も入れないようにする。
      • 作業時間の短縮: 連続散布時間を制限し、休憩を挟むことでばく露量を減らす。
      • 教育訓練: SDSの内容を読み合わせし、危険性を共有するミーティングを行う。
    4. 個人的保護具の使用:

      上記の1〜3を行っても除去しきれないリスクに対して、最後の砦として使用します。

       

      • 呼吸用保護具: 一般的なマスクではなく、必ず「防毒マスク(有機ガス用など)」や「防じんマスク」を選定します。農薬ラベルに記載された種類のマスクを選ぶことが鉄則です。
      • 保護手袋: 軍手は薬剤が浸透するため、農薬散布では絶対に使用してはいけません。ニトリルゴムなどの「化学防護手袋」を使用します。

        参考)https://jsite.mhlw.go.jp/hokkaido-roudoukyoku/content/contents/002174912.pdf

      • 保護衣: タイベックなどの不浸透性防護服を着用し、皮膚への付着を防ぎます。

    対策後の再評価(残留リスクの確認)
    対策を決めたら、再度リスクを見積もります。例えば、「ゴーグルと防毒マスクを着用する」という対策を講じた場合、吸入や眼への付着の「可能性」は下がります。

     

    「当初のリスクレベル4」→「対策後のリスクレベル2(許容範囲)」
    となるまで対策を積み重ねます。もし、対策をしてもリスクが下がらない場合は、作業そのものを見直す必要があります。

     

    化学物質リスクアセスメント例と「ヒヤリハット」の活用

    最後に、あまり語られることの少ない、しかし現場では極めて重要な「独自の視点」について解説します。それは、リスクアセスメントを静的な書類にするのではなく、日々の「ヒヤリハット」体験を使って常にアップデートし続けるという考え方です。

     

    想定外のリスクは現場に落ちている
    SDSに基づいた机上のリスクアセスメントでは、物質そのものの有害性は評価できても、現場特有の突発的な事象まではカバーしきれません。

     

    例えば。

    • 「古いホースが圧力に耐えきれず破裂し、顔に薬液がかかりそうになった」
    • 「暑さでフラつき、薬剤タンクのふちに手をついたら、手袋の中に液が入ってきた」
    • 「洗浄スプレーを使っていたら、風向きが変わって目に入りそうになった」

    これらは「事故」には至っていませんが、一歩間違えば重大災害になっていた「ヒヤリハット」です。多くの現場では、これらを「危なかったね」で済ませてしまいますが、これこそがリスクアセスメントを見直すための「宝の山」なのです。

     

    ヒヤリハットをリスクアセスメントに反映させる手順

    1. 記録する: 作業日報の隅に、「何をしていて、何が危なかったか」をメモします。
    2. 共有する: 朝礼や休憩時間に、家族や従業員と「あの作業、実はこういう危険があった」と話します。
    3. アセスメントを修正する:

      SDSベースのアセスメントでは「ホースの破裂」は想定されていないかもしれません。しかし、ヒヤリハットが起きたなら、それは「可能性:高」のリスクです。

       

      • 追加リスク: 「防除機具の経年劣化による薬剤飛散」
      • 追加対策: 「作業前のホース点検項目の追加」「高圧ホースの定期交換サイクルの設定」「顔面全体を覆うフェイスシールドへの変更」

    メンタルヘルスと化学物質リスクの関連性
    また、意外な視点として「精神的なストレス」と「化学物質リスク」の関連も見逃せません。繁忙期の焦りや疲労は、注意力を散漫にさせ、普段ならしないようなミス(保護具の装着忘れ、手順の省略)を誘発します。

     

    リスクアセスメントの中に、「繁忙期の作業時間の制限」や「一人作業の回避(ダブルチェック)」といった項目を盛り込むことは、化学物質そのものの管理ではありませんが、化学物質による災害を防ぐための極めて有効な「管理的対策」となります。

     

    リスクアセスメントは、一度作って終わりではありません。作物の成長に合わせて栽培方法が変わるように、安全管理も現場の「ヒヤリハット」や「変化」を取り入れて、常に成長させていくものなのです。これが、あなたと農場を守る最強の盾となります。

     

    参考:厚生労働省 化学物質リスクアセスメント事例集
    ※様々な業種におけるリスクアセスメントの導入事例や、ヒヤリハット活動と連携した安全活動の具体例が紹介されています。

     

     


    化学物質過敏症ってどんな病気