
農薬散布において最も重要かつ基本となるのが、正確な希釈倍率の計算です。ここを間違えると、期待した防除効果が得られないばかりか、濃度が濃すぎて作物に薬害が出る「濃度障害」を引き起こすリスクがあります。まずは、基本となる計算式をしっかりと頭に入れましょう。
最も頻繁に使う計算式は、必要な「薬量」を求めるものです。
例えば、1000倍の希釈液を10リットル(10,000ml)作りたい場合、計算は以下のようになります。
つまり、水10リットルに対して薬剤10mlを入れれば完成です。この「水量を倍率で割る」というシンプルな手順さえ覚えておけば、現場で慌てることはありません。
ここで注意が必要なのが「単位」です。タンクの容量は「リットル」で表記されることが多いですが、薬剤の量は「ミリリットル(cc)」や「グラム」で計ることがほとんどです。計算する際は、必ず単位を揃えることが失敗を防ぐコツです。1リットルは1000mlですので、20リットルのタンクなら20,000mlとして計算機に入力しましょう。
また、厳密な化学実験では「薬剤と水を合わせて全量を10リットルにする」のが正しい希釈方法ですが、農業現場での一般的な慣行としては「決まった水量のタンクに、計算した薬剤を加える」という「外割(そとわり)」の方法でも、倍率が高いため誤差は許容範囲内とされています。ただし、数倍〜数十倍といった低倍率の希釈を行う場合は、体積が増えて溢れる可能性があるため、少なめの水に薬剤を溶かしてから定容にする手順が推奨されます。
計算機を取り出して毎回計算するのは、泥や水で手が汚れている現場では面倒な作業です。そこで役立つのが、よく使う倍率とタンク容量をまとめた「希釈早見表」です。作業場の壁に貼っておいたり、スマホに画像を保存しておいたりすると、瞬時に必要な薬量がわかります。
以下に、現場で頻出するパターンをまとめた早見表を作成しました。
| 希釈倍率 | 水10L (背負い動噴) | 水20L (大型背負い) | 水500L (SS・タンク) |
|---|---|---|---|
| 500倍 | 20ml (g) | 40ml (g) | 1000ml (1L) |
| 1000倍 | 10ml (g) | 20ml (g) | 500ml |
| 2000倍 | 5ml (g) | 10ml (g) | 250ml |
| 4000倍 | 2.5ml (g) | 5ml (g) | 125ml |
この表を使う際のポイントは、複数の薬剤を混用する場合でも、それぞれの倍率に合わせて個別に計算することです。例えば、殺虫剤を1000倍、殺菌剤を2000倍で混ぜる場合、水20リットルに対して殺虫剤は20ml、殺菌剤は10mlを入れます。水量は変えず、薬剤だけを追加していくイメージです。
また、粉剤(水和剤)と液剤では比重が異なるため、厳密には「ml」と「g」はイコールではありませんが、実務上は「1g ≒ 1ml」として扱っても大きな問題にはなりません。ただし、粒剤やフロアブル剤など比重が重いものは、専用の計量カップを使うのが最も確実です。計量スプーンを使う場合は、すりきり一杯が何グラムになるか、一度キッチンスケールなどで確認しておくと安心です。
近年では、スマートフォンの普及に伴い、農薬の希釈計算専用の無料アプリやツールが数多くリリースされています。これらを活用することで、計算ミスによる事故をほぼゼロにすることが可能です。特に、複数の圃場を管理していたり、アルバイトや従業員に調合を任せたりする場合、アプリの画面を共有することで指示の明確化にもつながります。
代表的なアプリとして「農薬希釈くん」があります。このアプリの優れた点は、以下の3つの数値を入力するだけで、自動的に残りの数値を算出してくれる点です。
特に便利なのが「面積から必要な液量と薬量を逆算できる機能」です。「10アールの畑に散布したいけれど、水はどれくらい必要で、農薬は何本買えばいいのか?」といった疑問に即座に答えてくれます。これにより、余分な農薬を作りすぎて廃棄する無駄(ロス)を減らすことができ、コスト削減にもつながります。
また、多くのJAや農薬メーカーの公式サイトでも、ブラウザ上で使える計算ツールが公開されています。これらはインストール不要で使えるため、PCで防除計画を立てる際にも重宝します。アプリによっては、使用した農薬の履歴を保存できる機能もあり、栽培管理日誌(防除日誌)の記帳作業を大幅に効率化できます。GAP(農業生産工程管理)の認証取得を目指す農家にとっても、デジタルツールの導入は大きなメリットとなります。
農薬希釈計算 | クミアイ化学工業株式会社
農薬希釈くん - Google Play のアプリ
希釈倍率の計算が合っていても、実際の「混ぜ方」を間違えると、農薬の効果が激減したり、タンクのノズルが詰まるなどのトラブル(失敗)が発生します。ここでは、検索上位の記事ではあまり詳しく触れられていない、プロが実践する「母液(一次希釈液)」の作り方と、正しい混用の順序について解説します。
まず、絶対に避けるべきなのは「タンクの水に薬剤を直接ドボドボと投入すること」です。特に水和剤(粉末)の場合、溶け残りが底に沈殿したり、ダマになったりして均一に混ざりません。これを防ぐために行うのが「母液作り」です。
手順は以下の通りです。
このひと手間を加えるだけで、溶解ムラが劇的に改善されます。
次に重要なのが、複数の薬剤を混ぜる場合の「投入順序」です。基本的には、水に溶けにくいものから順に溶かしていくのが鉄則です。
一般的な推奨順序は以下の通りです。
(※ただし、特定の展着剤や薬剤によってはメーカー指定の順序が異なる場合があるので、必ずラベルを確認してください。)
この順序を守ることで、成分同士が化学反応を起こして固まったり(凝集)、薬害が出やすくなったりするリスクを最小限に抑えることができます。
最後に、作った散布液で「どれくらいの面積(単位)を撒けるのか」という目安について解説します。希釈倍率が完璧でも、撒く量が少なすぎれば虫や病気は死にませんし、撒きすぎれば作物への負担や環境負荷、コスト増につながります。
一般的な散布量の目安は、作物の種類や繁茂状態によって異なりますが、多くの農薬ラベルには「10アール(1000平方メートル)あたり100〜300リットル」と記載されています。これをタンク容量に換算してみましょう。
背負い動噴(15〜20Lタンク)の場合:
10アールに200リットル撒くには、20リットルのタンクで「10回」給水して撒ききる必要があります。これはかなりの重労働です。家庭菜園などで1アール(100平方メートル=約30坪)だけ撒く場合なら、必要な液量は20リットルでちょうど1回分となります。
スピードスプレイヤー(SS)や大型タンク(500L〜1000L)の場合:
果樹園などで使われる500リットルタンクなら、1回の給水で約2〜5アール(200〜500平方メートル)を散布可能です。大規模な圃場では、給水に戻る回数を減らすことが作業効率の鍵となります。そのため、「1回の給水でどの範囲まで撒くか」を事前に計算し、タンクの残量と相談しながらペース配分をすることが重要です。
また、最近増えている「少量散布」に対応したノズルや静電噴口を使用する場合は、通常よりも濃い倍率(高濃度)で、少ない水量を撒くケースもあります。この場合は、通常の「水量÷倍率」の計算とは前提が変わってくるため、必ず機器や薬剤の専用マニュアルに従って計算を行ってください。
自分の散布ペース(歩く速さやノズルの振り方)が、標準的な散布量と合っているかを確認する方法として、一度「真水」だけで決まった面積を撒いてみる練習をおすすめします。これにより、「自分は10リットルで何平方メートル撒けるのか」という身体感覚をつかむことができ、より精度の高い防除が可能になります。