農業の現場において「暗渠(あんきょ)」と「下水道」は、どちらも地下に埋設された水路であるため混同されがちですが、その構造と目的には明確な違いがあります。まず、最も大きな構造上の違いは「管に穴が開いているかどうか」という点です。農業用暗渠に使用される管は、周囲の土壌から過剰な水分を取り込むために、管全体に小さな穴が無数に開けられた「有孔管(ゆうこうかん)」や、吸水性のある素材が使われます。これは、暗渠の主目的が「土壌中の余分な地下水を排除し、農地の水はけを良くすること」にあるためです。作物の根腐れを防ぎ、湿害を回避して健全な生育環境を整えるためには、土の中の水を積極的に管の中へ「引き込む」機能が必要不可欠なのです。
参考)https://www.mdpi.com/2071-1050/13/8/4159/pdf?version=1617955853
一方で、一般的な下水道(公共下水道)の管渠(かんきょ)は、基本的に「無孔(穴がない)」構造です。下水道の目的は、家庭や工場から出る「汚水」や、道路に降った「雨水」を、処理場や河川まで「漏らさずに運ぶこと」にあります。もし下水管に穴が開いていれば、汚水が地下に漏れ出して土壌や地下水を汚染したり、逆に地下水が大量に流入して処理場の能力をオーバーさせたりする恐れがあります。このように、暗渠は「水を吸う(集める)」ための設備であり、下水道は「水を運ぶ(送る)」ための設備であるという点が、構造上の決定的な違いとなっています。
参考)水のない水辺から… 「暗渠」の愉しみ方 第11回 地下にある…
また、設置される深さや勾配の考え方にも違いが見られます。農業用暗渠は、作物の根が伸びる深さや、トラクターなどの農機による作業性を考慮して、地表から数十センチ〜1メートル程度の比較的浅い位置に埋設されることが一般的です。これに対し下水道は、勾配を確保して自然流下させる必要があるため、また地上の重量物の影響を避けるために、より深い位置に埋設されるケースが多くなります。農家の皆さんが自身の畑で目にするパイプの多くは、水を「排出」するための末端部分(吸水口や吐出口)ですが、その地中にあるパイプ自体の機能が全く逆であることを理解しておくと、トラブルが起きた際の対処法も変わってきます。
参考)https://www.city.komaki.aichi.jp/material/files/group/43/53046388.pdf
参考リンク:下水道の種類と構造|長岡市(公共下水道の定義と暗渠構造について解説)
農村部で生活する農家の方々にとって、非常に紛らわしいのが「農業集落排水」という存在です。家のトイレや台所の排水をつなぐこの設備は、機能としては都市部の「公共下水道」とほとんど変わりません。しかし、これを管轄する法律と省庁、そして事業の目的が異なります。公共下水道が国土交通省所管の「下水道法」に基づき、主に市街地の浸水防除や公衆衛生の向上を目的としているのに対し、農業集落排水は農林水産省所管の法律(土地改良法など)に基づき、「農業用用排水の水質保全」や「農村の生活環境改善」を主目的として整備されています。
参考)農業集落排水事業って何? - 行橋市ホームページ
なぜこの違いが重要かというと、接続や使用に関するルール、補助金の仕組みなどが異なる場合があるからです。農業集落排水は、その名の通り「農業集落」単位で処理施設を作る小規模なシステムであり、処理された水は再び農業用水として利用可能なレベルまできれいにして、地元の農業用排水路や河川に戻されます。つまり、自分たちが排出した水が、巡り巡って自分たちの田畑の水源に影響を与えるという、非常に密接なリサイクルループの中にあります。そのため、工場排水などの有害物質が含まれる排水の受け入れは厳しく制限されており、生活雑排水とし尿の処理に特化しているのが特徴です。
参考)使用者の方へのお願いとよくある質問
また、管理主体についても、公共下水道は自治体の下水道部局が管理しますが、農業集落排水は土地改良区や、自治体の農林部局が管理する場合があり、トラブル時の連絡先が異なることもあります。農家にとっては、「下水道料金」として支払っているお金が、実は自分たちの農業用水を守るための「農業集落排水施設使用料」であることを意識することは、地域の水管理を考える上で非常に重要です。都市部の下水道とは異なり、農業と生活が一体となったシステムである点を理解しておきましょう。
参考)なぜ地域によって農業集落排水とか漁業集落排水とか種別が異なる…
| 項目 | 農業集落排水 | 公共下水道 |
|---|---|---|
| 主な管轄省庁 | 農林水産省 | 国土交通省 |
| 根拠法 | 土地改良法など | 下水道法 |
| 主な目的 | 農業用水の水質保全、農村環境改善 | 市街地の汚水処理、雨水排除 |
| 処理対象 | 生活雑排水・し尿(工場排水は不可) | 生活排水・工場排水・雨水 |
| 放流先 | 農業用排水路・河川(再利用重視) | 河川・海 |
| 対象地域 | 農業振興地域(農村部) | 市街化区域(都市部) |
参考リンク:農業集落排水事業って何?|行橋市(公共下水道との違いを比較解説)
農業用暗渠が「水を吸う」仕組みをさらに深掘りすると、それはまるで土壌が呼吸するかのようなメカニズムであることがわかります。暗渠に使われる「有孔管(ゆうこうかん)」や、網状の「集束管」は、単に穴が開いているだけではありません。土壌中の水分は、重力によって下へ移動しますが、土の粒子が細かい場合、表面張力や毛管現象によって水は土の隙間に留まろうとします。暗渠パイプは、この土壌中の過剰な「重力水」を、パイプ内の空洞(大気圧)との圧力差を利用して効率よく吸い出す役割を果たしています。
参考)https://onlinelibrary.wiley.com/doi/pdfdirect/10.1029/2023WR035993
パイプの周りには、通常「疎水材(そすいざい)」と呼ばれるフィルター材が詰められます。これには砂利や砕石のほか、農村で手に入りやすい「もみ殻」や、近年では専用の化学繊維マットなどが使われます。この疎水材が非常に重要な役割を担っています。もしパイプを直接土に埋めてしまうと、泥や微細な土粒子が穴を塞いでしまい(目詰まり)、すぐに排水機能が失われてしまいます。疎水材は、水の通り道を確保しながら土の粒子の侵入を防ぐ「フィルター」の役割と、パイプ周辺の通気性を高める「呼吸層」としての役割を同時に果たしています。
参考)暗渠管(あんきょかん)とは?
また、暗渠は単に水を抜くだけではありません。「地下灌漑(ちかかんがい)」といって、乾燥時には逆に暗渠パイプから水を送り込み、土壌の下から水分を供給するシステムとして利用されることもあります。これは「有孔管」であるからこそ可能な芸当です。排水時には余分な水を吸い出し、渇水時には水を吐き出す。このように農業用暗渠は、一方通行の下水道管渠とは異なり、土壌との間で双方向の水移動(呼吸)を行う、非常に動的なシステムなのです。この「土壌物理性」を理解して管理することが、作物の収量を左右するカギとなります。
参考)https://www.mdpi.com/2073-4441/12/11/3207/pdf
参考リンク:トヨドレンダブル(農業用排水資材)|デンカ株式会社(有孔管の構造と機能)
ここで、従来の「パイプを埋める」という暗渠の常識を覆す、独自視点の技術を紹介します。それが、管渠(パイプ)などの資材を一切使わずに暗渠を作る「カットドレイン(穿孔暗渠)」という技術です。通常、暗渠工事といえば、重機で溝を掘り、パイプと砂利を入れ、埋め戻すという大掛かりな工事が必要で、多額のコストと労力がかかります。しかし、カットドレインは、トラクターの後ろに専用の作業機を取り付けて走らせるだけで、土の中に四角い空洞(通水空間)を成形するという画期的な工法です。
参考)農家が使える無資材・迅速な穿孔暗渠機「カットドレーン」
この技術の最大の特徴は、土そのものを切断・持ち上げて空洞を作る点にあります。特殊な刃が土中を通り抜ける際、土を圧縮せずに持ち上げるため、壁面が練り固められず、高い透水性を維持したまま空洞が維持されます。パイプがないため、資材費はゼロ。施工速度も非常に速く、農家自身がトラクターで行えるため、コストを劇的に抑えることができます。さらに、この空洞は数年で自然に崩れて埋まりますが、逆に言えば「詰まってもまた施工すれば良い」という発想の転換が可能になります。
参考)(研究成果) 迅速・簡単な暗渠敷設機「カットドレーナー」が本…
これは、一度埋めたら数十年使い続ける前提の「下水道」や「公共工事の暗渠」とは全く異なるアプローチです。また、既存の古くなった暗渠パイプに対して直交するようにカットドレインを施工することで、排水機能が低下した暗渠を「補助暗渠」として復活させることも可能です。下水道が「恒久的なインフラ」であるのに対し、農業用暗渠、特にカットドレインのような技術は、作物の生育状況や土壌の状態に合わせて毎年更新・調整できる「栽培技術の一部」であると言えるでしょう。この柔軟性こそが、農業土木の面白いところであり、下水道との大きな違いです。
参考)https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/2011752.pdf
参考リンク:農家が使える無資材・迅速な穿孔暗渠機「カットドレーン」|農研機構(無資材暗渠の仕組みとメリット)
最後に、暗渠と下水道の運用の違いとして「メンテナンス」が挙げられます。公共下水道の管渠は、自治体や専門業者が特殊なロボットカメラや高圧洗浄車を使って管理しますが、農業用暗渠、特に個人の田畑に設置された暗渠は、農家自身によるメンテナンスが必須です。暗渠は長年使っていると、どうしても管の中に泥が溜まったり、作物の根が入り込んだり、鉄分(酸化鉄)が付着してヘドロ状になったりして詰まってしまいます。これを放置すると排水不良に陥り、湿害の原因となります。
参考)暗渠排水の管理方法/西部総合事務所農林局/とりネット/鳥取県…
農家ができる効果的なメンテナンス方法の一つに、水圧を利用した「フラッシング(水洗)」があります。これは、用水路から水を入れられる水田の場合に有効です。暗渠の末端にある水閘(すいこう:キャップやバルブ)を閉じた状態で、パイプ内を満水にし、数日間放置して泥をふやかします。その後、一気に水閘を開けて溜まった水を放出することで、水流の勢いで内部の泥やゴミを押し流すという方法です。これは特別な機材を必要とせず、定期的に行うことで暗渠の寿命を大幅に延ばすことができます。
参考)https://ho-nen.co.jp/wp/wp-content/themes/hounen/images/document/catalog-pamphlet/7_ankyohaisui_maintenance_pamphlet.pdf
また、より強力な洗浄が必要な場合は、動噴(動力噴霧機)に「洗管ノズル」という専用のアタッチメントを取り付けて、高圧水でパイプ内を洗浄する方法もあります。このノズルは、逆噴射する水の力でパイプの奥へと自走していくため、長い暗渠管でも奥まで掃除することができます。下水道が「詰まらせないように使う(異物を流さない)」管理であるのに対し、農業用暗渠は「土や根が入ることを前提に、定期的に排出する」管理が求められます。この「能動的な管理」こそが、農業生産者が知っておくべき暗渠のポイントです。
参考)水田暗渠(きょ)の排水不良を改善するための原因診断に基づく対…
参考リンク:暗渠排水の維持管理について|株式会社ホーネン(図解による具体的なメンテナンス手順)