
維管束(いかんそく)は、植物にとって人間でいう「血管」にあたる重要な組織です。農業の現場において、作物の生理状態を正しく理解するためには、この維管束の構造、特に「道管(どうかん)」と「師管(しかん)」の位置関係を把握しておくことが基礎となります。なぜなら、水管理や肥料の効き方、剪定時のダメージ回復などは、すべてこの輸送システムに依存しているからです。
まず結論から述べると、茎における維管束の基本配置は「道管が内側、師管が外側」です。「内道・外師(うちどう・そとし)」と覚えると忘れにくいでしょう。
この配置は、植物が進化の過程で獲得した理にかなった構造です。茎の外側は物理的なダメージを受けやすい場所です。万が一、外皮が傷ついたとしても、生命維持に最低限必要な「水」の供給ルートである道管(内側)だけは守られるよう、より中心部に配置されていると考えられています。一方で、師管は光合成産物を運ぶため、葉に近い外側に位置することで、スムーズな受け渡しを可能にしています。
維管束の太さや密度は、作物の種類や生育環境によって変化します。例えば、トマトやナスなどの双子葉植物では、維管束が茎の断面に沿ってリング状(輪状)にきれいに並んでいます。これに対し、トウモロコシやイネなどの単子葉植物では、維管束が茎全体に散らばって(散在して)存在しています。この違いは、接ぎ木ができるかできないか、茎が太くなるか(肥大成長するか)といった栽培上の特性に直結しています。
道管と師管の位置関係を理解することは、病害虫の診断にも役立ちます。例えば、青枯病などの土壌病害は道管内で細菌が増殖し、水の通り道を塞ぐことで発生します。茎を切断して水につけた際、維管束の内側(道管部分)から白濁した液が出るかどうかを確認するのは、この位置関係に基づいた診断技術です。
NHK for Schoolによる維管束の観察動画です。ホウセンカを使った実験で、道管が赤く染まる様子が視覚的に理解できます。
道管と師管は、どちらも物質を運ぶパイプの役割を果たしていますが、その「中身」「方向」「細胞の状態」には決定的な違いがあります。これらを混同せずに整理することで、植物生理学の理解が深まります。
1. 道管(水とミネラルの動脈)
道管は、根から吸収した「水」と、水に溶けた「無機養分(窒素、リン酸、カリウムなど)」を、茎を通って葉や花へ運び上げる組織です。主な特徴は以下の通りです。
2. 師管(光合成産物の静脈)
師管は、葉の光合成によって作られた「有機養分(糖分など)」を、根、茎、果実、種子など、植物体の必要な部位へ運ぶ組織です。
| 特徴 | 道管(どうかん) | 師管(しかん) |
|---|---|---|
| 運ぶもの | 水・無機養分 | 有機養分(糖など) |
| 主な方向 | 根 → 葉(上向き) | 葉 ⇄ 各器官(双方向) |
| 細胞の状態 | 死細胞(中空) | 生細胞(核なし) |
| 位置(茎) | 内側(中心寄り) | 外側(表皮寄り) |
| 壁の厚さ | 厚く木化している | 比較的薄い |
この構造の違いは、農業における「環状剥皮(かんじょうはくひ)」という技術に応用されています。果樹などで幹の樹皮をリング状に剥ぐと、外側にある師管だけが切断されます。すると、葉で作られた光合成産物が根に降りていかず、果実の方へ集中的に送られるようになり、果実の肥大や糖度向上を促すことができます。これは、道管(内側)が無傷であるため水不足にはならず、師管(外側)の流れだけを制御できるという、維管束の位置関係を利用した高度な技術です。
一般社団法人日本植物生理学会によるQ&Aコーナーです。師管の篩板(しばん)の構造や、なぜこのような形になっているのかについて、専門家が詳細に回答しています。
植物は大きく「双子葉類(そうしようるい)」と「単子葉類(たんしようるい)」に分類され、維管束の並び方に顕著な違いが見られます。普段見ている野菜や雑草がどちらのタイプかを知ることで、その植物の特性が見えてきます。
双子葉類(ホウセンカ、ヒマワリ、ダイズ、トマトなど)
双子葉類の茎の断面を見ると、維管束は中心を取り囲むように「輪状(円周状)」に規則正しく並んでいます。
単子葉類(トウモロコシ、イネ、ネギ、ユリなど)
単子葉類の茎の断面では、維管束が特定の列を作らず、全体に「散在」しています。顔に見えるような独特の配置をしているのが特徴です(道管が目で、師管が額、維管束鞘が顔の輪郭のように見えます)。
この配列の違いは、除草剤の選定においても重要です。イネ科(単子葉)には効かず、広葉雑草(双子葉)だけを枯らす選択性除草剤などは、こうした生理学的・形態学的な違い(および成長点の位置や代謝の違い)を利用しています。
筑波大学による植物の構造に関する教材ページです。単子葉植物と双子葉植物の維管束の配置を、実際の顕微鏡写真を用いて比較解説しており、視覚的に非常に分かりやすいです。
実際に維管束の位置や構造を目で見て確認することは、知識を定着させる上で非常に有効です。ここでは、入手しやすく観察しやすい植物と、失敗しない観察手順を紹介します。
おすすめの観察植物
観察の手順とコツ
食紅(赤色)を水に溶かして濃いめの色水を作ります。専用の染色液がなくても、スーパーの製菓材料コーナーにある食紅で十分に代用可能です。青色のインクでも良いですが、赤色の方が植物の緑色とのコントラストで見やすい傾向があります。
植物を根元(または茎の下部)で切り戻し、すぐに色水に挿します。直射日光の当たる風通しの良い場所に置くと、蒸散が活発になり、30分~1時間程度で茎の上部まで色が上がってきます。
茎をカミソリで横に薄くスライスします。
この実験を通じて、道管が植物体内でどのようにネットワークを張り巡らせているかを実感できるはずです。特に、葉脈(葉の維管束)まで色が到達すると、葉脈において道管が上側(表側)、師管が下側(裏側)にあることも観察できるかもしれません。
熊本県立教育センターによる理科実験の指導事例です。アスパラガスを用いた単子葉植物の維管束観察について、詳細な手順と顕微鏡写真が掲載されており、散在する維管束の様子がよく分かります。
維管束の獲得は、植物が水中から陸上へ進出する上で、最も革新的な出来事の一つでした。維管束を持たない植物(コケ植物など)と、維管束を持つ植物(シダ植物・種子植物)の違いを知ることで、植物の生存戦略の奥深さが見えてきます。これは検索上位の記事にはあまり載っていない、植物学的な視点からの深掘りです。
重力への対抗と大型化
水中に住む藻類は、浮力によって体を支えられ、周囲の水から直接水分や養分を吸収できるため、維管束を必要としませんでした。しかし、陸上は乾燥しており、重力がかかります。
水輸送の効率化
初期の陸上植物(コケ植物など)は、維管束が発達していないため、体表面全体から水を吸う必要があり、湿った場所から離れられず、体も大きくなれませんでした。
乾燥ストレスと維管束
維管束の位置が「道管が内側」である理由は、進化論的な観点からも説明がつきます。乾燥した陸上環境では、脱水は死に直結します。最も重要な水分輸送ルートを茎の深部に隠すことで、外部の乾燥や熱、紫外線から道管を守っています。また、師管が外側にあることで、万が一食害にあっても、光合成産物は一時的に遮断されますが、根から吸い上げた水は確保され、すぐには枯死しないようなリスク分散が図られています。
このように、維管束の「位置」や「構造」は、何億年にもわたる環境適応の結果として定着した、植物にとっての最適解なのです。私たち農業関係者が普段目にしている作物の茎の中には、生命進化の壮大な歴史が刻まれています。
日本植物学会による植物の進化に関する解説ページです。陸上植物がどのようにして維管束を獲得し、大型化していったかという進化のプロセスが専門的ながら分かりやすく解説されています。