溶存酸素量(DO)は、水中に溶け込んでいる酸素の量を示す、水質を測る上で非常に重要な指標です 。この数値が低いということは、水中の酸素が欠乏している状態を意味し、作物の生育に深刻な影響を及ぼす可能性があります。では、具体的にどれくらいの数値が「基準」となるのでしょうか。
まず、日本の環境基準では、河川の水質について類型が定められており、最も清浄な「AA類型」(水道1級、自然環境保全)ではDOの値が7.5mg/L以上であることとされています 。農業用水もこれに準じた高い水準が求められることが多く、農林水産省が示す農業用水基準でも、水稲向けには7.5mg/L以上が望ましいとされています 。
しかし、これはあくまで一般的な河川や用水路の基準です。農業、特に施設園芸や水耕栽培においては、よりシビアな管理が求められます。例えば、トマトやキュウリ、レタスなどの果菜類や葉菜類を水耕栽培する場合、培養液中のDO濃度が5mg/Lを下回ると根の機能が著しく低下し始めると言われています 。3mg/L以下になると根腐れのリスクが非常に高まり、生育不良や病害の発生に直結します 。
なぜ溶存酸素量がこれほど重要なのでしょうか。その理由は、植物の「根」も私たちと同じように呼吸をしてエネルギーを得ているからです。根は水中の溶存酸素を取り込んで呼吸を行い、そのエネルギーを使って水分や肥料分を吸収します。しかし、水中の酸素が不足すると、根は窒息状態に陥ります。これにより、以下のような深刻な影響が現れます。
このように、目には見えない「溶存酸素量」は、作物の生命線を握る極めて重要な要素なのです。特に、水の量が多くなりがちな栽培環境や、根が密集しやすい環境では、常に酸素不足のリスクと隣り合わせであることを認識する必要があります。
以下のリンクは、環境省が定める水質の環境基準についてまとめたものです。河川の類型ごとに基準値が詳細に記載されており、農業用水の水質を評価する上での公的な指標として参考になります。
圃場の溶存酸素量がなぜ低下してしまうのか、その原因を理解することは、効果的な対策を講じるための第一歩です。主な原因は複数ありますが、特に注意すべきは「水温の上昇」と「有機物の過剰な存在」です。
1. 水温の上昇
水の温度と溶存酸素量は、非常に密接な関係にあります。簡単に言うと、「水温が高いほど、水に溶けることができる酸素の量は少なくなる」という物理的な法則があります 。これは、気体の溶解度が温度の上昇に伴って減少するためです。例えば、標準気圧下での飽和溶存酸素量は以下のようになります。
| 水温 | 飽和溶存酸素量 (mg/L) |
|---|---|
| 0℃ | 14.6 |
| 10℃ | 11.3 |
| 20℃ | 9.1 |
| 30℃ | 7.5 |
このように、水温が10℃から30℃に上昇するだけで、水中に存在できる酸素の最大量は約34%も減少してしまいます。特に夏場のハウス内や、日当たりの良い水田・用水路では、水温が30℃以上に達することも珍しくありません。このような状況では、植物の根が必要とする酸素を十分に供給することが物理的に困難になります。さらに、高温は植物自体の呼吸量も増加させるため、酸素の消費が激しくなり、ますます酸欠に陥りやすくなるという悪循環を生み出します。
2. 有機物の過剰な存在(BODの上昇)
水中に含まれる有機物も、溶存酸素量を低下させる大きな要因です 。ここで重要になるのが、BOD(生物化学的酸素要求量)という指標です。BODは、水中の微生物が有機物を分解する際に消費する酸素の量を示します 。つまり、BODの値が高い水は「汚れが進んでいる水」であり、それだけ多くの酸素が微生物によって消費されてしまうことを意味します。
農業現場では、以下のような要因で有機物が水中に過剰に供給されることがあります。
3. 土壌の物理性の問題
土壌栽培においても、土壌中の「水分」に含まれる溶存酸素が重要です。しかし、土壌の物理性に問題があると、酸素供給が著しく阻害されます。
これらの原因は単独で発生することもあれば、複合的に絡み合って深刻な酸素不足を引き起こすこともあります。特に水温が高くなる夏場は、酸素溶解度の低下と微生物活動の活発化が同時に起こるため、最も注意が必要な時期と言えるでしょう。
自社の圃場や用水路の溶存酸素量がどの程度なのかを正確に把握することは、適切な管理を行う上で不可欠です。専門的な分析機関に依頼する方法もありますが、近年では農業者自身が現場で簡単に測定できる機器も普及しています。ここでは、主な測定方法とその注意点について解説します。
1. DOメーター(溶存酸素計)による測定
現在、最も一般的で手軽な方法が、DOメーターを用いた測定です 。DOメーターは、水中にセンサーを入れるだけで、その場の溶存酸素量や水温をデジタル表示してくれる便利な機器です。測定原理によっていくつかの種類があります。
DOメーターを使用する際の注意点 💡
2. ウィンクラー法(滴定法)
試薬を用いた化学分析によって溶存酸素量を測定する方法です 。複数の試薬を正確に加えて色の変化や滴定量を調べる必要があり、専門的な知識と技術が求められます。現場で手軽に行うのには向きませんが、非常に高い精度で測定できるため、DOメーターの精度検証や、より厳密なデータが必要な研究などに用いられます 。
3. パックテスト(比色法)
試薬が封入されたチューブに検水を吸い込み、色の変化を標準色と見比べることで、おおよその溶存酸素量を簡易的に測定する方法です 。DOメーターに比べて精度は劣りますが、非常に安価で誰でも簡単に測定できるため、「まずは大まかな傾向を知りたい」という場合に便利です。
これらの測定方法の中から、目的や予算、求める精度に応じて最適なものを選ぶことが重要です。定期的に測定を行い、自身の圃場の「酸素の健康状態」を記録・管理していくことが、安定した農業生産への第一歩となります。
溶存酸素量が不足していることが判明した場合、あるいは不足が懸念される場合には、積極的な対策を講じることで作物の生育環境を大きく改善できます。ここでは、土壌栽培と水耕栽培の両方で活用できる、具体的な改善方法をいくつか紹介します。
1. 曝気(エアレーション)による酸素供給 🌬️
最も直接的で効果的な方法の一つが、曝気(エアレーション)です。これは、ブロワーなどを使って水中に空気を送り込み、強制的に酸素を溶け込ませる方法です。水耕栽培では、培養液タンクにエアーストーンを設置するのが一般的です 。土壌栽培においても、用水路や貯水タンクに曝気装置を設置することで、灌水に使う水の溶存酸素量を高めることができます。
2. マイクロナノバブル発生装置の活用 ✨
近年注目されているのが、マイクロナノバブル(ファインバブル)技術です 。これは、非常に微細な気泡を水中に発生させる装置で、以下のような特徴から高い酸素供給効果が期待されています。
これらの装置を灌水システムに組み込むことで、根に直接、酸素豊富な水を届けることができ、根張りの改善や収量向上が多くの事例で報告されています 。
3. 酸素供給剤の利用 💊
土壌の酸欠を手軽に改善する方法として、酸素供給剤の利用があります。これは、水と反応して酸素を発生させる化学物質を主成分とした資材で、過酸化カルシウムなどがよく知られています。「酸素くん」といった商品名で市販されています 。
4. 物理的な土壌改良 🚜
根本的な解決策として、土壌の物理性を改善することも欠かせません。これは、土壌の通気性と排水性を高め、根が呼吸しやすい環境を作るための対策です。
これらの改善方法は、それぞれにメリット・デメリットがあります。自身の圃場の状況(水質、土壌の状態、栽培方法など)を正確に把握し、これらの方法を適切に組み合わせることが、収量と品質の向上につながる鍵となります。
農林水産省のウェブサイトでは、農業におけるICT活用事例として、ナノバブル技術などが紹介されています。先進的な技術の導入事例として参考になります。
溶存酸素量の重要性は、主に「植物の根の呼吸」という観点から語られることがほとんどです。しかし、実はもう一つ、農業生産において極めて重要なプレーヤーである「土壌微生物」の活動にも、溶存酸素量は決定的な影響を与えています。この関係性を理解することは、より本質的な土壌管理と施肥設計につながります。
土壌中には、1グラムあたり数億から数十億という天文学的な数の微生物が生息しており、その働きは作物の生育に不可欠です。これらの微生物は、その活動に酸素を必要とするかどうかで、大きく二つのグループに分けられます。
1. 好気性微生物(酸素が大好き!) 👍
活動するために酸素を必要とする微生物群です。彼らは、人間にとって有益な働きをしてくれる「善玉菌」が多く含まれます。
これらの好気性微生物は、溶存酸素が豊富な環境で活発に活動します。つまり、灌水や土壌中の水分に十分な酸素が含まれていると、彼らが肥料成分を効率よく分解・変換し、植物が吸収しやすい形にしてくれるのです。結果として、肥料の利用効率が高まり、作物の健全な生育が促進されます。
2. 嫌気性微生物(酸素が苦手…) 👎
酸素のない、あるいは非常に少ない環境で活発になる微生物群です。彼らの中には、農業にとって不都合な働きをする「悪玉菌」が含まれています。
湛水状態や過湿状態が続き、土壌中の酸素が欠乏すると、善玉菌である好気性微生物の活動は停止し、悪玉菌である嫌気性微生物が優勢な環境になってしまいます。こうなると、せっかく施用した肥料は失われ(脱窒)、根は有害物質(硫化水素)に晒され、病原菌が蔓延しやすい土壌環境へと変化してしまうのです。
このように、溶存酸素量を管理することは、単に根に呼吸をさせるだけでなく、「土壌微生物のバランスをコントロールし、肥料が効きやすい土壌環境を維持する」という、もう一つの極めて重要な意味を持っています。酸素供給剤の施用やマイクロナノバブル水の灌水は、根だけでなく、土壌中の膨大な数の「味方」である好気性微生物にも酸素を届け、彼らの働きを活性化させるための重要な一手と言えるでしょう。この視点を持つことで、日々の水管理や土壌管理の重要性について、より深い理解が得られるのではないでしょうか。

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