エトフェンプロックスは、三井化学クロップ&ライフソリューションが開発したピレスロイド様の殺虫剤原体です。1987年に日本国内で初めて農薬登録され、現在は「トレボン」という商品名で広く知られています。化学構造としてはピレスロイドと異なる骨格を持ちますが、害虫の神経系に作用する仕組みはピレスロイド系殺虫剤と類似しています。
この農薬が注目される理由は、その殺虫活性の高さにあります。鱗翅目(チョウ目)、半翅目(カメムシ目)、鞘翅目(コウチュウ目)、双翅目など、多様な害虫に対して効果を発揮します。特にコナガ、アオムシ、ハスモンヨトウなどのチョウ目害虫、アブラムシ類、コナジラミ類、カメムシ類に対して高い殺虫効果を示すことが確認されています。
人畜毒性については、普通物(毒劇物に該当しないもの)に分類されており、経口・経皮・吸入による急性毒性は低いとされています。体内に蓄積せず、大部分は代謝されて糞便に排出されることが分かっています。皮膚や粘膜への刺激性も比較的少なく、鳥類に対する安全性も高いのが特徴です。
つまり安全性が高い薬剤です。
ただし、魚類や甲殻類などの水産動植物に対しては強い毒性を示すため、河川や養殖池周辺での使用には十分な注意が必要となります。この点については後の項目で詳しく解説します。
エトフェンプロックスの開発経緯と特性について、三井化学クロップ&ライフソリューションの公式ページ
水稲におけるエトフェンプロックスの利用は、日本の稲作防除の基幹をなしています。ジノテフランとともに水稲の主要殺虫剤として位置づけられており、コブノメイガ、ツマグロヨコバイ、ウンカ類、カメムシ類、イナゴ類など、多様な害虫に効果を発揮します。
使用方法としては、トレボン乳剤を1,000倍に希釈し、10アールあたり60〜150リットルの散布液量で使用するのが標準的です。使用時期は収穫14日前まで、使用回数は3回以内と定められています。この基準を守ることで、残留農薬基準値(玄米で0.3ppm)をクリアできる設計になっています。
効果の特徴として、散布後の速効性が挙げられます。極めて速くノックダウン効果を示し、害虫を素早く駆除します。同時に持続性にも優れており、約3週間程度にわたって効果が継続するとされています。この速効性と持続性の両立が、エトフェンプロックスの大きな強みです。
効果が長く続きます。
特に水稲のカメムシ防除では、穂揃期から乳熟期にかけての散布が重要です。この時期はカメムシ類が穂に集まって吸汁加害する時期であり、斑点米の発生を防ぐためにはタイミングを逃さない防除が求められます。エトフェンプロックスは速効的にカメムシ類を駆除し、長期間の防除効果を維持できるため、この用途に適しています。
マイクロカプセル製剤(トレボンMC)も開発されており、有効成分がカプセルに包まれることで、さらに持続性が向上しています。水稲のウンカ類、ツマグロヨコバイ、カメムシ類などに対して、比較的長い殺虫効果を発揮する製剤として評価されています。
エトフェンプロックスは水稲だけでなく、野菜や果樹の害虫防除にも広く利用されています。登録作物は非常に多岐にわたり、キャベツ、はくさい、だいこん、トマト、きゅうり、なす、いちご、果樹(りんご、なし、もも、ぶどうなど)、豆類、花卉類など、ほぼすべての園芸作物をカバーしています。
野菜類での使用では、作物ごとに希釈倍率と使用時期が細かく設定されています。例えばキャベツの場合、アオムシやコナガに対して1,000倍希釈で収穫前日まで使用可能で、本剤の使用回数は2回以内となっています。はくさいでは収穫7日前まで、トマトでは収穫前日までと、作物によって収穫前日数が異なるため、ラベル表示の確認が必須です。
果樹類では、モモやリンゴなどの重要害虫であるシンクイムシ類、ハマキムシ類、アブラムシ類に対して効果を発揮します。果樹の場合は希釈倍率が1,000〜2,000倍で設定されることが多く、散布液量は10アールあたり200〜700リットルと、樹冠の大きさに応じて調整します。
収穫前日まで使えます。
重要なのは、有機リン系やカーバメート系殺虫剤に抵抗性を持つ害虫に対しても効果があるという点です。これらの系統の農薬が効きにくくなった害虫に対して、エトフェンプロックスは異なる作用機構で効果を発揮するため、抵抗性対策として有効な選択肢となります。
ただし、エトフェンプロックス自体も連用すると抵抗性を発達させるリスクがあります。実際にハスモンヨトウやコナガなどでは、エトフェンプロックスに対する感受性低下が報告されています。このため、作用機構の異なる薬剤とのローテーション散布が推奨されています。
トレボン乳剤の詳細な適用表と使用方法については、クミアイ化学工業の製品情報PDF
エトフェンプロックスの最も重要な注意点は、水産動植物、特に甲殻類と冷水魚に対する強い毒性です。製品ラベルには必ず「水産動植物(魚類、甲殻類、冷水魚)に影響を及ぼすので、河川、養殖池等に飛散、流入しないよう注意して使用すること」という警告が記載されています。
具体的には、環境中予測濃度の評価で、甲殻類の急性影響濃度が1.63μg/L(マイクログラム/リットル)という非常に低い値で設定されています。これは、わずかな量でも甲殻類に影響を及ぼす可能性があることを意味します。魚類に対しても、養魚田では使用しないことが明確に指示されています。
この毒性の理由は、ピレスロイド系化合物の作用機構にあります。昆虫だけでなく、魚類や甲殻類も同様の神経系を持っているため、エトフェンプロックスが神経系に作用してしまうのです。特に甲殻類(エビ、カニ、ミジンコ類など)は感受性が高く、比較的低濃度でも致死的な影響を受けます。
甲殻類は特に影響を受けます。
実際の使用場面での対策としては、以下の点に注意が必要です。まず、河川や用水路、養殖池の近くでは使用を避けるか、風向きに十分注意して飛散を防ぎます。水田での使用では、散布後の田面水が直接河川に流入しないよう、止水管理を徹底することが重要です。少なくとも散布後7日間程度は田面水を流出させない管理が推奨されています。
養殖池周辺での使用は特に避けるべきです。エビやカニの養殖場、冷水魚(マス類など)の養殖場が近隣にある場合は、別の薬剤を選択するか、関係機関に事前に連絡して調整する必要があります。過去には農薬の不適切な使用により養殖魚が大量へい死した事例もあり、訴訟問題に発展するリスクもあります。
環境への配慮として、必要最小限の使用量・使用回数にとどめることも大切です。効果があるからといって過剰に散布すると、環境負荷が増大するだけでなく、薬剤抵抗性の発達リスクも高まります。
エトフェンプロックスは、ミツバチに対しても影響を及ぼす農薬です。製品ラベルには「ミツバチに対して影響があるので、ミツバチ等の巣箱及びその周辺に飛散するおそれがある場合には使用しないこと」という注意事項が必ず記載されています。
農林水産省が実施した平成26年度の蜜蜂被害事例調査では、水稲のカメムシ防除時期にミツバチのへい死が発生した事例が報告されています。死亡したミツバチから検出された殺虫剤成分を分析したところ、エトフェンプロックスがLD50値(半数致死量)の5倍以上の濃度で検出された事例がありました。これは、散布された農薬にミツバチが直接曝露したか、汚染された花粉や蜜を持ち帰ったことが原因と考えられています。
特に問題となるのは、夏季の北日本水田地帯での被害です。この時期は水稲の開花期とカメムシ防除の時期が重なり、同時に周辺の野草や作物も開花しているため、ミツバチの活動が活発になります。ミツバチが水稲の花粉を集めることは少ないですが、水田周辺の雑草や畦畔の花を訪れる際に、散布された農薬に曝露するリスクがあります。
被害は夏季に集中します。
研究データによると、エトフェンプロックスはセイヨウミツバチに対して比較的高い感受性を示すことが分かっています。ネオニコチノイド系農薬と比較した試験では、エトフェンプロックスとエチプロールでセイヨウミツバチが特に感受性が高いという結果が出ています。
対策としては、まず散布時期の調整が重要です。関係機関(都道府県の農業部局、養蜂組合など)と連携し、養蜂が行われている地域や時期を把握します。ミツバチの巣箱が近隣にある場合は、事前に養蜂家に連絡し、散布日時を調整するか、一時的に巣箱を移動してもらうなどの配慮が必要です。
散布方法の工夫も効果的です。早朝や夕方など、ミツバチの活動が低下する時間帯に散布することで、直接曝露のリスクを減らせます。また、飛散を抑える粒剤やマイクロカプセル製剤を選択することも一つの方法です。
水田周辺で養蜂を行っている場合、農薬散布情報を共有するシステムの構築も有効です。地域ぐるみで散布予定日を事前に通知し合うことで、養蜂家は巣箱を一時的に移動させたり、巣門を閉じて外出を制限したりする対応が可能になります。
農薬を使い続ける上で避けて通れないのが、薬剤抵抗性の問題です。エトフェンプロックスも例外ではなく、同一系統の農薬を連続して使用すると、害虫が抵抗性を獲得して効果が低下するリスクがあります。
実際に、ハスモンヨトウでは1993年頃からエトフェンプロックスに対する感受性低下が報告されています。高知県の調査では、長年にわたりエトフェンプロックス乳剤が本種防除の中心的な薬剤として使用されてきたことが、抵抗性発達の原因と考えられています。コナガについても、各地で合成ピレスロイド剤への抵抗性が報告されており、エトフェンプロックスも影響を受けています。
抵抗性のメカニズムは複雑ですが、主に神経系の標的部位の変異によるものと考えられています。ピレスロイド系殺虫剤は神経軸索のナトリウムチャンネルに作用しますが、このチャンネルの構造が変化すると、薬剤が結合しにくくなり、効果が低下します。この遺伝的変異は次世代に受け継がれるため、抵抗性は世代を経るごとに強化されていきます。
抵抗性は遺伝します。
対策の基本は、作用機構の異なる薬剤とのローテーション散布です。農薬には作用機構分類(IRACコード)が設定されており、エトフェンプロックスはピレスロイド系の「3A」に分類されます。抵抗性対策としては、有機リン系(1B)、ネオニコチノイド系(4A)、スピノシン系(5)、ジアミド系(28)など、異なるグループの薬剤と組み合わせて使用します。
具体的なローテーション計画の例としては、水稲のカメムシ防除であれば、1回目にエトフェンプロックス(3A)、2回目にジノテフラン(4A)、3回目に有機リン系のフェニトロチオン(1B)というように、毎回異なる系統を使用します。野菜のチョウ目害虫防除では、エトフェンプロックスの後にスピノサド(5)やクロラントラニリプロール(28)を使用するなど、系統を変えることが重要です。
使用回数の制限も守る必要があります。エトフェンプロックスを含む農薬の総使用回数は、作物ごとに設定されています(水稲で3回以内、多くの野菜で2〜3回以内など)。この制限を超えると、抵抗性発達のリスクが高まるだけでなく、残留農薬基準値を超過する可能性もあります。
必要最小限の使用にとどめることも重要です。害虫の発生状況を観察し、発生初期に適切なタイミングで防除することで、使用回数を減らせます。予防的に定期散布を繰り返すのではなく、発生予察情報や圃場の観察に基づいて、必要な時だけ使用する姿勢が求められます。
薬剤抵抗性農業害虫管理のためのガイドライン(農研機構)には、系統別の薬剤一覧と使い方が詳しく解説されています
薬剤抵抗性の早期発見も大切です。効果が以前より低下したと感じたら、別の系統の薬剤に切り替え、農業改良普及センターや農協に相談することをお勧めします。地域全体で抵抗性情報を共有し、対策を講じることで、長期的な防除効果を維持できます。