農地の生物多様性を守らないと、あなたの農作物は今後10年以内に病原菌で全滅するリスクが現実になります。
「生態系サービス」という言葉を耳にしたことはあるでしょうか。環境省や農林水産省でも積極的に発信しているこの概念は、農業を営む上でとても重要な視点を含んでいます。
生態系サービスとは、生物多様性が豊かな生態系が人間に提供してくれる恩恵の総称です。食料や水の供給、気候の安定、災害の緩和、レクリエーションの場の提供など、人間の生活に欠かせない機能すべてが含まれます。国連が主導した「ミレニアム生態系評価(MA)」によって整理・定義されたこの概念は、今では農業政策の文脈でも頻繁に登場します。
生態系サービスは大きく「供給サービス」「調整サービス」「文化的サービス」「基盤サービス(または生息・生育地サービス)」の4種類に分類されます。
つまり4種類が基本です。
このうち「供給サービス」とは、生態系が人間に具体的な「モノ」を提供するサービスのことを指します。農作物を直接生み出す食料供給はもちろん、農業用水の源泉となる水供給、農業資材の原料となる繊維・木材・肥料といった原材料の供給、そして次世代の農作物を生み出すための遺伝資源の供給など、農業のほぼ全領域をカバーする広範な概念です。
農業従事者にとって供給サービスは、まさに農業経営の「土台」です。これが安定的に提供され続けることで、安定した農業経営が可能になります。逆に供給サービスが低下すると、農業コストの上昇や収量の減少、最悪の場合は農業経営そのものの危機につながります。
参考:生態系サービスの分類と経済価値評価について(環境省 生物多様性センター)
https://www.biodic.go.jp/biodiversity/activity/policy/valuation/service.html
供給サービスの中で最も身近でわかりやすいのが「食料供給」です。農業生態系や海洋生態系が生み出す食料は、人類の生存を支える根本的な恵みです。
注目すべき数字があります。地球表面の実に35%が農業・畜産業に利用されており、人類が必要とする食物エネルギーの約90%は、わずか約30種の作物によって賄われています。コムギ・イネ・トウモロコシなど、ほんの一握りの作物が人類全体を支えているわけです。
これは驚くべき事実ですね。
この「30種への依存」が何を意味するか。もしこれらの主要作物が気候変動や病原菌によって被害を受ければ、人類の食料安全保障は一気に揺らぎます。実際に歴史的な事例として、19世紀のアイルランドではジャガイモの遺伝的多様性が低かったため、疫病(ジャガイモ飢饉)で数百万人規模の犠牲者が出ました。これは「作物の遺伝的一様化」がいかに危険かを示しています。
農業従事者にとってのメリットとして、農地周辺の生物多様性を豊かに保つことで、土壌微生物の働きが活発になり、作物の自然な病害抵抗力が向上します。土壌1gの中には数百万〜数億もの微生物が存在しており、この「見えない働き手」が食料供給の質と量を陰で支えているのです。
食料供給を安定させるためには、単に農薬や肥料を投入するだけでなく、農地の生物多様性を維持することが最も重要な基盤となります。
供給サービスが原則です。
農業に水は欠かせません。灌漑用水の供給も、実は生態系サービスとして整理される重要な供給サービスのひとつです。
森林や湿地といった自然生態系は、雨水を一時的に蓄え、少しずつ河川や地下水へと送り出す「天然のダム」として機能しています。特に森林は、大気の湿度や水蒸気の収束に大きな影響を与え、雲の発生や降雨の確率を高める効果があることが明らかになっています。
農業用水という観点から見ると、森林が減少すると流域の水循環が乱れ、安定した灌漑用水の確保が難しくなります。これは農業従事者にとって直接的な収量リスクになります。農業用水が不安定になる場面はどうなるんでしょう?ポンプや貯水設備の整備コストが増加し、農業経営を圧迫します。
さらに、湿地や水辺の生態系は水質浄化機能も持っています。植生・微生物・土壌が連携して水の流れを調整し、農業用水として使える清浄な水を提供しているのです。これらの機能を「自然の浄水場」として活用できる農地環境は、長期的に見れば非常に大きな経済的価値を持っています。
水質浄化機能を維持するために、農地周辺の水路や湿地を保全することが農家にとっても重要な選択肢です。農林水産省も、里山や農地周辺の水辺環境の保全を推奨しており、農地・水保全管理支払交付金などの支援制度が利用できます。支援制度の確認は各都道府県の農業事務所に問い合わせると確実です。
参考:農業における生物多様性の保全と経済効果(鯉淵学園アグリビジネス専門学校)
https://www.koibuchi-elerning.com/conservation-of-biodiversity-and-economic-effects-in-agriculture/
「原材料の供給」も、農業従事者に深く関わる供給サービスの代表例です。農業で使われる繊維素材、飼料、有機肥料の原料、さらには木材や薪といったエネルギー資源も、すべて生態系から供給されています。
農業の現場で日常的に使われる堆肥や緑肥は、生態系内の有機物循環から生み出される原材料の供給サービスそのものです。土壌中の微生物が有機物を分解することで肥料成分が生み出され、それが次の作物生産を支えます。この循環が止まると、化学肥料への依存が高まり、農業コストが上がります。
また、家畜を飼育する農家であれば、飼料の確保も供給サービスの恩恵を受けています。草地や牧草地の生態系が維持されていれば、良質な飼料を安定的に確保できます。
これは使えそうです。
気候変動が進む中、木質バイオマスなど再生可能エネルギーへの関心も高まっています。農山村における木質燃料の活用も、原材料の供給サービスの一形態です。種の多様性が豊かな山林では、個々の木の成長が促進され、害虫被害も受けにくくなることがわかっています。つまり、多様な生態系は農業の原材料供給を安定させるということです。
農業の資材コストを長期的に抑えるためには、農地と周辺の自然環境が健全に保たれていることが不可欠です。この視点から、農地周辺の里山の管理や有機物の農地還元に積極的に取り組むことが、コスト削減と持続的な農業経営につながります。
供給サービスの中でも、農業従事者がもっと意識すべきなのが「遺伝資源の供給」です。しかし、これを日常的に意識している農家は多くありません。
意外ですね。
遺伝資源とは、品種改良や病害抵抗性の向上に利用できる生物の遺伝情報のことを指します。野生の近縁植物や在来種の遺伝子が、新しい農作物品種の開発に活用されてきた歴史は長く、その価値は計り知れません。
世界全体で利用されている遺伝資源の経済価値は、2,060億〜4,120億米ドルに上ると試算されています(TEEBレポートより)。日本円に換算すると、現在の為替レートで数十兆円規模の巨額な価値です。農業従事者の皆さんが今日育てている作物品種の背景には、何世代にもわたる遺伝資源の積み重ねがあるわけです。
問題はここです。大量収穫を目的として品種改良された単一品種への置き換えが進むと、農地の遺伝的多様性が急速に失われます。遺伝的多様性が低下した農業生態系は、病原菌の蔓延や気候変動に対して極めて脆弱になります。例えば「ジャガイモ飢饉」のように、特定の病原菌が一気に広まれば、農作物が全滅するリスクが高まるのです。
農業における遺伝資源保全の具体的な行動としては、地域の在来品種や伝統野菜を積極的に栽培・保存することが有効です。農林水産省の遺伝資源保存プログラムや、各地の農業試験場が実施している在来品種の保全プロジェクトに参加することも選択肢のひとつです。遺伝資源の保全が農業経営を守る「保険」になります。
参考:供給サービスの詳細(環境省 生物多様性センター)
https://www.biodic.go.jp/biodiversity/activity/policy/valuation/popup_service1.html
「薬用資源の供給」は、農業従事者にはやや遠い話に感じるかもしれません。しかし農業と薬用資源には、思わぬ深いつながりがあります。
薬用資源とは、医薬品・化粧品・染料などの材料となる生物資源のことです。ペニシリンはアオカビから発見され、抗がん剤の多くは植物由来の化合物を基に開発されています。現在流通している薬の多くが、自然界の生物多様性から生み出されているのです。
農家が薬草・ハーブ・漢方薬用植物を栽培する場合、これはまさに供給サービスの恵みを農業経営に組み込む行為です。ラベンダー、エキナセア、カモミールといったハーブ類、あるいは当帰・甘草などの薬用植物は、農薬に頼らない有機栽培との親和性も高く、高付加価値農産物として注目されています。
生態系内の薬用資源は非常に過小評価されているという指摘が世界規模でなされています。比較的経済的価値が低いとされる活動(例:木材の切り出し)による生物多様性の損失が、将来的に発見されるはずだった高価値な薬用資源の消滅につながるリスクがあるとされています。
農業従事者として意識したいのは、農地周辺に多様な植生を残すことが、将来の薬用資源の保全にもつながるという点です。農地の端や法面、休耕地などを活用した薬用植物の導入は、経営の多角化とともに生態系サービスの保全にも貢献します。高付加価値農産物への転換を検討している方は、農業改良普及センターや薬用植物を扱う農業共済組合への相談が第一歩になります。
「観賞資源の供給」は、生態系サービスの供給サービスの中でも一見農業とは距離がありそうです。しかし農村観光・グリーンツーリズムが盛んになっている現代において、この視点は農業経営の多角化に直結します。
観賞資源とは、観賞植物・観賞魚・野鳥など、人々が「美しい」「珍しい」と感じる生物資源のことを指します。農地の生物多様性が高い環境では、野鳥や蝶などの生物が豊富に生息し、農場を訪れた人々に豊かな自然体験を提供できます。
農業体験の場としての農場には、都市住民が強い関心を持っています。実際、グリーンツーリズムの市場規模は年々拡大しており、農産物の販売だけでなく「農場体験」「自然観察」を組み合わせたビジネスモデルが成立しています。農地の生態系が豊かであることは、そのままグリーンツーリズムの質の向上に直結します。
いいことですね。
また、地域の伝統的な農作物や花卉(かき)を生かした観光農業も観賞資源の活用です。チューリップ畑、ラベンダー畑、ひまわり畑など、観光資源として高く評価されている農地は、生態系サービスの観賞資源供給を農業経営に取り込んだ優れた事例です。
農場の生物多様性を高めることが観光資源になり得るという発想は、従来の農業経営にはなかった視点です。農地の一部を「ビオトープ」として整備したり、野鳥を呼ぶ植栽を取り入れたりすることが、グリーンツーリズムの集客力を高める具体的な行動になります。
農業従事者が生態系サービスを理解する上で、「供給サービス」と「調整サービス」の違いを押さえておくことが重要です。混同されがちな2つですが、区別できれば農業経営への応用もしやすくなります。
供給サービスとは、先に解説したとおり「生態系から具体的なモノを得る」サービスです。食料・水・木材・遺伝資源・薬用資源がその代表例で、直接的に農業生産物や農業資材として利用できるものです。
一方、調整サービスとは、生態系が環境の「調整役」として働くことで人間にもたらす恩恵を指します。具体的には、花粉媒介(受粉のサポート)、害虫の自然な抑制、気候の調整、洪水の緩和、土壌浸食の防止、水質浄化などが含まれます。調整サービスは「形のない恵み」とも言えます。
農業で特に重要なのが「花粉媒介(ポリネーター)」という調整サービスです。農研機構の試算では、2013年時点での日本における花粉媒介生物の経済価値は耕種農業産出額の約8.3%にあたる約4,700億円で、うち約3,300億円(70%)は野生の送粉者が提供しているとされています。この「野生のミツバチ・昆虫が無料で提供しているサービス」が失われたとき、農業コストは急増します。
痛いですね。
供給サービスと調整サービスは互いに深く依存しており、どちらか一方が低下すると農業経営全体に影響が出ます。例えば、農薬の多用で花粉媒介昆虫が減ると(調整サービスの低下)、果物・野菜の収量が減少し(供給サービスの低下)、農業所得が下がります。
この連鎖が基本です。
参考:日本の農業における送粉サービスの経済価値評価(農研機構)
https://www.naro.affrc.go.jp/archive/niaes/techdoc/press/160204/
供給サービスの恩恵を長く受け続けるためには、それが低下する原因を把握しておく必要があります。農業を続けていく中で、知らずに供給サービスを損ねる行動をとっている場合があります。
これは注意が必要です。
まず、農薬の過剰使用です。農薬は害虫を抑制するために使われますが、同時に有益な土壌微生物や花粉媒介昆虫にもダメージを与えます。土壌微生物の多様性が低下すると、有機物の分解能力が落ち、土壌肥沃度の維持というサービスが失われていきます。
次に、農地の単一栽培化(モノカルチャー)の問題です。同じ作物を大面積で連作すると、土壌の栄養バランスが偏り、特定の病原菌が繁殖しやすくなります。地球表面の35%が農業に使われているにもかかわらず、人類の食料エネルギーの90%がわずか30種に依存している現状は、まさにこの「一様化リスク」を象徴しています。
農地開発による自然生態系の縮小も大きな原因です。農地を拡大するために周辺の森林・湿地・水辺環境が失われると、水供給の安定性が低下し、野生の花粉媒介者の生息場所もなくなります。供給サービスと調整サービスが同時に低下するわけです。
さらに、気候変動の影響も無視できません。気候変動は生態系のバランスを乱し、農業用水の供給量に直接影響します。供給サービスへの影響は今後より深刻になる見込みです。農林水産省も「ネイチャーポジティブ農業」を推進し、生物多様性を損なわない農業への転換を促しています。この方向性を把握しておくことが農業経営のリスク管理になります。
参考:生態系サービスと農業・農村の関係(農林水産省)
https://www.maff.go.jp/j/kanbo/kankyo/seisaku/c_bd/pr/attach/pdf/pr-10.pdf
では、生態系サービスの供給サービスを農業経営に具体的に活かすにはどうすればよいのでしょうか。
難しく考える必要はありません。
日々の農業管理の中で取り組める実践的な方法を紹介します。
①有機物の循環利用(食料・原材料供給サービスの強化)
堆肥や緑肥など有機物を積極的に農地に還元することで、土壌微生物の多様性を高め、土壌の食料生産能力を自然に維持できます。土壌1gに存在する微生物の種類・数を増やすことが、長期的な収量安定の基盤になります。
②混作・輪作の導入(遺伝資源・食料供給サービスの強化)
複数の作物を組み合わせる混作や、毎年異なる作物を栽培する輪作は、病害虫リスクを分散しながら土壌の栄養バランスを保ちます。単一品種・単作農業に比べて、遺伝的多様性を農地レベルで維持できるため、供給サービスの安定にも貢献します。
③農地周辺の生態系の保全(水供給・遺伝資源サービスの強化)
農地の周囲に水路・ビオトープ・草地・生け垣などを整備・保全することで、野生の花粉媒介者や天敵昆虫の生息場所を確保できます。これは調整サービスだけでなく、水供給サービスの安定にもつながります。
④在来種・伝統品種の栽培継続(遺伝資源供給サービスの保全)
地域の在来品種や伝統野菜を農地に残しておくことが、将来の品種改良に必要な遺伝資源の保全につながります。農林水産省の「農業遺伝資源保存プログラム」や各農業試験場への品種登録・保存への協力も有効です。
これらは農業経営の即戦力になります。
⑤生態系サービスへの支払い(PES)の活用
生態系サービスの価値を経済的に評価し、保全に取り組む農家が報酬を受け取れる「生態系サービスへの支払い(PES)」という仕組みが日本でも拡大しつつあります。例えば、水源林保全に協力する農家に対して水道事業者から費用が支払われるケースや、多面的機能支払交付金を活用した農地の生物多様性保全活動などが該当します。活用できる支援制度の確認は農業事務所か市区町村の農業担当窓口で可能です。
参考:生態系サービスへの支払い(PES)日本の優良事例(環境省 生物多様性センター)
https://www.biodic.go.jp/biodiversity/shiraberu/policy/pes/index.html
生態系サービスの供給サービスがどれほどの経済価値を持つのか。農業従事者として「数字」で理解しておくことは非常に重要です。
知ってると得する情報です。
最も衝撃的な数字は、生態系サービス全体の価値です。生態経済学者のロバート・コスタンザ教授らが2014年に発表した研究では、全世界の生態系サービスの価値は年間125兆ドル(2007年の米ドル換算)に上ると試算されています。当時の世界のGDP総額をはるかに上回る規模です。私たちが「タダで使っている自然の恵み」の本当の価値がいかに巨大かがわかります。
農業に直結する数字に絞ると、さらに具体的です。日本国内の花粉媒介サービスの経済価値は約4,700億円(農研機構・2016年試算)で、うち野生送粉者の貢献が約3,300億円を占めます。セイヨウミツバチによる受粉がなくなったと仮定した場合の経済的損失は1,000億円規模になるという試算もあります。
世界規模では、農作物の約35%が花粉媒介者に依存しており、その市場価値は年間2,350億〜5,770億ドル(約26〜64兆円)にも上ります(IPBES報告書より)。農業従事者が何気なく享受しているこの「自然の受粉サービス」は、実は数十兆円規模の価値を持つ経済活動なのです。
また、遺伝資源の価値も見逃せません。世界の農業生産に利用されている遺伝資源の潜在価値は2,060億〜4,120億ドルと試算されており(TEEBレポート)、この価値の源泉は生物多様性の豊かさにあります。
つまり生物多様性が条件です。
これらの数字が示すのは、生態系の供給サービスと調整サービスが失われた場合、農業コストは劇的に増加するという事実です。今は無料で享受しているサービスを人工的に代替しようとすれば、農業経営は立ち行かなくなります。生態系サービスの保全は、農業の「コスト削減策」でもあるわけです。
参考:世界のGDP超える「年間125兆ドル」生態経済学の第一人者に聞く(アフリカ農業情報)
https://af-info.or.jp/af_magazine/029.html
ここでは、一般的な解説記事には載っていない独自の視点から、農業従事者が理解しておくべき「供給サービスのトレードオフ」について解説します。
「トレードオフ」とは、ある生態系サービスを高めようとしたとき、別の生態系サービスが低下してしまう現象を指します。農業経営において、これは頻繁に発生する問題です。
典型的な事例が「農地拡大によるトレードオフ」です。食料供給(供給サービス)を増やすために森林を伐採して農地を拡大すると、短期的には収量が増えます。しかし、その結果として水量調整・気候調節・炭素固定・洪水緩和といった調整サービスが大きく低下します。
これは収益性のトレードオフです。
もう一つは「農薬使用量と花粉媒介サービスのトレードオフ」です。病害虫を駆除するための農薬を大量に使えば(短期的な供給サービスの確保)、花粉媒介昆虫が減少し、受粉に依存する作物の収量が長期的に落ちます(調整サービスと将来の供給サービスの低下)。実際、農薬の多用がミツバチの群崩壊現象(CCD)の一因として指摘されています。
厳しいところですね。
さらに「灌漑農業と水供給のトレードオフ」もあります。大規模な地下水の引き抜きを続けると、農業用水は確保できますが、地下水位が下がり将来の水供給サービスが失われます。実際、世界各地で農業由来の地下水枯渇が問題になっています。
こうしたトレードオフを意識した農業経営の羅針盤として、環境省が策定した「生物多様性国家戦略2023-2030」の読解が役立ちます。農業従事者として供給サービスの短期的な最大化だけでなく、長期的な生態系資本の維持・増大という視点を持つことが、今後の農業経営の競争力を左右します。
農業経営計画を見直す際には、自分の農地が生態系サービスの供給にどう依存しているかを「生態系サービスレビュー(ESR)」のフレームワークを使って整理することも有効です。これは世界資源研究所(WRI)が開発したツールで、無料で公開されています。
経営判断の精度が上がります。
生態系サービスの概念は、国際的な政策の文脈で急速に重要性を増しています。農業従事者がこの動向を把握しておくことは、今後の農業経営の方向性を判断する上でも有益です。
2001年に国連が主導して始まった「ミレニアム生態系評価(MA)」は、生態系サービスを初めて体系的に整理・評価した国際的なプロジェクトです。世界95か国から1,360名以上の専門家が参加し、2005年に最終報告書が発表されました。その報告書は、「24の生態系サービスのうち、15が劣化または持続不可能な形で利用されている」という衝撃的な結論を示しました。
これは深刻な内容です。
MAに続いて2007年に始まった「TEEB(生態系と生物多様性の経済学)」プロジェクトは、生態系サービスを経済的な視点で定量化する試みです。TEEBはMAの分類を基に、基盤サービスの代わりに「生息・生育地サービス」を加えた独自の分類体系を採用しています。農業と密接に関わる遺伝資源・食料・水・原材料などの供給サービスについて、具体的な経済価値の算定手法を提供しています。
2019年からは「IPBES(生物多様性と生態系サービスに関する政府間プラットフォーム)」が定期的に地球規模評価報告書を発表しており、農業への依存度や影響を科学的に分析しています。IPBESの2019年報告書では、生物多様性の損失がこれまでで最も急速な速度で進んでいること、農業の集約化がその主因の一つであることが明確に指摘されています。
日本でも「生物多様性及び生態系サービスの総合評価(JBO)」が環境省主導で実施されており、最新版はJBO3(2021年)として公開されています。日本の農林水産業が生態系サービスとどのように関わっているかを詳細に把握できる資料です。農業政策や補助金の方向性もこれらの評価を踏まえて決まりますので、農業従事者として一度目を通しておく価値があります。
参考:生物多様性及び生態系サービスの総合評価(JBO2)(環境省)
https://www.env.go.jp/nature/biodic/jbo2.html
ここまで生態系サービスの供給サービスについて、農業従事者向けにさまざまな角度から解説してきました。最後に、今日から行動できる具体的なステップを整理します。
📋 今すぐ確認・実践できるアクションリスト
| 目的 | 具体的なアクション | 期待できる効果 |
|---|---|---|
| 食料供給の安定 | 混作・輪作の導入、有機物の土壌還元 | 病害リスク低下・土壌肥沃度維持 |
| 水供給の確保 | 農地周辺の水路・湿地の保全 | 安定した農業用水・水質浄化 |
| 遺伝資源の保全 | 在来品種・伝統野菜の継続栽培 | 将来の品種改良の選択肢を守る |
| 花粉媒介の確保 | 農薬の使用量削減・花のある植栽整備 | 受粉率向上・収量安定 |
| 経営多角化 | 薬用植物・観賞用植物の栽培 | 高付加価値農産物の販売 |
| 補助金の活用 | 多面的機能支払交付金・PES制度の確認 | 農業収入の安定・保全活動への報酬 |
生態系サービスの供給サービスは、農業の土台です。食料・水・原材料・遺伝資源・薬用資源・観賞資源という6つのカテゴリを意識し、それぞれが農地の生態系とどう結びついているかを理解することが、持続可能な農業経営への第一歩となります。
農地の生物多様性は、すぐに「見える収益」には結びつかないかもしれません。しかし、年間4,700億円規模の花粉媒介サービスや、数十兆円規模の遺伝資源の価値が示すように、自然の恵みは農業の見えないコストをカバーしてくれています。これを意識するだけで、農業経営の長期的な視野が変わります。
自然と農業の関係を再確認することが、これからの農業を豊かにします。