農業従事者が日常的に使用する「農作物」と「農産物」という言葉ですが、これらは単なる同義語ではなく、法律や行政の文脈において明確な包含関係と範囲の違いが存在します。この違いを正確に理解しておくことは、補助金の申請書類作成や事業計画の策定、さらには取引先との契約において非常に重要です。
まず、言葉の基本的な成り立ちから見ていきましょう。「農作物(のうさくぶつ)」は、文字通り「農業によって作られた物」、特に土壌を耕して栽培された植物(穀物、野菜、果樹など)を指します。これに対し「農産物(のうさんぶつ)」は、「農業生産活動によって産出された物」というより広い意味を持ちます。ここには植物だけでなく、畜産物(肉、卵、乳)や、場合によっては林産物(キノコ類など)が含まれることもあります。
法律上の定義において、この違いはさらに明確になります。例えば、農業基本法や関連法規において、支援の対象が「農作物の栽培」に限定されている場合、畜産や簡易加工は対象外となる可能性があります。一方で、「農産物の生産・販売」に対する支援であれば、より広い範囲が含まれます。
以下に、一般的な認識と行政的な区分を表にまとめました。
| 項目 | 農作物 (Crops) | 農産物 (Agricultural Products) |
|---|---|---|
| 基本的な意味 | 田畑で栽培される植物そのもの | 農業活動から生み出される生産物全般 |
| 範囲 | 米、野菜、果実、花き、工芸作物 | 農作物 + 畜産物 + (広義では)林産物 |
| 状態 | 原則として収穫されたままの状態 | 収穫物に加え、一次加工品を含む場合がある |
| 主な使用場面 | 栽培技術、品種、収穫量統計 | 流通、販売、貿易、価格市況 |
特に注意が必要なのは、「特用林産物」の扱いです。キノコや山菜は、栽培方法によっては農作物として扱われることもあれば、林産物として統計区分が異なる場合があります。しかし、市場流通の現場ではこれらも一括して「農産物」として扱われることが一般的です。
また、法律用語としては「農林水産物」という言葉も頻出します。これは農産物、林産物、水産物をすべて包括した用語であり、輸出促進法やJAS法などで広く使われます。自身の生産物がどのカテゴリの「定義」に当てはまるかを把握することは、コンプライアンス(法令遵守)の第一歩と言えます。
農林水産省の公式ページでは、これらの用語がどのように使い分けられているか、統計情報を通じて確認することができます。
農林水産省:作物統計調査(農作物の定義と分類が確認できます)
販売を行う農業者にとって最も密接に関わる法律の一つが「JAS法(日本農林規格等に関する法律)」です。この法律において、「農産物」と「農作物」の違い、あるいはその境界線は、食品表示基準における「生鮮食品」と「加工食品」の区分として現れてきます。
JAS法に基づく食品表示基準では、食品を大きく「生鮮食品」と「加工食品」に二分しています。一般的に、収穫されたばかりの「農作物」は「生鮮食品」に分類されます。ここでは、名称と原産地の表示が義務付けられています。一方で、乾燥させたり、加熱したりしたものは「加工食品」となり、原材料名、内容量、賞味期限、保存方法、製造者など、より多くの表示項目が必要となります。
ここで重要なのが、「どこまでが農作物(生鮮食品)で、どこからが加工品(農産加工品)なのか」という境界線です。この認識を誤ると、食品表示法違反となり、回収命令や業務改善命令の対象となるリスクがあります。
生鮮食品(農作物としての扱い)の範囲:
加工食品(農産加工品としての扱い)の範囲:
特に間違いやすいのが「カット野菜」や「乾燥野菜」です。単に切っただけの野菜は、基本的には生鮮食品(農作物)として扱われますが、異なる種類の野菜を混ぜ合わせた「ミックスサラダ」は、加工食品として扱われるのが原則です。これは、複数の産地や品目が混在することで、情報の管理レベルが変わるためです。
また、「干し柿」や「干し芋」は、単に乾燥させただけのように見えますが、これらは伝統的に「加工食品」として扱われます。したがって、個別の包装に栄養成分表示が必要になる場合があるのです(小規模事業者の特例を除く)。
このように、JAS法や食品表示法の文脈では、「農作物」は素材そのものを指し、「農産物」という言葉は、加工品を含んだ広い流通単位として使われることが多いです。自社の直売所やECサイトで販売する際、どの法律の基準でラベルを作成すべきか、この区分けを正確に理解しておく必要があります。
消費者庁のガイドラインには、これらの区分けに関する具体的なQ&Aが掲載されています。
2019年10月から導入された消費税の軽減税率制度は、農業経営の経理実務に大きな影響を与えています。「農産物」や「農作物」の違いが、そのまま税率(8%か10%か)の違いに直結する場合があるため、正確な知識が不可欠です。
原則として、「人の飲用又は食用に供されるもの」として譲渡される農産物は、「食品」に該当し、軽減税率(8%)の対象となります。しかし、ここで「農産物」と「農作物」の用途や状態による線引きが重要になります。
1. 食用か非食用かによる違い
最も基本的な区分です。野菜や米、果物などの「農作物」は、食用として販売される限り8%です。しかし、同じ農作物であっても、「家畜の飼料用」や「種子用(栽培用)」として販売する場合は、食品ではないため標準税率(10%)となります。
例えば、稲作農家が「主食用の米」を販売すれば8%ですが、「飼料用米」や「翌年の種もみ」として販売すれば10%です。観賞用の花き(花)はもちろん10%です。
2. 一体資産としての農産物
最近増えているのが、贈答用の高級農産物です。例えば、高級メロンを桐箱に入れて、ナイフや装飾品とセットで販売する場合、これは「一体資産」とみなされる可能性があります。食品(メロン)の価格が全体の3分の2以上かつ、全体価格が1万円以下(税抜)であれば全体が8%になりますが、高額な容器代や付属品が主となると全体が10%になるケースもあります。
3. 加工の度合いと外食の定義
農家レストランや観光農園を経営している場合、さらに複雑になります。
ここで注目すべきは、「農産物」という広い括りの中には、食用に適さない副産物(わら、もみがら等)も含まれる点です。これらは肥料や敷料として販売されることが多く、その場合は「食品」ではないため10%の課税売上となります。
経理処理において、8%の売上と10%の売上を明確に区分経理していないと、確定申告時に仕入税額控除の計算で不利になったり、税務調査で指摘を受けたりするリスクがあります。特に「農産物」を広く取り扱う直売所や、6次産業化に取り組む農家にとっては、この税率の境界線は利益率に直結する重大な問題です。
国税庁の特設サイトでは、農業者向けの具体的な事例集が公開されています。
国税庁:消費税の軽減税率制度・適格請求書等保存方式(インボイス制度)
農業の6次産業化が進む中で、「農作物」を原料として「農産加工品」を製造・販売するケースが増えています。この「加工」の段階において、単なる「農作物」から「加工品」へと定義が変わる瞬間、適用される法律や必要な許可が劇的に変化します。ここでは、その変化のポイントを深掘りします。
1. 食品衛生法に基づく営業許可の要否
単に収穫した野菜や果物(農作物)を出荷・販売する場合、原則として食品衛生法の営業許可は不要です(届出が必要な場合はあります)。しかし、これを「加工」した瞬間に、保健所の営業許可が必要になる場合があります。
2. HACCP(ハサップ)の導入
すべての食品等事業者は、HACCPに沿った衛生管理が義務付けられています。「農作物」の生産段階(収穫まで)はHACCPの義務化対象外(GAP等の管理が推奨)ですが、収穫後の調整・選別、そして「加工」の段階に入ると、HACCPの考え方を取り入れた衛生管理計画の作成と記録が必要になります。
「自分は農家だから関係ない」と思っていても、乾燥野菜パック(加工品)を作った時点で、製造業者としての責任が発生します。
3. 廃棄ロス削減と加工の視点
市場に出せない規格外の「農作物」を、加工して「農産物(製品)」として販売することは、収益向上の鍵です。しかし、生鮮の「農作物」として売る場合と、乾燥やペーストにして「加工品」として売る場合では、在庫の評価方法(棚卸資産の評価)も異なります。
生鮮野菜は腐敗が早いため、廃棄損としての計上が頻繁に発生しますが、加工品にすることで賞味期限が延び、資産としての計上期間が長くなります。これは決算書上の利益の見え方にも影響を与えるため、経営的な視点での「区分」の理解が必要です。
加工品の区分に関しては、地域の保健所が最終的な判断権限を持っています。自己判断せず、商品化の前に相談することが必須です。
最後に、多くの記事では触れられない、しかし農業経営のリスク管理において極めて重要な「保険・共済」の視点から、「農産物」と「農作物」の違いを解説します。実は、「どこにあるか」「どんな状態か」によって、補償してくれる保険の種類が全く異なるのです。
1. フィールドにある間は「農作物共済」
NOSAI(農業共済)の「農作物共済」は、基本的に田畑で栽培されている状態の「農作物」を対象としています。台風や干ばつ、病害虫によって収穫量が減少した場合や、品質が低下した場合に補償されます。ここでの対象は、あくまで「収穫前の植物」または「収穫作業中の作物」です。
2. 収穫して倉庫に入れたら「建物共済」や「農産物等動産共済」
ここが盲点です。収穫作業を終え、自宅の倉庫やJAの出荷場に保管した瞬間、それは「農作物(栽培対象)」から「農産物(動産・在庫)」へと性質が変わります。
もし、収穫直後の米が詰まった倉庫が火災に遭った場合、標準的な「農作物共済」では補償されないケースがほとんどです。この場合、建物の中に収容されている農産物を補償する「建物共済」の「農産物特約」や、別途「動産保険」に加入していなければ、1年間の苦労が水の泡になります。
3. 加工施設にある場合は「加工品」扱い
さらに、6次産業化で加工場を持っている場合、そこにある原材料(野菜)や仕掛品(漬け込み中の野菜)、完成品(瓶詰め)は、事業用の「棚卸資産」となります。これらは通常の火災保険の対象となりますが、保険金額の設定において「農産物としての市場価格」で評価するか、「製造原価」で評価するか等の取り決めが必要になります。
このように、モノ自体は同じ「大根」であっても、「畑にある(農作物)」→「倉庫にある(農産物)」→「加工場にある(原材料・製品)」と場所と状態が変わるごとに、守るべき保険の書類が変わっていきます。
「農産物」と「農作物」という言葉の違いは、単なる日本語の問題ではなく、リスク管理の境界線そのものです。ご自身の加入している保険証券を確認し、「収穫後の保管中」のリスクがカバーされているか、今一度見直してみることを強くお勧めします。
NOSAIの公式サイトでは、それぞれの共済の対象範囲が詳しく解説されています。