里地里山は、水田・畑・二次林・ため池・草地など多様な土地利用がモザイク状に存在することで、多くの生きものの「すみか」と「通り道」を同時に提供する場になっています。その結果として、受粉や害虫抑制、水質浄化、洪水緩和、景観や文化の維持といった多様な生態系サービスが、農業経営の土台を静かに支えています。
農業従事者にとってわかりやすいメリットとしては、まず受粉サービスが挙げられ、里地里山の林縁や草地にすむ野生のハナバチ類が、果樹・野菜・雑穀などの結実率や品質を高めることが確認されています。また、クモ類・カエル・トンボ・コウモリなど多様な天敵が維持されることで、化学農薬に過度に頼らなくても害虫発生が一定程度抑えられ、結果として防除コストや農薬購入費の削減にもつながる可能性があります。
里地里山の湿地やため池は、洪水時の一時的な貯水や、乾燥時の湧水・地下水の保全にも寄与し、極端気象が増える近年の気候変動下では、農地を守る「自然のインフラ」として価値が見直されています。さらに、冬期湛水や中干し調整などの水管理と組み合わせれば、渡り鳥や水生昆虫の生息地となり、生物多様性の保全と水稲栽培の安定を同時に実現しやすくなります。
参考)https://www.maff.go.jp/j/kanbo/kankyo/seisaku/attach/pdf/index-102.pdf
文化的サービスという観点では、里地里山での農業景観や伝統的な農作業は、農村ツーリズムや教育旅行、ボランティア体験などのコンテンツとして活用でき、地域ブランド化や付加価値の高い農産物の販売にも結びつきます。あまり知られていませんが、環境教育プログラムを受け入れている地域では、長期的にUターン就農や移住に結びつく事例も報告されており、「次の担い手」との接点としても機能し始めています。
参考)https://www.env.go.jp/nature/satoyama/conf_pu/kyoudouriyoutebiki.pdf
日本の里地里山では、高度経済成長期以降の産業構造の変化や安価な輸入木材・飼料の流入により、薪炭林や草地の利用が急減し、森林が利用されないまま繁茂して暗いスギ・ヒノキ林に変わるなど、従来の「適度な人の手」が入らない状態が続いています。さらに、農業従事者数の減少や高齢化によって水田・畑の耕作放棄が広がり、かつてのモザイク状景観が単調なスギ林や荒れ地に置き換わることが、生物多様性の大きな損失要因になっています。
現場レベルでの代表的な要因としては、圃場整備による水路や畦のコンクリート化・直線化、農薬・化学肥料の多用、外来種の侵入、調整池の深掘りや護岸工事などが挙げられます。例えば、水路の三面張りやU字溝化は管理を楽にしますが、ドジョウやゲンゴロウ、トンボ水生幼虫などの生息場所を失わせ、結果として水田を取り巻く食物網全体が貧弱になります。
参考)https://www.biodic.go.jp/cbd/check_2007/070529/02_1.pdf
生物多様性が低下しているサインとして、かつて普通にいたカエルやホタル、里山性のチョウ・バッタ類が見られなくなることに加え、同じ雑草だけが一面に広がる、虫の鳴き声が単調になるといった「音の変化」も指摘されています。また、里山の頂点捕食者であるサシバやフクロウの繁殖が確認できなくなる場合、その背後で小動物や昆虫相の変化が進行していることが多く、上位の指標種を継続的にモニタリングする重要性が高まっています。
参考)里山の生物多様性を守る
もう一つ見落とされがちな要因が、再生可能エネルギー設備の設置で、急斜面や谷筋の里山林が大規模に伐採され、メガソーラーや道路が入り込むことで、動植物の生息環境が細切れになる事例が増えています。これにより、畦や水路を丁寧に管理しても、周囲の林が分断されると生きものが移動できず、「孤立した農地」になってしまうおそれがあるため、地域全体の土地利用を視野に入れた話し合いが欠かせません。
参考)https://www.mlit.go.jp/policy/shingikai/content/001412044.pdf
里地里山の生物多様性を守りながら農業を続けるうえで重要なのは、「自然に戻す」のではなく「仕事のついでにできる手入れ」を意識し、無理なく続けることです。例えば、水田では田植え前後と収穫後に行う水管理のタイミングを少し工夫するだけで、生きものにとっての価値が大きく変わります。具体的には、中干し期間を極端に短くし過ぎない、春先に一度浅水で温かい水田環境を確保する、落水後すぐに完全に乾かさず湿った場所を残すなど、小さな調整が効果的です。
農薬については、地域の病害虫発生状況や天敵の働きを確認しながら使用量を見直す「IPM(総合的病害虫管理)」を導入することで、生物多様性への負荷を抑えつつ収量を維持できます。天敵に配慮した農薬選定や、夜間散布・局所散布などのテクニックを取り入れることで、圃場周辺に生息するクモ類・テントウムシ・寄生バチなどの有益な昆虫を残しやすくなり、長期的には防除回数を減らせる可能性があります。
参考)https://www.maff.go.jp/j/kanbo/kankyo/seisaku/c_bd/bds_maff/attach/pdf/index-49.pdf
畦や法面の管理も、刈り方とタイミングを工夫することで、生きものを残しつつ作業負担を増やさない工夫が可能です。例えば、一度に全面を短く刈り上げるのではなく、畦の片側だけを刈って反対側を残す「交互刈り」や、一列ごとに高さを変えて刈る方法は、バッタ・チョウ・クモなど小動物の逃げ場を確保しながら、雑草の繁茂を防ぎます。あまり知られていませんが、こうした「選択的刈払い」は、農機メーカーや自治体のガイドラインでも徐々に紹介され始めており、小さな工夫が地域全体の生物多様性に効いてきます。
さらに、ため池や小川、林縁の倒木・粗朶を完全に片付けず、一部を残しておくことで、カエルやトカゲ、小型哺乳類の隠れ家となり、捕食者と被食者のバランスが取りやすくなります。林内の下草を「全部刈るか、そのまま放置するか」ではなく、人が歩きやすい通路部分だけを重点的に刈り、ほかの部分はパッチ状に残すことで、作業性と生物多様性の両立が図りやすくなります。
参考)人口減少時代の里山の管理のあり方とは|環境儀 No.82|国…
里地里山の生物多様性は、「環境保全のためのコスト」と捉えられがちですが、見方を変えると地域経済や農業所得の新しい源泉にもなり得ます。例えば、生物多様性の豊かな水田で生産された米を「生きもの認証」や「環境配慮型」ブランドとして販売する取り組みでは、通常品より高い価格設定や安定した取引関係につながった事例が報告されています。消費者や都市住民は、味や安全性に加えて「環境や地域に配慮した商品」を選ぶ傾向が強まっており、里地里山のストーリーを伝えること自体が商品価値になります。
また、里山性の希少種や指標種(サシバ、トキ、ゲンゴロウ、ホタルなど)が確認できる地域では、バードウォッチングや夜間観察会、撮影ツアーなどのエコツーリズムと農業体験を組み合わせることで、新たな収入源をつくる動きも広がっています。農家がガイド役になったり、直売所で観察会と連動した限定商品を販売したりすることで、農閑期の現金収入やリピーターの確保につながる可能性があります。
参考)https://www.chiiki.ynu.ac.jp/nexturbanlab/pdf/36fa30f89f38ac74cea2f113591d19b3abe07830.pdf
意外な例としては、里地里山の生物多様性をテーマにした企業のCSR研修や社員ボランティア受け入れで、草刈り・間伐・ため池の外来魚除去などの作業に対して謝金や資材提供を受けるケースがあります。企業側は環境報告書やSDGsレポートの題材を得られ、農家や地域は人手と資金を補える「Win-Win」の関係となるため、自治体やNPOを窓口にこうしたプログラムを活用する価値は大きいと言えます。
参考)https://www.maff.go.jp/j/kanbo/kankyo/seisaku/c_bd/pr/detail/attach/pdf/shizenshihon_pmph-9.pdf
さらに、大学や研究機関による里地里山の調査・実験フィールドとして農地や森林を提供することで、調査協力費や技術的な助言を受けながら、自分のほ場で先進的な取り組みを試す機会を得ている農家もいます。このように、生物多様性を「守る対象」から「共に稼ぐパートナー」へと位置付け直すことで、保全活動が一時的なボランティアに終わらず、農業経営の一部として根付いていきます。
参考)里地里山環境管理学コース|鳥取大学農学部 生命環境農学科
里地里山の生物多様性は、作物や収入だけでなく、農業従事者自身の心身の健康や暮らしの質にも影響を与えていることが、近年の研究や聞き取り調査から少しずつ明らかになってきています。多様な植物や季節ごとの生きものに囲まれた環境での農作業は、単調な大規模単一作物地帯に比べてストレス軽減や心理的な安定感につながる可能性が指摘されており、「緑の処方箋」として里山での活動が注目されるケースもあります。
また、子どもや孫世代と一緒に田植えや稲刈り、薪割りや山菜採りを行うことは、世代間交流や家族コミュニケーションの機会を増やし、高齢農業者の生きがいづくりにも寄与しています。少子高齢化が進む中山間地域では、「生物多様性を守る活動=人とつながる場」として機能しており、孤立を防ぐ地域包括ケアの一部として里山活動を位置付ける自治体も現れています。
さらに、里地里山の多様な微生物環境に触れることが、アレルギーや生活習慣病の予防に一定の役割を果たす可能性があるとの研究も進みつつありますが、この点はまだ一般にはあまり知られていません。土壌や落ち葉、家畜との接触が多い農村環境では、免疫系が多様な刺激を受けることでバランスが取りやすくなるという仮説があり、農作業を通じた「ほどよい自然との付き合い方」が、健康長寿の背景要因の一つではないかと考えられています。
参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/arp/35/4/35_465/_pdf
里地里山の生物多様性を意識して暮らしに取り入れることで、農業者自身の「働き方」や「余暇の過ごし方」も変化し、季節の変化を楽しむ観察や記録が新たな趣味になることもあります。このような視点から保全活動を見直すと、「環境のために頑張る」のではなく、「自分たちの心と体のためにも続けたい営み」として捉え直すことができ、長期的に無理なく続く取り組みに育てやすくなります。
里地里山の生物多様性と政策・支援制度の全体像や取り組み事例は、環境省の里地里山特集ページが整理しているので、具体的な施策や他地域の実践例を確認したい場合に参考になります。

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