農業現場において、害虫防除は収益を左右する極めて重要な管理作業です。その中で、化学農薬だけに頼らない「生物的防除(Biological Control)」の主役として注目されているのが寄生バチです。彼らは、文字通り害虫に「寄生」して死滅させるハチの仲間で、人を刺すことはなく、作物に害を与えることもありません。その生態は非常に特異で、害虫駆除において極めて高い探索能力と殺傷能力を発揮します。
寄生バチの最大の特徴は、対象となる害虫(ホスト)の体内に卵を産み付ける点にあります。例えば、アブラムシ対策で有名な「コレマンアブラバチ」の場合、メスの成虫はアブラムシを見つけると瞬時に腹部を曲げて産卵管を突き刺し、卵を一つ産み付けます 。
参考)農薬ガイドNO.97_f
孵化した幼虫は、アブラムシが生きたままの状態で、その体液や内臓を栄養源として成長します。重要な臓器を避けて食べるため、初期段階ではアブラムシは活動を続けますが、寄生バチの幼虫が成熟するにつれて食欲が増し、最終的にはアブラムシの内部組織を食い尽くして殺します。
その後、アブラムシの外皮だけを残して内部でサナギになります。この状態を「マミー(mummy:ミイラ)」と呼びます。マミーは黄金色やベージュ色に変化し、膨らんだ形状になるため、肉眼でも容易に確認できます 。
参考)https://www.naro.go.jp/publicity_report/publication/files/narc_BankerManual-all.pdf
サナギの期間を経て、成虫になった寄生バチは、マミーの背中部分にきれいな円形の穴を開けて脱出(羽化)し、再び次の獲物を探して飛び立っていきます。25℃の環境下であれば、卵から成虫になるまでの期間は約13日前後であり、短いサイクルで次々と世代交代を繰り返して増殖します 。
農業で利用される寄生バチには、対象害虫ごとに多くの種類が存在し、それぞれが得意とするターゲットが異なります。
施設栽培のナス、ピーマン、イチゴなどで問題となるワタアブラムシやモモアカアブラムシに寄生します。非常に探索能力が高く、低い密度のアブラムシも見つけ出すことができます 。
日本土着の寄生バチで、コレマンアブラバチが苦手とするジャガイモヒゲナガアブラムシにも寄生できるのが強みです。低温にも比較的強く、春先の防除に貢献します 。
参考)https://www.naro.go.jp/publicity_report/publication/files/NIVFS_gifuaburabachi.pdf
トマトやキュウリの難防除害虫であるオンシツコナジラミの幼虫に寄生します。寄生されたコナジラミの幼虫は黒く変色するため、効果の確認が容易です。
トマトやキクのマメハモグリバエの幼虫に寄生します。こちらは体内に産卵するのではなく、ハモグリバエの幼虫を麻酔して動けなくした上で、体外(葉のトンネル内)に産卵する外部寄生という形態をとることもあります 。
畜産現場において、牛や豚にストレスを与えるサシバエの蛹(サナギ)に寄生します。堆肥の中で発生するハエの蛹を探し出し、その中に産卵することで羽化を阻止します。薬剤抵抗性を持ったハエにも効果的であり、近年注目されている「畜産版」の天敵利用です 。
参考リンク:PDF ギフアブラバチ利用技術マニュアル - 農研機構(土着天敵の活用詳細)
寄生バチを農業現場に導入することには、単なる「虫減らし」以上の経営的・技術的なメリットがあります。化学農薬だけに依存した防除体系からの脱却は、持続可能な農業経営において大きな意味を持ちます。
現在、多くの産地で問題になっているのが、化学農薬が効かない「薬剤抵抗性害虫」の出現です。特にアブラムシ類やハダニ類、コナジラミ類は世代交代が早く、同じ系統の薬剤を連用するとすぐに抵抗性を獲得してしまいます。
しかし、寄生バチによる捕食・寄生という物理的な攻撃に対して、害虫は抵抗性を発達させることができません。薬剤で死ななくなったアブラムシであっても、寄生バチは問題なく寄生し、確実に殺すことができます。これにより、難防除害虫の密度を効果的に下げることが可能になります 。
化学農薬の散布作業は、希釈、散布、器具の洗浄、防護服の着用など、多大な労力と時間を要します。特に夏場の高温ハウス内での散布作業は、身体的負担が極めて大きいものです。
寄生バチ製剤(天敵製剤)の導入は、ボトルに入ったハチを圃場に放すだけ、あるいはマミーが付着したカードを吊り下げるだけという非常に簡便な作業で済みます 。一度定着すれば、生産者が寝ている間も、他の作業をしている間も、寄生バチは24時間体制でハウス内を飛び回り、害虫を探して駆除し続けてくれます。この「探索能力」こそが最大の武器であり、人間がノズルで薬液をかけにくい葉の裏や、繁茂した枝葉の奥に隠れた害虫も見逃しません 。
寄生バチが定着して害虫密度を低く抑えられれば、化学農薬の散布回数を大幅に減らすことができます。これは農薬代の節約になるだけでなく、収穫物への農薬残留リスクを低減し、「減農薬栽培」としての付加価値を高めることにつながります。
また、イチゴやナスなどの果菜類では、頻繁な薬剤散布による薬害(花弁の汚れや葉の硬化)や、受粉昆虫(ミツバチやマルハナバチ)への悪影響を避けることができます。寄生バチはミツバチやマルハナバチと共存できるため、交配作業を止めることなく防除を継続できる点も大きなメリットです。
生産者自身の農薬曝露リスクが減ることは、健康管理の面で非常に重要です。また、周辺環境への農薬飛散(ドリフト)の心配もありません。IPM(総合的病害虫・雑草管理)の観点からも、環境負荷の低い防除体系は、地域社会や消費者からの信頼獲得に寄与します 。
寄生バチを導入したからといって、化学農薬が一切使えなくなるわけではありません。むしろ、突発的な害虫の大量発生や、寄生バチが対象としない別の害虫(例えばアザミウマやヨトウムシなど)が発生した場合には、化学農薬によるレスキュー防除が必要不可欠です。重要なのは、「寄生バチに影響の少ない農薬(選択性農薬)」を選んで使うという知識と技術です。
農薬の中には、特定の害虫には強く作用するものの、寄生バチやカブリダニなどの天敵にはほとんど影響を与えない「選択性農薬」が存在します。
例えば、アブラムシ専門の殺虫剤である「ウララDF」や、チョウ目幼虫に特化した「BT剤」などは、天敵への影響が比較的軽微であるとされています(※実際の使用時は最新の適合表を確認してください)。これらを活用することで、天敵を温存したまま、問題となる害虫だけをピンポイントで叩くことが可能です 。
参考)イトウさんのちょっとためになる農業情報 第6回『アブラムシ』…
一方で、合成ピレスロイド剤や有機リン剤などの「非選択性農薬」は、殺虫スペクトルが広く強力ですが、寄生バチも一網打尽にしてしまいます。これらを散布すると、数ヶ月にわたって天敵が定着できない環境になってしまうこともあるため、導入期間中の使用は厳禁です 。
各農薬には、散布後に天敵に悪影響を及ぼす期間(残効期間)があります。天敵導入前に農薬を使用する場合、この期間を空けてから放飼する必要があります。
メーカー各社(アリスタライフサイエンス、アグリセクトなど)が公開している「天敵影響表」を参照し、「放飼前〇〇日は使用不可」「影響日数〇〇日」といったデータに基づいて防除暦(スケジュール)を組むことが求められます。
興味深いことに、寄生バチがアブラムシの体内でサナギ(マミー)になっている状態は、成虫の状態よりも農薬に対する耐性が高い傾向があります。マミーの硬い殻が内部のハチを守るためです。
したがって、どうしてもやや影響のある農薬を撒かなければならない場合、成虫が少なくマミーが多いタイミングを狙って散布することで、全滅を避けて個体群を維持できるテクニックもあります。しかし、これは高度な判断が必要なため、基本的には影響の少ない薬剤を選ぶのが定石です。
参考リンク:アリスタIPM通信 - バンカー法の実用化と天敵への影響(影響表の活用について)
寄生バチ利用の最大の課題は、「害虫がいないと寄生バチも飢えて死んでしまう(あるいは逃げてしまう)」という点です。害虫が発生してから天敵を入れるのでは手遅れになりがちで、かといって害虫がいない時に入れても定着しません。このジレンマを解決する画期的な技術が「バンカープランツ(Banker Plants)」法です。これはハウスの中に天敵のための「銀行(Bank)」、つまり拠点を作る方法です。
このシステムは以下の3つの要素で構成されます。
この仕組みにより、作物上に本命の害虫(ワタアブラムシ等)がいなくても、寄生バチはバンカープランツ上のムギクビレアブラムシを食べてハウス内で生き延び、増殖し続けることができます。そして、いざ作物にワタアブラムシが飛び込んできた瞬間、バンカーからパトロールに出ている寄生バチがこれを発見し、即座に寄生して初期消火を行うことができるのです 。
参考)https://www.naro.go.jp/publicity_report/publication/files/narc_BankerManual19-46.pdf
自前でムギを育ててアブラムシを管理するのは手間がかかるため、現在はこれらがセットになったキット製品(例:「アフィバンク」など)が市販されています。これらは届いてすぐに設置できるため、初めて取り組む農家でも失敗が少なく、導入のハードルを大きく下げています 。
バンカープランツが機能すると、ハウス内には常に高密度の寄生バチが待機している状態(常時パトロール状態)になります。これにより、外部から侵入したアブラムシがコロニー(集団)を作る前に叩くことができ、シーズンを通して化学農薬の使用をほぼゼロに抑える成功事例も報告されています。初期コストはかかりますが、農薬散布の人件費削減と収量確保を考慮すれば、十分な費用対効果が見込めます 。
「天敵を入れたのに全然効かなかった」「いつの間にかいなくなってしまった」という失敗談も少なくありません。寄生バチが定着しない、あるいは効果を発揮できない背景には、いくつかの典型的な原因があります。ここでは、あまり語られない「二次寄生」の問題も含めて深掘りします。
これが最も厄介で見落としがちな失敗原因です。導入した寄生バチ(一次寄生蜂)に寄生する、別の種類のハチ(二次寄生蜂)が自然界からハウス内に侵入してしまうことがあります。
二次寄生蜂は、アブラムシを殺すのではなく、「アブラムシの中で育っている一次寄生蜂の幼虫」を殺して、自分がその栄養を奪って育ちます。
見分け方としては、マミーからの脱出孔の形状が異なります。一次寄生蜂(コレマンアブラバチなど)はきれいな円形の穴を開けますが、二次寄生蜂はギザギザした不規則な穴を開けて出てくることが多いです(※種類によります)。
対策としては、ハウスの開口部に0.4mm目合い以下の微細な防虫ネットを張り、二次寄生蜂の侵入を物理的に防ぐことが第一です。また、バンカープランツを長期間設置しすぎると二次寄生蜂の温床になりやすいため、適度な期間でバンカーを新しいものに入れ替える更新作業が重要です 。
寄生バチは「増えるスピード」ではアブラムシに劣ることが多いです。アブラムシが爆発的に増えて、葉がベタベタになるほど被害が出てから寄生バチを入れても、繁殖スピードが追いつかず、制圧できません。
鉄則は「ゼロ放飼(害虫が見えないうちに放す)」や「予防的放飼」です。害虫がまだ1匹も見当たらない、あるいは「やっと1匹見つけた」という極めて初期の段階で導入を始めることが、成功率を劇的に高めます 。
参考)日本生物防除協議会
寄生バチも生き物ですので、活動に適した温度範囲があります。特に冬場の低温(10℃以下)や、夏場の極端な高温(35℃以上)では活動が鈍り、産卵数が激減します。
また、ハウス内のフィルムに紫外線カット(UVカット)素材を使っている場合、一部の寄生バチや天敵昆虫は方向感覚を失い、うまく飛べなくなることがあります(近紫外線除去フィルムの影響)。導入しようとする寄生バチが、自社のハウスの被覆資材と相性が良いかどうか、事前にメーカーや普及指導員に確認する必要があります。
意外な盲点として、葉の上のホコリや、うどんこ病などの病斑、害虫の排泄物(甘露)による汚れが、寄生バチの探索行動を阻害することがあります。葉が汚れていると、寄生バチは歩行が困難になったり、触角での感知が鈍ったりします。適切な栽培管理で葉を健全に保つことも、天敵の働きを助ける重要な要素です。
参考リンク:PDF アブラムシ対策用 「バンカー法」技術マニュアル - 農研機構(失敗原因と対策の詳細)