植物病理学において、病徴(びょうちょう)とは、病原体の感染や生理的な障害によって植物体の細胞や組織が反応し、外見上に現れる異常な変化のことを指します。人間で言えば「咳が出る」「熱がある」「顔色が悪い」といった症状にあたるもので、植物が発する「助けて!」というサインでもあります。農業現場において、栽培者が最初に異変に気づくきっかけとなるのがこの病徴です。
参考)今さら聞けないよく耳にする植物の病徴②内部病徴、標徴について…
病徴は、その現れ方によって大きく「全身病徴」と「局所病徴」に分けられます。全身病徴は、ウイルス病によるモザイク症状や、土壌病害による株全体の萎凋(いちょう:しおれること)などが該当します。一方、局所病徴は、葉の一部にできる斑点や、果実の一部が腐敗するといった限定的な症状を指します。また、肉眼で確認できる「外部病徴」に対し、茎を切断して初めて分かる維管束の変色(導管の褐変など)を「内部病徴」と呼びます。青枯病やつる割病などの診断では、この内部病徴の確認が決定的な判断材料になることが多く、外見だけで判断せず、時には植物体を切断して内部を確認する勇気も必要です。
参考)【防除学習帖】第4回 病徴・標徴と病害診断|防除学習帖|シリ…
初期の病徴を見逃さないことは、防除の成否を分ける極めて重要なポイントです。例えば、べと病の初期には、葉の裏に不明瞭な水浸状(水が染みたような)の斑点が現れますが、これは乾燥すると見えにくくなることがあります。また、うどんこ病の初期は、わずかに葉の色が薄くなる程度で、明確な白い粉(標徴)が出る前の段階で発見できれば、被害を最小限に抑えることが可能です。プロの農家は、単に「葉が枯れている」と見るのではなく、「葉脈に沿って角張って枯れているか(べと病の疑い)」「同心円状の輪紋があるか(疫病や炭疽病の疑い)」といった、病徴の形状や広がり方を細かく観察しています。
参考)http://jppa.or.jp/onlinestore/shuppan/images-txt/2022/2022_0809.pdf
病徴は植物の「反応」であるため、異なる原因でも似たような病徴を示すことがある点に注意が必要です。例えば、葉が黄色くなる「黄化」という病徴は、病原菌によるものだけでなく、マグネシウム欠乏や窒素欠乏、あるいは根腐れによる水分吸収阻害、さらには除草剤の飛散(ドリフト)など、全く異なる要因でも発生します。したがって、病徴だけで病名を決めつけることは診断ミス(誤診)につながるリスクがあります。正確な診断のためには、次項で解説する「標徴」の確認が不可欠となるのです。
うどんこ病の病徴写真と解説(農研機構) - 初期症状から激発時の様子まで詳細な写真が掲載されています。
標徴(ひょうちょう)とは、病気になった植物体の上に現れた、病原菌そのもの、あるいは病原菌が作った器官のことを指します。病徴が「被害者の悲鳴」であるなら、標徴は「犯人の姿」そのものです。病徴だけでは「何らかの異常がある」ことしか分かりませんが、標徴を見つけることで「この菌が原因である」と特定(同定)することが可能になります。これが、農業現場での診断において標徴を探すことが最も重要視される理由です。
参考)【防除学習帖】第2回 作物病害の病徴、標徴と生活環|防除学習…
標徴には、病原菌の種類によって様々な形態があります。最も一般的で分かりやすいのが、糸状菌(カビ)による標徴です。
また、細菌(バクテリア)による病害でも独特の標徴が見られます。細菌はカビのように目立つ菌糸を作りませんが、高湿度条件下では、患部から細菌の塊が粘液状に染み出してくることがあります。これを「菌泥(きんでい)」や「ウーズ (ooze)」と呼びます。例えば、イネの白葉枯病では、葉の縁に黄色い水滴のような菌泥が見られることがあります。また、細菌病にかかった茎を水につけると、切り口から白く濁った汁が糸を引いて流れ出す現象(混濁流)も、細菌集団が放出されている標徴の一つとして診断に利用されます。
参考)http://jppa.or.jp/archive/pdf/58_05_38.pdf
標徴は環境条件によって見え方が大きく変わります。特に湿度は重要で、雨上がりや朝露が残っている時間帯はカビや細菌が活発になり、標徴がはっきりと現れやすくなります。逆に、乾燥した晴天の昼間には、カビが干からびて見えなくなったり、風で胞子が飛ばされて消失していたりすることがあります。そのため、標徴を探す観察は、早朝や雨天の翌日に行うのが鉄則です。
参考)べと病
注意点として、標徴に見えるものが実は「汚れ」や「農薬の跡」である場合も少なくありません。例えば、散布した水和剤が乾いて白く残っているのをうどんこ病と間違えたり、土埃や虫の脱皮殻をカビと見間違えたりすることは初心者によくあるミスです。本物の標徴かどうかを見極めるには、指でこすってみる(うどんこ病なら取れるが、ウイルスによる斑紋は取れない)、ルーペで拡大して構造を確認するなどの丁寧な観察が求められます。
イネ白葉枯病の病徴と標徴に関する研究論文(J-STAGE) - 細菌病特有の標徴の出方について専門的な記述があります。
実際の農業現場では、「葉が枯れてきたが、カビ(標徴)が見当たらない」というケースに頻繁に遭遇します。病徴はあるのに標徴がない場合、診断は行き詰まってしまいます。しかし、そこで諦めずに「隠れた標徴」を探し出すテクニックが、正しい防除への第一歩となります。
まず行うべきは、「保湿」による標徴の誘導です。多くの糸状菌や細菌は、乾燥状態では表面に出てきません。そこで、疑わしい葉や茎を採取し、濡らしたティッシュペーパーと一緒にビニール袋やタッパーに入れて密閉し、一晩室温に置いておきます(湿室処理)。こうすることで湿度が100%近くになり、組織の中に潜んでいた病原菌が表面に現れ、翌朝にはカビや細菌粘液が確認できることがよくあります。これは植物病理学の実験でも使われる基本的な手法ですが、農家が簡易診断を行う際にも非常に有効です。
参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/kitanihon/2009/60/2009_1/_pdf/-char/en
次に、「裏側」と「地際」の観察です。病徴は葉の表面に見えていても、標徴(胞子など)は気孔の多い葉の裏側に形成されることが多いです。べと病などはその典型で、葉の表には黄色い斑点(病徴)があるだけですが、裏返すと薄い灰色のカビ(標徴)がびっしりと生えていることがあります。また、土壌病害の場合、地上部は単にしおれているだけ(病徴)に見えますが、地際(地面と接する茎の部分)や根を掘り起こして観察すると、白絹病特有の白い絹糸のような菌糸(標徴)や、根こぶ病のコブ(病徴兼標徴)が見つかることがあります。
参考)うどんこ病
さらに、ルーペ(拡大鏡)の活用も必須です。肉眼ではただの黒いシミに見える病斑でも、10倍〜20倍のルーペで見ると、整然と並んだ黒い粒々(柄子殻など)や、細かい毛のような菌糸が確認できることがあります。これらの微細な構造物は決定的な証拠(標徴)となります。「目が良いから大丈夫」と過信せず、必ず道具を使ってミクロの世界を確認する癖をつけることが、診断スキルの向上につながります。
それでも標徴が見つからない場合は、「非伝染性の生理障害」を疑う必要があります。肥料焼け、微量要素欠乏、高温障害、冷害などは、病徴に似た症状を出しますが、病原菌がいないため当然ながら標徴は絶対に出ません。湿室処理をしても何も出てこない場合は、病気以外の原因を探る良いきっかけになります。このように、「標徴がないことを確認する」こともまた、重要な診断プロセスの一部なのです。
イチジク病害図鑑(愛知県) - 白紋羽病などの地際部に現れる標徴の写真が豊富で、地下部の観察の重要性が分かります。
ここまでは「病徴」と「標徴」をセットで探すことの重要性を説いてきましたが、実は「標徴が現れない病気」という厄介な存在があります。その代表格がウイルス病です。
ウイルスは、カビ(糸状菌)や細菌とは異なり、自ら細胞や胞子といった構造体を持ちません。植物の細胞の中に入り込み、植物の遺伝子複製システムを乗っ取って増殖するため、植物の表面にカビのような塊や粘液となって出てくることがありません。つまり、ウイルス病には、肉眼で確認できる「標徴」が存在しないのです(電子顕微鏡レベルでのウイルス粒子の確認は別として)。
参考)https://hesodim.or.jp/north/204/
そのため、ウイルス病の診断は、純粋に「病徴」の観察眼に依存することになります。ウイルス病特有の病徴には以下のようなものがあります。
これらの病徴が見られた場合、標徴(カビなど)を探しても見つかりません。むしろ、「激しい病徴があるのに、いくら探しても標徴がない」という事実こそが、ウイルス病を強く疑う根拠となります。
ウイルス病と診断(あるいは推定)された場合の対策は、カビや細菌の病気とは根本的に異なります。一般的な殺菌剤(農薬)は、カビの細胞壁を壊したり呼吸を止めたりして作用しますが、細胞を持たないウイルスには全く効果がありません。「カビが見当たらないのに殺菌剤を撒き続けている」というのは、コストの無駄であるだけでなく、耐性菌の出現を助長する行為です。
標徴のないウイルス病への対処法は、「抜き取り処分」と「媒介虫の防除」の2点に尽きます。治療薬がないため、発病株は直ちに畑から持ち出し、焼却または埋設処分して、他の株への感染源を断つしかありません。また、多くの場合、アブラムシやアザミウマ、コナジラミといった微小害虫がウイルスを運ぶため、これらの虫を徹底的に防除することが予防策となります。
このように、標徴が見つからないという情報を「ウイルス病の可能性が高い」という判断に変換し、素早く殺菌剤から殺虫剤へと防除戦略を切り替えることが、被害拡大を防ぐ鍵となります。
植物病害の防除情報(農業害虫や病害の防除・農薬情報) - 病徴の特徴から防除法まで網羅的な情報源です。
正確な診断スキルを養うためには、観察した病徴と標徴を記録し、蓄積していくことが近道です。熟練の普及指導員や「植物医師」たちは、記憶に頼らず、詳細な観察ノートやデータベースを作成しています。ここでは、プロが行っている記録のポイントを紹介します。
1. 時系列での変化を追う
病徴は日々変化します。「枯れた」という最終結果だけでなく、「最初は下の葉に黄色い点ができ(初期病徴)、それが徐々に上の葉に広がり(進展)、最終的に株全体がしおれて地際に白いカビが出た(末期病徴・標徴)」というプロセスの記録が重要です。スマートフォンのカメラを活用し、同じ株を数日おきに定点撮影しておくと、病気の進行速度や広がり方が客観的に把握できます。
2. 環境データを紐付ける
「どんな病徴が出たか」だけでなく、「その時どんな環境だったか」をセットで記録します。
| 記録項目 | 診断への活用意義 |
|---|---|
| 天候・気温・湿度 | 「雨が続いた後にカビ(標徴)が出た」などの因果関係を特定しやすくなる。 |
| 発生場所 | 「ハウスの入り口付近だけ」「水はけの悪い場所だけ」といった分布は、伝染経路の特定に役立つ。 |
| 品種・播種日 | 特定の品種だけに病徴が出る場合、品種抵抗性の差や種子伝染の可能性を検討できる。 |
| 前作・土作り | 連作障害や土壌pHの影響による生理障害(病徴に似た症状)との切り分けに使える。 |
3. 比較写真を撮る
診断に迷ったときは、健全な株と異常な株(病徴が出ている株)を並べて撮影、あるいは同じ葉の「病斑部分」と「健全部分」の境界を拡大撮影します。病徴の境界がはっきりしているか、ぼやけているか(ハローがあるか)は、病原菌の種類(細菌か糸状菌か)を推定する重要な手がかりになります。
4. 自分の「誤診」も記録する
「うどんこ病だと思って薬剤を撒いたが効かなかった。よく調べたらホコリダニの被害(標徴なし)だった」といった失敗談こそ、貴重なデータです。なぜ間違えたのか、どの病徴が紛らわしかったのかを記録しておくことで、次回の判断精度が格段に向上します。
これらの記録を積み重ねることで、教科書的な知識としての「病徴・標徴」ではなく、自分の畑の環境に即した「生きた診断基準」が出来上がります。AIによる画像診断アプリも進化していますが、最終的に現場の文脈(コンテキスト)を理解して総合判断を下せるのは、日々作物を観察し続けている人間だけです。観察ノートは、そのための最強の武器となるでしょう。
参考)https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fpls.2014.00734/pdf
我が国の植物病害と病原微生物(日本菌学会) - 診断の基礎となるコッホの原則や病徴記述の学術的な重要性が解説されています。

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