ぶどう栽培において、灰色かび病(Botrytis cinerea)は最も警戒すべき病害の一つです。この病原菌は非常にありふれた「多犯性」の菌であり、ぶどうに限らず野菜や花き類など多くの植物に寄生しますが、特にぶどうにおいては商品価値をゼロにしてしまう破壊力を持っています。
発生の最大の要因は「過湿」と「残渣(ざんさ)」です。灰色かび病菌は、気温20℃前後で湿度が90%以上続くような環境を最も好みます 。特に梅雨の時期や秋の長雨シーズンは、ハウス内や圃場の湿度が下がりにくく、感染爆発(パンデミック)が起きやすい条件が揃います。露地栽培では防除が天候に左右されがちですが、施設栽培であっても換気不足による多湿は致命的です。
参考)灰色かび病の原因や症状とは? 予防法や対策について農家が解説…
また、この菌は死んだ植物組織(枯れ葉や剪定枝、巻きひげなど)の上で腐生的に増殖し、そこから大量の胞子を飛ばして健全な組織へ感染を広げるという特徴があります 。前年の被害残渣が菌核や菌糸の状態で越冬し、翌春の一次伝染源となるため、圃場の衛生管理が甘いと、どれだけ農薬を撒いても再発を繰り返すことになります。特に、窒素過多で軟弱に育った樹は、組織が柔らかく菌が侵入しやすいため、肥培管理のバランスが崩れている園地では被害が激化する傾向にあります 。
参考)農薬ガイドNO.84_b
参考リンク:農家web - ブドウの、灰色かび病に効く農薬、防除方法について(発生条件や基本対策の詳細)
灰色かび病の症状は、時期によって現れ方が異なりますが、特に注意が必要なのは「開花期」と「成熟期(収穫前)」の2つのタイミングです 。
参考)https://www.syngenta.co.jp/cp/articles/20041201_01
開花前後の花穂に感染すると、小花穂が褐色に変色し、まるで火で炙ったようにチリチリに枯れこむ症状が出ます。これを「花流れ」とも呼びます。この時期に感染した菌は、そのまま幼果の中に潜伏し(潜伏感染)、果実が熟して糖度が上がってくる頃に活動を再開して腐敗を引き起こすことが知られています 。つまり、収穫期の腐敗を止めるには、実はこの開花期の防除が最も重要だということです。
着色期から収穫期にかけては、果実に灰色の粉状のカビが密生します。最初は果実の一部が水浸状(水が染みたような状態)になり、やがて褐色に腐敗してカビに覆われます 。裂果や虫害による傷口から侵入する場合もあれば、隣接する病果からの接触感染で房全体があっという間に腐ることもあります。特に「シャインマスカット」などの貯蔵性が求められる品種では、収穫後の冷蔵・輸送中に発病することもあり、大クレームに繋がるリスクがあります 。
見極めのポイントとして、初期症状は他の病害(晩腐病など)と似ていますが、灰色かび病は「ふわふわとした灰色のカビ」が明確な特徴です。見つけ次第、胞子が飛散しないように静かに袋に入れて除去し、圃場外で焼却や埋没処分を行う必要があります 。
参考)灰色かび病(はいいろかびびょう)
化学的防除において最も頭を悩ませるのが「耐性菌」の問題です。灰色かび病菌は、同一系統の薬剤を連用するとすぐに薬剤耐性を獲得してしまうことで有名です 。過去には、特効薬とされたベンズイミダゾール系(トップジンMやベンレートなど)やジカルボキシイミド系(ロブラールなど)に対する耐性菌が広まり、防除が困難になった経緯があります。
参考)ブドウの、灰色かび病に効く農薬、防除方法について
現在の防除戦略では、作用機序(FRACコード)の異なる薬剤を組み合わせるローテーション防除が鉄則です。
具体的な推奨薬剤と使い分けの例を挙げます。
参考)https://himi.ja-toyama.jp/doc/sonotasakumotsu/budo_bojo.pdf
注意点:
「ストロビルリン系(QoI剤)」も効果がありますが、これも耐性菌リスクが高いため、連用は厳禁です。地域の防除暦(JAなどが発行)を確認し、必ず異なる系統の薬剤を順番に使用してください 。
参考リンク:アリスタライフサイエンス - 長野県におけるブドウ病害の発生と防除(耐性菌問題に関する記述あり)
農薬だけに頼らない、物理的・耕種的な対策も極めて重要です。ここで特に強調したいプロの技術が「花冠(かかん)落とし」(花かす落とし)です。
ぶどうの花が咲いた後、茶色くなった帽子のような部分(花冠/キャップ)が落ちずに残ってしまうことがあります。これを放置すると、湿気を吸って灰色かび病菌の格好の「培地(エサ)」となります 。特に「巨峰」や「ピオーネ」などの大粒品種、あるいは「シャインマスカット」などの密着しやすい品種では、この残留した花冠からカビが増殖し、若い果粒へ感染が広がるケースが非常に多いのです。
参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/hrj/8/2/8_2_209/_pdf
対策として、開花終了直後にブロワー(送風機)で風を当てて花冠を吹き飛ばしたり、手作業や専用の「花冠取り器(ブラシ状の道具)」を使って物理的に除去することが推奨されます 。これにより、感染源となる有機物を房内から無くし、同時に通気性を確保することができます。また、この作業は果皮の汚れ(さび果)を減らす効果もあります 。
施設栽培では、夕方以降にハウスを閉め切ると湿度が急上昇します。循環扇を稼働させて空気を動かし続けること、そして過剰な灌水を避けることが基本です。露地栽培の場合は、雨よけ屋根(レインカット)の設置が最も効果的です 。雨水が直接花穂や果実に当たらないだけで、発病率は劇的に低下します。
枝が混み合っていると風通しが悪くなり、薬剤も奥まで届きません。新梢管理を徹底し、葉が重ならないように誘引・摘心を行うことで、圃場全体の乾燥を促します 。
ここまでは一般的な防除の話でしたが、より一歩進んだ対策として「カルシウム剤の葉面散布」に注目してください。これは検索上位の一般的なまとめ記事ではあまり深く触れられていない、生理学的なアプローチです。
植物が病原菌に侵入される際、菌は植物の細胞壁を分解する酵素を出して穴を開けようとします。この時、植物の細胞壁にカルシウムが十分に供給されていると、ペクチン酸と結合して細胞壁が強固(ペクチン酸カルシウム)になります 。人間で言えば肌のバリア機能が高まるようなイメージです。
細胞壁が硬くなることで、灰色かび病菌の菌糸が物理的に侵入しにくくなり、結果として発病率が低下します。カルシウムは根からの吸収が遅い栄養素であるため、開花期から幼果期にかけて、水溶性のカルシウム剤やキレートカルシウムを定期的に葉面散布することが効果的です 。
参考)https://www.pref.nagano.lg.jp/nogi/sangyo/nogyo/gijutsu/documents/290817tekouhujyun.pdf
また、カルシウム施用は、ぶどうの生理障害である「裂果」や「チップバーン(葉先枯れ)」の予防にも直結します 。裂果による傷は灰色かび病の最大の入り口となるため、裂果を防ぐことはそのまま灰色かび病対策になります。
「農薬で菌を殺す」だけでなく、「植物自体を硬く丈夫にする」という攻めの防除を組み合わせることで、耐性菌リスクにおびえることなく、より安定した収穫を目指すことができるのです。
参考リンク:サンビオティック - ぶどう栽培基準(カルシウムやミネラルによる細胞強化の技術資料)