農業現場において、作物の生育促進や耐病性向上を目的とした微生物資材の利用が急速に広がっています。その中でも特に注目を集めているのが「アーバスキュラー菌根菌(AM菌)」です 。この菌は植物の根に共生し、土壌中のリン酸やミネラルを効率的に吸収させる能力を持っています 。しかし、販売されている資材は多種多様であり、自身の圃場や栽培体系に合ったものを選ばなければ、期待した効果が得られないことも少なくありません。ここでは、現在販売されているアーバスキュラー菌根菌資材の特性を理解し、現場で確実に効果を出すための導入ガイドを解説します。
アーバスキュラー菌根菌を導入することで得られる最大のメリットは、やはり「リン酸吸収の促進」にあります。この菌は植物の根の内部に入り込み、そこから土壌中へ微細な菌糸を張り巡らせます 。植物の根毛だけでは届かない微細な土壌の間隙からもリン酸や水分を吸収し、宿主である植物に供給します 。特に、日本のような火山灰土壌や、リン酸が不可給態(植物が利用できない形)になりやすい土壌環境では、その効果が顕著に現れます 。
参考)アーバスキュラー菌根菌とは?リン酸供給の働きと籾殻による活用…
また、単なる肥料吸収の向上だけでなく、以下のような複合的なメリットも報告されています。
これらの効果は、化学肥料の使用量を減らしつつ収量を維持・向上させる「減肥栽培」や「有機栽培」において非常に強力な武器となります 。
AM菌資材に含まれるバクテリアが植物の成長をさらに促進する可能性についての研究論文(英語)
アーバスキュラー菌根菌が有機農業にどのように貢献するか、病害抵抗性などの詳細なメカニズム解説
現在、市場で販売されているアーバスキュラー菌根菌資材は、製造方法や菌の種類によっていくつかのタイプに分類されます。それぞれの特徴を理解し、自分の栽培スタイルに合った「選び方」をすることが重要です。
| 資材タイプ | 特徴 | 主な用途 | メリット | デメリット |
|---|---|---|---|---|
| 土壌培養資材 | 宿主植物を栽培した土壌をそのまま資材化したもの。胞子だけでなく菌糸や感染根も含まれる。 | 一般的な土壌改良、露地栽培 | 比較的安価で入手しやすい。土着菌に近い環境で作られるため定着しやすい場合がある 。 | 品質(菌の密度)にバラつきが出やすい。病原菌や雑草種子の混入リスクがゼロではない。 |
| 純粋培養資材 |
無菌的な環境で培養された菌のみを製剤化したもの。近年開発が進んでいる |
施設栽培、養液栽培、高付加価値作物 | 雑菌混入のリスクがなく、品質が非常に安定している。高濃度で少量施用が可能。 | 製造コストが高く、販売価格も高価になりがち。冷蔵保存が必要な場合がある。 |
| 複合微生物資材 |
AM菌だけでなく、バクテリアや他の有用微生物(根粒菌やバチルス菌など)を混合したもの |
総合的な土作り | 複数の微生物による相乗効果が期待できる。 | どの菌が効いているのか判別しにくい。環境によっては菌同士の競合が起きる可能性がある。 |
代表的な製品としては、出光アグリバイオの「Dr.キンコン」や、松本微生物研究所の製品、また最近では「キンコンバッキー」のような高濃度資材も販売されています 。選ぶ際は、単に「菌根菌が入っている」というだけでなく、「有効菌数(胞子数)」や「対象作物」(アブラナ科やアカザ科など、共生しない作物には効果がないため)を必ず確認してください 。
参考)https://tokitaonline.shop-pro.jp/?pid=167398997
世界初となるアーバスキュラー菌根菌の純粋培養成功に関するプレスリリース。技術革新の背景がわかります。
アーバスキュラー菌根菌資材は決して安いものではありません。コストを抑えつつ最大の効果を得るための鉄則は、「育苗期に施用すること」です 。
参考)菌根菌が作物を強く育てる!その生態と増やし方を徹底解説
本圃(定植する畑)全体に資材を散布するには大量の資材が必要となり、コストが莫大になります。しかし、セルトレイやポットでの育苗期間中であれば、少量の資材で高濃度の菌を根に接触させることが可能です 。
【推奨される具体的な使用手順】
【裏技:種子粉衣(シードコーティング)】
微粉末タイプの資材であれば、種子に直接まぶして(粉衣して)播種する方法も有効です。これなら使用量をさらに削減でき、発芽した根にダイレクトに菌を届けることができます 。ただし、殺菌剤処理された種子の場合、薬剤の影響で菌が死滅する可能性があるため注意が必要です。
実際に菌根菌を活用して生産性を向上させたネギ農家の成功事例記事
「菌根菌を入れたのに全然効果がなかった」という失敗事例の多くは、「併用する薬剤」や「土壌の栄養状態」に原因があります。
1. 殺菌剤との相性(重要)
アーバスキュラー菌根菌は「カビ(糸状菌)」の仲間です。そのため、土壌病害を防ぐための殺菌剤、特に「ベンレート(ベノミル)」や「トップジンM(チオファネートメチル)」などのベンズイミダゾール系殺菌剤を使用すると、病原菌だけでなく菌根菌まで殺してしまいます 。育苗期に立枯病予防などでこれらの薬剤を灌注する場合、菌根菌資材を使っても無意味になる可能性が高いです。資材メーカーの適合表を確認し、影響の少ない薬剤を選ぶか、時期をずらすなどの工夫が必要です。
参考)https://www.idemitsu.com/jp/content/100038434.pdf
2. リン酸過剰な土壌では働かない
植物は賢い生き物で、土壌中にリン酸が十分にあり、自力で容易に吸収できる環境では、エネルギー(光合成産物)を分け与えてまで菌根菌と共生しようとしません 。これを「共生の抑制」と呼びます。つまり、これまでの慣行栽培でリン酸肥料が過剰に蓄積されている畑に菌根菌を入れても、菌は定着せず、単に死滅していくだけになります。菌根菌の効果を最大限に引き出すには、「リン酸施肥量を通常より減らす(半分〜3分の1程度)」ことが前提となります 。
3. 非宿主作物の輪作
アブラナ科(キャベツ、ブロッコリー、ダイコンなど)やアカザ科(ホウレンソウ)は、アーバスキュラー菌根菌と共生しません。これらの作物を栽培した直後の畑では、土壌中の菌根菌密度が極端に低下しています 。そのため、これらの後作で菌根菌の効果を期待する場合は、必ず資材を再投入するか、一度緑肥(ヘアリーベッチやひまわりなど)を挟んで菌密度を回復させる必要があります 。
参考)https://www.naro.go.jp/publicity_report/publication/files/ryokuhi_manual_carc20221007.pdf
出光アグリバイオ製品ガイド(PDF)。殺菌剤(ベンレート等)との併用禁止について明記されています。
輪作において非宿主作物が菌根菌密度に与える影響を調査した研究報告
最後に、多くの農家が最も気にする「コスト対効果(コスパ)」について、少し違った視点から切り込んでみます。
現在販売されている高機能な菌根菌資材は、1kgあたり数千円〜数万円と決して安くありません。ネギやタマネギ、果菜類などの高収益作物であれば、育苗期処理で1株あたりのコストを数円に抑えられるため、収量増加や減肥効果で十分に元が取れます 。しかし、穀物や低単価の露地野菜では、資材購入費が利益を圧迫するリスクがあります。
そこで注目すべきは、「土着菌の活用」と「ハイブリッド戦略」です。
高価な資材を毎年全量投入するのではなく、最初の1〜2年は資材を使って優良な菌を畑に持ち込みます。その後は、菌根菌と相性の良い「緑肥(ヘアリーベッチ、ソルゴーなど)」を栽培体系に組み込むことで、購入した菌を畑の中で「自家増殖」させ、維持するのです 。
また、近年研究が進む「純粋培養技術」により、将来的にはより高濃度で安価な資材が登場する可能性があります 。しかし現段階では、販売資材の力だけに頼るのではなく、「資材はあくまでスターター(種菌)」と考え、畑全体の管理で菌を育てていく意識を持つことが、最も賢い投資と言えるでしょう。土壌分析を行い、リン酸レベルを把握した上で、「減肥+菌根菌」のセットで導入しなければ、真のコストダウンは実現しません 。
緑肥を利用して土壌中の有用微生物(菌根菌など)を増やす方法についての解説PDF