農業において最も重要であり、かつ最も身近な光化学反応の例といえば、間違いなく「光合成」です。
光合成は単に「植物が光を浴びて育つ」という現象として片付けられがちですが、その内部では非常に複雑で精密な電子のやり取りが行われています。
具体的には、植物の細胞内にある葉緑体(クロロフィル)が光エネルギー(主に赤色と青色の波長)を吸収することからすべてが始まります。
参考)街灯で生育不良!? 光の問題を解決する「光」|マイナビ農業
この光エネルギーを受け取ったクロロフィルは「励起状態」となり、高エネルギーの電子を放出します。この電子が移動することで水分子(H₂O)が分解され、酸素(O₂)が発生すると同時に、エネルギー通貨であるATP(アデノシン三リン酸)と還元力を持つNADPHが生成されます。
参考)光化学反応 - Wikipedia
これを「明反応(光化学反応)」と呼びます。
農業従事者にとってこのプロセスを理解することが重要なのは、光の強さや質が収量に直結する理由がここにあるからです。
例えば、ハウス栽培において冬場の日照不足を補うために補光を行う際、単に明るくすれば良いわけではありません。
クロロフィルが吸収しやすい赤色光(660nm付近)や青色光(450nm付近)を効率よく照射することで、この明反応を活性化させ、ATPの生成を促すことができます。
参考)「レーザーの光で育てる未来の野菜」 ——赤色レーザーダイオー…
最近の研究では、高輝度な赤色レーザーダイオードを用いることで、従来のLEDよりも効率的に光合成を促進できる可能性も示されています。
逆に、不必要な波長の光や、強すぎる光は「光阻害」を引き起こし、葉焼けや生育不良の原因となることもあります。
つまり、光合成という光化学反応を最適化することは、肥料設計と同じくらい重要な「光の施肥設計」と言えるのです。
Try IT(トライイット): 光合成の反応プロセス(チラコイド・ストロマ)の解説
高校生物レベルの基礎知識ですが、明反応と暗反応の流れが動画と図解で非常にわかりやすく整理されています。
近年、農業用ビニールハウスや被覆資材において急速に普及している「光触媒」も、光化学反応を見事に利用した技術です。
光触媒の主役である「酸化チタン」は、紫外線が当たることによって強力な「酸化分解力」と「超親水性」という2つの特性を発揮します。
参考)https://www.library.osaka-u.ac.jp/doc/TA_20160623_HS.pdf
この反応もまた、光エネルギーによって電子が励起され、正孔(ホール)ができることで始まります。生成された正孔は強い酸化力を持ち、表面に付着した有機物を水と二酸化炭素にまで分解してしまうのです。
参考)光触媒とは?6つはたらきから身近な4つの活用例、仕組みまで高…
農業現場での具体的なメリットは、ハウスフィルムのメンテナンス労力の大幅な削減です。
長期間使用したビニールハウスは、砂埃や苔、藻などが付着し、光線透過率が徐々に低下していきます。
透過率が1%下がれば収量も1%下がると言われるほど、光環境はシビアです。
しかし、光触媒コーティングが施されたフィルムならば、太陽光(紫外線)が当たるだけで表面の汚れ(有機物)を化学的に分解してくれます。
参考)室内でも使える可視光応答型光触媒を開発 衛生的で快適な生活空…
さらに「超親水性」の効果により、雨が降ると水滴にならずに膜のように広がって流れ落ちるため、分解された汚れが雨と一緒にきれいに洗い流されます(セルフクリーニング効果)。
これにより、高所作業で危険なハウスの屋根洗浄の頻度を減らしつつ、高い光透過率を長期間維持することが可能になります。
カクイチ: 光を用いた害虫防除と光触媒技術の最新研究
農業用倉庫やハウス資材を扱う企業による解説で、光技術が実際の現場でどう役立つかが具体的に記されています。
光化学反応は、農業にとって有益なものばかりではありません。
現場で頭を悩ませる「農業用ポリフィルムの破れ」や「プラスチック資材の変色・硬化」も、実は紫外線による光化学反応の一種(光劣化)です。
太陽光に含まれる紫外線は非常に高いエネルギーを持っており、プラスチック(ポリマー)の分子結合を切断する力があります。
参考)化学発光(ケミルミネッセンス)|おもしろ科学実験室(工学のふ…
具体的には、プラスチック内の分子が紫外線を吸収して励起状態になり、空気中の酸素と反応して過酸化物ラジカルなどを生成します。これが連鎖的に反応し、ポリマーの主鎖をズタズタに切断してしまうのです。
農業従事者がこの「悪い光化学反応」に対抗するためには、資材選びの知識が不可欠です。
例えば、長期展張用のPOフィルム(ポリオレフィン系)には、この光化学反応を抑制するために「紫外線吸収剤(UVA)」や「光安定剤(HALS)」が添加されています。
UVAは紫外線を熱エネルギーなどに変換して無害化し、HALSは発生してしまったラジカルを捕捉して連鎖反応を食い止める役割を果たします。
安価な資材と高耐久資材の価格差は、こうした添加剤の質と量に起因することが多いのです。
「なぜこのフィルムは3年もつのか」「なぜこの支柱クリップはすぐ割れるのか」を化学的に理解することで、長期的なコストパフォーマンスを見極める目が養われます。
また、マルチシートがボロボロになって回収が困難になるのもこの反応のせいですが、最近ではこの反応を逆手に取り、収穫期が終わる頃に紫外線で崩壊して土に還る「生分解性マルチ」の制御にも光化学反応の知見が活かされています。
光化学反応は植物だけでなく、害虫の体内でも起きています。
昆虫が光を感じるメカニズムもまた、視細胞内の物質が光を受けて構造変化する化学反応に基づいています。
参考)光化学と私たちの生活そして未来技術へ
農業害虫の多くは、人間とは異なる波長の光に反応する特有の視覚システムを持っています。
例えば、アザミウマ類やコナジラミ類などの微小害虫は、紫外線を反射する物体に誘引される性質(正の走光性)を持っていますが、逆に特定の波長の光を嫌う性質を持つものもいます。
参考)イトウさんのちょっとためになる農業情報 第19回『物理的防除…
この「虫の目の中で起きる光化学反応」を逆手に取ったのが、光を利用した物理的防除法です。
赤色LEDの照射は、アザミウマ類にとって「隠れ場所がない」と感じさせる、あるいは方向感覚を狂わせる効果があるとされ、作物への飛来を抑制することが確認されています。
参考)「光」で害虫防除。光を用いた害虫防除の最新研究と光を用いた害…
また、紫外線をカットする被覆資材を使用することで、ハウス内部へ害虫が侵入しにくくなるのも、虫が方向を知るための「コンパス」である紫外線を消してしまうためです。
参考)https://www.affrc.maff.go.jp/docs/project/pdf/seika/before2015/narc_hikarigaichu_man.pdf
さらに、夜間に緑色の光を照射することで、夜行性の蛾(ヤガ類)の複眼における明順応(明るさに慣れる反応)を引き起こし、活動を抑制して交尾や産卵を妨害する技術も実用化されています。
参考)農業分野への光利用技術に関する研究
これらは殺虫剤のように抵抗性が発達するリスクが低く、環境負荷の少ない防除手段として注目されています。
農研機構: 光を利用した害虫防除のための手引き
LEDや特定の波長の光を使って、減農薬で害虫を防ぐための具体的な設置方法や対象害虫がまとめられた、農家必見のマニュアルです。
最後に、あまり知られていませんが、収穫後の農産物の品質保持においても光化学反応が活躍しています。
それが「光触媒によるエチレンガスの分解」です。
野菜や果物は収穫後も呼吸をしており、成熟ホルモンである「エチレンガス(C₂H₄)」を放出します。
参考)https://nanoace.jp/2025/06/09/guang-chu-mei-ji-shuga-nong-ye-xian-changnimotarasuinobeshon/
エチレンは追熟を促すため、バナナやリンゴ、メロンなどが自ら出したエチレンで過剰に熟してしまい、腐敗を早める原因となります。
冷蔵庫や輸送コンテナ内でこのガスが蓄積すると、せっかくの作物が市場に届く前に傷んでしまうのです。
ここで活躍するのが、先ほど紹介した酸化チタンなどの光触媒です。
光触媒にLEDなどの光(紫外線を含む光源)を当てると、空気中のエチレンガスを強力に酸化分解し、無害な水(H₂O)と二酸化炭素(CO₂)に変えてしまう化学反応が起きます。
活性炭による吸着脱臭とは異なり、光がある限り触媒の効果は持続し、ガスを化学的に「消滅」させることができるのが最大の特徴です。
この技術は、大規模な青果物倉庫や輸送トラックの空気清浄システムに応用され始めています。
農家の方々が直売所に野菜を出荷する際や、一時保管庫での鮮度維持において、小型の光触媒脱臭機を導入することは、廃棄ロス(フードロス)を減らし、売り上げを確保するための賢い投資となるでしょう。
単に冷やすだけでなく、「化学反応で老化の原因物質を分解する」という攻めの鮮度管理が可能になるのです。
NanoAce: 光触媒技術が農業現場にもたらすイノベーション
2025年の最新記事で、エチレン分解による鮮度保持や、光触媒が農業のどのような課題を解決できるかが詳細に解説されています。