植物を育てる農業従事者にとって、光合成は作物の収量や品質を決定づける最も重要な反応です。しかし、教科書で習った「葉緑体で光合成が行われる」という知識だけでは、実際の栽培現場での環境制御や肥料設計に活かすには不十分かもしれません。特に、二酸化炭素(CO₂)を植物の体を作る材料(糖)へと変換する具体的なプロセスである「カルビン回路」が、葉緑体の「どこ」で行われ、どのような条件で活性化するのかを理解することは、施設園芸におけるCO₂施用や温度管理の精度を高める上で非常に重要です 。
参考)https://leaf-laboratory.com/blogs/media/glossary112
ここでは、カルビン回路の具体的な場所やメカニズム、そしてそれを農業現場でどう意識すべきかを深掘りしていきます。
まず結論から言うと、カルビン回路が行われている場所は、葉緑体の中にある「ストロマ(基質)」と呼ばれる部分です 。
参考)【高校生物】「カルビン・ベンソン回路①」
葉緑体は、植物細胞の中に存在する小さな器官ですが、その内部構造は非常に複雑で機能的に分かれています。大きく分けると、以下の2つの場所で異なる反応が起きています。
扁平な袋状の構造が集まった場所です。ここでは太陽の光エネルギーを受け取り、それを化学エネルギー(ATPやNADPH)に変換する「明反応」が行われています。クロロフィルなどの光合成色素が存在し、文字通り「光」を使う反応の現場です 。
参考)光合成|森林生態系の原動力
チラコイドの周りを満たしている液状の部分です。ここで、チラコイドで作られた化学エネルギーを使って、空気中の二酸化炭素を有機物(糖)に固定する「暗反応(カルビン回路)」が行われます 。
農業の現場で「光合成には光が必要」というのはチラコイドでの反応を指していますが、「光合成にはCO₂が必要」というのは、このストロマでの反応を指しています。ストロマには、カルビン回路を回すために必要な多くの酵素が溶け込んでおり、その中でも特に重要なのが「ルビスコ(RuBisCO)」という酵素です 。ルビスコは地球上で最も量の多いタンパク質とも言われ、ストロマ内でCO₂を捕まえる最初のステップを担っています。
参考)②暗反応(炭素固定反応)
なぜ場所を知ることが重要なのでしょうか。それは、ストロマが「液体(ゲル状)」であるという点が、環境ストレスの影響を理解する鍵になるからです。例えば、極端な水不足や高温条件では、細胞内の環境が変化し、ストロマ内の酵素の働きが鈍くなることがあります 。作物がしおれる前に、ミクロな視点ではすでにストロマでの反応効率が落ちている可能性があるのです。この「見えない場所」での反応をイメージすることが、繊細な栽培管理への第一歩となります。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC10192301/
また、ストロマは単に光合成を行うだけの場所ではありません。窒素同化やアミノ酸の合成など、植物の成長に必要な他の代謝反応とも密接に関わっています 。つまり、カルビン回路が順調に回ることは、単に糖ができるだけでなく、植物体全体の代謝が健全に機能するためのベースとなっています。
参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/dojo/87/5/87_388/_pdf
カルビン回路は、その名の通り「回路(サイクル)」として循環しながら反応が進みます。このサイクルが止まることなく回り続けることで、植物は連続的に二酸化炭素を吸収し、成長することができます。この流れは大きく3つの段階に分けられます 。
参考)【解決】カルビン・ベンソン回路についてわかりやすく解説してみ…
ストロマにある「リブロース1,5-ビスリン酸(RuBP)」という炭素数5の化合物が、空気中から取り込まれた二酸化炭素(CO₂)と結合します。この反応を触媒するのが、先ほど登場した酵素ルビスコです。CO₂と結合したRuBPは不安定になり、すぐに2つの「3-ホスホグリセリン酸(PGA)」という炭素数3の物質に分かれます 。
農業において「CO₂施用」を行うのは、この最初のステップでルビスコがCO₂と出会う確率を高め、反応を促進させるためです。基質となるCO₂濃度が高ければ高いほど、この固定反応は進みやすくなります(ただし、後述する飽和点があります)。
できたPGAは、そのままでは糖として使えません。ここで、チラコイドの明反応で作られたエネルギー通貨であるATPと、還元力を持つNADPHが投入されます 。これらを使うことで、PGAは「グリセルアルデヒド3-リン酸(GAP / G3P)」という物質に変換(還元)されます。
このGAPこそが、光合成によって生み出された最初の「糖」の元となる物質です。GAPの一部はカルビン回路から抜け出し、ブドウ糖(グルコース)やデンプン、スクロース(ショ糖)へと合成され、植物の成長や果実の甘みとして蓄積されていきます 。
ここが非常に重要なポイントですが、作られたGAPのすべてが糖になるわけではありません。実は、大半のGAPは再び複雑な反応経路を経て、最初の出発物質であるRuBPに戻されます。この再生プロセスにもATPが使われます 。
なぜ戻す必要があるかというと、RuBPがなくなってしまうと、次のCO₂を取り込むことができなくなるからです。つまり、カルビン回路は「次のCO₂を受け入れる準備」を絶えず行いながら、余剰分を「収穫物(糖)」として排出しているシステムだと言えます。
この流れを見ると、カルビン回路を回すためには、CO₂だけでなく、明反応で作られるATPとNADPHが不可欠であることがわかります。つまり、いくらハウス内にCO₂を充満させても、光が不足してチラコイドでATPが作られなければ、還元や再生のステップで回路が渋滞し、光合成は止まってしまうのです 。
参考)生物部「光合成の炭酸固定反応(カルビン回路)」をくわしく解説…
「光とCO₂はセットで考える」という栽培の鉄則は、このカルビン回路とチラコイドの連携プレー(ATP供給と消費のバランス)に基づいています。曇天時にCO₂施用を止めるあるいは濃度を下げるのは、燃料の無駄遣いだからというだけでなく、光エネルギーの供給がない状態で無理に回路を回そうとしても、化学的に反応が進まないからなのです 。
参考)https://www.maff.go.jp/j/seisan/gizyutu/hukyu/h_zirei/brand/attach/pdf/201023_3-28.pdf
農業の世界では、作物を「C3植物」や「C4植物」に分類することがあります。この分類は、実はカルビン回路の使い方の違いに基づいています。
多くの主要作物がこれに含まれます。C3植物は、取り込んだCO₂を直接カルビン回路(ストロマ)に送り込み、ルビスコによって固定します。最初の生成物が炭素数3のPGAであるため、C3植物と呼ばれます 。
参考)https://www.jses-solar.jp/wp-content/uploads/journal252-pdf23-29.pdf
C3植物の特徴は、仕組みがシンプルであることですが、弱点もあります。それは、空気中のCO₂濃度が低い場合や高温乾燥時には、効率よくCO₂を捕まえられないことです。特に気孔を閉じ気味にする乾燥時は、カルビン回路へのCO₂供給が滞り、光合成速度が落ちやすくなります。
これらは熱帯起源のものが多く、高い光合成能力を持っています。C4植物は、カルビン回路を回す場所がC3植物とは少し異なります。葉肉細胞で一度CO₂を炭素数4の物質(オキサロ酢酸など)に固定し、それを維管束鞘細胞という別の場所に運んでからCO₂を放出し、そこで集中的にカルビン回路を回します 。
参考)http://cse.naro.affrc.go.jp/yyoshi/basicinfo.html
いわば「CO₂濃縮ポンプ」を持っているようなものです。これにより、ルビスコの周りのCO₂濃度を高く保つことができるため、高温や強い光、低CO₂濃度の環境下でも、カルビン回路をフル回転させることができます 。これが、トウモロコシなどが夏場に驚異的な成長スピードを見せる理由です。
農業現場での応用として、この違いは「管理の勘所」に直結します。
C3植物であるトマトやイチゴなどの施設栽培では、カルビン回路が直接外気(またはハウス内気)のCO₂濃度の影響を受けるため、CO₂施用(炭酸ガス施用)の効果が非常に高く現れます 。人為的に濃度を上げてやることで、C3植物の弱点である「CO₂を取り込む力の弱さ」を補い、収量を劇的に増やすことができるのです。
参考)https://www.hyogo-shunou.jp/pdf/guidebook/kankyouseigyogijyutu.pdf
一方、飼料用トウモロコシなどのC4植物は、自前で濃縮機能を持っているため、通常の栽培環境下ではCO₂施用の効果はC3植物ほど劇的ではありません(もちろんプラスにはなりますが)。その代わり、強い光と高い温度を好むため、遮光管理などはC3植物よりも慎重に行う必要があります。
自分の育てている作物が、カルビン回路をどう扱っているか(C3かC4か)を知ることは、環境制御の優先順位(CO₂を優先するか、光・温度を優先するか)を決めるための科学的な根拠となります。
現代の施設園芸(ハウス栽培)において、環境制御技術は目覚ましい進歩を遂げていますが、その中心にあるのは「いかにカルビン回路を止めずに回し続けるか」という思想です。収量を最大化するためには、カルビン回路の律速要因(ボトルネック)を取り除く必要があります 。
参考)https://shizuoka-agri-lab.amebaownd.com/posts/39874248/
カルビン回路の原料であるCO₂濃度を高めることは基本ですが、それだけでは不十分です。気孔が開いていなければCO₂はストロマまで到達しません。気孔の開閉には「飽差(空気の乾き具合)」が関わっています。
湿度が適切で飽差が最適範囲にあれば、気孔が開き、CO₂がスムーズに取り込まれます。しかし、乾燥しすぎると気孔が閉じ、いくらハウス内のCO₂濃度を高くしてもカルビン回路はストップしてしまいます。細霧冷房や加湿によって飽差を制御することは、物理的にCO₂の通り道を確保し、カルビン回路へ原料を送り込むために不可欠です 。
カルビン回路で作られた糖は、葉に溜まったままでは光合成のブレーキ(フィードバック阻害)となります。作られた糖を果実や根に運ぶ「転流」をスムーズにすることで、葉緑体内の糖濃度が下がり、カルビン回路は再び動き出します 。
参考)https://jgha.com/wp-content/uploads/2019/11/TM06-11-JISEDAI_text28.pdf
夜間の温度管理などは、この転流促進に関わります。また、日中の温度が高すぎると、後述する酵素の特性によりカルビン回路の効率が落ちるため、換気や遮光による適温維持が重要になります。
通常、光の強さがある一定を超えると、光合成速度は頭打ちになります(光飽和点)。これは、光エネルギー(チラコイドの仕事)に対して、カルビン回路(ストロマの仕事)の処理能力が追いつかなくなるためです 。
参考)光飽和点とは?光合成の仕組み・光補償点との違い・栽培での活用…
しかし、ここでCO₂濃度を高めてやると、カルビン回路の処理速度が上がり、光飽和点が上昇します。つまり、高CO₂環境下では、より強い光まで光合成に利用できるようになるのです。
「CO₂施用をしているから、少し強めの光でも大丈夫(むしろ必要)」という現場の感覚は、カルビン回路の処理能力を底上げしたことで、より多くの光エネルギーを受け止められるようになった状態と言えます。
このように、温度、湿度(飽差)、光、風(葉面境界層の破壊)といった環境制御のすべてのパラメータは、最終的に「ストロマの中でカルビン回路をスムーズに回す」という一点に集約されます。モニタリング装置の数値を見る際は、「今、葉っぱの中のストロマでは、ルビスコが元気に働けているかな?」と想像してみてください。数値の意味がより深く理解できるはずです。
最後に、検索上位の一般的な解説ではあまり深く触れられない、しかし農業における「高温対策」を理解する上で極めて重要な、カルビン回路の「ある欠陥」について解説します。それが「光呼吸」です 。
参考)https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fpls.2021.662425/pdf
実は、カルビン回路の主役である酵素ルビスコには、困った性質があります。それは、「二酸化炭素(CO₂)」だけでなく、「酸素(O₂)」とも結合してしまうという性質です。
本来、ルビスコはCO₂を捕まえて糖を作りたいのですが、間違ってO₂を捕まえてしまうことがあります。すると、糖が作られないどころか、せっかく作った有機物を分解してCO₂を放出するという、植物にとってエネルギーの無駄遣いのような反応が起きてしまいます。これが「光呼吸」です。呼吸といっても、通常の呼吸(エネルギーを生み出す反応)とは異なり、光合成の効率を著しく下げる反応です 。
参考)https://leaf-laboratory.com/blogs/media/glossary452
この光呼吸は、以下のような条件で頻発します。
温度が上がると、ルビスコはCO₂よりもO₂と仲良くなりやすい(親和性が変わる)性質があります 。
閉め切ったハウスで光合成が進みCO₂が枯渇した場合や、乾燥で気孔を閉じて葉の中のO₂濃度が上がった場合に起こります。
農業現場で「高温になると作物の太りが悪くなる」と言われる原因の一つは、単に呼吸消耗が増えるだけでなく、この光呼吸によってカルビン回路の効率が劇的に低下する(無駄なアイドリングをしている状態になる)からです。
C4植物が優れているのは、CO₂を濃縮することで、ルビスコの周りからO₂を排除し、この光呼吸を強制的に抑え込んでいる点にあります 。逆に言えば、C3植物であるトマトやキュウリ、ピーマンなどは、この欠陥を抱えたままです。
参考)車山高原レア・メモリーが語る『C3・CA・CAM植物』
だからこそ、夏場の施設園芸における「遮光」や「細霧冷房」による葉温の低下、そして換気によるCO₂供給は、単なる暑さ対策以上に、「ルビスコに酸素を掴ませない(光呼吸を減らす)」という化学的な意味で非常に重要なのです。また、最近の研究では、この光呼吸の経路を改良して、無駄を減らし収量をアップさせようとする「TaCo経路」のようなバイオテクノロジーの研究も進んでいます 。
参考)https://www.affrc.maff.go.jp/docs/innovate/attach/pdf/seika-15.pdf
「なぜ夏はハウスを開け放たないといけないのか?」「なぜCO₂施用が夏場でも(低濃度でも)有効と言われる場合があるのか?」
その答えは、ストロマの中で気難しい酵素ルビスコが、酸素の誘惑に負けないよう環境を整えてあげるため、と考えると納得がいきます。この「光呼吸」という概念を知っているだけで、高温期の管理に対する真剣度が変わってくるのではないでしょうか。
【農林水産省】施設園芸における環境制御技術とその活用事例(CO2施用と飽差管理の具体的データ)
【論文データ】主要作物20種のルビスコ特性と温度反応の違い(英語論文の概要)
【用語解説】光呼吸が植物に与える影響と農業における意味