きゅうり栽培において、果実の表面に白い粉(ブルーム)が付着しない「ブルームレスきゅうり」は、現在の市場流通の主流となっています。この現象を引き起こす鍵となるのが「ブルームレス台木」です。ブルームとは、本来きゅうりが乾燥や強い日差しから身を守るために分泌するケイ酸(二酸化ケイ素)の結晶です。しかし、消費者ニーズの変化により、このブルームを「農薬の付着」と誤解されることや、単純に「艶のある濃い緑色」が好まれるようになったことから、1980年代以降、ブルームレス化が急速に進みました。
ブルームレス台木を使用する最大のメリットは、圧倒的な商品価値の向上(外観品質)です。
従来の「自根きゅうり」や「ブルーム台木」を使用したきゅうりは、収穫後に果実を拭き上げる作業が必要な場合がありましたが、ブルームレス台木を使用することでその手間が省力化されます。また、果皮に光沢が出るため、店頭に並んだ際の見栄えが良く、高単価で取引されやすい傾向にあります。
この仕組みは、台木(主にかぼちゃの仲間であるCucurbita moschata種の一部)の根が持つ「ケイ素(Si)を吸収・輸送する能力の低さ」を利用しています。
植物生理学的な観点から見ると、通常のきゅうりや一般のカボチャ台木は、土壌中のケイ酸を根から積極的に吸収し、導管を通じて地上部へ運びます。運ばれたケイ酸は表皮細胞に沈着し、白い粉として析出します。しかし、ブルームレス台木はこの吸収メカニズム(特異的なトランスポーター)の働きが極めて弱いため、地上部にケイ素が運ばれず、結果としてブルームが発生しないのです。
参考リンク:【高知普及所】ブルームレスキュウリの誕生 - こうち農業ネット(ブルームレス台木の導入経緯と基本特性について)
さらに、近年の研究では、単にブルームが出ないだけでなく、台木の種類によって草勢の維持や耐暑性・耐寒性に違いがあることも分かってきています。生産者としては、単に「光沢が出る」という点だけでなく、自身の圃場の土壌条件や作型(促成、抑制、夏秋など)に合わせた台木の選定が、収量安定のための重要なファクターとなります。
ブルームレス台木の導入には明確なデメリットが存在します。それは「病害耐性の低下」です。特に顕著なのが「うどんこ病」に対する感受性の高まりです。
ケイ素は植物にとって「鎧」のような役割を果たします。植物が根から吸収したケイ素は、葉や茎の表皮細胞の細胞壁に沈着し、「クチクラ・シリカ二重層」という強固な物理的障壁を形成します。これにより、うどんこ病菌などの糸状菌が細胞内に侵入するのを物理的に防ぐ効果があります。
しかし、ブルームレス台木を使用すると、前述の通りケイ素の吸収が抑制されるため、このシリカ層が形成されません。その結果、きゅうりの葉は防御力が極端に低い状態となり、うどんこ病菌の菌糸が容易に侵入・定着してしまいます。
このため、ブルームレス台木を使用する際は、従来の栽培体系よりも厳密な防除暦(スプレープログラム)を組む必要があります。
具体的には、発病前からの予防的な殺菌剤散布が不可欠です。また、うどんこ病だけでなく、褐斑病やべと病など、他のカビ由来の病害に対しても抵抗力が落ちる傾向があるため、複合的な病害対策が求められます。
参考リンク:タキイ種苗 栽培時期と病害対策(台木品種によるうどんこ病耐性の違いと対策)
対策としては、薬剤防除だけでなく、耕種的な防除も重要です。窒素過多は植物体を軟弱にし、さらに病害リスクを高めるため、施肥設計を見直す必要があります。また、湿度管理や換気を徹底し、菌が繁殖しにくい環境を作ることも、防御力の低いブルームレスきゅうり栽培では死活問題となります。
ブルームレス台木を利用した接ぎ木栽培において、最も神経を使うべきポイントが「穂木(きゅうり品種)との親和性」と「台木品種の特性理解」です。
すべてのきゅうり品種が、すべてのブルームレス台木と相性が良いわけではありません。相性が悪い組み合わせで接ぎ木を行うと、「接ぎ木不親和」を起こし、活着率の低下や、定植後の萎れ、さらには「急性萎凋症」のような突然の枯死を招くリスクがあります。
一般的に、ブルームレス台木として利用されるのはカボチャ(Cucurbita moschata)の改良品種ですが、これらは「輝(かがやき)」「ゆうゆう」「ひかり」といった商品名で各種苗会社から販売されています。
台木品種を選ぶ際の比較軸は以下の通りです。
長期栽培(促成・半促成)では、栽培後半までスタミナが維持できる草勢の強い台木が選ばれます。一方、短期の夏秋栽培では、初期生育が早すぎない中程度の草勢のものが扱いやすい場合があります。
地温が低い時期の定植には、低温伸長性の高い台木が必要です。ブルームレス台木は一般的に、通常のカボチャ台木に比べて低温伸長性がやや劣る品種もあるため、厳寒期の栽培では地温確保の対策(電熱線やマルチング)とセットで考える必要があります。
自家生産苗(自家接ぎ)を行う農家にとっては、胚軸の太さが揃いやすく、空洞化しにくい品種が好まれます。特に「呼び接ぎ」や「断根挿し接ぎ」など、採用している接ぎ木方法に適した胚軸特性を持つ台木を選ぶことが、活着率向上の第一歩です。
また、近年では「全天候型」を謳う台木も登場しており、低温・高温の両方に対応できる品種も増えていますが、地域の土壌病害(フザリウム等)への抵抗性も併せて確認する必要があります。種苗メーカーのカタログスペックだけでなく、地域の普及センターやJAの営農指導員から、その地域の土質に合った実績のある組み合わせ情報を入手することが推奨されます。
参考リンク:施設園芸.com 台木におすすめの種類と選び方(きゅうり台木の特性と接ぎ木の基本)
| 比較項目 | 選定のポイント | 注意点 |
|---|---|---|
| 親和性 | 穂木品種との相性確認 | 萎凋や生育不良の原因となるため、メーカー推奨を確認する。 |
| 環境適応 | 耐寒性・耐暑性 | 作型(抑制・促成)に合わせた温度適応性を持つか。 |
| 土壌病害 | つる割病等の抵抗性 | 接ぎ木の主目的である土壌病害回避能力は維持されているか。 |
ブルームレス台木の研究において、検索上位の記事ではあまり触れられない、しかし栽培現場で無視できない重要な視点が「ケイ素吸収抑制が引き起こす生理障害とミネラルバランスの崩壊」です。
多くの記事で「うどんこ病に弱くなる」ことまでは言及されますが、実はケイ素の吸収抑制は、植物体内のマンガン(Mn)過剰症を引き起こすリスクを高めることが知られています。
植物生理学において、ケイ素はマンガンの分布を均一化し、特定部位への過剰な蓄積を防ぐ(毒性を軽減する)働きがあります。しかし、ブルームレス台木を使用すると、植物体内に取り込まれるケイ素が極端に減少するため、この「マンガン解毒作用」が機能しなくなります。
その結果、土壌中にマンガンが多く含まれる圃場や、土壌pHが低くマンガンが溶け出しやすい環境(特に蒸気消毒後の土壌など)では、きゅうりの葉に褐色の斑点が出たり、葉縁が枯れ込んだりする「マンガン過剰症状」が発生しやすくなります。これを病気(褐斑病など)と誤診して殺菌剤を散布しても効果がなく、原因不明の生育不良として処理されてしまうケースが少なくありません。
参考リンク:AgriKnowledge ブルームレス台キュウリにおけるケイ酸の吸収特異性とマンガン過剰症(研究論文データベース)
さらに、ケイ素不足は「蒸散ストレス」への耐性も低下させます。
ケイ素は表皮細胞のクチクラ層を強化し、過度な蒸散を抑制する役割も担っています。ブルームレスきゅうりは、見た目はワックス質で光沢があり、水分を保持していそうに見えますが、微細構造レベルではクチクラ層が未発達であるため、収穫後の管理状態によっては、意外にも水分損失が早い場合があります(※果皮自体は硬化しているため物理的強度はありますが、生理的な保水機能とは別問題です)。