健全に見える親株が実は感染源になります
イチゴ炭疽病の原因となる病原菌は、Colletotrichum fructicolaやGlomerella cingulataなどの糸状菌、いわゆるカビの一種です。この病原菌は高温多湿を好み、特に6月から9月のイチゴ育苗期に発生が集中します。発病適温は25~30℃程度で、28℃以上になると萎凋や枯死が激しく発生することが知られています。過湿環境においては20℃程度でも発病する可能性があるため、梅雨時期から夏場にかけては特に注意が必要です。
この病原菌の最も厄介な特性が「潜伏感染」です。潜伏感染とは、病原菌が植物体内に侵入して感染しているにもかかわらず、外見上は何の症状も現れない状態を指します。イチゴの場合、10月以降の気温低下とともに症状が一旦現れなくなり、苗のクラウンや葉で潜伏状態に入ります。驚くべきことに、潜伏した炭疽病菌は氷点下の環境でもイチゴ苗に感染したまま越冬する能力を持っているのです。
つまり健康そうに見える苗ですね。
そして春になり気温が上昇すると、潜伏していた病原菌が再び活動を開始し、突然症状が激化します。この潜伏感染という特性こそが、イチゴ炭疽病の被害を拡大させる最大の要因となっています。見た目では判断できないため、知らず知らずのうちに感染苗を育苗圃や本圃に持ち込んでしまい、そこから一気に被害が広がるケースが非常に多いのです。
病原菌の種類によっても生育適温や病原性に違いがあります。Glomerella cingulataの生育適温は28~32℃、Colletotrichum acutatumは22~25℃とされており、それぞれ引き起こす症状のパターンも異なります。前者は主に萎凋症状を、後者は葉枯症状を引き起こす傾向があります。どちらの菌も最終的には株全体を枯死させてしまうため、いずれにせよ深刻な被害をもたらします。
発病リスクを下げるには、まず病原菌の生態を理解することが基本です。高温多湿条件を避けるための環境管理、潜伏感染株を持ち込まないための検査体制の構築が、効果的な防除の第一歩となります。
気づいた時にはもう遅い!潜伏感染するイチゴ炭疽病菌(iPLANT)
潜伏感染のメカニズムと越冬の詳細について解説されています。
イチゴ炭疽病の症状は発生部位によって異なる様相を呈します。育苗期の苗では、葉、葉柄、ランナー、クラウンなどあらゆる部位に発病が見られます。初期症状として最も特徴的なのは、葉に現れる墨を一滴落としたような直径1~2mmの薄墨色の斑点です。この小さな斑点が炭疽病発見の重要なサインとなります。
葉柄やランナーでの症状はより顕著です。3~7mm程度の黒色で浅くへこんだ紡錘形の病斑が形成されます。この病斑は表面がやや陥没しているのが特徴で、病斑が拡大するとその先端部分が萎れて枯死します。多湿条件下では、病斑部にサーモンピンク色(鮭肉色)の粘液状または粉状の胞子塊が現れることがあり、これは他の病害との明確な識別点となります。
胞子塊が見えたら要注意ですね。
クラウン部が侵されると、より深刻な全身症状へと進行します。クラウンを縦に切断すると、外側から内部に向かって褐変・腐敗が進んでいる様子が確認できます。この段階に達すると、株の生育が著しく抑制され、新葉のつやがなくなり、やがて全身的な萎凋症状を経て株全体が枯死に至ります。高温下では急速に萎れるため、朝は元気だった株が夕方には完全に枯れてしまうこともあります。
本圃での症状は育苗期とは異なる様相を示します。定植後から年内にかけて、施設を保温・加温するため、主に萎凋症状として現れるケースが多くなります。突然株がぐったりと萎れ、あっという間に枯死してしまうため、生産者にとっては非常に衝撃的な被害となります。果実にも発生する場合があり、円形で陥没した黒色の病斑が現れます。
症状の見分け方で重要なのは、他の病害との区別です。炭疽病と混同されやすいのが疫病や萎黄病ですが、炭疽病の場合は特徴的な陥没した黒色病斑とサーモンピンク色の胞子塊が識別ポイントとなります。また、厳寒期に寒さと乾燥で株が凍結して枯れる「凍害」とも区別する必要があります。凍害の場合はクラウン部の中心部分が黒く変色しますが、病気ではないため、春になれば回復する可能性があります。
早期発見には日々の観察が欠かせません。特に梅雨明けから8月にかけての高温多湿期は、毎日育苗圃を巡回し、葉や葉柄に小さな斑点が現れていないかチェックする習慣をつけることが重要です。わずかな異変を見逃さない観察眼が、被害の拡大を防ぐ鍵となります。
イチゴ炭疽病の感染経路は複数存在し、それぞれが被害拡大に深く関わっています。最も重要な第一次伝染源となるのは、潜伏感染した親株です。栄養繁殖性のイチゴでは、冬に休眠打破のため低温処理を行った親苗が流通する際、この潜伏感染株が知らず知らずのうちに各地の育苗圃に持ち込まれ、そこから発生が広がるパターンが非常に多いのです。
健全に見える親株ということですね。
二次伝染の主要ルートは水滴による伝搬です。発病した株の病斑上には大量の分生子(胞子)が形成されます。そこに雨や頭上かん水などの水滴が当たると、その跳ね返りによって胞子が周辺の苗に飛散し、次々と感染が広がります。特にスプリンクラーなどで頭上から灌水を行うと飛沫が飛びやすく、罹病株から胞子が飛散して感染が急速に拡大します。強い風雨の際には、分生子が3m以上飛散することも確認されており、育苗圃内での蔓延速度は非常に速いと言えます。
さらに近年の研究で明らかになった意外な感染源が、育苗圃周辺の雑草です。イチゴ炭疽病菌はイヌビユ、セイタカアワダチソウ、メヒシバ、ヒメジョオン、ノゲシなどの畑地雑草にも感染することが確認されています。このうち発病するのはイヌビユのみで褐点症状を呈しますが、その他の雑草では潜伏感染します。通常、潜伏感染した雑草からはほとんど胞子が形成されないため感染リスクは低いのですが、問題は除草剤を処理して雑草を枯らした場合です。
枯れた雑草から病原菌が活性化します。
潜伏していた炭疽病菌は枯れた雑草から栄養分を摂取して活動が活発になり、一転して大量の胞子を形成します。その結果、潜伏感染していた雑草からイチゴへ胞子が飛散して発病するのです。このように炭疽病菌は、自己の生存のために巧妙に宿主を乗り替える戦略を持っています。毎年炭疽病で困っている圃場では、除草剤を使わず防草シートの設置で被害を軽減できる可能性があります。
さらに注目すべき伝染経路が空気伝染です。Glomerella cingulataは子のう胞子により空気伝染することが明らかになっています。子のう殻(子のう胞子を内包する構造)は育苗期を通じて枯死株などに形成され、子のう胞子が降雨直後を中心に数ヶ月にわたって飛散します。つまり水滴伝搬だけでなく、風によっても病原菌が運ばれる可能性があるのです。
土壌や資材への付着も見逃せない感染源となります。前作の発病残渣が土壌表面に残っていると、そこから胞子が飛散して伝染します。育苗ポット、育苗トレー、支柱などの資材に付着した病原菌も、翌年の伝染源となり得ます。そのため栽培終了後の残渣処理の徹底と、資材の消毒が重要な防除対策となります。
子のう胞子によるイチゴ炭疽病の空気伝染(農研機構)
空気伝染のメカニズムと子のう胞子の飛散パターンについて詳しく解説されています。
イチゴ炭疽病の防除で最も重要なのは、病原菌を圃場に持ち込まないことです。
そのための第一歩が、親株の感染検査です。
潜伏感染株を検出する方法として、エタノール簡易浸漬法が実用化されています。この方法は、イチゴ葉を70%エタノールに浸漬処理した後、高湿度条件下で保管することで、潜伏していた病原菌による病斑形成を促進し、肉眼で胞子塊を観察できるようにする技術です。判定には約3週間かかりますが、植物医師など培養設備を持っている環境があれば実施可能です。
さらに簡便化された検査法も開発されており、生産者自身でも確認できるようになってきました。具体的には、イチゴ葉にエタノールを噴霧し、ビニール袋で保管する方法です。これにより使用するエタノール量を大幅に削減でき、処理時間も短縮できます。またPCR法を用いた高感度検査も可能で、より迅速かつ確実な検定ができます。親株を購入する場合には、購入先のイチゴ苗の栽培管理や検査の状況を確認することをお勧めします。
検査体制が整備できたら安心ですね。
栽培管理の工夫による防除も非常に効果的です。
最も重要なのが灌水方法の改善です。
頭上かん水は水滴の跳ね返りによる胞子の飛散を招くため、できる限り避けるべきです。代わりに底面給水、点滴灌水、流水育苗ポット台などの利用が推奨されます。底面給水では、ポット底面からの給水となるため葉に水分が付着せず、点滴灌水と同様に炭疽病予防に効果があります。実際に山梨県の研究では、灌水方法を頭上灌水から底面給水に変えることで、雨よけがない場合でも育苗時の潜在感染株および定植後の枯死株の発生を軽減できることが確認されています。
雨よけ育苗も基本的な対策です。露地育苗では降雨による水滴伝搬が避けられないため、簡易な雨よけハウスや透明ビニールシートの設置が有効です。ピッチ幅の短い(5cm程度)灌水チューブを活用した点滴灌水法は、県内で広く採用されているポット育苗の圃場にも追加で導入しやすく、普及が進んでいます。
薬剤散布も防除の重要な柱ですが、感染後に殺菌剤を処理しても効果が劣るため、予防散布が基本となります。プロピネブ水和剤やマンゼブ水和剤などの保護殺菌剤による予防散布が推奨されます。発病適温となる6月上旬から防除を開始し、高温多湿となる7月下旬以降は特に注意が必要です。薬剤はRACコードの異なる登録農薬をローテーション散布することで、薬剤耐性菌の出現を防ぐことができます。
もし発病株が確認された場合の対応も重要です。発病苗だけでなく周辺株も含めて廃棄し、二次伝染を防ぎます。発病が広範囲に及んでいる場合には、栽培終了まで廃棄する部分を苗ごとビニールシートで覆っておくと、廃棄作業による病気の蔓延も防ぐことができます。発病株の処理では、肥料袋などに密閉して圃場から持ち出し、圃場外で処分することが望まれます。
残渣処理と土壌消毒も翌年の発生を抑えるために不可欠です。栽培終了後は発病残渣を徹底的に除去し、太陽熱消毒などにより感染が持ち越されないようにします。育苗ポットや育苗トレーなどの資材も消毒または新しいものに交換することで、伝染源を断つことができます。
底面給水と株元灌水を用いた育苗におけるイチゴ炭疽病防除効果(福島県)
各種灌水方法の炭疽病防除効果について詳細な試験結果が示されています。
イチゴ炭疽病の発生しやすさは品種間で大きな差があります。現在栽培されている主要品種の多くは、食味や収量性を重視して育成されているため、病気に対する耐病性がやや犠牲になっているケースが少なくありません。例えば「とちおとめ」は収量性が高く安定していますが、炭疽病に対する特別な耐病性は持っていません。同様に「さちのか」「こいのか」「まりひめ」なども炭疽病に弱い品種として知られています。
一方で、炭疽病に対する耐病性を持つ品種も育成されています。代表的なのが「かおり野」で、炭疽病抵抗性を持ちながら、普通促成栽培で11月下旬から収穫が可能な極早生品種です。生育が旺盛で収量が多い上、果実が大きく、高糖度かつ低酸度の良食味を持つため、品質と耐病性を両立した優れた品種と言えます。栃木県で育成された「いちご中間母本農2号」も高度な炭疽病耐病性を持つ品種として知られています。
品種選択が栽培の成否を分けます。
耐病性品種における病原菌への抵抗メカニズムは、感受性品種と比較してPR(病原関連)タンパク質遺伝子がより早く、より強く発現上昇することが研究で明らかになっています。つまり病原菌が侵入してきた際に、耐病性品種では速やかに防御反応が起動し、病原菌の増殖を抑え込むことができるのです。ただし「耐病性」は「完全に病気にならない」という意味ではありません。栽培方法や環境条件が悪ければ、耐病性品種でも感染する恐れがあることを理解しておく必要があります。
品種選択の際には、地域の気候条件や栽培体系も考慮する必要があります。炭疽病の発生が常態化している地域では、まず耐病性品種の導入を検討すべきです。一方で、比較的発生が少ない地域や、徹底した防除体系が確立している経営体では、食味や収量性を優先した品種選択も可能です。重要なのは、選択した品種の特性を理解し、その弱点を補う栽培管理を実践することです。
最近では、各都道府県の農業試験場で地域に適した耐病性品種の育成が進められています。例えば和歌山県では炭疽病に強い新品種の育成に取り組んでおり、対照品種として「かおり野」(耐病性強)、「とよのか」(中程度)、「さちのか」「こいのか」「まりひめ」(弱い)を用いた評価が行われています。自分の地域でどのような品種が育成・推奨されているか、普及センターや試験場に相談することをお勧めします。
品種と防除技術を組み合わせることで、より確実な炭疽病対策が実現します。耐病性品種を選択した上で、適切な灌水方法、予防的な薬剤散布、親株の検査などを組み合わせることで、被害を最小限に抑えることが可能です。品種選択は防除の第一歩であり、総合的な病害管理戦略の基盤となります。
イチゴ炭疽病の防除技術は近年大きく進歩しており、生産現場でも活用できる新しい技術が続々と開発されています。その一つが次亜塩素酸水やオゾン水を用いた頭上かん水による発病抑制技術です。奈良県の研究では、次亜塩素酸水とオゾン水の処理が既存のスプリンクラーかん水によって実施でき、イチゴ炭疽病の発病抑制に有効であることが実証されています。省力的に殺菌効果のある水を散布できるため、労働負担を増やさずに防除効果を高められる画期的な方法です。
流水育苗ポット台も注目される技術です。これは降雨やスプリンクラー散水時の水滴飛散が原因で病気が拡大する炭疽病の拡大防止を目的として開発されたもので、特許も取得されています。同量の水を用いてかん水した場合、かん水10分間の育苗ポットへの流入量は平均198mlで、頭上かん水の約10倍となり、かん水量を10分の1に節水できます。水滴の跳ね返りがないため、炭疽病の伝染リスクを大幅に低減できます。
節水と防除を両立できる技術です。
ノンシャワー育苗という概念も普及しつつあります。これは文字通り、頭上からの散水(シャワー)を一切行わない育苗方法で、底面給水や点滴灌水のみで育苗を行います。岐阜県の事例では、防草シートの上に点滴灌水チューブを設置して給水する方法が紹介されており、灌水は頭上からでなく底面から給水させるため炭疽病の発生がほとんど見られないと報告されています。初期投資は必要ですが、長期的には薬剤費の削減や廃棄苗の減少により、経済的メリットも大きいと考えられます。
リアルタイムPCR法を用いた高感度検定技術も実用化段階に入っています。これまでのエタノール浸漬法やPCR法と比較して、リアルタイムPCR法では従来法よりも迅速かつ高感度に潜在感染株の検定が可能です。検査時間が大幅に短縮されるため、親株選抜の効率が向上し、より確実に健全苗を確保できるようになります。今後、検査コストが下がれば、生産現場でも広く利用されるようになるでしょう。
イチゴ小葉を用いた病原性判定法も開発されています。エタノール浸漬法では感染している菌株が強病原性菌株でも弱病原性菌株でも、同様に炭疽病陽性と判定されてしまいます。しかし新しい判定法では、病原性の強さを評価できるため、実際の被害リスクをより正確に予測できます。弱病原性菌株に感染している場合は、適切な管理下であれば栽培継続も選択肢となり得ます。
これらの新技術を導入する際には、自分の経営規模や栽培体系に合ったものを選択することが重要です。大規模経営では流水育苗ポット台のような設備投資型の技術が有効ですが、小規模経営では底面給水マットのような低コストな方法から始めるのが現実的でしょう。最新技術の情報は、各都道府県の農業試験場や普及センターから入手できるため、定期的に相談することをお勧めします。
イチゴ炭疽病の伝染様式の解明と診断・防除技術の確立(奈良県立大学)
次亜塩素酸水やオゾン水を用いた新しい防除技術について詳細な研究結果が記載されています。