バチルス菌資材は、単なる「良い菌」という曖昧な存在ではなく、科学的に解明された複数のメカニズムで作物を守り、土壌環境を劇的に改善する力を持っています。農業現場で「納豆菌の仲間」として親しまれるバチルス属菌(Bacillus spp.)ですが、その働きは非常に攻撃的かつ戦略的です。
まず理解すべきは「拮抗作用(アンタゴニズム)」と呼ばれるメカニズムです。バチルス菌は土壌に投入されると、爆発的なスピードで増殖し、病原菌が利用するはずだった「餌(栄養)」と「住処(空間)」を先に占領してしまいます。これを「競合」と呼びます。病原菌が入り込む隙間を物理的に無くしてしまうのです。特に、植物の根の周り(根圏)にバイオフィルムというバリアを形成する能力が高く、これが病原菌の侵入を防ぐ盾となります。
さらに、バチルス菌の多くは、抗菌物質(抗生物質)を生産します。代表的な物質として「イチリン」や「サーファクチン」といった環状リポペプチドがあります。これらは、フザリウム菌やリゾクトニア菌といった主要な土壌病害菌の細胞膜を破壊し、直接的に攻撃して死滅させる、あるいは活動を停止させる力を持っています。
また、土壌改良の側面では、バチルス菌が分泌する強力な分解酵素(アミラーゼやプロテアーゼ)が大きな役割を果たします。これらは、土壌に残った前作の残渣や、未熟な有機物を急速に分解します。未熟な有機物が土壌にあると、腐敗してガスが発生したり、病原菌の温床になったりしますが、バチルス菌はこれをアミノ酸やミネラルといった植物が吸収しやすい栄養素へと変換してしまうのです。
Bacillus spp. as Bioagents (NCBI) - バチルス属菌が抗菌物質や酵素を分泌し、病原菌に対抗する詳細なメカニズムについての学術論文
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC9775066/
ホームセンターや資材店には数多くのバチルス菌資材が並んでいますが、ラベルのどこを見て選べばよいのでしょうか。最も重要なのは、「菌の種類(菌株)」と「菌の密度(保証菌数)」です。
「バチルス菌」というのは大きなグループの名前であり、その中には性格の異なる様々な菌が存在します。農業で主に使用されるのは、以下の2種類が代表的です。
| 菌の種類 | 学名 (Bacillus ...) | 特徴と得意分野 |
|---|---|---|
| 枯草菌(こそうきん) | B. subtilis | 最も一般的。有機物の分解能力が高く、広範囲の病害予防に利用される。納豆菌もこの亜種。繁殖スピードが速い。 |
| バチルス・アミロリクイファシエンス | B. amyloliquefaciens | 近年注目されている種類。抗菌物質の生産能力が非常に高く、うどんこ病や炭疽病などの植物病害に対する防除効果が強いとされる。 |
資材を選ぶ際は、単に「バチルス菌配合」と書かれているだけでなく、目的(有機物分解なのか、病気予防なのか)に合わせて菌種を確認することをおすすめします。病害予防を強く意識するなら、アミロリクイファシエンス種が含まれている資材が有利な場合があります。
次に「菌数」のチェックです。資材のパッケージには「1gあたり10億個(1.0×10^9 CFU/g)」といった表記があります。土壌に投入した後、バチルス菌が定着して効果を発揮するには、土壌1gあたり1000万個~1億個程度の密度が必要と言われています。元々の菌数が少ない資材や、製造から時間が経って菌が死滅している資材では、投入しても土着の微生物に負けてしまいます。できるだけ高濃度の資材を選び、製造日が新しいものを購入するのが鉄則です。
また、資材の形状(粉剤、粒剤、液剤)も選び方のポイントです。
農研機構・東京農工大の研究成果 - バチルス微生物資材を用いたイネの増収効果と発根促進に関する報告書
参考)https://www.naro.go.jp/laboratory/brain/h27kakushin/chiiki/result/files/chiiki_2020_result-c204-y02.pdf
どんなに優れた資材でも、使い方を間違えれば効果はゼロ、あるいはマイナスになります。バチルス菌資材を最大限に活かすための「環境作り」と「禁止事項」を押さえましょう。
まず、バチルス菌が活発に動くための「温度」と「水分」が不可欠です。バチルス菌の多くは、地温が15℃~20℃以上になると活発に増殖を始めます。厳寒期に投入しても、菌は「胞子(休眠状態)」のままで動かないことが多いです。春の定植前など、地温が上がってくるタイミングでの施用がベストです。また、土がカラカラに乾燥していると菌は活動できません。施用後は適度な水分状態(圃場容水量60%程度)を保つことが、定着の鍵となります。
次に、「餌(エサ)」の同時投入です。バチルス菌資材の多くは、菌が胞子の状態で入っています。これが土の中で目を覚まし、爆発的に増えるためには、炭素源となる有機物が必要です。
これらを一緒にすき込むことで、バチルス菌はそれを餌にして一気に増殖し、土壌の優占種となります。特に米ぬかとの相性は抜群です。
最も注意が必要なのが、化学農薬(特に殺菌剤)との併用です。
「病気を治したいから、殺菌剤とバチルス菌を混ぜて撒けば最強では?」と考える方がいますが、これは大きな間違いです。多くの土壌殺菌剤(クロルピクリンなど)や抗生物質剤は、悪い菌だけでなく、せっかく入れたバチルス菌も殺してしまいます。
ただし、一部の殺菌剤(特定のカビのみをターゲットにするものなど)とは併用可能なケースもありますが、メーカーの「混用事例」を必ず確認してください。自己判断での混合は、資材の無駄遣いになるリスクが高いです。
液体資材の混合について - 殺菌剤と微生物資材の混合リスクや、正しい散布間隔についてのQ&A
参考)[124]読者Q&A『液体資材の混合について』
連作障害に悩む農家にとって、バチルス菌資材は強力な武器となります。連作障害の主な原因の一つは、特定の作物を植え続けることで、その作物を好む特定の病原菌(フザリウムやラルストニアなど)が土の中で増えすぎてしまうことです。
通常、これをリセットするために土壌消毒を行いますが、消毒後の土は「無菌状態」に近くなります。実は、ここが一番危険なタイミングです。無菌の土は、言わば「早い者勝ち」の空き地。ここに空気中や残渣から病原菌が舞い戻ると、競合相手がいないため、以前よりも酷い病害が発生することがあります(リバウンド現象)。
ここでバチルス菌資材の出番です。土壌消毒(太陽熱消毒や還元消毒など)が終わった直後のタイミングで、バチルス菌資材を投入します。
この手法は、特に有機栽培や減農薬栽培を目指す圃場で極めて有効です。化学農薬に頼らずとも、微生物のバランス(菌相)をコントロールすることで、病気が出にくい土を作り上げることができます。
また、バチルス菌は一部のセンチュウ(線虫)対策にも寄与するという報告があります。一部のバチルス菌は、センチュウの卵や幼虫を攻撃する酵素を出したり、センチュウが嫌うガスを発生させたりして、密度を抑制します。ネコブセンチュウ被害が多い圃場では、センチュウ対抗性を持つことが確認されているバチルス資材(パスツーリア菌など近縁種を含む)を選ぶのも一つの手です。
連作障害の原因と対策 - 土壌微生物のバランス崩壊が引き起こす問題と、その解決策としての微生物利用
参考)連作障害対策で土壌改良するおすすめの方法は?メリットやおすす…
上級者向けの情報として、バチルス菌単体ではなく、他の有用微生物と組み合わせる「カクテル利用」について解説します。検索上位の記事ではあまり触れられていませんが、微生物資材は組み合わせることで、互いの弱点を補い合うことが可能です。
特におすすめなのが、トリコデルマ菌との併用です。
この2つは、互いに激しく殺し合うことが少なく(菌株によりますが)、住み分けや共存がしやすい組み合わせとして知られています。バチルス菌が即効性を持って初期ガードを行い、トリコデルマ菌が時間をかけて土壌全体の有機物を分解し、病原菌を探索・捕食するという「ダブルガード」体制を築くことができます。
また、菌根菌(アーバスキュラー菌根菌)との相性も悪くありません。菌根菌は植物の根に入り込んでリン酸を集めますが、バチルス菌が土壌中の不溶性リン酸を溶かして可溶化することで、菌根菌がそれを吸収しやすくなるという相乗効果(シナジー)が期待できます。
併用時の注意点:
微生物資材同士を混ぜる際は、同時にタンクに入れて長時間放置しないことです。散布直前に混ぜるか、あるいは別々のタイミングで施用するのが無難です。また、乳酸菌資材など酸性が強い資材と混ぜると、バチルス菌の活性が落ちる場合があるため、pHには注意が必要です。
「バチルス菌資材」は、ただ撒けば良い魔法の粉ではありません。しかし、そのメカニズムを理解し、適切なタイミングと組み合わせで使えば、化学農薬や化学肥料の使用量を減らしながら、驚くほど健全な作物を育てることが可能になります。まずは圃場の一部で試験的に導入し、その効果を実感してみてください。
微生物資材の混合適用表 - バチルス菌、トリコデルマ、菌根菌などの混用可否に関する実用的なデータ
参考)https://sunbiotic.com/wp-content/uploads/2023/11/Mixed-application-table.pdf