「物が腐る」という現象は、科学的に言えば微生物が有機物を分解し、人間に有害な物質や悪臭を生み出すプロセスを指します。つまり、理論上、この腐敗を引き起こす「微生物(細菌、カビ、酵母など)」が一切存在しない無菌状態であれば、食品や有機物が腐敗することはあり得ません。
この事実は、19世紀にフランスの細菌学者ルイ・パスツールによって証明されました。彼は「白鳥の首フラスコ」と呼ばれる特殊な形状のガラス容器を用いた実験で、煮沸して無菌状態にした肉汁が、空気中の微生物が侵入しない限り、長期間腐敗しないことを示しました。これは当時の「生物自然発生説(生命は親なしに物質から忽然と湧いて出るという説)」を否定し、腐敗には必ず微生物の介在が必要であることを決定づけた歴史的な実験です。
しかし、農業や食品加工の現場で「完全な無菌状態」を作り出すことは極めて困難です。私たちが普段「腐った」と判断するのは、微生物が増殖してタンパク質を分解し、アンモニアや硫化水素といった悪臭物質を生成した時です。一方で、同じ微生物による分解でも、人間にとって有益な物質(アルコールや乳酸など)が生成される場合は「発酵」と呼ばれます。現象自体は同じ微生物の働きですが、人間にとっての価値によって呼び方が変わるのです。
無菌状態であれば、これらの微生物による分解プロセスが物理的にスタートしません。したがって、カビが生えることも、ドロドロに溶けて異臭を放つこともありません。缶詰やレトルトパウチ食品が常温で何年も保存できるのは、容器内を加圧加熱殺菌して完全な無菌状態(商業的無菌)にし、外部からの菌の侵入を遮断しているからです。
参考リンク:公益社団法人 日本生物工学会による殺菌と微生物制御の基礎解説。
インターネット上では長年、「マクドナルドのハンバーガーは何年放置しても腐らない、だから大量の防腐剤が入っているに違いない」という都市伝説がまことしやかに語られてきました。画像検索をすれば、購入してから10年以上経過してもカビが生えず、形を保ったままのハンバーガーの写真を見ることができます。
しかし、これは「強力な防腐剤のおかげ」というのは嘘であり、科学的な誤解です。最大の理由は、先ほど触れた微生物の繁殖条件の一つである「水分」にあります。正確には「自由水」と呼ばれる、微生物が利用可能な水分が極端に少ない状態になっていることが原因です。
マクドナルドのハンバーガー(特に薄いパティとバンズのもの)は、表面積が大きく厚みがありません。これを湿度の低い環境に放置すると、腐敗菌が繁殖して分解を始めるスピードよりも早く、食品中の水分が蒸発してしまいます。結果として、ハンバーガーは「腐る」のではなく「乾燥して干物(ミイラ)になった」状態になります。カビや腐敗菌も生物ですから、水分がなければ生きられず、繁殖もできません。
これは、スルメやビーフジャーキーが保存料なしでも腐らないのと同じ理屈です。家庭で作ったハンバーガーであっても、同じように薄く作り、水分を飛ばして乾燥した環境に置けば、同様に腐らずに乾燥します。逆に、密閉容器に入れて水分を逃さないようにすれば、マクドナルドのハンバーガーであっても数日でカビだらけになり、盛大に腐敗します。つまり、腐らないのは「無菌状態」だからでも「防腐剤」のおかげでもなく、「急速な乾燥」による微生物の活動停止が正体です。
参考リンク:水分活性と食品の腐敗についての専門的な解説記事。
都市伝説「マックのハンバーガーは腐らない」は本当か? その科学的根拠
では、完全な無菌状態であれば、食品は「永遠に」変化しないのでしょうか?答えはNOです。たとえ微生物がゼロであっても、食品の品質は化学反応によって劣化していきます。その代表的なものが酸化と酵素による反応です。
酸化は、食品中の油脂成分が空気中の酸素と結合して変質する現象です。微生物がいなくても、酸素がある限り酸化は進行します。例えば、無菌状態の揚げ物を放置すれば、油は酸化して過酸化脂質となり、独特の不快な臭い(酸化臭)を放つようになります。これを「酸敗」と呼びますが、菌による「腐敗」とはメカニズムが異なります。また、ビタミンCなどの栄養素も酸化によって破壊され、色は茶色く変色していきます。
また、食品自体に含まれる酵素の働きも見逃せません。野菜や果物は、収穫後も自身の持つ酵素によって呼吸や代謝を続けています。例えば、リンゴを切って放置すると断面が茶色くなるのは、リンゴに含まれるポリフェノール酸化酵素が酸素と反応してメラニン色素を作るためです。この反応は菌がいなくても起こります。
冷凍庫で保存している肉や魚が、凍ったままでも徐々に味が落ちたり「冷凍焼け」を起こしたりするのも、低温下でゆっくりと進む乾燥と酸化が原因です。つまり、「腐らない(腐敗しない)」ことと、「品質が変わらない(劣化しない)」ことは全く別の問題です。農業従事者が加工品を作る際、「殺菌したから大丈夫」と過信せず、脱酸素剤を使用したり、光を遮断したりして酸化を防ぐ対策が必要なのはこのためです。
参考リンク:食品の変色や酸化の原因と防止方法に関する技術解説。
微生物が繁殖できない環境を作るためには、必ずしも高温で殺菌して無菌にする必要はありません。農業や食品加工の知恵として古くから利用されてきたのが、水分活性(Aw: Water Activity)の制御です。
水分には、食品の成分と結合している「結合水」と、自由に動き回れる「自由水」の2種類があります。微生物が繁殖に利用できるのはこの「自由水」だけです。水分活性とは、この自由水の割合を0から1までの数値で表したものです。純水は1.00で、数値が低くなるほど微生物は利用できる水がなくなります。
乾燥(ドライ)によって水分そのものを減らす方法は最も単純ですが、塩漬けや砂糖漬けもこの「水分活性」を下げる技術です。塩や砂糖が自由水と結びつき(結合水になり)、微生物が使える水を奪ってしまうのです。ジャムが腐りにくいのは、大量の砂糖が水分を抱え込んでいるため、見た目はしっとりしていても、菌にとっては「砂漠」のように水が使えない環境だからです。
この科学的メカニズムを理解すれば、加熱殺菌に頼らなくても、「乾燥」や「塩分濃度」の調整だけで、擬似的な「腐らない状態」を作り出すことが可能です。これは無菌状態とは異なりますが、実質的に菌が活動できない「静菌状態」と呼べます。
参考リンク:水分活性の数値と微生物の生育可能領域についての詳細データ。
水分活性値とは?食品と水分活性の関係について - 三菱ガス化学
ここまでは地球上の環境について話してきましたが、究極の無菌状態とも言える宇宙空間では、有機物(例えば動物の死体など)はどのように変化するのでしょうか?これは「無菌状態」と「腐敗」の関係を考える上で非常に興味深い極限の実験室と言えます。
宇宙空間は真空であり、強力な放射線が飛び交っています。もし宇宙服なしで人体が宇宙空間に放り出された場合、理論的には以下のようなプロセスを辿ると考えられています。
このように、極限の環境下では「腐る(生物的分解)」ことはありませんが、「分解(物理的崩壊)」からは逃れられません。これは、私たちが農産物を保存する際にも示唆を与えてくれます。どれだけ完璧な無菌環境を作ったとしても、時間という物理的な要因による劣化を完全に止めることはできないのです。
参考リンク:宇宙空間での人体の変化や分解に関する科学的考察(英語文献の解説を含む)。
死体はどのように分解されるのか、知っておくべき科学 - ナショナルジオグラフィック

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