農業におけるリーチング(塩類抜き)とは、過剰に蓄積された塩類を大量の灌漑水によって土壌の下層へと押し流し、作物の根圏域から除去する技術です。このプロセスにおいて最も重要な要素の一つが「水量」の設定です。一般的に、効果的なリーチングを行うためには、土壌の保水容量の1.5倍から2倍程度の水が必要とされています 。例えば、10アールあたり150トンから200トン(降水量換算で150mm〜200mm)という膨大な水量が目安となるケースもあり、これは通常の灌漑とは桁違いの量です 。
しかし、単に水を撒けばよいというわけではありません。「時期」の選定も極めて重要です。作物の植え付け前や収穫後など、圃場が空いている期間に行うのが基本ですが、気温が高い夏季に行うと地表面からの蒸発が激しくなり、毛細管現象によって逆に塩分が地表に吸い上げられてしまうリスクがあります 。そのため、夏季に実施する場合は蒸発が少ない夕方から夜間にかけて灌漑を行ったり、土壌表面をマルチングして蒸発を抑制したりする工夫が求められます 。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC4859519/
また、灌漑の方法も重要です。一度に大量の水を流す「湛水(たんすい)」方式は、均一に水を浸透させるのに有効ですが、土壌の団粒構造を壊してしまう恐れもあります。一方で、点滴灌漑(ドリップイリゲーション)を用いたリーチングは、節水効果が高く、根圏のみを集中的に除塩できるため、水資源が限られている地域や施設栽培において注目されています 。この場合、時間をかけてゆっくりと水を浸透させることで、塩類を効果的に溶解させながら押し流すことが可能になります。適切な水量と時期を見極め、現地の気候条件に合わせた灌漑計画を立てることが、リーチング成功の第一歩と言えるでしょう。
リーチングを行う上で、灌漑と同じくらい、あるいはそれ以上に重要なのが「排水」の確保です。多くの農業従事者が陥りやすい落とし穴として、排水不良の圃場でリーチングを行ってしまうことが挙げられます。排水性が悪い圃場で大量の水を投入すると、溶け出した塩分を含んだ水が地下に浸透せず、根圏域に滞留してしまいます。その結果、地下水位が上昇し、乾燥と共に塩分を含んだ水が再び地表近くまで上昇する「再塩類化」を引き起こす原因となります 。
特に、トラクターなどの重機による踏圧で形成された「硬盤層(耕盤層)」が存在する場合、水が下層へ抜けず、リーチングの効果が著しく低下します 。このような状況では、リーチングを行う前にサブソイラーなどで硬盤層を破砕し、物理的に水の通り道を確保することが不可欠です。さらに、地下水位が高い地域や粘土質の土壌では、「暗渠(あんきょ)排水」の設置が推奨されます。暗渠があれば、塩分を含んだ余剰水を速やかに圃場外へ排出することができ、除塩効果を確実に高めることができます 。
参考)塩害軽減のための低コスト浅層暗渠排水技術マニュアル
また、土壌中のナトリウム濃度が高い場合(ソーダ質土壌)、単水でのリーチングは土壌構造の破壊を招く危険性があります。ナトリウムイオンは土壌粒子を分散させ、透水性を悪化させる性質があるためです。この場合、石膏(硫酸カルシウム)などの土壌改良材を併用し、ナトリウムをカルシウムに置換してから洗い流すという手順を踏まなければ、かえって排水不良を悪化させ、回復困難な状態に陥る可能性があります 。したがって、排水設備の整備と土壌の化学的性質の把握は、リーチングを実施する前の必須条件と言えます。
参考)http://www.jiid.or.jp/ardec/ardec53/ard53_key_note3.html
リーチングの効果を客観的に判断するためには、勘や経験に頼るのではなく、データに基づいた管理が必要です。その指標となるのが「EC(電気伝導度)」です。ECは土壌中に溶け込んでいる塩類の総量を示す数値であり、この値が高いほど塩類集積が進んでいることを意味します。一般的に、多くの作物にとってEC値が一定の閾値(例えば1.0〜2.0 mS/cmなど、作物による)を超えると生育障害のリスクが高まります 。
リーチングの前後には必ず土壌診断を行い、EC値が目標レベルまで低下したかを確認する必要があります。しかし、ここで注意すべきは「下げれば下げるほど良い」というわけではない点です。リーチングは、作物にとって有害な塩化ナトリウムなどを洗い流す一方で、窒素、リン酸、カリウムといった有用な肥料成分、特に硝酸態窒素などの水溶性養分も同時に流亡させてしまいます 。過度なリーチングは、高価な肥料を無駄にするだけでなく、地下水汚染などの環境負荷を引き起こす要因にもなり得ます 。
最近の研究では、土壌の深さごとにECセンサーを設置し、水分と塩分の移動をリアルタイムでモニタリングする技術も導入されています 。これにより、塩分が根圏外(例えば深さ60cm以深など)に移動した時点で灌漑を停止し、必要な肥料分を留めつつ、有害な塩類だけを除去するという精密な管理が可能になります。単にECを下げるだけでなく、作物の生育ステージや土壌の栄養バランスを考慮し、必要最小限の除塩にとどめる「適正リーチング」の視点が、現代の農業には求められています。
参考)https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/ird.2803
リーチングには「真水(淡水)」を使わなければならないというのが常識とされていますが、近年の研究では、条件次第で「汽水(塩分を含む水)」や「磁気処理水」が有効であるという意外な事実が明らかになっています。例えば、乾燥地帯で淡水が貴重な場合、ある程度の塩分を含む汽水であっても、灌漑のタイミングや順序を工夫することで、土壌中の塩分を効率的に排出できることが報告されています 。特に、磁気処理を施した汽水を使用すると、水の物理的性質が変化し、土壌への浸透性が向上したり、塩類の溶解度が高まったりすることで、通常の水よりも高い除塩効果が得られるという研究結果もあります 。
また、リーチングは土壌の物理化学的性質だけでなく、生物学的な側面にも大きな影響を与えます。高濃度の塩類は土壌微生物の活動を抑制しますが、リーチングによって塩分が除去されると、微生物群集が劇的に変化し、活性を取り戻す可能性があります 。ただし、急激な淡水の流入は浸透圧ショックを与え、既存の微生物相を一時的に不安定にするリスクもあります。そのため、リーチング後に良質な堆肥やバイオ炭(biochar)を投入することで、有用な微生物の定着を促し、土壌の緩衝能力を高める手法が効果的です 。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC10425461/
さらに、「リーチング+クリーニングクロップ(吸塩作物)」という組み合わせも注目されています。トウモロコシやソルゴーなどの吸肥力が強い作物を栽培し、土壌中の余分な養分を吸収させた後にリーチングを行うことで、より確実な塩類除去が可能になります 。このように、単に水を流すだけでなく、水質の特性や微生物、植物の力を組み合わせた複合的なアプローチこそが、持続可能な除塩技術の最前線と言えるでしょう。
参考)http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00516/2010/47-0273.pdf
雨が遮断されるビニールハウスなどの施設栽培(施設園芸)は、露地栽培に比べて塩類集積が圧倒的に起こりやすい環境です。自然の降雨による洗浄作用が働かないため、人為的なリーチングが不可欠となります。施設栽培において特に行われるのが、作付け終了後の夏場などを利用した「湛水(たんすい)除塩」です 。これはハウス内をプールのように水で満たし、長時間かけて下層へ塩類を押し流す方法ですが、ここにも独自のテクニックと注意点が存在します。
まず、ハウス内は閉鎖空間であるため、大量の水を使用すると湿度が極端に上昇します。これが結露を引き起こし、カビや病気の温床となることがあるため、換気管理が欠かせません 。また、湛水処理を行う前に、土壌表面に浮き出た塩類を物理的に削り取る「スクレーピング」を行うことで、水に溶かす塩の絶対量を減らし、リーチングの効率を高めることができます 。
参考)ビニルハウスにおける塩分集積と課題
さらに、ハウス栽培では、灌漑チューブを用いた「点滴灌漑」によるリーチングも効果的です。湛水のように一気に水を張るのではなく、作物の根元にピンポイントで長時間水を供給し続けることで、根の周囲に「淡水レンズ」のような脱塩領域を形成することができます。この方法は、通路部分の土壌構造を維持しつつ、栽培に必要なエリアだけを効率的に除塩できるため、節水と土壌保護の両面でメリットがあります 。最近では、ハウス内の地下水位を制御するシステムと組み合わせ、リーチングした水を回収・浄化して再利用する循環型の除塩システムの研究も進んでおり、環境負荷を抑えた次世代の施設園芸モデルとして期待されています。

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