イチゴ栽培において、生産者を最も悩ませる問題の一つが「不稔(ふねん)」による着果不良や奇形果の発生です。この不稔現象の最大の引き金となるのが、ハウス内の環境要因、特に「高温」と「日照不足」です。イチゴの花粉は非常にデリケートで、その活性(稔性)は周囲の環境に大きく左右されます。研究によると、花粉の形成や発芽能力は、開花期の温度条件に敏感に反応することがわかっています 。
参考)いちごの果実異常を徹底解説!奇形果の時期別原因(花芽分化から…
まず高温の影響について深掘りしましょう。一般的に、日中のハウス内温度が30℃を超え、特に35℃付近に達すると、花粉の発芽能力が著しく低下します 。これは、花粉が作られる過程で高温ストレスがかかることで、花粉自体の寿命が短くなったり、柱頭(めしべの先端)に付着しても発芽管を伸ばして受精に至る力が失われたりするためです。特に近年は温暖化の影響もあり、春先だけでなく秋口や冬の晴天時にもハウス内が予期せぬ高温になることがあります。短時間でも限界温度を超えると、その時期に分化・発育していた花粉がダメージを受け、数週間後に「先詰まり果」や「乱形果」として症状が現れることになります 。
参考)https://k-engei.net/contents/koushu_standard/44%E6%B7%BB%E5%89%8A%E5%BE%8C%20%E3%81%95%E3%81%8C%E3%81%BB%E3%81%AE%E3%81%8B%E6%99%AE%E9%80%9A%EF%BD%A5%E5%B9%B3%E5%9D%A6.pdf
次に日照不足の影響です。植物は光合成によって炭水化物(糖分)を作り出し、それをエネルギー源として花や果実を育てます。しかし、長雨や曇天が続いたり、遮光カーテンを閉めすぎたりして日照が不足すると、光合成産物が減少します。花粉の形成には多大なエネルギーが必要であるため、糖分が不足すると充実した花粉が作られず、稔性が低下してしまうのです 。これは「花質(かしつ)の低下」とも呼ばれ、見た目は咲いていても中身が伴わない「不完全な花」が増える原因となります。
参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/hrj/23/2/23_63/_pdf
さらに、これらが組み合わさると被害は甚大になります。例えば、「曇天続きで光合成が不十分な状態で、急に晴れて高温になった」というケースは最悪のパターンです。体力が落ちている株に高温ストレスが追い打ちをかけ、大量の不稔花が発生するリスクが高まります。対策としては、こまめな換気による温度管理はもちろん、日照が弱い時期には電照や炭酸ガス施用を行って光合成効率を高め、株の基礎体力を落とさないことが重要です。単に温度計を見るだけでなく、「積算温度」や「DLI(積算日射量)」を意識した管理が、安定した花粉を作る第一歩となります。
環境要因と並んで不稔の大きな原因となるのが、施肥管理の失敗、特に「窒素過剰」による生理障害です。イチゴは肥料のバランスに敏感な作物であり、良かれと思って与えた肥料が逆に仇となるケースが後を絶ちません。窒素は葉や茎を大きくする「栄養成長」を促進する要素ですが、これが過剰になると、花や実を作る「生殖成長」がおろそかになりがちです 。
参考)農家のお医者さん - あかしゃのいちご畑
窒素過剰が不稔を引き起こすメカニズムはいくつか考えられます。一つは、植物体内のホルモンバランスの乱れです。窒素が多すぎると、植物ホルモンであるジベレリンやオーキシンのバランスが崩れ、花芽の発達が正常に進まなくなります。これにより、萼(ガク)だけが異常に発達したり、雌しべの数が減少したりといった形態的な異常が生じやすくなります。また、過剰な窒素吸収は、拮抗作用によって他の重要なミネラル、特にカルシウムや微量要素の吸収を阻害することがあります。これが細胞壁の形成不全を招き、花器の構造が弱くなることで、受粉能力が低下する場合もあるのです 。
参考)https://www.pref.mie.lg.jp/common/content/000166561.pdf
具体的な症状としては、肥料が効きすぎている株では、葉色が濃く、チップバーン(葉先枯れ)が出やすくなります。このような株から出る花は、一見立派に見えても、花粉の量が少なかったり、葯(やく:花粉が入っている袋)が開くのが遅かったりします。葯が開かなければ、いくらミツバチが訪花しても花粉が体につかず、受粉は成立しません。これを「開葯(かいやく)不良」と呼びますが、窒素過多による過繁茂で株元の湿度が上がりすぎることも、この開葯不良を助長する要因となります 。
参考)https://k-engei.net/contents/koushu_standard/42%E6%B7%BB%E5%89%8A%E5%BE%8C%20%E3%81%B2%E3%81%AE%E3%81%97%E3%81%9A%E3%81%8F%E6%99%AE%E9%80%9A%EF%BD%A5%E5%B9%B3%E5%9D%A6.pdf
対策としては、追肥の量とタイミングを見直すことが不可欠です。特に曇天が続く時期は、植物の代謝が落ちて肥料成分が消化されずに体内に蓄積しやすいため、施肥量を減らすか、あるいは一時的にストップする勇気も必要です。「葉の色が薄くなってきたから」といって安易に追肥するのではなく、その時の天候や株の草勢、花房の出方(ランナーばかり出ていないか等)を総合的に判断しなければなりません。また、窒素の消化を助けるために、カリウムやリン酸、微量要素を葉面散布などで補い、栄養バランス(C/N比)を整えることも有効な手段です。健全な花粉は、健全な栄養バランスから生まれることを肝に銘じておきましょう。
イチゴの栽培において、不稔対策を語る上で絶対に外せないのが「ミツバチ(ポリネーター)」の存在です。イチゴは自力で受粉することが難しく、虫媒受粉に大きく依存している作物です。どんなに良い花粉ができても、それを運んでくれるミツバチが正常に働かなければ、受粉は完了せず、結果として不稔や奇形果が発生します 。
参考)イチゴの受粉に欠かせないミツバチの働きについて解説 | コラ…
ミツバチの働きが悪くなる原因は多岐にわたりますが、最も多いのは温度環境の不適合です。ミツバチは変温動物であり、活動に適した温度帯(一般的に18℃〜25℃程度)があります。ハウス内が低温すぎると巣箱から出てこず、逆に高温すぎるとバテてしまい活動が鈍ります。特に冬場の厳寒期や、春先の高温時には注意が必要です。また、紫外線カットフィルムを使用しているハウスでは、ミツバチが方向感覚を失い、うまく花にたどり着けない「迷子」状態になることもあります。これが訪花不足を招き、果実の一部だけが受粉せずにへこむ「奇形果」の直接的な原因となります 。
参考)イチゴ「いばらキッス」の奇形果発生条件と適正な生育管理
さらに見落としがちなのが、農薬の影響です。ミツバチに安全とされる農薬であっても、散布直後には忌避効果(嫌がって近づかない)が生じたり、幼虫の発育に影響を与えて次世代の働き蜂が減ってしまったりすることがあります。また、訪花回数が多すぎる「過訪花(かほうか)」も問題です。花に対してハチの数が多すぎると、同じ花に何度も止まり、鋭い爪で雌しべや花弁を傷つけてしまいます。傷ついた雌しべは茶色く変色し、その部分が種にならず、結果として果実表面がガサガサになったり黒ずんだりする「イチゴの不稔」のような症状を引き起こします 。
適切な受粉環境を作るためには、単に巣箱を置くだけでは不十分です。まずはハウス内の温度管理を徹底し、ハチが快適に動ける環境を整えること。そして、花の量に合わせてハチの数を調整することが重要です。花が少ない時期には巣門を狭めて出撃数を制限したり、給餌を行ってハチの活力を維持したりする細やかな管理が求められます。農薬散布の際は、必ず巣箱を外に出すか、前夜に閉めて翌日まで開放しないなどの配慮が必要です。「ミツバチは家畜であり、従業員である」という意識を持ち、彼らが働きやすい職場環境を提供することが、美しいイチゴを作るための近道なのです。
ここまでの内容を踏まえ、実際に現場でどのような「環境制御」と「肥料管理」を行えば、不稔や奇形果を最小限に抑えられるのか、具体的なアクションプランを整理しましょう。不稔対策は、何か一つの特効薬があるわけではなく、毎日の地道な管理の積み重ねが結果を左右します。
まず環境制御の面では、「湿度」のコントロールが極めて重要です。花粉が入っている葯(やく)が裂開して花粉が出てくるためには、適度な乾燥が必要です。一般的に、午前中の湿度が重要視され、相対湿度が60%〜70%程度まで下がるとスムーズに開葯が進みます。しかし、ハウスを閉め切ったままでは湿度が90%以上になり、葯が湿って開かず、花粉が飛散しません。これが「受精不良」の大きな原因です。したがって、朝一番の加温や早めの換気(内張りカーテンの開放など)を行い、午前中にしっかりと湿度を下げる管理が求められます。一方で、極端な乾燥(湿度40%以下)は雌しべの柱頭を乾かし、花粉の付着を悪くするため、乾燥注意報が出るような日は通路散水などで加湿することも必要です 。
肥料管理においては、「微量要素」の積極的な活用がカギとなります。特に「ホウ素」と「カルシウム」は、細胞壁の強化や花粉管の伸長に直接関わる重要な栄養素です。ホウ素が不足すると、花粉の形成異常が起こりやすくなり、不稔のリスクが高まります。また、カルシウム不足はチップバーンだけでなく、ガク焼けや果実の軟化も招きます。これらは根からの吸収が天候に左右されやすいため、定期的な葉面散布で直接花や葉に補給してあげるのが効果的です 。
参考)イチゴ_栽培管理ポイント_生理障害
さらに、「着果負担」の管理も忘れてはいけません。欲張って一度に多くの実を成らせすぎると、株の貯蔵養分が枯渇し、後から咲く花に十分な栄養が行き渡らず、不稔花や極小玉が増えます。適切な摘花(てきか)・摘果を行い、株の体力に見合った着果量に制限することで、一つ一つの花に十分な養分を回し、結果として秀品率(形の良いイチゴの割合)を高めることができます。奇形果を見つけたら、「もったいない」と思わず早めに摘み取ることで、次の花への養分ロスを防ぐ決断も、プロの農家には求められるスキルです。
最後に、一般的な栽培マニュアルではあまり深く語られることのない、しかし実は不稔の根本原因となり得る「根圏の酸素不足」という視点について解説します。多くの生産者は、地上の葉や花、ハウス内の気温には気を配りますが、地下部(培地の中)で何が起きているかを見落としがちです。実は、根の呼吸状態は花粉の質と密接に関係しています。
植物の根は、呼吸によってエネルギーを得て、水や養分を吸収しています。この吸収活動には酸素が不可欠です。しかし、培地が過湿状態(水のやりすぎや排水不良)になり、根圏の酸素が欠乏すると、根は「窒息」状態に陥ります。すると、根からのサイトカイニンなどの植物ホルモンの生産量が低下します。サイトカイニンは花芽の分化や発達を促進するホルモンであり、これが不足すると、地上部で花が形成される段階で発育不良が起こりやすくなります。つまり、花が咲くずっと前の段階、あるいは咲いている最中に、根元の酸素不足が原因で「元気のない花粉」が作られてしまっている可能性があるのです 。
特に、高設栽培でロックウールやピートモスなどの培地を使用している場合、長期間の使用で培地が物理的に潰れて気相(空気の層)が減っていることがあります。また、冬場に地温を確保しようとウォーターカーテンや多層被覆を行ってハウス内湿度が高止まりすると、培地からの蒸発が減り、常にジメジメした状態が続いて根腐れ寸前になることもあります。このような「隠れ根腐れ」の状態では、いくら高級な肥料を与えても吸収されず、結果として花への栄養供給が断たれ、不稔を引き起こします。
対策としては、給液(水やり)の管理を見直し、培地内の「乾き」を意識することです。一日の中で、培地が適度に乾き、新鮮な空気が入り込む時間帯を作ることが重要です。例えば、排液率をチェックし、排液が多すぎる場合は給液量を絞る、あるいは給液の回数を減らして一回量を増やすことで、水と空気の交換(ガス交換)を促すといった工夫が有効です。また、酸素供給材の使用や、培地の更新も検討材料になります。「花を見るなら根を見よ」という言葉の通り、美しい果実を実らせるためには、見えない根の環境、特に酸素レベルを健全に保つことが、意外な不稔対策の切り札となるのです。
イチゴの不稔は、一つの原因だけで起こることは稀で、温度、光、水、肥料、そして生物(ミツバチ)の要因が複雑に絡み合っています。しかし、それぞれの要因を一つずつ紐解き、適切な対策を講じれば、必ず発生を減らすことができます。この記事で紹介した視点を参考に、ぜひご自身の栽培環境を見直してみてください。