
りんご栽培において、春先の管理作業はその年の品質だけでなく、翌年の収量さえも左右する極めて重要なプロセスです。多くの生産者が「摘果(てっか)」には馴染みがある一方で、「摘花(てきか)」の重要性については、労力的な問題から後回しにされがちかもしれません。しかし、この二つには決定的な違いがあります。それは、樹体に蓄えられた「貯蔵養分」をどれだけ無駄遣いせずに済むか、という点です。
りんごの樹は、春の発芽から開花、そして展葉初期までの活動エネルギーのほとんどを、前年の秋に枝や根に蓄えた「貯蔵養分」に依存しています。開花という現象は、植物にとって凄まじいエネルギーを消費するイベントです。一つの花そう(花のかたまり)には5〜6個の花が咲きますが、最終的に商品となるのはその中のたった一つ、あるいはゼロです。つまり、摘花を行わずに全ての花を満開にさせてしまうということは、本来ならば残すべき一つの果実の肥大や、新しい枝葉の伸長に使われるべき貴重なエネルギーを、捨ててしまう花のために浪費していることになるのです。
摘果が「すでに無駄なエネルギーを使って実になったものを捨てる」作業であるのに対し、摘花は「エネルギーが浪費される前に蛇口を締める」作業だと言えます。この初期段階でのエネルギーロスの差は、収穫時の果実サイズ(大玉比率)や糖度といった品質に直結します。特に、樹勢が弱い樹や老木においては、摘花による養分温存効果が顕著に現れます。春先のスタートダッシュを決めるのは、いかに早く不要な花を取り除くかどうかにかかっています。
農林水産省の技術情報でも、貯蔵養分の消耗を防ぐために早期の摘花・摘果が推奨されています。
農林水産省:りんご栽培のポイント(貯蔵養分と摘花の重要性について)
摘花作業で最も技術と経験を要するのは、その「タイミング」の判断です。早ければ早いほど貯蔵養分の節約にはなりますが、早すぎると晩霜(遅霜)の被害に遭った際、確保すべき花まで失ってしまうリスクがあります。逆に遅すぎれば、薬剤の効果が薄れたり、手作業の負担が増大したりします。ベストなタイミングを見極めるには、りんごの花の構造である「中心花」と「側花」の咲き方の違いを理解する必要があります。
りんごの花そうは、中央にある「中心花」が最初に咲き、その周囲を取り囲む「側花」が遅れて咲くという特性を持っています。一般的に、果実として残すのは発育が良く、軸が太くて長い中心花です。理想的な摘花のタイミングは、この中心花が満開を迎え、確実に受粉したと判断できる直後から、側花が満開になる前までのわずかな期間です。
具体的には、以下のステップで判断します。
この時期を逃し、側花まで満開になって受粉してしまうと、樹はそれら全てを育てようとして急激に養分を消費し始めます。また、側花が大きくなると物理的にハサミを入れにくくなり、作業効率も低下します。特に「ふじ」などの主要品種では、中心花と側花の開花ズレを利用したタイミングの見極めが、後の省力化に大きく貢献します。
秋田県の果樹試験場の資料では、具体的な開花ステージと作業適期についての詳細なガイドラインが示されています。
秋田県:摘果剤の上手な使用方法(開花ステージと薬剤散布のタイミング)
広大な園地ですべての花を手作業で摘むことは、現代の労働力不足の現状では不可能です。そこで必須となるのが「薬剤摘花」です。これは化学の力を借りて、不要な花を間引く技術です。現在、主に使用されている薬剤には大きく分けて二つのタイプがあり、それぞれの特性を理解して使い分けることが重要です。
1. 石灰硫黄合剤(せっかいいおうごうざい):
これは古くからある最も一般的な摘花剤です。作用機序としては、薬剤がめしべの柱頭に付着することで、その組織を焼いて受粉能力を奪うという物理・化学的なものです。
2. エコルーキーなどの新規剤:
近年登場した、より安全性が高く、果実への影響が少ない薬剤です。
これらの薬剤を使用することで、手作業にかかる時間を3割〜5割程度削減できると言われています。しかし、薬剤はあくまで「補助」であり、完璧にすべての不要花を落とせるわけではありません。「荒摘花」を薬剤で行い、残った部分を「仕上げ摘花(または摘果)」として手作業で行うという二段構えが、最も効率的で品質を安定させる戦略です。
福島県のJAふくしま未来では、エコルーキーの使用時期や回数について具体的な指導を行っています。
JAふくしま未来:りんご摘花剤「エコルーキー」の使用について
ここでは、一般的なマニュアルにはあまり書かれていない、しかしプロなら知っておくべき「数字」の視点から摘花を深掘りします。それは「開花の1日の遅れは、収穫時の果重4gの損失につながる」という説です。
これは、早期に咲いた花(中心花)ほど細胞分裂が活発で、養分の転流も優先的に行われるという生理学的メカニズムに基づいています。逆に言えば、側花などの遅れて咲いた花を実にしてしまうと、スタート時点で数日の遅れをとっており、最終的な大玉生産においては圧倒的に不利になるということです。4gと聞くと微々たる差に思えるかもしれませんが、10アールあたり数千個のりんごを生産する場合、全体では数トン単位の収量差、ひいては等級(サイズ)による単価の差として経営に大きく跳ね返ってきます。
さらに深刻なのが「隔年結果(かくねんけっか)」との関連性です。隔年結果とは、豊作の年(表年)と不作の年(裏年)を繰り返す現象です。
りんごの樹は、種子(果実の中の種)を作る過程で「ジベレリン」という植物ホルモンを生成します。この種子由来のジベレリンは、翌年の花芽形成を強力に「抑制」する働きを持っています。つまり、いつまでも樹上にたくさんの幼果(と種子)を残しておくと、樹は「今年は子孫を残すのに十分だから、来年は花を咲かせなくていい」と判断してしまうのです。
「来年も安定して花を咲かせたいなら、実を落とすのではなく、花を落とせ」。これが、隔年結果を防ぎ、毎年安定経営を続けるための鉄則です。特に「ふじ」や「ゴールデンデリシャス」といった隔年結果性の強い品種では、薬剤摘花による早期の間引きが、単なる省力化以上の経営リスク回避策として機能します。
薬剤散布を行ったとしても、最終的な調整や、薬剤が効きにくい腋花芽(えきかが:枝の横から出た弱い花芽)の処理には手作業が欠かせません。手作業での摘花は、スピードと正確性が求められる過酷な作業ですが、適切な道具と身体の使い方で負担を減らすことができます。
1. 道具選び:
2. 作業の優先順位:
すべての花を完璧に処理しようとすると時間が足りません。以下の優先順位で進めます。
3. 「ピンチ」テクニック:
ハサミを使わず、指で花を摘む場合、「ピンチ(つまむ)」という動作が基本になります。親指と人差指で花柄(かへい)の付け根を軽くつまみ、手首をひねるのではなく、指先の力だけで「ポキッ」と折るようにします。側花だけを狙う場合は、中心花を傷つけないよう、反対の手で軽く中心花をガードするか、あるいは熟練の技として、中心花には触れずに側花だけをはじき飛ばす方法もあります。
4. 1花そう1果の原則:
最終的には「1花そうにつき1果」にするのが目標ですが、摘花の段階では予備として中心花+側花1つを残す「2花残し」にする場合もあります。これは、晩霜や病害虫で中心花がダメになった時の保険です。気象予報と相談しながら、リスクヘッジ(2つ残し)か、攻めの省力化(1つ残し)かを判断しましょう。
青森県弘前市の初心者向けテキストでは、花そうの構造や具体的な摘み取り箇所が図解入りで解説されています。

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