農業の現場において、土壌中の微生物バランスは作物の出来不出来を左右する最も重要な要素の一つです。一般的に理想とされる土壌微生物のバランスは「善玉菌2:悪玉菌1:日和見菌7」という比率であると言われています。この比率の中で最も注目すべきは、全体の7割という圧倒的な多数を占める「日和見菌」の存在です。日和見菌は、その名の通り「日和見(ひよりみ)」な性質を持っており、自分自身では良い働きも悪い働きも積極的には行いません。しかし、周囲で善玉菌が優勢になれば善玉菌に加勢して土壌を豊かにし、逆に悪玉菌が少しでも優勢になれば悪玉菌の味方をして作物を病気にするという、極めて流動的な性質を持っています。
参考)アグリシステム株式会社
多くの農家が「悪玉菌を全滅させたい」と考えがちですが、実は土壌消毒などで完全に無菌状態にしてしまうと、後から侵入してきた病原菌(悪玉菌)に対抗する勢力が存在しないため、かえって病気が爆発的に広がるリスクが高まります(真空のニッチ理論)。重要なのは、悪玉菌をゼロにすることではなく、善玉菌を2割まで増やし、7割の日和見菌をすべて「善玉菌の味方」につけることです。この「7割の浮動票」をどちらが取るかによって、その土壌が「発酵型(作物が育つ土)」になるか「腐敗型(病気が出る土)」になるかが決定づけられるのです。これはまさに、土壌というミクロの世界で繰り広げられる陣取り合戦と言えるでしょう。
日和見菌を善玉菌の味方につけるためには、善玉菌が住みやすく、増えやすい環境を整える「エサ」の投入が不可欠です。ここで重要になるのが「有機物」の種類と「堆肥」の品質です。単に有機物を入れれば良いというわけではなく、未熟な堆肥やC/N比(炭素率)のバランスが悪い有機物を投入すると、腐敗性の悪玉菌が増殖し、結果として日和見菌までもが悪玉化してしまう恐れがあります。
特に、善玉菌の代表格である「放線菌」や「納豆菌(枯草菌)」を意図的に含む資材(ボカシ肥など)を使用することで、土壌内のスタートダッシュを善玉菌優位に持ち込む戦略が有効です。初期段階で善玉菌が優勢になれば、圧倒的多数の日和見菌が雪崩を打って善玉サイドに加わり、有機物の分解と栄養供給が加速する「発酵合成型土壌」へと進化します。
参考)【腸活腸内細菌と免疫について】
参考リンク:有限会社 サン興産業 - サイオン(EM)(善玉菌が日和見菌を従わせるメカニズムと土壌団粒化について)
連作障害は、特定の成分欠乏だけでなく、土壌微生物相(フローラ)のバランス崩壊が主原因であることが近年の研究で明らかになっています。同じ作物を同じ場所で作付けし続けると、その作物の根から出る特有の分泌物を好む特定の微生物だけが増殖します。もしその微生物が悪玉菌(病原菌)であった場合、最初は少数派だった悪玉菌が徐々に勢力を拡大し、ある閾値(いきち)を超えた瞬間に、これまで中立だった7割の日和見菌が一斉に悪玉菌側に寝返ります。これが、連作障害がある年突然発生し、手がつけられなくなる「病気の劇症化」の正体です。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC12073107/
この負の連鎖を断ち切るためには、「土壌消毒」でリセットするだけでは不十分です。消毒後の無防備な土壌に、いち早く良質な堆肥と微生物資材を投入し、日和見菌が再び悪玉菌になびかないよう、善玉菌のバリケードを築く必要があります。輪作や混植(コンパニオンプランツ)を取り入れるのも、根圏微生物の多様性を維持し、特定菌の暴走を防ぐための理にかなった知恵なのです。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC11255323/
多くの農業従事者が微生物資材(菌そのもの)の投入に注力しますが、実は微生物が定着できるかどうかは、土壌の「物理性」、特に「団粒構造」と「通気性」に依存しています。これは検索上位の記事ではあまり強調されていない、しかし決定的な視点です。なぜなら、作物の生育に有益な働きをする善玉菌の多くは「好気性(酸素を好む)」だからです。
もし、土が硬く締まっていて通気性が悪いと、いくら高価な微生物資材を投入しても、好気性の善玉菌は酸欠で死滅してしまいます。その代わりに、酸素を嫌う「嫌気性」の悪玉菌(腐敗菌)が増殖しやすい環境となります。すると、日和見菌たちは生き残るために嫌気性の悪玉菌に従うようになり、土壌はドブのような臭いを発する腐敗状態になります。つまり、物理性の悪化が微生物バランスの悪化を招くのです。
参考)https://www.pref.aomori.lg.jp/soshiki/nourin/noen/files/kaitei_gijyutumanyuaru02.pdf
耕起や有機物の投入は、単に肥料分を補うだけでなく、この「好気性微生物のための酸素供給ルート」を確保するために行っていると再認識すべきです。酸素が行き渡るフカフカの土壌こそが、日和見菌を最強の味方に変えるための舞台なのです。
参考リンク:日本土壌協会 - 土壌診断によるバランスのとれた土づくり(土壌の物理性と化学性のバランス指標について)
目に見えない日和見菌や善玉菌の割合を、農家が勘や経験だけで把握するのは困難です。そこで活用したいのが、最新の「土壌診断」技術、特に生物性診断です。従来の土壌診断は、窒素・リン酸・カリなどの化学性(肥料成分)の分析が主でしたが、近年ではSOFIX(土壌肥沃度指標)などの技術により、土壌中の「総細菌数」や「窒素循環活性」を数値化することが可能になってきました。
参考)土壌診断(SOFIX)- クリタ分析センター株式会社
これらの診断では、以下のような指標が重要視されます。
| 診断項目 | 理想的な状態 | 対策の方向性 |
|---|---|---|
| 総細菌数 | 1gあたり2億個以上 | 良質な堆肥、糖蜜などのエサを投入し菌を増やす |
| C/N比 | 10〜20程度 | 窒素過多なら炭素資材(もみがら等)、逆なら窒素を補給 |
| 生物性判定 | 特A〜A評価 | 微生物のバランスが良い証拠。現状維持で連作も可能 |
このような診断を定期的に行うことで、「なんとなく調子が悪い」という感覚的な判断から脱却し、「日和見菌がどちらに傾こうとしているか」をデータに基づいて予測・制御する「精密農業」が可能になります。7割の日和見菌をコントロールすることは、すなわち収量の安定化と高品質化に直結する、農業経営の核心部分なのです。
参考リンク:栗田分析センター - 土壌診断(SOFIX)(土壌の生物性を数値化し、細菌数や循環活性を評価する技術)