農業の現場において、作物の収量や品質が伸び悩むとき、多くの生産者は肥料設計(化学性)の見直しを優先しがちです。しかし、根本的な原因の多くは、肥料を受け止める土そのものの構造、すなわち「土壌物理性」に隠されています 。この物理性を可視化し、診断するために用いられる概念が「液相 気相 状態図」です。
参考)三相分布の測定方法で土壌の物理性を診断し排水性を改善
一般的に物理学や化学の分野で「状態図(Phase Diagram)」といえば、温度と圧力によって物質が固体・液体・気体のどの状態にあるかを示したグラフ(例えば水の三重点など)を指します 。しかし、農業土壌学の文脈における「状態図」とは、土壌という空間の中で「固相(土粒子)」「液相(水)」「気相(空気)」がどのような割合(体積比)で共存しているかを示す「土壌三相分布図」のことを指します 。
参考)https://www.semanticscholar.org/paper/4575526ea443e6e147cf872960cc769193e11afa
この3つの相は独立しているわけではなく、限られた空間(土壌の孔隙)を奪い合う関係にあります 。
参考)土壌の三相分布とは|土づくりと土壌物理性について解説!! |…
「液相と気相の状態図」を理解することは、単に水はけが良い・悪いといった感覚的な判断から脱却し、数値に基づいた科学的な土壌管理(土壌物理性の改善)を行うための第一歩となります。特に、近年の気候変動によるゲリラ豪雨や極端な乾燥は、土壌内の液相と気相のバランスを急激に変動させ、作物の根に多大なストレスを与えています 。この変動を「状態図」として捉え、適切な緩衝能力(バッファー)を持たせることが、安定多収への近道となります。
参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/hrl/11/1/11_31/_pdf
農研機構:土壌の物理性診断と対策に関するマニュアル
※農研機構による詳細なマニュアルで、土壌三相の測定法や物理性改善の具体的な手順が網羅されています。
作物が最も健全に生育する土壌の三相分布には、一定の「理想的な割合」が存在します。一般的に、固相40%、液相30%、気相30%(または固相50%、液相25%、気相25%)のバランスが良いとされています 。
参考)夏の暑さに負けない土づくり! 三相分布の改善
この比率が重要な理由は、根の機能維持に直結するからです。
土が踏み固められ、緻密化している状態です。根が物理的に伸びることができず、「有効土層」が浅くなります。また、隙間(孔隙)が少ないため、水も空気も入り込む余地がありません。トラクターの重みで形成される「耕盤層」などがこれに該当します。
排水不良の状態です。気相(空気)が追い出され、根は酸素不足(酸欠)に陥ります。これにより根腐れが発生し、養分吸収能力が低下します。また、嫌気性菌が優勢になり、土壌病害のリスクが高まります 。
参考)https://www.semanticscholar.org/paper/c159906b5384062ec9978e97a283a4f358b16102
砂地や、未熟な有機物を大量に入れてスカスカになった状態です。保水力が低く、干ばつの被害を受けやすくなります。また、有機物の分解が早すぎて肥料効きが持続しない傾向があります。
重要なのは、この「理想の割合」は固定されたものではなく、作物の種類や土壌タイプによって微調整が必要だということです 。例えば、レンコンやイネのような水生植物は気相が極端に低くても生存できる通気組織を持っていますが、果樹や根菜類は高い気相率を要求します。特に、黒ボク土(火山灰土)はもともと孔隙(隙間)が多く、固相率が30%程度と低いのが特徴で、その分液相や気相を多く含むことができます 。自分の畑の土壌タイプ(黒ボク、砂質、粘土質)を知った上で、この状態図の目標値を設定する必要があります。
参考)http://www.jsidre.or.jp/wordpress/wp-content/uploads/2022/07/1983guide1-soil-part.pdf
以下の表は、一般的な土壌と理想的な土壌の三相分布の比較イメージです。
| 項目 | 固相(土粒子) | 液相(水) | 気相(空気) | 特徴 |
|---|---|---|---|---|
| 理想的な土壌 | 40% | 30% | 30% | 水持ちと水はけが両立し、根が深く張る |
| 踏み固められた土 | 60% | 25% | 15% | 根が伸びず、雨が降るとすぐ冠水する |
| 砂質土壌 | 50% | 15% | 35% | 水がすぐ抜け、肥料も流亡しやすい |
| 排水不良土壌 | 40% | 50% | 10% | 常にジメジメしており、根腐れしやすい |
この「30:30」のバランス、すなわち孔隙(隙間)が土全体の60%を占める状態を作るのが、土作りの究極の目標と言えます。
「液相が30%あればよい」といっても、その「質」が重要です。ここで登場するのが物理性診断の重要指標である「pF値(ポテンシャル・フォース)」です。これは、土が水を引っ張る力(または根が土から水を吸い上げるのに必要な力)を示す指標です 。
参考)https://www.hro.or.jp/upload/13654/3v2.pdf
単に土の中に水(液相)が存在していても、植物が利用できなければ意味がありません。
雨が降った直後に存在する水で、重力に従って下に抜け落ちていく水です。これは一時的な液相であり、過剰にあると気相を圧迫して根腐れの原因になります。
毛管現象によって土の粒子の隙間に保持されている水です。これが作物が利用できる「有効な液相」です 。この範囲の液相をどれだけ確保できるかが、干ばつに強い土作りの鍵です。
参考)https://onlinelibrary.wiley.com/doi/pdfdirect/10.1002/ael2.20113
土の粒子に強力に吸着されている水で、植物の根の力では吸い上げることができません。土が湿っているように見えても、作物がしおれてしまう(永久しおれ点)のはこの状態です 。
土壌物理性の診断において、「液相率」だけでなく、このpF値との関係を理解することは極めて重要です。例えば、砂質土壌では液相の多くが「重力水」としてすぐに抜け落ちてしまい、有効水分を保持する時間が短いです。一方、粘土質の土壌では、液相率は高くても、微細な孔隙が多すぎて水を離さず(無効水分が多い)、作物が利用できない場合があります 。
参考)https://onlinelibrary.wiley.com/doi/pdfdirect/10.1111/ejss.13455
液相と気相の状態図を最適化するためには、pF1.8〜3.0の範囲の水(易有効水分)を保持できる「団粒構造」を増やすことが求められます。団粒構造の内部にある微細な隙間は水を保持し(液相)、団粒と団粒の間の大きな隙間は排水と通気(気相)を確保します。つまり、団粒構造の発達した土壌では、液相と気相という相反する要素を、異なるサイズの孔隙によって共存させることができるのです。
愛知県:土壌の保水性・排水性(pF値)について
※pF値の概念図や、土壌の種類ごとの有効水分の違いが分かりやすく解説されています。
近年、施設栽培や砂地栽培において見落とされがちなのが、「液相不足・気相過多」による生育阻害です。これは単なる水不足とは異なり、土壌の熱容量と緩衝能の低下を引き起こします。
液相(水)は、気相(空気)に比べて比熱(温度を1度上げるのに必要なエネルギー)が非常に大きいです。つまり、液相が適切な割合で含まれている土壌は、昼間の急激な地温上昇を抑え、夜間の急激な冷え込みを緩和する「温度のバッファー」としての役割を果たします 。
参考)HESS - Investigating the respo…
逆に、気相が過多でスカスカな土壌(乾燥した砂地や、未熟なバーク堆肥を大量に入れた直後の土など)では、このバッファー機能が働きません。
対策として、特に夏場の高温期には、意図的に液相率を高めに管理する(かん水頻度を増やす、敷きワラで蒸発を防ぐ)ことで、地温の上昇を防ぐ技術が有効です。また、堆肥を投入する際は、完熟したものを使用し、土とよく馴染ませて適度な鎮圧を行うことで、過剰な気相(大きな隙間)を減らし、毛管連絡を回復させることが重要です 。生育初期の根がまだ浅い段階では、この「液相による保護」が活着の良し悪しを決定づけます。
崩れてしまった「液相・気相・固相」のバランスを、理想的な状態図(40:30:30)に近づけるための具体的な改善策について解説します。基本戦略は「物理的な破砕」と「生物的な団粒化」の組み合わせです。
トラクターやロータリー耕は、一定の深さ(約15〜20cm)に硬い層(耕盤層)を作ります。これが排水(液相の移動)を妨げ、気相不足を招きます。サブソイラーや弾丸暗渠を使って、深さ40cm〜60cmまで亀裂を入れることで、固相率を下げ、水と空気の通り道を確保します 。
腐植(フミン酸など)を含む完熟堆肥や緑肥を投入します。これらは土壌粒子の接着剤となり、団粒構造を形成します。
この両方の孔隙を持つ団粒構造を作ることで、相反する「水はけ」と「水持ち」を両立できます。
改善の効果を確認するためには、測定が不可欠です。農家自身ができる簡易的な三相分布の測定方法があります 。
日本の農業:土壌改良材の種類と選び方
※物理性改善に役立つバーク堆肥、パーライト、ゼオライトなどの資材特性がまとめられています。
最後に、一般的な土壌診断ではあまり語られない、しかし極めて重要な「液相のヒステリシス(履歴現象)」という視点を紹介します。これは、土壌水分における「状態図」の隠れた特性です。
同じ「液相率30%」や「pF2.0」であっても、「雨が降って湿っていく過程(吸水過程)」にあるのか、「晴れて乾いていく過程(脱水過程)」にあるのかによって、植物の利用しやすさが異なるという現象です 。
土壌の孔隙は複雑な迷路のようになっています。入口が狭く中が広い空洞(インクボトルのような形状)に水が入るときと出るときでは、必要なエネルギーが異なります。一般に、乾いていく過程(脱水過程)の方が、同じpF値でも多くの水分(液相)を保持しています。
私たちは通常、土が乾いたら水をやります。しかし、一度カラカラに乾かしてしまうと、急に水をやっても「吸水過程」のカーブをたどるため、なかなか有効水分量まで液相が回復しないことがあります(撥水性などが関与)。逆に、ある程度湿り気がある状態から徐々に乾いていくときは、水持ちが良く、根がスムーズに水を吸えます。
つまり、液相と気相のバランス管理においては、「完全に乾いてからたっぷりやる」よりも、「ある程度の液相(湿り気)を維持しながら、緩やかに乾かす」管理の方が、土壌物理性の「状態図」としては安定し、作物のストレスが少ないのです。特に有機質の多い土壌や黒ボク土ではこのヒステリシスが大きくなる傾向があります。
「土が白く乾いたら水をやる」という教科書通りのマニュアルに加え、「完全に乾ききる手前(pF2.8付近)で水を足し、極端な乾燥ショック(気相過多)を与えない」という管理が、団粒構造を維持し、微生物相を守る上でも効果的なのです。この微細な水管理こそが、プロの農家が経験的に行っている「水やりの妙」であり、科学的には「土壌水分のヒステリシス管理」と言い換えることができるのです。