アーバスキュラー菌根菌(AM菌)は、植物の根に共生し、作物の生育を助ける土壌微生物の一種です。この菌の最大の特徴は、植物が自力では吸収しにくい「リン酸」を効率的に集めて供給してくれる点にあります。
参考)アーバスキュラー菌根菌とは?リン酸供給の働きと籾殻による活用…
通常、植物の根は、根の表面から数ミリ程度の範囲にある養分しか吸収できません。特にリン酸は土壌中で移動しにくく、根の周囲にはすぐに「リン酸欠乏帯」と呼ばれる養分が枯渇したエリアができてしまいます。ここで活躍するのがアーバスキュラー菌根菌です。この菌は、植物の根の細胞内に入り込み、そこから土壌中に向けて細長く広大な菌糸ネットワークを張り巡らせます。
参考)Physiology
この菌糸は植物の根毛よりもはるかに細く、土の微細な隙間まで入り込むことができるため、根が届かない遠くの場所にあるリン酸やミネラル、水分を吸収することができます。吸収されたリン酸は菌糸の中を通り、ポリリン酸という形で濃縮されて運ばれ、植物の根の細胞内で分解されて植物に渡されます。その見返りとして、菌は植物から光合成で作られた糖(炭素)を受け取り、共生関係を維持しています。
参考)菌根菌と根粒菌の違い|共通点と役割を徹底解説!! | コラム…
農業における主な導入メリット:
アーバスキュラー菌根菌は、陸上植物の約80%と共生関係を結ぶことができる非常に普遍的な微生物ですが、すべての作物に効果があるわけではありません。導入を検討する際は、栽培する作物が菌と共生できる種類(宿主植物)かどうかを必ず確認する必要があります。
参考)今更聞けない「菌根菌」。菌根菌の分類やよく目にする「アーバス…
共生しやすい相性の良い作物:
特にリン酸要求量が高い作物や、根が粗く養分吸収が苦手な作物で高い効果を発揮します。
| 分類 | 具体的な作物例 | 備考 |
|---|---|---|
| ネギ科 | ネギ、タマネギ、ニラ、ニンニク | 根が少なく太いため、菌根菌への依存度が高く、生育促進効果が顕著に出やすい。 |
| マメ科 | ダイズ、アズキ、インゲン、クローバー |
根粒菌(窒素固定)との「三重共生」が可能。リン酸供給により窒素固定能力も向上する |
| ナス科 | トマト、ナス、ピーマン、ジャガイモ | 育苗期の接種が効果的。 |
| ウリ科 | キュウリ、メロン、カボチャ | 根張りが良くなり、水揚げが安定する。 |
| イネ科 | トウモロコシ、ソルゴー、ムギ類 | 緑肥として利用する場合、土壌中の菌密度を増やすために有効。 |
| バラ科 | イチゴ、リンゴ、モモ | 果樹類でも広く共生が見られる。 |
共生しない(効果がない)作物:
以下の科に属する植物は、アーバスキュラー菌根菌を受け入れない性質を持っています。これらを栽培する際や、これらの直後に菌根菌資材を使っても定着しません。
アブラナ科の野菜は、根から殺菌作用のある物質(イソチオシアネートなど)を出すことがあり、土壌中の菌根菌密度を低下させることがあります。そのため、ブロッコリーなどの後にトウモロコシを植える輪作体系では、土着の菌根菌が減少し、後作の初期生育が悪くなる現象が知られています。これを防ぐには、間にマメ科などの相性の良い緑肥を挟むなどの工夫が必要です。
参考)https://www.naro.go.jp/project/results/laboratory/harc/1997/cryo97-034.html
市販されているアーバスキュラー菌根菌資材には、いくつかのタイプがあり、目的や栽培環境に合わせて選ぶことが成功の鍵です。資材に含まれる菌の形態やベースとなる基材(キャリア)に注目しましょう。
参考)菌根菌とは?菌根菌の利用方法や増やし方について解説 | コラ…
1. 菌の形態による違い
2. 資材のキャリアによる違い
参考)https://www.maff.go.jp/kyusyu/seisan/gizyutu/midori/attach/pdf/gakuchalle_R6-11.pdf
効果的な導入のタイミングと方法:
最も効果的なのは、「播種時」または「育苗期」です。植物がまだ小さく、根を伸ばし始めたタイミングで菌に触れさせることで、定着率が格段に上がります。
参考)事務局だより 2023年5月号
参考にできる記事:アーバスキュラー菌根菌資材の具体的な使い方や希釈倍率について解説されています。
注意点:
定植後の畑に上から散布しても、菌は土の表面にとどまってしまい、根まで届かないため効果は薄いです。必ず「根の近く」に施用することが鉄則です。
アーバスキュラー菌根菌の役割は、単なる作物の生育促進にとどまりません。近年、地球温暖化対策や環境再生型農業(リジェネラティブ・アグリカルチャー)の文脈で、この菌が生成する「グロマリン(Glomalin)」というタンパク質が注目されています。
参考)アーバスキュラー菌根菌とは?働きと効果を徹底解説!
グロマリンと土壌団粒化:
アーバスキュラー菌根菌の菌糸からは、グロマリン関連土壌タンパク質という粘着性のある物質が分泌されます。これが「接着剤」のような役割を果たし、土の粒子同士をくっつけて「団粒構造(ミクロ団粒・マクロ団粒)」を形成します。団粒構造が発達した土は、通気性と水はけが良く、ふかふかの土壌になります。
参考)有機物と微生物による土づくり(4)
強力な炭素貯留効果:
グロマリンは分解されにくい安定した炭素化合物であり、土壌中に長期間炭素を閉じ込めることができます。菌根菌は植物から受け取った光合成産物(炭素)の多くをこのグロマリンや菌糸体に変換し、地中に固定します。つまり、アーバスキュラー菌根菌を活性化させることは、大気中のCO2を土壌に貯蔵し、温室効果ガスの削減に直接貢献することにつながるのです。
参考)2024年10月号(特集:ここまでわかった!共生菌の力 菌根…
この視点は、従来の「肥料代わりの資材」という認識を超え、持続可能な農業エコシステムを構築するための「エンジニア」として菌根菌を捉え直す重要なポイントです。
アーバスキュラー菌根菌資材を使っても、「効果が実感できない」「定着しなかった」という失敗事例は少なくありません。その原因の多くは、土壌環境や管理方法のミスマッチにあります。
1. リン酸過多の土壌では定着しない
これが最も多い失敗原因です。植物は、土壌中にリン酸が十分にあり、自力で容易に吸収できる環境では、エネルギー(糖)を払ってまで菌と共生しようとしません。植物は「ストリゴラクトン」というシグナル物質の分泌を止め、菌根菌の受け入れを拒否します。
参考)リン酸とストリゴラクトンの関係:植物の枝分かれとアーバスキュ…
対策: 菌根菌資材を使用する際は、元肥のリン酸施肥量を通常より減らす(半分~3分の2程度)ことが重要です。減肥こそが、菌の働きを引き出すスイッチになります。
2. 殺菌剤(農薬)の使用
アーバスキュラー菌根菌は「カビ(糸状菌)」の一種であるため、殺菌剤、特に土壌灌注や消毒剤の影響を強く受けます。特に「ベノミル剤」などの浸透移行性のある殺菌剤は、菌根菌の形成を阻害する可能性が高いと報告されています。
参考)日本微生物生態学会第30回土浦大会 » P2…
対策: 育苗期間中など、菌を定着させたい時期には、影響の強い土壌殺菌剤の使用を避けるか、使用時期をずらす配慮が必要です。
3. 頻繁な耕起(耕しすぎ)
せっかく土壌中に張り巡らされた菌糸ネットワークも、ロータリーなどで激しく耕起されると寸断されてしまいます。菌糸が切れると、次の作物への感染能力が低下します。
対策: 不耕起栽培や簡易耕起(ミニマム・ティレッジ)を取り入れると、土着の菌根菌密度が維持され、資材の効果も持続しやすくなります。
参考にできる記事:菌根菌の失敗しないコツや農薬との関係について触れられています。
参考)作物の生育を促進させる「菌根菌」とは?種類や効果、増やし方、…
導入を成功させるためには、単に資材を投入するだけでなく、「減肥」「減農薬」「耕起の見直し」といった栽培体系全体でのアプローチが求められます。