菌糸体(きんしたい)とは、私たちが普段目にするキノコ(子実体)の土台となる「根」のような部分を指します。糸状の細胞が網目のように張り巡らされ、有機物を分解しながら成長していくネットワーク構造を持っています。近年、この菌糸体が持つ「自己接着能力」と「強固な網目構造」が、従来の石油由来プラスチックに代わる持続可能な新素材として世界中で注目を集めています。
菌糸体を利用した素材開発の最大の特長は、接着剤や化学薬品を一切使用せずに成形できる点にあります。おがくずや籾殻(もみがら)、コーンの芯といった農業廃棄物を型に入れ、そこに菌を植え付けると、菌糸が成長する過程で廃棄物同士を強力に結びつけます。数日間培養した後に加熱乾燥させて成長を止めれば、軽量でありながら発泡スチロールのような緩衝性と、一定の強度を持った固形物が完成します。
このプロセスは、自然界のサイクルをそのまま工業製品の製造に応用したものです。石油を採掘して加工するプラスチックとは異なり、原料は植物由来の廃棄物であり、製造エネルギーも培養に必要な温度管理程度で済むため、カーボンニュートラルの観点からも非常に優秀です。農業従事者にとって馴染み深い「菌」の力が、最先端の工業マテリアルとして生まれ変わろうとしています。
三井物産戦略研究所 - 2023年に注目すべき技術としての菌糸体の解説
Sustainable Brands - 菌糸体と廃棄物で循環型建材をつくるスタートアップの事例
農業現場において、菌糸体プラスチックの最も有望な活用先の一つが「梱包材」や「緩衝材」です。現在、農産物の出荷や輸送には大量の発泡スチロールやプラスチックトレイが使われていますが、これらは使用後の廃棄処理が大きな負担となっています。菌糸体で作られた梱包材は、これらを代替する強力なソリューションとなります。
具体的なメリットとして、以下の3点が挙げられます。
菌糸体梱包材は100%植物と菌でできているため、使用後は細かく砕いて土に埋めるだけで、数週間から数ヶ月で完全に分解されます。産業廃棄物として処理費用を払う必要がなく、自身の農地で堆肥として処理できる点は、農家にとって経済的かつ実務的な大きな利点です。
菌糸体材料は微細な空洞を含む構造になっており、発泡スチロールと同等の衝撃吸収性と断熱性を持っています。デリケートな果物や野菜を輸送する際の衝撃から守り、温度変化による傷みを防ぐ効果も期待できます。特に高級フルーツなどの贈答用パッケージとして、環境配慮のブランドストーリーを付加できる点も魅力です。
意外かもしれませんが、菌糸体素材は処理によって高い難燃性(燃えにくい性質)や撥水性を持たせることが可能です。倉庫での保管時における火災リスクの低減や、湿気の多い環境での耐久性も確保できるため、従来の紙製資材よりも農業現場の過酷な環境に適している場合があります。
海外では既に、家具の梱包材やワインのギフトボックスとしてIKEAなどの大企業が導入を検討しており、その実用性は証明されつつあります。日本の農業においても、まずは高付加価値作物のパッケージから導入が進んでいくと考えられます。
CE HUB - インド工科大学が農業廃棄物から開発した菌糸体包装材のニュース
note - きのこマテリアルがプラスチック以降の世界を作る事例紹介
育苗(いくびょう)の現場で欠かせないポリポットですが、定植のたびにプラスチックゴミが出る、あるいはポットから苗を抜く際に根を傷めてしまうという課題があります。ここで活躍するのが「菌糸体製ポット」です。これは、ジフィーポットのような従来の紙製やピートモス製のポットをさらに進化させた、次世代の農業資材と言えます。
菌糸体ポットの最大の特徴は、「そのまま植えられる(植え付けの手間がない)」ことに加え、「土壌への定着がスムーズである」点です。
菌糸体で作られたポットは、土中の微生物によって速やかに分解されるだけでなく、ポット自体が菌由来の有機物であるため、分解過程で土壌微生物の餌となり、根の周囲の微生物相(マイクロバイオーム)を豊かにする効果が期待できます。
| 特徴 | 従来のポリポット | 従来の生分解性ポット (紙/ピート) | 菌糸体ポット |
|---|---|---|---|
| 廃棄処理 | 産廃処理が必要 | 土に還る | 土に還る (分解が早い) |
| 強度・耐久性 | 非常に高い | 水濡れで破れやすい | 水に強いが土中で分解 |
| 植え付け | 苗を抜く必要あり | そのまま植え付け可 | そのまま植え付け可 |
| 土壌への影響 | 残留マイクロプラ懸念 | 特になし | 有機肥料・土壌改良効果 |
実際に、海外の園芸業界や森林再生プロジェクトでは、菌糸体ポットの使用試験が進んでいます。特に、移植を嫌う直根性の野菜や、樹木の苗木において、根鉢(ねばち)を崩さずに植えられるメリットは生育率の向上に直結します。また、ポット自体が水分を適度に保持・放出する機能を持つため、乾燥ストレスから苗を守る効果も報告されています。
コスト面ではまだポリポットより割高ですが、廃棄コストの削減、植え付け作業の省力化、そして苗の活着(かっちゃく)率向上による歩留まり改善をトータルで考えれば、十分に採算が合う資材となり得るでしょう。
矢野経済研究所 - バイオプラスチック市場に関する調査結果(市場の成長性)
「環境に優しいプラスチック」と聞いて、多くの農家の方が思い浮かべるのは「生分解性プラスチック(マルチフィルムなど)」でしょう。しかし、菌糸体資材はこれら既存の生分解性プラスチックとも異なる、独自のポジションを確立しています。両者の違いを正しく理解することは、資材選びにおいて非常に重要です。
1. 原料と製造プロセスの違い
一般的な生分解性プラスチック(PLAなど)は、トウモロコシやサトウキビから抽出したデンプンを化学的に合成・重合させて作ります。これには大規模な化学プラントが必要であり、製造過程で一定のエネルギーを消費します。
一方、菌糸体資材は「生物学的プロセス」で作られます。農業廃棄物に菌を植え、常温に近い環境で放置(培養)するだけで成形されます。化学合成を行わないため、製造時のCO2排出量が圧倒的に少なく、より「ローテク」で環境負荷の低い製法と言えます。
2. 分解スピードと環境条件
多くの生分解性プラスチックは、コンポスト施設のような「高温・多湿・特定の微生物」が揃った環境でないと分解が進まないものがあります(産業用コンポストが必要なタイプ)。畑に放置しても数年は分解されずに残ってしまうケースも少なくありません。
対して菌糸体資材は、もともとが天然の有機物であるため、自然環境下(通常の土壌中)での分解性能が非常に優れています。雨や土壌微生物にさらされることで速やかに崩壊し、数週間〜数ヶ月という短いサイクルで土に還ります。これは、収穫後にすぐに鋤き込みを行いたい農業現場のニーズに非常にマッチしています。
3. 「代替」か「共存」か
生分解性プラスチックは、透明性や薄さが求められる「マルチフィルム」や「ビニールハウス資材」の代替としては優秀です。菌糸体資材は不透明で厚みがあるため、フィルム用途には向きませんが、「固形物(ポット、トレイ、支柱保持材)」の代替において最強の選択肢となります。
つまり、フィルム類は生分解性プラ、固形資材は菌糸体、というように適材適所で使い分けることが、これからの環境保全型農業のスタンダードになっていくでしょう。
RIETI - 糸状菌の多様性と産業利用(梱包材や代替肉への応用)
ここまでの話は「購入する資材」としての菌糸体でしたが、実はこの技術、農家が「自作」できる可能性を秘めています。これが検索上位の記事にはあまり書かれていない、農業従事者ならではの独自の視点かつ最大のメリットです。
菌糸体資材の原料は、皆さんのお手元にある「農業廃棄物」です。稲わら、もみがら、麦わら、剪定枝のチップ、キノコの廃菌床など、セルロースを含む植物残渣(ざんさ)であれば何でも基材になり得ます。これらを粉砕し、種菌(ホームセンターや種菌メーカーから入手可能)と少量の栄養源(米ぬかや小麦粉)を混ぜ、型に詰めて適度な温度・湿度で放置する。基本的なプロセスはこれだけです。
【簡易的な自作のイメージ】
もし農園内でこのサイクルを確立できれば、以下のような革命的なコストダウンと循環が生まれます。
「ゴミを資材に変え、最後は肥料として土に戻す」。
これこそが、菌糸体プラスチックが農業にもたらす真の価値であり、SDGs時代の新しい農業経営の形と言えるのではないでしょうか。大規模な設備投資をする前に、まずは小さなプランター作りから実験してみるのも面白いかもしれません。
Green Lab Wiki - 菌糸体プロダクトの自作手順(英語・詳細なDIY方法)
Rootlab - 菌糸体オブジェクトの作り方と材料

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