アドマイヤー系農薬はトビイロウンカに効かず収量減リスクがある
トビイロウンカの学名は「Nilaparvata lugens」と表記され、1854年にスウェーデンの昆虫学者スタール(Stal)によって命名されました。この学名は現在も世界中の研究機関や病害虫防除の現場で標準的に使用されています。学名の属名部分「Nilaparvata」はウンカ属を示す分類群の名称であり、種小名「lugens」はラテン語で「喪に服する」「暗い」という意味を持つ形容詞です。
これは成虫の体色が油ぎった褐色から黒褐色を呈することに由来しています。体長は雌が約4.8mm、雄が約4mmと小型ですが、その被害の大きさは体のサイズとは無関係です。分類学上はカメムシ目(半翅目)同翅亜目ウンカ科に属する昆虫であり、セミやアブラムシと同じ仲間に分類されます。
学名による正確な識別が重要です。
日本国内には類似種として「トビイロウンカモドキ(Nilaparvata bakeri)」や「ニセトビイロウンカ(Nilaparvata muiri)」も存在しており、これらはトビイロウンカ属に分類される別種です。しかし水稲に甚大な被害を与えるのは主にNilaparvata lugensであるため、学名を用いた正確な種の識別が防除対策を立てる上で極めて重要になります。
広島県発行のトビイロウンカ解説資料では学名の表記と分類学的位置づけが詳細に記載されています
専門機関への相談時や農薬の適用害虫を確認する際には、和名だけでなく学名「Nilaparvata lugens」も併記することで、対象害虫の取り違えを防ぐことができます。特に新規薬剤の登録情報や海外の研究論文を参照する場合、学名表記は国際的な共通言語として機能します。
トビイロウンカは分類学上、動物界→節足動物門→昆虫綱→カメムシ目(半翅目)→同翅亜目→ウンカ科→トビイロウンカ属という階層構造の中に位置します。カメムシ目に属する昆虫は口器が針状に変化した「刺吸式口器」を持つことが共通の特徴であり、植物の師管液や導管液を吸汁して生活する種が多く含まれています。
同翅亜目にはウンカ科の他にヨコバイ科、アブラムシ科、カイガラムシ科などが含まれ、いずれも農業上の重要害虫を多数含むグループです。ウンカ科の中でも水稲に被害を与える主要な種は、トビイロウンカの他にセジロウンカ(Sogatella furcifera)、ヒメトビウンカ(Laodelphax striatellus)の3種が知られています。
分類が防除戦略の基本です。
これら3種は形態的特徴や生態、被害様式が異なるため、正確な種の同定が適切な防除時期や薬剤選択の前提条件となります。トビイロウンカは体色が油ぎった褐色であるのに対し、セジロウンカは背中に白い長楕円形の紋があり、ヒメトビウンカは体長が3〜4mmとやや小型で胸部背面に縦縞があります。
トビイロウンカ属(Nilaparvata属)には世界で約20種が記載されていますが、そのほとんどはアジアの熱帯・亜熱帯地域に分布しています。日本に生息するNilaparvata属の昆虫は前述の3種ですが、水稲に経済的被害をもたらすのは主にN. lugensのみです。このため農業現場では「ウンカ」といえばトビイロウンカを指すことが多いものの、厳密には3種を区別して認識する必要があります。
分類学的知見は単なる学術的興味だけでなく、農薬登録における適用害虫の範囲や、抵抗性品種の開発対象の特定など、実用的な場面でも重要な意味を持ちます。
トビイロウンカには成虫に「長翅型(ちょうしがた)」と「短翅型(たんしがた)」という2つの形態が存在します。これは同一種内で発生する多型現象であり、遺伝的に決定されるのではなく環境条件によって決まる可塑的な形質です。長翅型は翅が腹部の先端を超えて長く伸びており、体長は雌で約4.8mm、飛翔能力が高く長距離移動が可能なタイプです。
一方、短翅型は翅が腹部の中ほどまでしか達しない短い翅を持ち、体長は約3mmとやや小型で、飛翔能力はほとんどありません。中国大陸から梅雨期に日本へ飛来してくるのはすべて長翅型の成虫であり、これが「移動型タイプ」と呼ばれる理由です。水田に着地した長翅型は産卵し、孵化した幼虫が成虫になる際に短翅型が出現する割合が増加します。
短翅型は定着型です。
短翅型の出現割合は幼虫期の環境条件によって変化し、イネの株密度が低く栄養状態が良好な場合や、個体密度が低い場合に短翅型が多く発生します。逆に個体密度が高くなり栄養競争が激化すると、長翅型の割合が増加して新たな場所への移動が促進されます。この現象は密度依存的な翅型決定と呼ばれ、トビイロウンカの個体群動態を理解する上で重要な生態的特性です。
短翅型は飛べない代わりに繁殖能力が高く、成虫になってから産卵を始めるまでの期間が長翅型より短く、産卵数も多くなります。このため水田内での増殖速度は短翅型の方が圧倒的に速く、第2世代以降の爆発的な個体数増加をもたらす主要因となっています。つまり長翅型が「侵入部隊」であるのに対し、短翅型は「増殖部隊」の役割を果たしていると言えます。
クミアイ化学工業の資料では長翅型と短翅型の写真付き比較が掲載されています
農業現場では、7月中旬から8月上旬に水田内で短翅型の成虫が多数観察されるようになると、その後の爆発的増殖と坪枯れ被害のリスクが高まるため、早急な防除対応が必要になります。翅型の違いを理解することは、適切な防除タイミングの判断材料となります。
トビイロウンカは日本国内では越冬することができません。これはイネの収穫後に餌となる生育中のイネがなくなることと、冬季の低温に耐えられないためです。そのため毎年6月から7月の梅雨期に、中国南部(雲南省、貴州省、広西チワン族自治区など)やベトナム北部などの海外から、下層ジェット気流に乗って成虫が飛来してきます。
飛来源地域では年間を通じてイネが栽培されており、特にベトナム北部では二期作が行われているため、トビイロウンカは周年発生しています。これらの地域で発生した長翅型成虫が、梅雨前線の南側に形成される強い南西風(下層ジェット気流)に乗って、東シナ海を越えて日本に到達します。飛行距離は数百kmから1000km以上に及ぶこともあり、気象条件によって飛来数や飛来時期が大きく変動します。
毎年必ず飛来します。
飛来の主要期間は6月下旬から7月上旬ですが、年によっては5月下旬から飛来が始まることもあります。2020年には例年より早く多数の飛来が確認され、その後の大発生につながりました。飛来初期の個体数は比較的少ないものの、水田に定着した個体が産卵し、約1ヶ月のサイクルで世代を繰り返すため、8月から9月にかけて第2世代、第3世代と世代が進むにつれて指数関数的に個体数が増加します。
飛来予測には気象データが活用されており、各都道府県の病害虫防除所では梅雨前線の位置や下層ジェット気流の強さを監視し、予察灯による成虫の誘殺数調査を実施しています。飛来時期の早期把握と初期世代の防除が、その後の大発生を抑制する鍵となります。
日本で越冬できないという特性は、一見するとトビイロウンカの防除にとって有利な条件のように思えます。しかし実際には飛来源地域での薬剤抵抗性の発達が、そのまま日本に持ち込まれるという問題を引き起こしています。ベトナム北部や中国南部では周年発生するため薬剤散布の機会が多く、抵抗性が発達しやすい環境にあります。
トビイロウンカの薬剤抵抗性問題は、日本の稲作にとって深刻な脅威となっています。特にネオニコチノイド系薬剤のイミダクロプリド(商品名:アドマイヤー、フルサポートなど)に対する抵抗性が顕著に発達しており、現在ではこれらの薬剤はトビイロウンカに対してほとんど効果を示しません。2013年頃から飛来源地域であるベトナム北部でイミダクロプリド剤が大量に使用された結果、抵抗性個体群が形成されました。
この抵抗性は遺伝的な変異によるもので、神経伝達に関わる受容体タンパク質の構造変化により、薬剤が結合できなくなったことが原因です。日本国内では越冬できないため、理論上は抵抗性が次世代に引き継がれることはありませんが、毎年飛来してくる個体がすでに抵抗性を持っているため、国内での対策だけでは解決できない構造的な問題となっています。
アドマイヤー系は効きません。
2025年現在、トビイロウンカに有効な薬剤成分としては、フィプロニル系(商品名:プリンスなど)、トリフルメゾピリム系、フルピリミン系などが挙げられます。これらの成分を含む箱施用剤は、育苗期に使用することで飛来初期からの定着を抑制する効果があります。ただし箱施用剤の効果持続期間は約60日程度であり、それ以降は本田での追加防除が必要になります。
本田での茎葉散布では、フィプロニル剤の他、有機リン系やカーバメート系の薬剤も一定の効果を示します。重要なのは薬剤のRACコード(作用機構分類コード)を確認し、同一の作用機構を持つ薬剤を連続使用しないことです。連続使用は新たな抵抗性発達を促進するリスクがあります。
農林水産省発行の「イネウンカ類の薬剤抵抗性問題と防除対策」には最新の抵抗性情報と推奨薬剤が詳述されています
2020年には西日本を中心にトビイロウンカが大発生し、被害面積は13万ha、被害量は7万トンに達しました。熊本県では補償金が前年の29倍となる約9億8850万円に達し、2013年の全国被害額は105億円を超えました。このような甚大な被害を回避するためには、薬剤抵抗性の実態を正確に把握し、有効な薬剤を適切なタイミングで使用することが不可欠です。
密度調査で株当たり5頭以上が確認された場合、直ちに防除を実施する必要があります。特に8月中旬から9月上旬の増殖期は被害拡大の臨界期であり、この時期を逃すと坪枯れ被害を食い止めることが困難になります。薬剤選択の際は、都道府県の病害虫防除所が発表する防除基準や注意報を参照し、地域で有効性が確認されている薬剤を選択することが重要です。