石垣イチゴの始まりは明治期にさかのぼり、久能山東照宮ゆかりの人物が譲り受けたいちご苗を日当たりの良い石垣の下に植えたことがきっかけとされている。 まだ温室やビニールハウスがなかった時代に、石の蓄熱効果と南向き斜面を巧みに利用して冬場でも実をならせたことが、この地域独自の栽培方法として受け継がれてきた理由だ。
静岡市の駿河区西平松から清水区駒越まで続く久能海岸沿いは、有度山南斜面が海に迫る地形で、そこに石垣を積み上げていちごを植える風景が「石垣いちご」として知られている。 山麓から海までわずか数百メートルしかない急斜面に石垣が段々状に連なり、その間にいちごが植えられている様子は、他産地の平坦なハウス栽培とは明らかに異なる景観を生み出している。
参考)石垣いちご - Wikipedia
久能地区の石垣イチゴは、促成栽培の歴史としても日本有数の古さを誇り、「我が国で最も古い営利栽培の一つ」と評価されている。 一部の農園では、明治・大正期から東京の高級果物店へ出荷していた記録も残っており、斜面から都心へ運ばれた早出しのいちごが、当時の「ハイカラな贅沢品」として珍重されたというエピソードも伝えられている。
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また、石垣イチゴの園地には、ヘレン・ケラーが訪れたとされる農園や、創業100年以上の老舗観光農園も存在し、「伝統農法」と「観光」が一体となった地域文化として語られている。 こうした物語性のある歴史は、単なる特産品を超えた「地域ブランド」としての価値を高めており、農業観光コンテンツづくりの観点からも重要な資産となっている。
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久能地区の石垣イチゴの歴史や背景を詳しく知りたい読者向け(本節「歴史と背景」の補足資料として有用)。
石垣イチゴ栽培では、有度山南斜面に石やコンクリートブロックを一定の角度で積み上げ、その隙間にいちご苗を植え付けることで、斜面全体を巨大な「太陽熱パネル」のように活用している。 日中に石垣が吸収した太陽エネルギーは夜間にゆっくり放熱され、冬場でも地温を高く保つことで、通常より早い時期から収穫できる促成栽培が可能になる仕組みだ。
駿河湾に面した海からの反射光と、南向き斜面による長時間の日照が重なり、平坦な畑よりも受光効率が高い点も石垣イチゴの大きな特徴である。 その結果、果実がしっかりと着色し、糖度の高い「甘いいちご」を比較的少ない加温エネルギーで生産できる、環境負荷の小さい作型として評価されている。
参考)https://www.ecochil.net/article/18442/
石垣は、果実が土に触れにくくなるという衛生面での利点も持っており、泥はねや傷みを防ぐことで観光農園に不可欠な「見た目の良さ」を確保しやすい。 斜面栽培は水はけが良い反面、乾燥しやすい側面もあるため、灌水の頻度やタイミングを石の保水性と合わせて調整する「経験値」が求められる点も、久能の農家が代々磨いてきた技術の一つだ。
参考)時代を超えてサステナブルに自然と人がやさしく育む果実の宝石「…
この作型は、石垣の維持管理や急斜面での作業負担が大きいため、他地域で同様のスタイルが広く普及するには至らず、現在では久能地区ならではの希少な栽培方法になっている。 一方で、既存の石垣や斜面を活用できれば、暖房費を抑えた省エネ栽培として魅力があり、サステナブルな農業の先行事例として注目されてもおかしくないポテンシャルを持っている。
参考)駿河を食す、いちご生産者と巡る旅
久能の国道150号沿いは「いちご海岸通り」と呼ばれ、冬から春にかけて石垣イチゴのビニールハウスが連なる景観そのものが、地域を代表する観光資源となっている。 多くの観光農園では、12月頃からゴールデンウィーク前後までいちご狩りを実施しており、30分食べ放題や時間無制限など、農園ごとに異なるスタイルで来園者を迎えている。
栽培されている主な品種としては、甘みが強く酸味が控えめな「章姫(あきひめ)」や、甘酸っぱいバランスの良さで人気の「紅ほっぺ」などがあり、農園によっては複数品種を食べ比べできるようにしているところもある。 石垣栽培は日当たりの良い斜面全体で果実が色づきやすく、完熟させた状態で収穫してそのまま提供できるため、「市場に出回るいちごより甘い」と感じる来園者が多いと言われている。
参考)いちご狩りの萩原農園
観光農園での体験を最大限楽しむためには、次のようなポイントを押さえておくとよい。
近年は、いちご狩りに加えて、自家製スイーツやカフェメニューを提供する農園も増え、SNS映えするパフェやドリンクと組み合わせて石垣イチゴの価値を伝える取り組みもみられる。 さらに、廃棄ロス削減の一環として、過熟や規格外の石垣イチゴを加工用やアウトレットとして販売し、フードロス対策と収益確保を両立しようとする動きも出てきている。
石垣イチゴという名称は特定の品種名ではなく、「石垣を利用した栽培方法」を指す呼び名であり、その時代ごとに適したいちご品種が選抜されてきた経緯がある。 近年の久能地区では、章姫、紅ほっぺ、かおり野、さちのかなど、食味や収量、病害虫への強さを考慮しながら複数品種を組み合わせて栽培する農園が増えている。
石垣栽培では、石垣の角度と列の向きが日射条件を大きく左右するため、品種の特性に合わせた植え付け位置の工夫が行われている。 例えば、色づきに時間がかかる品種はより日光が長く当たる高い位置、乾燥に弱い品種は保水性のある部分に配置するなど、同じ石垣の中でも「マイクロロケーション」を意識したきめ細かな管理が実践されている。
参考)about - strawberryfield石垣苺
一方で、石垣イチゴはうどんこ病やハダニの発生リスクが指摘されており、かつては施設石垣いちごの病害虫発生と環境要因の関係を解析した研究も行われている。 現在では、石垣栽培の特性を踏まえた防除カレンダーや、天敵利用・環境制御を組み合わせた総合的病害虫管理(IPM)に取り組む農家も増え、観光農園としての安全・安心を支える重要な裏方作業となっている。
参考)https://www.semanticscholar.org/paper/9c43b373f9e47cc0f338f3590779b87411182bdf
栽培管理の年間サイクルを大まかに整理すると、次のようになる。
| 時期 | 主な作業内容 |
|---|---|
| 初夏〜夏 | 苗づくり、ランナー増殖、育苗地での管理(高冷地育苗を行う農家もあり)。 |
| 秋 | 石垣への定植、土壌消毒を終えた圃場への植え付け、石垣補修や潅水設備の点検などを集中的に実施。 |
| 冬 | 石垣の蓄熱とビニールハウス被覆による温度管理、電照や短日処理を組み合わせた花芽形成のコントロール。 |
| 冬〜春 | 収穫・選別・直売、観光客対応、病害虫のモニタリングと防除、石垣の保守点検。 |
最近では、耕作放棄地化した斜面を買い上げ・借り上げして再生し、再び石垣イチゴの園地として蘇らせるプロジェクトも進んでいる。 こうした取り組みでは、数カ月にわたる雑草除去や土壌消毒、ハウス建設など初期投資のハードルが高い一方で、再生された圃場が地域の景観とブランド維持に大きく貢献することから、行政やクラウドファンディングを巻き込んだ支援の動きも見られる。
静岡県全体のいちご生産の歴史や作型の変遷を詳しく知りたい読者向け(本節「品種選びと栽培管理」の背景理解に役立つ)。
石垣イチゴは、「石垣を使った促成栽培」という希少性と、久能山東照宮や駿河湾の景観と一体になったストーリー性により、単なる産地ブランドを超えた体験型コンテンツとしてのポテンシャルを持っている。 すでに一部の農園では、「久能山石垣いちごデラックス」といった高付加価値商品を打ち出し、贈答用ギフトとしてオンライン販売することで、観光シーズン以外の収益源も確保し始めている。
今後の独自視点として注目したいのが、石垣イチゴと観光DX(デジタルトランスフォーメーション)の掛け合わせである。観光事業の公募資料などでは、地域資源とデジタル技術を組み合わせた体験型ツーリズムの事例が増えており、農業分野でも予約・決済・体験価値の可視化をオンラインで完結させる動きが広がりつつある。 石垣イチゴでも、予約システムや混雑状況のリアルタイム配信、ドローンや360度カメラによる斜面ハウスのバーチャル見学などを組み合わせれば、「現地に行く前からワクワクする体験設計」が可能になるだろう。
参考)いちご狩り農園 Strawberry Field|【公式】静…
ブランド力をさらに高める上では、「歴史」「景観」「味わい」の3点を言語化し、一貫したストーリーとして発信することが鍵となる。
さらに、耕作放棄地の再生プロジェクトや環境に配慮した栽培方法を積極的に情報発信すれば、「サステナブルなブランドいちご」という新しいイメージを構築することもできる。 石垣イチゴのように、地域固有の地形と歴史に根ざした農業は、DXと組み合わさることで、単なる特産品から「学びと体験を提供する農業コンテンツ」へと進化していく可能性を秘めていると言える。
参考)https://www.mlit.go.jp/kankocho/content/001755774.pdf