イチゴ栽培において、収益を左右する最大のイベントといっても過言ではないのが「花芽分化(かがぶんか)」です。これが予定通りに進まないと、クリスマス商戦に間に合わなかったり、収穫の谷間(中休み)が長引いたりと、経営に直結するダメージを負うことになります。しかし、近年の気候変動により、従来の「カレンダー通りの管理」では花芽が来ないケースが急増しています。ここでは、イチゴが生殖成長へと切り替わるための絶対的な条件と、温度が及ぼす影響について深堀りしていきます。
参考リンク:タキイ種苗|イチゴの生理生態と花芽分化の基礎知識
イチゴは本来、四季の移ろいを感じ取って成長モードを切り替える植物です。春から夏にかけての気温が高く日が長い時期は、ランナー(匍匐茎)を伸ばして株を増やす「栄養成長」を優先します。そして、秋になり気温が下がり日が短くなると、子孫を残すために花を作り実をつける「生殖成長」へとシフトします。このスイッチが入る瞬間こそが花芽分化です。
このスイッチを入れるための主要な因子の一つが「日長(日の長さ)」です。イチゴは「短日植物」に分類され、日長が一定時間より短くなると花芽を作ろうとします。
しかし、日長だけで決まるわけではありません。ここには温度との強力な相互作用が存在します。日長が短くなっても、気温が高すぎればスイッチは入りませんし、逆に気温が十分に低ければ、日が長くてもスイッチが入ることがあります。
この「日長」と「温度」の組み合わせによる反応パターンは以下のようになります。
| 条件 | 反応 |
|---|---|
| 高温・長日 | 栄養成長(ランナー発生) |
| 高温・短日 | 花芽分化が抑制される(品種による) |
| 適温・短日 | 花芽分化(最も一般的なパターン) |
| 低温 | 日長に関わらず花芽分化(自動的) |
特に重要視すべきは、日本の秋口(9月〜10月)の環境です。自然条件では、日長は徐々に短くなりますが、残暑が厳しいと「短日条件は満たしているのに温度条件が満たされない」というジレンマに陥ります。これが近年の花芽分化遅延の主たる原因です。
参考リンク:セディアグリーン|イチゴの花芽分化と日長反応のメカニズム
イチゴの花芽分化において、温度はアクセルにもブレーキにもなる最強の因子です。多くの研究や栽培マニュアルで示されているのが「平均気温」の指標です。特に意識すべきは「25℃」というラインです。
温度帯によるイチゴの反応分類:
重要なのは、「平均気温」だけでなく「夜温」の管理です。昼間が30℃あっても、夜温がしっかり下がれば平均気温は下がります。しかし、熱帯夜が続くと平均気温が高いまま推移し、いつまでたっても花芽が来ない「ボケ」た苗になってしまいます。
参考リンク:アグリテックラボ|イチゴの花芽分化条件と温度管理の徹底解説
温度と日長に次ぐ第三の因子、それが「植物体内の窒素(チッソ)濃度」です。これを専門的には「C/N比(炭素率)」という概念で説明します。
植物は、N(窒素)が多い状態では「体を大きくしよう」とする栄養成長が優先されます。逆に、Nが減り、C(炭水化物)が相対的に多い状態(C/N比が高い状態)になると、「子孫を残そう」とする生殖成長、つまり花芽分化に向かいます 。
実践的な窒素コントロールの手順:
近年の高温環境下では、植物の代謝が活発で窒素の吸収も良くなるため、従来よりも意識的に窒素レベルを下げておかないと、高温による分化阻害を助長してしまいます。
参考リンク:茨城生科研|育苗期後半の窒素管理と不時出蕾のリスク
「検鏡(けんきょう)してみたけれど、まだ未分化だった……」
定植予定日が迫る中、この結果に焦る生産者は少なくありません。花芽分化が遅れる最大の原因は、やはり近年の「9月の高温」です。特に夜間の温度が下がらないことが致命的です。
花芽分化が遅れることによるデメリット:
これに対抗するための強力な武器が「夜冷(やれい)処理」などの人為的な処理です。自然の気候に頼らず、強制的に花芽分化スイッチを入れる技術です 。
参考)イチゴの夜冷処理を開始しました。
主な処理方法とその特徴:
必須作業:花芽検鏡(はなめけんきょう)
どのような処理を行うにせよ、最終的な確認は人間の目で行う必要があります。実体顕微鏡を使い、生長点を剥き出して、その形がドーム状に盛り上がり、ガク片の形成が始まっているかを確認します。未分化のまま定植することは、ギャンブルに近い行為です 。
参考)イチゴ定植に向け花芽検鏡開始!
参考リンク:福岡県農業総合試験場|イチゴの花芽検鏡診断マニュアル(PDF)
多くの生産者が「気温(室温)」に注目しますが、実はイチゴが温度を感じ取っている部位において、意外と見落とされがちなのが「クラウン(株元)」および「根圏(根が張っている土壌部分)」の温度環境です。
植物生理学的に、温度感知の主役は葉や生長点ですが、根の周辺環境も植物全体のホルモンバランスに多大な影響を与えます。特に、ポット育苗において、黒いポリポットを使用している場合、日中の直射日光でポット内部の土壌温度は40℃近くまで上昇することがあります。
ここが独自の視点:根圏温度の「熱慣性」による遅れ
空気の温度は、日が沈めば比較的速やかに下がります。しかし、土(培地)の温度は一度温まると冷めにくい性質(熱慣性)を持っています。
例えば、夕方6時に外気温が24℃まで下がったとしても、ポット内部の培地温度はまだ30℃近い状態が数時間続くことがあります。イチゴの生長点であるクラウンは、まさにこの「熱い培地」の直上に位置しています。
対策としての「微気象」管理:
「気温は24℃まで下がっているのに、なぜか花芽が来ない」という場合、この株元数センチの微気象が高温のまま維持されているケースが非常に多いのです。温度計を空中にぶら下げるだけでなく、実際にポットの土に棒温度計を挿して、夜間の地温を測ってみることを強くおすすめします。
参考リンク:根の生態系における温度変化が植物機能に与える影響(英語論文要約)
参考リンク:愛知県|局所冷却技術による花芽形成の安定化

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