イチゴの花芽分化の条件と低温短日窒素検鏡の技術

イチゴ栽培の成否を握る花芽分化。低温・短日条件や窒素管理の基礎から、顕微鏡による検鏡判断、さらには遺伝子レベルでのメカニズムまで徹底解説します。あなたの定植タイミングは本当に最適ですか?
イチゴの花芽分化 完全攻略ガイド
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低温・短日条件

気温25℃以下と日長13時間以下の環境制御がカギ

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花芽検鏡の技術

生長点の肥厚とドーム形成を顕微鏡で正確に判断

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遺伝子レベルの制御

TFL1(抑制)とFT(促進)の拮抗バランスを理解する

イチゴの花芽分化の条件

イチゴ栽培において、収量と品質を決定づける最大のイベントが「花芽分化」です。これは、イチゴの苗が葉を作る「栄養成長」から、花や実を作る「生殖成長」へと切り替わる生理的な転換点を指します。このスイッチが入らなければ、いくら立派な苗を育てても実は収穫できません。プロの農家にとって、この見えないスイッチを意図的に、かつ確実にオンにすることが栽培スケジュールの要となります 。

 

参考)いちごの花芽分化条件と温度!窒素管理や検鏡での対策

特に重要なのが、この現象が「低温」「短日」「低窒素」という特定の環境ストレスによって引き起こされるという点です。自然界では秋の訪れとともに起こる現象ですが、促成栽培や超促成栽培では、これを人工的に作り出す技術が求められます。クラウン内部の生長点で何が起きているのか、そのミクロな変化をマクロな管理技術でコントロールすることが、安定生産への第一歩です 。

 

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イチゴの花芽分化のメカニズムと低温短日の関係

イチゴの花芽分化を誘引する最大の要因は、温度と日長のバランスです。一般的に、平均気温が25℃を下回り、日照時間が13時間以下(短日条件)になると、花芽分化のスイッチが入るとされています。この「低温」と「短日」は相互補完的な関係にあり、温度が十分に低ければ(15℃以下)、日長に関わらず花芽分化が起こる場合もあります。逆に、温度がやや高め(15~25℃)の場合は、厳密な短日条件が必要となります 。

 

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植物生理学の視点から見ると、イチゴは葉で光の長さ(暗期の長さ)を感知し、その情報が花成ホルモン(フロリゲン)を通じてクラウン内部の生長点へ伝達されます。ここで重要なのが「夜温」の管理です。昼間の温度が高くても、夜間の温度をしっかり下げることで、植物体内の呼吸消耗を抑え、花芽形成に必要な炭水化物の蓄積を促すことができます。夜冷育苗などの技術は、まさにこの生理メカニズムを人工的に再現し、定植時期を早めるための手法です 。

 

参考)イチゴのワンポイントアドバイス

また、このメカニズムは品種によって感度が異なります。「とちおとめ」や「あまおう」など、品種ごとの「限界日長」や「感応温度」を正確に把握していないと、同じ管理をしていても花芽が来ない、あるいは不揃いになるといったトラブルが発生します。自身の栽培品種が、どの程度の低温・短日で反応するのか、ブリーダーのデータや地域の指導指針と照らし合わせることが不可欠です 。

イチゴの花芽分化を促進する窒素中断の重要性

環境条件と並んで重要なのが、植物体内の栄養状態、特に「窒素レベル(C/N比)」です。イチゴは体内の窒素濃度が高い状態では、栄養成長が優先され、花芽分化が強く抑制されます。そのため、花芽分化期の約1ヶ月前から「窒素中断(窒素切り)」を行い、体内の窒素濃度を意図的に下げる作業が必要になります。これにより、炭素(C)に対する窒素(N)の比率(C/N比)が高まり、生殖成長への移行がスムーズになります 。

 

参考)https://www.naro.affrc.go.jp/org/warc/research_results/h15/08_yasai/299.html

しかし、単純に肥料を切ればよいというわけではありません。過度な窒素欠乏は「芽無し株」や極端な樹勢低下を招き、その後の収量に悪影響を及ぼします。理想は、花芽分化の直前まで十分な窒素レベルを維持して株を作り込み、分化のタイミングに合わせて急激に窒素レベルを落とす「落差」を作ることです。ポット育苗では、根域が制限されているため、肥料切れのコントロールが比較的容易ですが、地床育苗では残肥の影響を受けやすいため、より繊細な水管理と断根処理などが求められます 。

 

参考)https://saibai-blog.oat-agrio.co.jp/2022%E5%B9%B48%E6%9C%8816%E6%97%A5/

窒素中断の成功の目安として、葉色の変化が挙げられます。濃い緑色から、やや淡い緑色(黄緑色に近い状態)へと変化し、葉柄が短く、ロゼット状に開いてくる姿が理想的です。この外見の変化は、体内の硝酸態窒素濃度が低下し、花芽分化の準備が整ったサインです。ただし、近年は「窒素中断を行わず、夜冷短日処理だけで分化させる」技術も研究されており、品種や作型に応じた柔軟な窒素マネジメントが現代農業のトレンドとなっています 。

 

参考)https://www.pref.shizuoka.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/058/706/02_ichigo_manual.pdf

イチゴの花芽分化を正確に判断する花芽検鏡の実際

花芽分化が起きたかどうかは、外見からは100%判断できません。そこで行われるのが「花芽検鏡(顕微鏡検査)」です。これは、苗のクラウン部を解剖し、実体顕微鏡を用いて生長点の形状変化を直接観察する技術です。定植のタイミングを決定する唯一無二の確実な手段であり、JAや普及センターではシーズン前に一斉に行われる最重要行事の一つです 。

 

参考)イチゴの花芽検鏡 定植時期を見極めて « JAし…

タキイ種苗:イチゴ栽培マニュアル(花芽分化の図解と基礎データが豊富)
参考)https://www.takii.co.jp/tsk/manual/strawberry.html

検鏡の手順としては、まず苗からすべての葉を取り除き、中心のクラウンだけを残します。次に、カミソリやピンセットを用いて、薄皮を一枚ずつ慎重に剥いでいき、直径0.1〜0.2mm程度の生長点を露出させます。未分化の状態では生長点は小さく尖っていますが、花芽分化が始まると「肥厚」し、やがて平らになり、最終的に「ドーム状」に盛り上がります。このドーム形成が確認できた時点を「花芽分化完了」と判断し、定植のゴーサインが出されます 。

 

参考)品質を守り平戸産いちごの安定供給へ

この技術の習得には熟練が必要ですが、自身の圃場の苗を自分で検鏡できるようになると、経営上のメリットは計り知れません。地域の平均的な開花日を待つのではなく、自分の苗の状態に合わせて最適なタイミングで定植できるため、一番果の収穫時期をコントロールしやすくなります。また、「未分化定植」による樹勢過多や、逆に「老化苗定植」による矮化といった失敗を未然に防ぐことができます 。

 

参考)二番果のピーク 花芽検鏡で予測 いちご部会 - トピックスレ…

イチゴの花芽分化後の定植と栄養成長への戻り防止

花芽分化が確認されたら速やかに定植を行いますが、ここで最も注意すべきは「高温による花芽の退化(脱分化)」です。定植直後のハウス内が高温(特に25℃以上)になると、せっかく分化した花芽の発達が止まり、再び栄養成長に戻ってしまう現象が起こります。これを「ボケ」とも呼び、収穫開始が大幅に遅れる原因となります。特に近年の温暖化傾向により、9月〜10月の残暑が厳しい地域では深刻な問題となっています 。

 

参考)【イチゴ編】症状別で見る! 生理障害・病害虫の原因と予防の基…

対策としては、定植後も積極的に遮光ネットを使用したり、クラウン周辺の冷却を行ったりして、地温と気温を抑制することが重要です。また、定植直後に急激に多量の窒素肥料を与えると、栄養成長への揺り戻しが起きやすくなります。花芽が肉眼で見える(出蕾)までは、追肥を控えめにし、水分管理を中心に行う「しめ作り」を徹底することが、安定した花房の伸長につながります 。

 

参考)https://www.naro.go.jp/PUBLICITY_REPORT/publication/files/Large-scale_facility_gardening_manual_Strawberry.pdf

一方で、「未分化定植」という技術も存在します。これは花芽分化前に定植し、圃場で分化させる方法ですが、極めて高度な環境制御が必要です。失敗すると過繁茂になり、花が咲かないリスクがあります。基本的には、検鏡で分化を確認した直後、あるいは分化期(肥厚期)での定植が最も安全で確実なリレー栽培の基本となります 。

イチゴの花芽分化を制御する遺伝子TFL1とFTの拮抗

現場の栽培技術から一歩踏み込み、最新の植物科学の視点から花芽分化を見てみましょう。イチゴの花芽分化は、遺伝子レベルでは「フロリゲン(花咲くホルモン)」であるFTタンパク質と、その働きを阻害する「アンチフロリゲン」であるTFL1タンパク質の拮抗作用によって制御されています。これは、従来言われていた「栄養成長 vs 生殖成長」という概念を、分子メカニズムで裏付けるものです 。

 

参考)https://students.csj.jp/wp-content/uploads/2021/03/ko73-929-tokushu.pdf

四季成りイチゴと一季成りイチゴの違いも、実はこのTFL1遺伝子の変異に起因していることが分かっています。一季成り品種では、長日・高温条件下でTFL1が強く発現し、花芽形成を強力にブロックします(つまり栄養成長を維持します)。一方、短日・低温条件になるとTFL1の発現が低下し、抑制が外れることでFT(フロリゲン)が優位になり、花芽分化がスタートします。この「ブレーキ(TFL1)が外れる」というプロセスこそが、秋の花芽分化の実体なのです 。

 

参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC5069601/

奈良先端科学技術大学院大学:花成ホルモンとTFL1の拮抗作用の発見(最新の分子メカニズム)
参考)花を咲かせないようにする仕組みを発見 花成ホルモン「フロリゲ…

この知見は、将来的な品種改良や新しい栽培技術に応用されつつあります。例えば、TFL1の働きを人為的にコントロールできれば、高温期でも花芽を作れる品種や、逆にランナーを出し続ける苗作りが可能になるかもしれません。現場の農家としても、「なぜ高温で花が止まるのか?」を「TFL1というブレーキ遺伝子が活性化してしまうから」と理解することで、温度管理の重要性をより深く腹落ちさせることができるでしょう。単なる経験則ではなく、植物の生存戦略としての遺伝子スイッチを意識することが、次世代のイチゴ栽培には求められています 。

 

参考)https://www.mdpi.com/2223-7747/14/6/923