私たち農業従事者が毎日土づくりに励むように、実は私たちの肌の上でも目に見えない「菌」たちが生態系を作って活動しています。これを「皮膚常在菌叢(スキン・マイクロバイオーム)」と呼びます。健康な皮膚には、1平方センチメートルあたり約100万個以上の菌が存在していると言われています。これらの常在菌は、単にそこに住んでいるだけではなく、皮膚の健康維持において極めて重要な役割、すなわち「バリア機能」の維持を担っています。
皮膚常在菌は大きく分けて以下の3つのグループに分類されます。
皮脂や汗をエサにして「グリセリン(天然の保湿成分)」と「有機酸」を作り出します。グリセリンは皮膚の乾燥を防ぎ、有機酸は皮膚表面を「弱酸性」に保つことで、アルカリ性を好む病原菌(悪玉菌)の増殖を防ぎます。これは、適切なpH管理された土壌で作物が元気に育つのと同じ理屈です。
普段は無害、あるいは善玉菌のように皮膚を弱酸性に保つ働きをしますが、毛穴が詰まって酸素がない環境になると過剰増殖し、炎症物質を出してニキビの原因となります。状況次第で良くも悪くもなる菌です。
皮膚がアルカリ性に傾いたり、傷ができたりすると増殖し、毒素を出して化膿や炎症を引き起こします。アトピー性皮膚炎の悪化因子としても知られています。
特に重要なのが、善玉菌が作り出す「皮脂膜」の存在です。これは汗と皮脂が混ざり合い、善玉菌によって分解・乳化された天然のクリームです。この皮脂膜こそが、農作業中の紫外線、乾燥、化学肥料や農薬の刺激から皮膚を守る最強の盾となります。皮膚常在菌が健全に働いていれば、少々の刺激では肌荒れを起こさない強靭な皮膚バリアが形成されるのです。
皮膚常在菌の基礎知識とバリア機能の重要性について解説されています。
「皮膚常在菌」 と皮膚バリア機能 - 診療と新薬
常在菌の種類とそれぞれの詳細な働きについて、図解を含めて分かりやすく解説されています。
皮膚の疾患の多くは、外部からのウイルス感染などを除けば、この「常在菌のバランス(フローラバランス)」が崩れることから始まります。農業で例えるなら、連作障害や土壌pHの狂いによって特定の病害虫が爆発的に増えてしまう状態に似ています。
バランスが崩れる最大の原因は、現代特有の「過剰な清潔志向」にあります。
農作業後の泥汚れや汗を落とそうとして、洗浄力の強すぎる石鹸でゴシゴシとナイロンタオルで擦っていませんか?これは、皮膚表面の有用な常在菌ごと角質層を削ぎ落とし、彼らの住処を破壊する行為です。常在菌がいなくなった皮膚はアルカリ性に傾きやすく、そこに黄色ブドウ球菌などの悪玉菌が容易に付着・増殖します。
長靴やゴム手袋の中は、高温多湿の密閉空間です。適度な湿度は菌に好都合ですが、過剰な湿気と汗は皮膚をふやけさせ(浸軟)、バリア機能を低下させます。また、汗に含まれる成分がアルカリ性に変化することで、善玉菌が住みにくい環境を作ってしまいます。
収穫期の過労やストレスは、ホルモンバランスを崩し、皮脂の分泌量や質を変化させます。皮脂の組成が変わると、それをエサにする常在菌の勢力図も変わり、結果として特定の菌だけが異常繁殖する原因となります。
特に注意が必要なのは、ちょっとした痒みに対して安易に「殺菌・消毒」を繰り返すことです。消毒薬は悪玉菌だけでなく、皮膚を守ってくれている善玉菌まで皆殺しにしてしまいます。その後、回復の早い悪玉菌が先に定着してしまうと、慢性的な皮膚疾患(湿疹、皮膚炎)のループに陥ることになります。
皮膚常在菌のバランスが崩れることで起きる具体的なトラブルと、黄色ブドウ球菌の増殖メカニズムについて書かれています。
皮膚の常在菌とお肌のトラブル - 町田皮膚科
過度な洗浄や消毒が皮膚常在菌に与える悪影響について、土壌との比較を交えて解説されています。
常在菌の中でも、特に皮膚疾患の「悪化」に深く関わっているのが「マラセチア」という真菌(カビ)の一種です。これは成人の皮膚なら誰にでもいるごくありふれた常在菌ですが、条件が揃うと牙を剥きます。
マラセチアは脂質を好むため、皮脂分泌の多い背中や胸、頭皮、顔などに多く生息しています。彼らは皮脂に含まれる「トリグリセリド」を分解してエサにしますが、その過程で「遊離脂肪酸(オレイン酸など)」を排泄します。この遊離脂肪酸が皮膚に炎症を引き起こす刺激物質となるのです。
背中や胸にできる、赤くて痒みの強いブツブツです。一見すると通常のニキビ(アクネ菌が原因)に見えますが、抗生物質が効きません。夏場の農作業で大量に汗をかき、皮脂と湿気がこもった衣服の下でマラセチアが爆発的に増殖することで発症・悪化します。「背中ニキビが治らない」と思っている場合、実はカビが原因であるケースが非常に多いのです。
頭皮のフケや、鼻の脇・眉間の赤みとして現れます。これもマラセチアが皮脂を分解して出した物質が炎症を起こしています。ストレスやビタミンB群不足で皮脂の質が変わると悪化しやすくなります。
アトピー性皮膚炎の患者さんの皮膚では、黄色ブドウ球菌の割合が異常に高くなっていることが知られていますが、首や顔の症状にはマラセチアへのアレルギー反応が関与していることも分かってきています。汗をかくと痒くなるのは、汗そのものの刺激だけでなく、汗によって活性化したマラセチアのアレルゲンが皮膚から侵入するためでもあります。
これらの疾患は、単に「不潔だから」なるのではなく、むしろ「皮脂というエサの供給過多」と「高温多湿な環境」が主因です。農作業中の汗の処理や、通気性の確保は、これらの常在真菌による疾患の悪化を防ぐために極めて重要です。
マラセチア菌が引き起こす具体的な疾患(毛包炎、脂漏性皮膚炎など)の特徴と見分け方が解説されています。
ニキビと間違えやすい背中や頭皮の炎症――原因はマラセチア
アトピー性皮膚炎などの炎症性皮膚疾患における、微生物(マイクロバイオーム)の異常とその影響について詳述された論文ベースの記事です。
Features of the Skin Microbiota in Common Inflammatory Skin Diseases
ここでは、一般の美容記事では語られない、農業従事者ならではの視点、「土壌細菌」と「皮膚常在菌」の密接で意外な関係について深掘りします。
実は、日常的に土に触れている農業従事者の皮膚や腸内には、都市生活者よりも多様な種類の菌が存在しているという研究報告があります。これを「衛生仮説(旧友仮説)」の視点で見ると、非常に興味深い事実が浮かび上がります。
土壌に含まれるMycobacterium vaccae(マイコバクテリウム・バッカエ)などの非病原性細菌は、皮膚や呼吸器を通じて人体に接触します。近年の研究では、これらの菌が免疫系を適切に刺激し、過剰なアレルギー反応(アトピーや花粉症など)を抑制する制御性T細胞の働きを助ける可能性が示唆されています。つまり、土に触れることは、皮膚の免疫暴走を防ぐ「天然のワクチン」のような側面を持っている可能性があります。
農業でおなじみの腐植酸の一種「フルボ酸」は、土壌微生物を活性化させる資材として使われますが、実はヒトの皮膚常在菌にとっても有用な「バイオ・スティミュラント(生物刺激資材)」となり得ます。フルボ酸にはキレート作用(ミネラルを掴む作用)やpH調整作用があり、これが皮膚の善玉菌の増殖を助け、皮膚トラブルを抑制するという報告もあります。土作りと肌作りには、驚くほど共通した化学的メカニズムがあるのです。
一方で、手放しに安全というわけではありません。土壌中には破傷風菌や、スポロトリコーシス(バラ棘胞子糸状菌症)の原因となる真菌も潜んでいます。これらは健康な皮膚常在菌のバリアがある状態では無害ですが、剪定バサミや鎌で怪我をした際、その深い傷口から侵入すると重篤な疾患を引き起こします。
特に注意すべきは「嫌気性菌」です。土壌深くにいる菌は酸素を嫌うため、深い刺し傷などで皮膚内部に押し込まれると、閉鎖環境下で増殖します。農作業中の傷は、単なる切り傷ではなく「多種多様な微生物を体内に注入した状態」であるという認識が必要です。
農業従事者が土壌や植物に触れることで常在菌の多様性が高まる可能性や、その特徴について言及されています。
常在菌って必要?消毒は常在菌とどう関係するの?
農作業中の土壌接触による感染症リスク(破傷風や真菌症)について、医師による具体的な回答が掲載されています。
最終的に、私たち農業従事者が皮膚疾患を予防し、あるいは治療をスムーズに進めるためには、常在菌という「皮膚のパートナー」を殺さず、育てることが最善の策となります。これを最近の言葉で「育菌(いくきん)」と呼びます。
具体的な予防とケアのアプローチは以下の通りです。
泥汚れは落とす必要がありますが、皮脂まで根こそぎ落とす必要はありません。
入浴後、肌の水分は急速に蒸発します。乾燥した砂漠では菌が育ちません。入浴後5分以内に保湿剤を塗布することで、疑似的な皮脂膜を作り、善玉菌が繁殖しやすい環境を整えます。セラミド配合の保湿剤などはバリア機能の補強に有効です。
マラセチアの増殖を防ぐため、汗を含んだ作業着はこまめに着替えましょう。また、汗を拭くときは乾いたタオルでゴシゴシ擦るのではなく、濡れタオルで「押さえ拭き」をすることで、汗の塩分やアルカリ成分を取り除きつつ、常在菌を残すことができます。
もし湿疹や痒みが治らない場合、安易に市販のステロイドを塗り続けるのは危険です。原因がマラセチア(カビ)である場合、ステロイドはカビの増殖を助けてしまい、症状を劇的に悪化させます(誤診による悪化)。皮膚科を受診し、顕微鏡検査で「菌の種類」を特定してもらうことが、最短の治療への近道です。
私たちの皮膚は、作物を育てる畑と同じです。有用な菌を殺虫剤(過度な洗浄・消毒)で殺してしまうのではなく、適切な水分と肥料(保湿)を与え、彼らが働きやすい環境を整えることこそが、強靭でトラブルのない皮膚を作る唯一の方法なのです。
善玉菌を増やすための具体的なスキンケア方法(育菌)や、生活習慣のポイントがまとめられています。
美肌を育む「育菌スキンケア」とは? - クラシエ
常在菌バランスを考慮したニキビや皮膚トラブルへの対処法、医師による解説が含まれています。