農業従事者の皆様が日常的に使用しているビニールハウスの被覆材やマルチフィルム、あるいは暖房機周辺の防護シートなどには、火災事故を防ぐために「難燃剤」が含まれていることが一般的です。その中でも、現在世界的に注目を集めているのが「三酸化アンチモン(アンチモン)」という物質です。
アンチモン自体は、単独で燃焼を止める力はそれほど強くありません。しかし、塩素や臭素といった「ハロゲン系難燃剤」と組み合わせて使用することで、爆発的な「相乗効果」を発揮し、プラスチックの燃焼を劇的に抑制します。この高いコストパフォーマンスから、長年にわたり農業資材を含む幅広いプラスチック製品に添加されてきました。
しかし近年、このアンチモンを取り巻く環境は激変しています。その毒性への懸念から欧州を中心に規制が強化されているほか、主要産出地である中国の輸出管理強化により、調達リスクが急激に高まっています。農業経営において、資材の価格高騰や供給不足、そして何より「食の安全」に関わる土壌汚染リスクは無視できない課題です。本記事では、難燃剤アンチモンの基礎知識から、現場で押さえておくべきリスクと対策について深掘りします。
三酸化アンチモン(Sb₂O₃)は、難燃助剤として優れた性能を持つ一方で、人体や環境への有害性が指摘され続けています。
特に注意が必要なのは、アンチモンが「重金属」の一種であるという点です。一度環境中に放出されると分解されることなく残留し続けるため、長期的な視点での管理が不可欠です。
難燃剤三酸化アンチモンの詳細な毒性情報と取り扱い上の注意点について(難燃剤工業会)
農業の現場では、アンチモンを含む難燃剤はどこに使われているのでしょうか。実は、目に見えない多くの場所に潜んでいます。
これらの資材は、日光(紫外線)や風雨にさらされることで徐々に劣化します。プラスチックの母材(樹脂)がボロボロになると、内部に封じ込められていた難燃剤であるアンチモンやハロゲン化合物が表面に露出し、雨水と共に土壌へ流れ出すリスクが高まります。
特に、「ハロゲン系難燃剤」と「アンチモン」のセットは、燃焼時にダイオキシン類を発生させる可能性があるため、処分時の取り扱いには厳格なルールが求められます。しかし、安価な輸入品の農業資材の中には、どのような難燃剤が使われているか明記されていないものも多く、知らず知らずのうちにリスクの高い資材を使用している可能性があります。
これは一般にはあまり知られていませんが、農業資材由来のアンチモンが土壌汚染を引き起こし、農作物へ移行するメカニズムについて、独自の視点で解説します。
通常、アンチモンはプラスチックの中に閉じ込められていますが、以下の条件下で土壌への「溶出」が加速することが分かっています。
| 作物の種類 | アンチモンの移行リスク | 特徴 |
|---|---|---|
| 葉菜類(ホウレンソウ等) | 高 | 土壌からの吸収に加え、空気中の粉塵付着による影響を受けやすい |
| 根菜類(ニンジン等) | 中 | 土壌と直接接触する可食部に蓄積する可能性がある |
| 果菜類(トマト等) | 低 | 比較的移行係数は低いとされるが、継続的なモニタリングが必要 |
アンチモンが土壌に蓄積すると、作物の生育阻害を引き起こすだけでなく、収穫物を通じて食物連鎖に入り込む可能性があります。特に、工場の跡地や不法投棄が行われた場所周辺の農地では、高濃度のアンチモンが検出される事例が報告されており、農業資材の放置がいかに危険かを示唆しています。
酸性条件下における土壌中のアンチモン溶出特性に関する研究論文(J-STAGE)
使用済みの農業用プラスチック、いわゆる「廃プラ」の処理方法は、アンチモンによる環境汚染を防ぐ最後の砦です。しかし、現場では誤った処理が行われているケースが散見されます。
絶対にやってはいけない「野焼き」
アンチモンとハロゲン系難燃剤を含む資材を野焼きすると、猛毒のガスやダイオキシン類が発生するだけでなく、燃え残った灰の中に高濃度のアンチモンが濃縮されます。この灰が雨で流されると、周囲の農地や地下水を深刻に汚染します。「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」により、野焼きは5年以下の懲役もしくは1000万円以下の罰金という重い刑罰の対象となります。
埋め立て処分のリスク
「燃やさずに埋めればいい」というのも間違いです。前述の通り、地中でプラスチックが劣化し、酸性雨や地下水の影響を受けると、アンチモンが溶出し続けます。一度地下水脈に入れば、広範囲の農業用水が汚染されることになります。
正しい処理のフロー
最近では、廃プラを固形燃料(RPF)にするリサイクルも進んでいますが、アンチモン含有量が多いと燃料として受け入れられない場合があります。購入時に「リサイクル適性」を確認することが、将来の処分コストを下げる鍵となります。
農業用廃プラスチックの適正処理と罰則規定に関するガイドライン(日本施設園芸協会)
最後に、世界的な規制の潮流と、これからの農業資材選びについて解説します。
中国は世界のアンチモン供給の大部分を握っていますが、戦略資源としての管理を強化しており、輸出制限を行っています。これにより、アンチモン系難燃剤の価格は不安定化し、長期的には入手困難になる恐れがあります。また、欧州のREACH規制やRoHS指令など、化学物質規制は年々厳格化しており、アンチモンを使用しない「アンチモンフリー」「ハロゲンフリー」への転換が加速しています。
有望な代替素材・技術
今後の農業経営においては、単に「安いから」という理由で資材を選ぶのではなく、「環境負荷が低いか」「廃棄時にコストがかからないか」「将来的な規制に抵触しないか」という視点で、アンチモンフリー資材を積極的に導入していくことが、持続可能な農業の第一歩となります。