近年、農業用ビニールハウスの被覆材やマルチフィルム、保温シートなどの資材価格が上昇傾向にありますが、その要因の一つとして「難燃剤アンチモン」の市場価格変動と規制強化が挙げられます。農業資材の多くは、火災事故を防ぐために燃えにくくする加工が施されており、その主要成分として三酸化アンチモンが長年使用されてきました。この物質は、塩素系や臭素系の難燃剤と組み合わせることで強力な難燃効果を発揮するため、コストパフォーマンスに優れた添加剤として重宝されてきました。
しかし、現在は世界的な供給不足と価格高騰という課題に直面しています。アンチモンの主要産出国である中国が、資源保護や環境規制を理由に輸出管理を強化しており、日本国内への供給量が不安定になっています。これにより、アンチモンを使用している農業用ポリオレフィンフィルム(PO系フィルム)や農ビ(PVC)などの製造コストが直撃を受けています。資材メーカーは原材料費の上昇を製品価格に転嫁せざるを得ない状況にあり、結果として農家の経費負担増につながっているのです。
また、日本国内においても労働安全衛生法に基づく規制が見直され、三酸化二アンチモンが「特定化学物質」の管理第2類物質に追加されるなど、取り扱い基準が厳格化されました。これにより、資材製造現場での管理コストが増大したことも、製品価格を押し上げる一因となっています。農業経営においては、肥料や飼料の高騰だけでなく、こうした資材に含まれる化学物質の市況や規制動向も、コスト管理の上で無視できない要素となってきています。安価な資材を探すだけでなく、なぜ価格が上がっているのか、その背景にある物質の安全性や希少性を理解することが重要です。
参考)https://www.mhlw.go.jp/content/11300000/001413788.pdf
厚生労働省:三酸化二アンチモンに関する規制強化等の概要(法規制の詳細や管理区分の変更について解説されています)
このセクションでは、一般的な検索結果ではあまり触れられない、農業現場特有の土壌汚染リスクについて深掘りします。新品の農業用フィルムにおいて、アンチモンは樹脂(プラスチック)の内部にしっかりと封じ込められているため、直ちに外部へ漏れ出すことはほとんどありません。しかし、農業現場という過酷な環境下では話が変わってきます。
長期間にわたり紫外線や風雨、温度変化にさらされたビニールハウス資材は、経年劣化を起こします。表面が白く粉を吹いたようになったり(チョーキング現象)、ボロボロに崩れてきたりした経験はないでしょうか。このように樹脂が劣化し、マイクロプラスチック化していく過程で、内部の結合が弱まり、添加されていた難燃剤アンチモンが環境中へ溶出しやすい状態になります。
参考)農業資材の難燃剤アンチモン規制と土壌汚染リスク
特に懸念されるのが、劣化した資材の破片が農地に混入し、そのまま放置されるケースです。アンチモンは重金属の一種(正確には半金属)であり、土壌に吸着されると長期間残留する性質があります。酸性の土壌や、特定の微生物活動が活発な環境下では、アンチモンが植物に吸収されやすい形態に変化する可能性も研究されています。
もし高濃度のアンチモンが土壌に蓄積すれば、作物の生育阻害(フィトトキシシティ)を引き起こすリスクがあるだけでなく、収穫された農産物に微量のアンチモンが移行する可能性も否定できません。これは「食の安全」に関わる重大な潜在リスクです。単に「資材が破れたから交換する」という認識ではなく、「劣化した資材は化学物質を放出する汚染源になり得る」という危機感を持ち、破片一つ残さず回収・撤去することが、持続可能な農業土壌を守るために不可欠です。
農業ざんまい:農業資材の難燃剤アンチモン規制と土壌汚染リスク(農業資材からの溶出メカニズムについて詳細に解説されています)
使い終わった農業用ビニールやマルチシートの処分において、最も注意しなければならないのが「焼却処分」の方法です。農業現場において、廃棄物の野焼き(野外焼却)は法律で原則禁止されていますが、難燃剤アンチモンが含まれている資材を燃やすことは、単なる法律違反以上の深刻な環境汚染を引き起こします。
難燃剤として使用される三酸化アンチモンは、多くの場合、塩素を含むハロゲン系難燃剤とセットで配合されています。これらを不適切な温度や酸素状態で燃焼させると、化学反応を起こし、猛毒のダイオキシン類や有毒ガスが発生する危険性が極めて高くなります。難燃剤は「燃えにくくする」ためのものですが、「絶対に燃えない」わけではなく、無理に燃やすことで不完全燃焼を誘発し、黒煙とともに有害物質を周囲に撒き散らすことになるのです。
また、燃え残った「灰」も危険です。有機物が燃えてなくなった後、灰の中には揮発しなかったアンチモンが高濃度で濃縮されて残ります。この灰が雨水によって流されると、周囲の農地や地下水を深刻なレベルで汚染することになります。
農業用廃プラスチックは、法的に「産業廃棄物」として扱われます。必ずマニフェスト(産業廃棄物管理票)を交付し、許可を持った処理業者に委託して適正に処理しなければなりません。「少しくらいなら」という安易な焼却が、自分自身の健康や、地域住民、そして大切な農地を回復不能な汚染にさらすことになるのです。処理コストを惜しまず、正規のルートで処分することが、農業者としての責任です。
環境省:産業廃棄物の適正処理について(廃棄物処理法の概要や野焼き禁止のルールが確認できます)
アンチモンおよびその化合物は、人体に対して一定の毒性を持つことが知られており、国際がん研究機関(IARC)でも発がん性の可能性が指摘されています。農業従事者が日常的に完成品(フィルム等)に触れるだけで直ちに健康被害が出ることは稀ですが、特定のリスクが高いシチュエーションには十分な警戒が必要です。
最も注意すべきは、劣化した資材の撤去作業や、ハウス内での粉塵対策です。先述の通り、古くなって粉状になったプラスチック資材には、遊離したアンチモンが含まれている可能性があります。これらを撤去する際、舞い上がった粉塵を吸い込むことで、呼吸器系への刺激や炎症を引き起こすリスクがあります。アンチモンへの暴露は、皮膚炎(アンチモン斑)、結膜炎、鼻中隔穿孔などの症状に関連するとされています。
特に、夏場の高温多湿なハウス内での作業は、皮膚の毛穴が開き、化学物質の吸収リスクが高まる可能性があるため、肌の露出を控えることも重要です。
規制の強化や価格の高騰、そして環境への配慮から、農業資材業界でも「アンチモンフリー」や「ノンハロゲン」への転換が進みつつあります。これからの農業経営においては、資材選びの基準として「価格」や「耐久性」だけでなく、「成分の安全性」や「廃棄のしやすさ」を加えることが求められます。
参考)日本精鉱、ポートフォリオ強化 技術開発部が推進役 : 化学工…
最近では、アンチモンやハロゲンを使わずに、水酸化マグネシウムや水酸化アルミニウムなどの無機系難燃剤、あるいはリン系難燃剤を使用した農業用フィルムが登場しています。これらは焼却時に有毒ガスが発生しにくく、環境負荷が低いというメリットがあります。
アンチモンを含まない資材は、マテリアルリサイクル(プラスチックとしての再利用)がしやすい傾向にあります。地域のJAや自治体の回収システムにおいて、リサイクル適性が高い資材を選ぶことは、将来的な処分コストの削減にもつながります。
大規模な導入を行う際は、メーカーや販売店にSDSを請求し、どのような難燃剤が使われているかを確認するのも一つの手段です。特に輸入品や極端に安価な資材の中には、成分表示が不明確なものもあるため注意が必要です。
初期コストは従来の資材より割高になる可能性がありますが、長期的な土壌保全、作業者の健康、そして廃棄時のリスク低減を考慮すれば、アンチモンフリー資材への切り替えは合理的な投資と言えます。持続可能な農業を実現するために、資材の「中身」に目を向ける時代が来ています。