閉鎖循環式陸上養殖は小規模なら月3万円の電気代が発生します
閉鎖循環式陸上養殖とは、飼育水を浄化装置でろ過・殺菌しながら繰り返し使用する養殖方式です。従来の海面養殖や、海水を継続的に引き込む「かけ流し式」とは異なり、水をほとんど捨てずに循環させながら魚介類を育てる技術として注目されています。
このシステムの最大の特徴は、陸上の閉鎖空間で完結することです。海や川から離れた内陸部でも養殖が可能になり、消費地に近い場所で新鮮な魚を生産できます。使用する海水の量は従来型の約100分の1程度と大幅に削減され、環境への負荷を最小限に抑えることができるのです。
水質をクリーンに保つ点が基本です。
飼育水の浄化プロセスには複数の工程があります。まず物理ろ過で餌の残りや排泄物などの固形物を取り除き、その後に生物ろ過で魚にとって有害なアンモニアを硝酸に変換します。さらに殺菌装置で病原菌を除去し、酸素供給装置で溶存酸素量を調整してから、再び水槽に戻す仕組みとなっています。
農林水産省の統計によれば、令和5年度の陸上養殖の出荷数量は合計で6,392トンに達しています。このうち魚類が4,802トンと最も多く、ヒラメ、トラフグ、ニジマスなどが上位を占めています。養殖のしやすさや消費者の需要が反映された結果と言えるでしょう。
閉鎖循環式陸上養殖を始めるには、複数の設備を組み合わせた統合システムが必要になります。中核となるのは飼育水槽ですが、これだけでは養殖は成立しません。水質を維持するための浄化装置群が不可欠です。
主要な設備には以下のようなものがあります。まず飼育水槽は魚種や生産規模に応じて容量を決定します。20トン水槽が小規模養殖の標準的なサイズとされており、これより大規模になると数百トンクラスの水槽が使用されます。
水槽内の約20〜30パーセントが基本です。
循環ポンプは飼育水を浄化装置へ送り出し、処理後に水槽へ戻す役割を果たします。24時間365日稼働し続けるため、耐久性と省エネ性能が重要な選定基準となるのです。物理ろ過装置では砂ろ過やドラムフィルターを使い、固形物を効率的に分離します。
生物ろ過装置は多孔質濾材を充填した槽で、硝化細菌などの有用微生物を増殖させます。これらの微生物が魚の排泄物に含まれるアンモニアを硝酸塩に変換し、毒性を低減させるのです。近年では愛知県のベルデアクアが開発した電解ろ過技術も登場しており、従来の生物ろ過よりもコンパクトで水温の影響を受けにくい特徴があります。
温度調節装置も重要な設備です。サーモン類は低水温を好み、マダイやヒラメは中程度の水温が適しているため、魚種に合わせた精密な温度管理が求められます。ヒートポンプやチラー、加温ヒーターなどを組み合わせて、年間を通じて最適な水温を維持する必要があるのです。
酸素供給システムでは、純酸素を水中に溶け込ませることで高密度飼育を実現します。通常の空気ポンプよりも効率的に溶存酸素量を高められるため、同じ水槽容積でより多くの魚を育てることが可能になります。
監視センサーシステムを導入すれば、水温、pH、溶存酸素量、アンモニア濃度などをリアルタイムで把握できます。異常値を検知した際に自動で警報を発する機能もあり、24時間体制での管理負担を軽減してくれるのです。
閉鎖循環式陸上養殖では様々な魚種を育てることができますが、全ての魚が同じように適しているわけではありません。成功するためには、各魚種の特性と市場価値を理解した上で選定する必要があります。
サーモン類は陸上養殖で最も注目されている魚種です。アトランティックサーモンは日本の海面養殖では育成が難しいものの、閉鎖循環式では水温を10〜15度程度に保つことで周年生産が可能になります。生食文化が根付いている日本市場では高い需要があり、1キロあたり2,000円以上の価格で取引されることも珍しくありません。
高単価魚が選ばれやすいですね。
マサバも有望な養殖対象です。ニッスイグループは鳥取県で地下海水を利用した閉鎖循環式によるマサバ養殖の技術開発を進めており、回転寿司チェーンなどへの安定供給を目指しています。サバは成長が早く、1年程度で出荷サイズに達するため、資金回収期間が短いという経営上のメリットがあるのです。
ヒラメは動き回らない性質で酸素消費量が少なく、適水温域も18〜24度と比較的狭く安定しています。高級食材として認知されており、1キロあたり3,000円前後の高値で取引されるため、小規模養殖でも十分な収益を見込めます。
トラフグは最高級魚として知られ、1キロあたり5,000円以上の価格がつくこともあります。ただし稚魚の入手コストが高く、育成期間も2〜3年と長いため、初期投資と運転資金に余裕がある事業者向けと言えるでしょう。
バナメイエビも注目されています。エビは魚類と比べて高密度飼育に適しており、3〜4ヶ月という短い育成期間で出荷できます。需要が安定している点も魅力で、冷凍エビの輸入価格上昇により国内生産の採算性が向上しているのです。
魚種選定では市場ニーズとコストバランスを考慮することが重要です。高単価の魚は利益率が高い反面、育成難易度も上がる傾向にあります。初めて陸上養殖に取り組む農業従事者には、ヒラメやマダイなど育成実績が豊富で技術情報も入手しやすい魚種から始めることをお勧めします。
閉鎖循環式陸上養殖には、従来の養殖方法にはない多くのメリットがあります。これらの利点を最大限に活かすことで、農業従事者にとって新たな収益機会が生まれるのです。
最大のメリットは立地の自由度です。海や川から離れた内陸部でも養殖が可能になり、消費地に近い場所で生産できます。輸送コストを削減でき、収穫後すぐに出荷することで鮮度の高い魚を提供できるのです。例えば都市近郊の遊休農地や使われていない工場施設を活用すれば、新たな土地取得コストを抑えながら事業を始められます。
消費地近郊での生産が強みです。
環境コントロールの精度が高い点も重要です。水温、溶存酸素量、pH、塩分濃度などを理想的な状態に保つことで、魚の成長速度を最大化できます。東海大学の秋山信彦教授によれば、閉鎖循環式であれば日本の海面では不可能なアトランティックサーモンを養殖できるだけでなく、1年に2回生産することも可能になります。
寄生虫リスクをゼロにできることは、生食文化が根付く日本市場で大きな差別化要素となります。海面養殖のサーモンにはアニサキスなどの寄生虫が存在するリスクがありますが、閉鎖循環式では外部環境と接触しないため、安心して生で食べられる魚を提供できるのです。
天候や自然災害の影響を受けにくい点も見逃せません。台風や津波、赤潮による被害リスクがなく、計画的な生産が可能です。出荷時期を市場価格が高い時期に合わせることもでき、収益の最大化につながります。
環境負荷の低減も社会的に評価されています。使用する水量が従来の100分の1程度と少なく、排水もほとんど発生しないため、海洋汚染のリスクがありません。SDGsへの貢献として企業や自治体からの支援を受けやすくなる可能性もあります。
トレーサビリティの確保が容易な点は、食の安全性を重視する消費者にとって魅力です。どのような餌を与え、どのような環境で育てたかを明確に記録・開示できるため、ブランド化戦略にも活用できます。
閉鎖循環式陸上養殖の最大の課題は、高額な初期投資とランニングコストです。事業化を検討する農業従事者にとって、経済性の正確な把握は成功の前提条件となります。
初期投資は規模によって大きく変動します。小規模な20トン水槽を1基設置する場合でも、水槽本体、循環ポンプ、ろ過装置、温度調節設備、酸素供給システムなどを合わせて数千万円が必要です。商業規模の閉鎖循環式施設では、建屋の建設費用も含めて数億円規模の投資になることも珍しくありません。
数億円規模が標準的です。
ランニングコストの中で特に大きな割合を占めるのが電気代です。閉鎖循環式で水温を一定に保つには莫大なエネルギーが必要で、東海大学の秋山教授は「ランニングコストが非常に高額になってしまう」と指摘しています。ある事業者の事例では、20トン水槽で月額約3万円の電気代が発生しており、サーモンなど冷水魚を育てる場合はさらに高額になります。
人件費も無視できません。水質管理、給餌、設備メンテナンス、魚の健康チェックなどに専門知識を持つスタッフが必要です。小規模施設でも最低2〜3名の人員が求められ、年間数百万円の人件費がかかります。
餌代は養殖コストの30〜40パーセントを占めます。魚粉を主原料とする配合飼料の価格は変動しやすく、国際的な魚粉需給の影響を受けやすいのです。1キロあたり200〜400円程度の飼料を、魚の成長に応じて大量に投与する必要があります。
設備の維持管理費用として、ポンプや配管の交換、ろ過材の更新、センサーの校正などが定期的に発生します。年間で初期投資額の5〜10パーセント程度を見込んでおくべきでしょう。
収益性を高めるには高単価魚種の選定が重要です。1キロあたり2,000円以上で販売できるサーモンやトラフグであれば、コストを回収しやすくなります。逆に単価の低い魚種では、大規模化して生産効率を上げない限り採算が取れません。
販路の確保も経済性を左右します。既に飲食店や小売店とのネットワークを持つ事業者は有利です。地域ブランドとして差別化できれば、通常より高い価格設定も可能になります。静岡県の「三保サーモン」や「三保松さば」は、生食でも臭みがないという品質の高さで評価され、ブランド価値を確立しています。
コスト削減の工夫として、再生可能エネルギーの活用が注目されています。太陽光発電や地熱を利用すれば、電気代を大幅に削減できる可能性があります。また愛知県のベルデアクアが開発した電解ろ過技術のように、従来よりコンパクトで効率的な設備が実用化されれば、初期投資とランニングコストの両方を抑えられるでしょう。
農業従事者が閉鎖循環式陸上養殖に参入する際には、農業で培った経験やリソースを活かせる独自の強みがあります。一方で、漁業とは異なる新しい分野への挑戦として、特有の注意点も存在するのです。
最大の強みは既存の土地と施設を活用できることです。使われていないビニールハウスや倉庫を改修すれば、建屋の建設コストを大幅に削減できます。特にビニールハウスは温度管理がしやすく、冬場の加温コストを抑えられる可能性があります。
遊休農地の活用が可能ですね。
農業で培った生産管理の知見も役立ちます。水質管理は植物の栽培における土壌管理と共通点が多く、pH調整や栄養バランスの考え方は応用できます。給餌のタイミング管理も、作物の生育段階に応じた施肥計画と似た発想が求められるのです。
地域との関係性も重要な資産です。農業を通じて築いた地元の飲食店や直売所とのネットワークを、養殖魚の販路として活用できます。消費者との信頼関係があれば、新しい商品である陸上養殖魚も受け入れてもらいやすくなるでしょう。
6次産業化との相性も良好です。養殖した魚を自ら加工して燻製や干物にすることで、付加価値を高められます。農産物の加工経験があれば、そのノウハウを水産加工にも転用できるのです。
ただし注意すべき点もあります。魚類は植物と異なり、水質悪化や酸欠で短時間のうちに全滅するリスクがあります。24時間体制での監視が必要で、夜間や休日の管理体制をどう構築するかが課題となります。センサーシステムと連動した自動警報装置の導入を検討すべきでしょう。
専門知識の習得には時間がかかります。魚病対策、水質化学、養殖技術などを学ぶ必要があり、一般社団法人閉鎖循環式陸上養殖推進協議会などが提供する研修プログラムへの参加が有効です。また既に陸上養殖を実践している事業者を見学し、実践的なノウハウを吸収することをお勧めします。
資金繰りにも余裕を持つべきです。養殖魚が出荷サイズに成長するまで、サーモンで2〜3年、ヒラメでも1〜1.5年かかります。この間は収入がないため、運転資金を十分に確保しておく必要があります。農業と並行して段階的に規模を拡大していく戦略も検討に値するでしょう。
閉鎖循環式陸上養殖への参入を検討する農業従事者にとって、補助金や支援制度の活用は初期投資負担を軽減する重要な手段です。国や自治体が様々な制度を用意しており、条件に合えば数千万円規模の支援を受けられる可能性があります。
農林水産省・水産庁が実施する「もうかる漁業創設支援事業」は、養殖を含む漁業経営の改善に取り組む事業者を対象としています。経営改善計画を策定し、収益性向上が見込まれる場合、設備投資費用の一部が補助されます。閉鎖循環式陸上養殖システムの導入も対象となり得るのです。
補助率は通常3分の2程度です。
宮城県では「陸上養殖システム導入支援事業費補助金」を実施しており、閉鎖循環式陸上養殖システムの導入に要する経費を補助しています。上限金額は1億円で、県内への陸上養殖の普及促進を目指しています。令和7年度の受付期間は2025年4月24日から6月27日までとなっており、参入を検討している事業者は早めの準備が必要です。
石巻市でも独自の支援制度を設けています。「石巻市陸上養殖システム導入支援事業」では、市内で閉鎖循環式や半循環式、かけ流し型の陸上養殖システムを導入する事業者に対して補助金を交付しています。地域経済の活性化と雇用創出を目的としており、地元での事業展開を計画している農業従事者には有利な制度と言えるでしょう。
事業再構築補助金も活用の選択肢です。新型コロナウイルス感染症の影響を受けた事業者が、新分野展開や業態転換を行う際に利用できます。農業から陸上養殖への多角化は新分野展開に該当する可能性があり、初期投資の3分の2程度が補助されるケースもあります。
補助金申請には綿密な事業計画が必要です。収支見込み、市場分析、技術的実現性などを具体的に示す必要があり、専門家のサポートを受けることをお勧めします。水産業や養殖に詳しい中小企業診断士や、陸上養殖システムを提供する企業の技術者に相談すれば、申請書類の精度を高められるでしょう。
申請時期を逃さないことも重要です。多くの補助金制度には年度ごとの募集期間があり、その期間内に必要書類を揃えて提出しなければなりません。情報収集を早めに始め、複数の制度を比較検討した上で、最も有利な制度を選択すべきです。
各自治体の水産課や商工会議所に問い合わせることで、地域独自の支援制度の情報が得られます。陸上養殖を地域産業として育成しようとする自治体では、用地紹介や企業とのマッチング支援なども行っているため、積極的に活用するとよいでしょう。
陸上養殖に関する補助金の詳細情報(COOLCコラム)
補助金の種類や申請条件、活用事例について詳しく解説されています。
一般社団法人閉鎖循環式陸上養殖推進協議会
技術支援や事業相談のプラットフォームとして、陸上養殖参入者向けの情報提供を行っています。