バチルス・チューリンゲンシス農薬の殺虫性タンパク質とBT剤

バチルス・チューリンゲンシス農薬の効果や仕組みを知りたいですか?有機JASで使える安全性や、クルスタキ菌とアイザワイ菌の違い、展着剤の活用法まで、プロが教える失敗しないBT剤の使いこなし術とは?
バチルス・チューリンゲンシス農薬の基礎
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特定の害虫のみ撃退

チョウ目幼虫のアルカリ性消化管でのみ毒性が作用し、人畜には無害。

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菌系統の使い分け

「クルスタキ菌」はアオムシ、「アイザワイ菌」はヨトウムシに強い。

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有機JAS対応

化学農薬の使用回数に含まれず、収穫前日まで使える製品が多い。

バチルス・チューリンゲンシス農薬の基礎知識

バチルス・チューリンゲンシスと殺虫性タンパク質の仕組み

バチルス・チューリンゲンシス(Bacillus thuringiensis、通称BT)は、土壌中に広く存在する細菌の一種であり、その最大の特徴は「殺虫性タンパク質」を作り出す能力にあります 。この細菌は、増殖の過程で芽胞(がほう)と呼ばれる耐久性の高い細胞構造を作るときに、同時にクリスタル状のタンパク質(Cryタンパク質)を産生します 。これが農薬としての殺虫成分の正体です。

 

参考)https://www.greenjapan.co.jp/qa_bt.htm

興味深いのは、この結晶性タンパク質自体は、ただのタンパク質の塊であり、そのままでは毒性を持たないということです。このタンパク質が強力な殺虫効果を発揮するには、特定の条件が必要です。それは「アルカリ性の消化液」と「特定の受容体」です 。アオムシやヨトウムシなどのチョウ目(鱗翅目)の幼虫が、BT剤が付着した葉を食べると、彼らの持つアルカリ性の消化管内でこのタンパク質が分解・活性化されます 。活性化した毒素は、幼虫の中腸にある特定の受容体に結合し、細胞膜に穴を開けて破壊します。これにより、幼虫は食欲を失い、消化管が麻痺して餓死に至るのです 。

 

参考)【安心安全に使える害虫対策】自然由来のやさしいBT剤の使い方…

一方、人間や家畜の胃液は酸性であり、また腸内にこの毒素と結合する受容体を持っていないため、私たちがこのタンパク質を摂取しても単なるタンパク質として消化されるだけで、毒性は発揮されません 。この「選択的毒性」こそが、バチルス・チューリンゲンシス農薬が環境や人体に優しいとされる科学的な根拠です。

 

参考)よくある質問|食べたら害虫が死んでしまうような遺伝子組み換え…

クルスタキ菌とアイザワイ菌の使い分けと対象害虫

多くの解説記事では「BT剤はチョウ目の幼虫に効く」とひとくくりにされがちですが、実は製品によって採用されている菌の系統(ストレイン)が異なり、それによって得意とする害虫も明確に違います 。ここを理解していないと、「BT剤を撒いたのに効かない」という失敗につながります。

 

参考)BT剤の中で、効果の違いがあると聞きました。「とうもろこ

主要な系統には以下の2つがあり、ターゲットに合わせて使い分けるのがプロのコツです。

 

  • クルスタキ菌(Kurstaki)系統:
  • アイザワイ菌(Aizawai)系統:

    市場にはこれら単独の製品だけでなく、両方の系統を混合して幅広い害虫に対応できるようにした製品や、死菌(菌が死んでいる状態だが毒素は残っている)と生菌(生きた菌)の違いによる製品バリエーションも存在します 。自分の畑で今発生しているのが「アオムシ」なのか「ヨトウムシ」なのかを見極め、適切な系統を選ぶことが、防除成功への近道です。

     

    参考)BT剤には、なぜ生菌と死菌とがあるのですか?また、どんな

    BT剤の効果を高める展着剤とアルカリ性の注意点

    BT剤を使用する際、単に水で薄めて散布するだけでは十分な効果が得られないことがあります。特にキャベツ、ネギ、ブロッコリーなどの表面がワックス質で水を弾きやすい作物に散布する場合、薬液が葉に定着せずに滑り落ちてしまうからです 。BT剤は「食毒」であり、虫が葉と一緒に薬剤を食べなければ効果がないため、葉の表面に均一に薬剤を付着させることが極めて重要です。

     

    参考)プロ農家が教える本当に効く農薬展着剤|失敗しない選び方&使い…

    そのため、BT剤の散布時には必ず「展着剤」を併用することを強く推奨します 。展着剤を加えることで、薬液が葉の表面に広がりやすくなり、また固着性も高まるため、少々の雨でも流れ落ちにくくなります。機能性展着剤の中には、薬液の浸透性を高めるものもありますが、BT剤の場合は表面への付着を重視した一般的な展着剤で十分な効果が期待できます 。

     

    参考)エコマスターBT│園芸/殺虫剤│農薬製品│クミアイ化学工業株…

    展着剤の役割と使い方(日本農薬株式会社)
    参考:展着剤の基本的な種類や、なぜ農薬の効果を安定させるために必要なのかが詳しく解説されています。

     

    また、混用に関する重要な注意点として「アルカリ性の農薬や肥料と混ぜない」という鉄則があります 。前述の通り、BT剤の殺虫性タンパク質はアルカリ性の環境下で分解・活性化する性質を持っています。もしタンクの中で石灰硫黄合剤やボルドー液のような強アルカリ性の薬剤と混ぜてしまうと、散布する前にタンクの中で毒素が溶け出し分解されてしまい、虫が食べる頃には効果を失ってしまいます 。BT剤の効果を最大限に引き出すためには、中性の水を使用し、アルカリ性資材との混用は避けるようにしましょう。

     

    参考)有機農産物栽培に!天然成分の殺虫水和剤

    有機JASで使える安全性と人体への影響

    近年、食の安全への関心が高まる中で、有機栽培オーガニック)に挑戦する農家や家庭菜園愛好家が増えています。バチルス・チューリンゲンシス農薬は、自然界に存在する天然の細菌を利用した「生物農薬」であるため、有機JAS規格においても使用が認められています 。

     

    参考)有機栽培を行っています。住友化学の微生物農薬であるBT剤

    具体的なメリットは以下の通りです。

     

    • 使用回数の制限がない: 一般的な化学農薬とは異なり、多くのBT剤は使用回数にカウントされません(※製品や自治体の基準による確認は必要ですが、有機栽培では基本的に制限なしで使える資材とされています)。​
    • 収穫直前まで使用可能: 多くの製品で「収穫前日まで」の使用が認められています。収穫間際の害虫発生にも対応できるため、非常に使い勝手が良いです 。​
    • 環境への負荷が低い: ターゲットとするチョウ目幼虫以外の昆虫(ミツバチや天敵昆虫など)への影響が極めて少なく、生態系バランスを崩しにくいという特徴があります 。

      参考)Bt作物とは?農薬に代わる遺伝子組換え技術の仕組みと安全性|…

    人体への安全性については、先述した通り、人間はBT菌が作るタンパク質に反応する受容体を持たず、胃酸で分解してしまうため、誤って摂取しても中毒を起こすリスクは極めて低いとされています 。この高い安全性こそが、プロの農家だけでなく家庭菜園でも広く推奨される最大の理由です。

     

    参考)殺虫剤は虫を殺すものですから、同じ動物であるヒトにも危険はな…

    BT剤とは? Q&A(グリーンジャパン)
    参考:BT剤の安全性や、なぜ人間に無害なのかという基本的な疑問に対して、専門的な視点から回答されています。

     

    抵抗性リスクと失敗しないための対策

    「BT剤は安全で効果的」といっても、万能ではありません。実は、同じ系統のBT剤を長期間使い続けることで、害虫が「抵抗性」を獲得し、薬が効かなくなる事例が報告されています 。特に、繁殖サイクルの早いコナガなどの害虫は、薬剤に対する抵抗性を持ちやすく、世界各地でBT剤が効かないコナガの出現が問題となってきました 。

     

    参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC182085/

    失敗しないための対策として、以下のポイントを抑えておきましょう。

     

    1. ローテーション散布: 常に同じBT剤(例えばクルスタキ系のみ)を使い続けるのではなく、アイザワイ系など異なる系統のBT剤や、全く別の作用機作を持つ薬剤とローテーションして使用します 。これにより、害虫が抵抗性を獲得するリスクを分散させることができます。

      参考)https://www.mdpi.com/2075-4450/6/2/352/pdf

    2. 若齢幼虫の時期に散布: BT剤は、体が大きくなった老齢幼虫よりも、孵化して間もない若齢幼虫に対して高い効果を発揮します 。虫が大きくなると食べる量も増えますが、同時に生命力も強くなるため、早期発見・早期防除が鉄則です。​
    3. 効果が出るまでのタイムラグを理解する: 速効性の化学殺虫剤(ノックダウン効果があるもの)とは異なり、BT剤は「食べてから死ぬまで」に数日かかることがあります 。散布直後に虫が動いていても、摂食活動(葉を食べること)が止まっていれば効果は出ています。慌てて追加散布せず、様子を見ることが大切です。

      参考)殺虫剤はなぜ効くのですか。|農薬はどうして効くの?|教えて!…

    抵抗性マネジメントを意識しながら正しく使用すれば、バチルス・チューリンゲンシス農薬は、持続可能な農業を実現するための強力なパートナーとなります。自然の力を借りて、賢く害虫と付き合っていきましょう。