セルロース分解菌は、植物の細胞壁を構成するセルロースを分解する能力を持つ微生物の総称で、土壌中の有機物循環において極めて重要な役割を担っています。土壌1グラムの中には数億から数兆個もの微生物が存在し、その中でセルロース分解菌は特に農業において欠かせない存在です。これらの微生物は、稲わらや落ち葉などの植物残渣を分解し、作物が利用できる養分へと変換することで、持続可能な農業を支える基盤となっています。
参考)https://www.naro.affrc.go.jp/org/tarc/to-noken/DB/DATA/031/031-041.pdf
土壌中に生息するセルロース分解菌には、細菌、放線菌、糸状菌という3つの主要なグループが存在します。細菌類では、バシラス属(Bacillus)やクロストリジウム属(Clostridium)が代表的なセルロース分解菌として知られており、特にバシラス属は好気的環境で活発に働きます。一方、クロストリジウム属は嫌気性のセルロース分解菌として、酸素のない環境下で活動し、堆肥化の特定段階で重要な役割を果たします。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC3209942/
放線菌は、特にテルモアクチノミセス(Thermoactinomyces)などの高温性放線菌が堆肥化において重要です。これらの微生物は60~80℃という高温環境下でヘミセルロースやセルロースを効率的に分解する能力を持ち、堆肥化の発熱期を担います。抗生物質を生産する放線菌とセルロースを分解する放線菌は種類が異なることが多く、それぞれが土壌生態系で独自の役割を持っています。
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糸状菌では、アスペルギルス属(Aspergillus)やトリコデルマ属(Trichoderma)が代表的なセルロース分解菌です。特にトリコデルマ・リーゼイ(T. reesei)はセルラーゼの生産が盛んで、バイオエネルギー製造の分野でも広く活用されています。土壌から分離されたセルロース分解菌の多くはアスペルギルス属とペニシリウム属に属することが研究で明らかになっています。
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堆肥化のプロセスは複数の段階に分かれており、各段階で異なる種類のセルロース分解菌が活躍します。初期段階では、分解しやすい糖やデンプン、タンパク質を細菌や糸状菌が分解し、この過程で微生物の盛んな呼吸による発熱が起こります。堆積物の温度が上昇すると、次の段階であるセルロース分解期に移行します。
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セルロース分解期は堆肥化の主要な過程であり、温度は60~80℃に達します。この発熱期において、高温性好気性の放線菌がヘミセルロースを分解し、続いて嫌気性のセルロース分解菌であるクロストリジウムが働きます。酸素が大量に消費されることで、酸素のない状態を好む嫌気性のセルロース分解菌が、むき出しになったセルロースを効率的に分解できる環境が整うのです。
参考)https://www.jpgreen.or.jp/kyoukyu_jyouhou/gijyutsu/recycle/page3.html
セルロース分解が終わると温度が徐々に下がり、リグニン分解期に移行します。この段階では、キノコなどの担子菌がリグニンと呼ばれる難分解性成分の分解を担います。二次発酵(熟成期間)では、30~40℃程度で数カ月間かけて、セルロース分解菌、硝酸菌、亜硝酸菌、真菌、放線菌など多種多様な微生物が増殖し、有機物の無機化が促進されます。この長期的なプロセスを経て、最終的に均質で良質、かつ衛生的な堆肥が完成します。
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セルロース分解菌を活用した土壌改良は、農業現場で多くの効果をもたらします。有機質資材の施用により、土壌呼吸量およびセルロースの分解が促進されることが研究で確認されています。特に汚泥などの有機質資材は、土壌呼吸とセルロースの分解を大きく促進する効果があります。
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土壌微生物が豊かになることで、植物の生育に必要な栄養分が効率的に供給されるようになります。セルロース分解菌は、稲わらや植物残渣などの繊維質を分解し、作物が吸収できる形の養分に変換します。BC菌のような繊維素分解菌は、土壌中でも植物の残渣繊維質をよく分解することが知られており、10アール当たり1リットル程度を散布して耕運することで効果が得られます。
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水田土壌におけるセルロース分解は、特に重要な役割を果たします。水田土壌のセルラーゼ活性は土壌の種類や温度によって異なり、セルロース分解の地域性と炭素蓄積分解過程には関連があることが研究で示されています。また、堆肥や稲わら施用による土壌微生物相の変化は、セルロース分解率に影響を与えることが確認されています。
参考)https://www.env.go.jp/earth/suishinhi/wise/j/pdf/J01K0130.pdf
セルロース分解菌を農業現場で効果的に活用するには、いくつかの実践的な方法があります。発酵促進剤を使用することで、堆肥化のプロセスを効率化できます。発酵促進剤に含まれるセルロース分解菌が、有機物の分解を加速させ、良質な堆肥を短期間で生産することが可能になります。
バイオマス利用の観点では、白色腐朽菌をリグノセルロース系バイオマスに植菌し、リグニンの分解を行わせることで、セルロースの酵素分解(セルラーゼによる糖化処理)が容易になることが期待されています。これは、廃棄される稲わらや木材チップなどの資源を有効活用する技術として注目されています。
参考)草本系原料糖化のための小規模・簡素な前処理技術の開発
国際農研が開発した「微生物糖化法」の詳細(セルロース高分解菌とA9菌の共培養技術)
土壌改良材として木質廃材を利用する場合、セルロースは比較的緩慢ながら徐々に分解され、最終的には水と炭酸ガスになって消散します。これらの易分解性成分は、分解の過程で土壌微生物に栄養やエネルギーを供給し、土壌の物理性や化学性を改善します。
参考)https://www.hro.or.jp/upload/11187/05894046001.pdf
実際の農業現場では、セルロース分解菌の活動を促進するために、適切な水分管理、通気性の確保、炭素窒素比(C/N比)の調整が重要です。これらの条件を最適化することで、セルロース分解菌の活動が活性化し、土壌の地力向上につながります。
セルロース分解菌の研究は、近年急速に進展しています。国際農研では、セルロース高分解菌とA9菌を共培養させることで、セルロースバイオマスからグルコースを直接得る「微生物糖化法」を開発しました。この技術は、従来必要だった熱処理や化学処理、機械処理といった複雑な工程を簡素化し、微生物の培養だけでセルロースを糖化できる画期的な方法です。
参考)微生物の培養だけでセルロースを糖化する技術を開発—微生物糖化…
バシラス・セレウス(Bacillus cereus)などのセルロース分解細菌について、発酵条件の最適化研究が進められています。応答曲面法(Response Surface Methodology)を用いた研究により、セルラーゼ生産量を最大化する条件が解明されつつあります。これらの知見は、工業的なセルラーゼ生産のコスト削減に貢献することが期待されています。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC10987593/
意外な事実として、セルロース分解に関与する酵素遺伝子の中でも、GH48ファミリーは結晶性セルロースの分解に特に重要な役割を果たす一方、GH5やGH9ファミリーを持つ細菌は結晶性セルロースを分解できないことが多いことが明らかになっています。真にセルロース分解能力がある細菌を正確に同定するには、包括的なゲノム解析に加え、プロテオーム解析やトランスクリプトーム解析といった追加的な技術が必要とされています。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC10886624/
遺伝子工学的なアプローチでは、抗生物質をつくり出す能力とセルロースを分解する能力の両方を持つ放線菌を創出する研究も進められています。このような多機能微生物の開発は、農業における病害抑制と有機物分解の両面で効果を発揮する可能性を秘めています。麹菌(Aspergillus oryzae)を用いた研究では、主要な3種類のセルラーゼを同時に発現する3重発現株が作製され、紙や木材などのセルロースを原料としたバイオエタノール生産への応用が検討されています。
参考)東京大学大学院 農学生命科学研究科 微生物学研究室
堆肥と土、微生物の関係についての詳しい解説(株式会社カクイチ)
堆肥化のプロセスにおける微生物の役割(温度変化と分解段階の詳細)
将来的には、これらの研究成果が統合され、廃棄物の再利用促進、バイオエネルギーの効率的生産、持続可能な農業の実現に大きく貢献することが期待されています。セルロース分解菌の持つ潜在能力を最大限に引き出すことで、循環型農業の確立に向けた新たな道が開かれるでしょう。