農業の現場で耳にする「有機酸」や「根酸」の多くは、化学構造的に「ヒドロキシ酸」に分類されます。これらは単なる酸ではなく、土壌中のミネラルを植物が吸収できる形に変えたり、微生物のバランスを整えたりする重要な役割を担っています。
農業において最も代表的なヒドロキシ酸の例は、クエン酸とリンゴ酸です。これらは植物の根から「根酸(こんさん)」として分泌されるほか、有機肥料の発酵過程でも生成されます。
これらの酸が持つ最大のメリットは「キレート作用」です。日本の土壌(特に黒ボク土)はリン酸がアルミニウムや鉄と結合して固まりやすく、植物が吸収しにくい状態になりがちです。しかし、クエン酸やリンゴ酸は、これらの金属と結合(錯体を形成)することで、固定化されていたリン酸を引きはがし、植物が吸収できる「可溶化」状態にします。
植物生理学会:クエン酸の発根作用機作とリン酸可溶化について
このリンクでは、根から分泌される有機酸がリン酸や鉄を可溶化するメカニズムや、アルミニウム毒性の回避について専門的に解説されています。
乳酸もまた、ヒドロキシ酸の一種(α-ヒドロキシ酸)であり、農業利用において非常に重要な位置を占めています。乳酸は主に乳酸菌などの微生物資材を通じて土壌に供給されます。
乳酸の主な効果は、土壌の物理性と生物性の改善です。乳酸菌が生成する乳酸は、土壌のpHを一時的に下げることで、病原性のある糸状菌(カビ)の繁殖を抑える静菌作用が期待できます。また、有機物の分解を促進し、アミノ酸やミネラルを植物が利用しやすい形にする働きもあります。
あまり知られていない利用例として、酒石酸(しゅせきさん)やリンゴ酸、クエン酸を高濃度で利用した「摘花剤(てきかざい)」としての効果があります。
通常、ヒドロキシ酸は成長促進のために使われますが、リンゴ栽培などの果樹において、特定の時期に高濃度の有機酸を散布することで、雌しべの受粉能力を一時的に阻害し、過剰な結実を防ぐ「摘花」に利用される研究があります。
AgriKnowledge:各種有機酸のリンゴに対する摘花効果の研究報告
このPDFでは、酒石酸、リンゴ酸、クエン酸を用いた摘花効果の実験結果が詳述されており、特に酒石酸の効果が高いことが示されています。
「ヒドロキシ酸=善玉」とは限りません。実は、植物自身が分泌する特定のヒドロキシ酸が、連作障害(忌地現象)の原因物質となるケースがあります。
特にp-ヒドロキシ安息香酸などのフェノール性酸は、土壌中に蓄積すると、後から植えられた同じ種類の作物の根の生育を阻害したり、種子の発芽を抑制したりする「自家中毒」のような作用(アレロパシー)を引き起こします。
天然の有機酸だけでなく、化学的に合成されたヒドロキシ化合物も農業には欠かせません。例えば、ヒドロキシイソキサゾールは、古くから使われている殺菌剤や植物生長調整剤の有効成分です。
これは主にイネの苗立枯病(なえたちがれびょう)の防除に使われる成分で、興味深いことに、低濃度では植物の根の伸長を促進する「ムレ苗防止」効果も併せ持っています。これは「ホルモン様作用」とも呼ばれ、単なる殺菌だけでなく生理的な活性を与える例です。