関東平野の広範囲を覆う「関東ローム層」は、農業従事者にとって非常に馴染み深い存在でありながら、その扱いに苦労する場面も少なくありません。一般的に、私たちが畑の土として触れている黒い土は「黒ボク土(くろぼくど)」と呼ばれ、その下層にある赤褐色の土が狭義の「ローム層」にあたります。この黒ボク土は、長い年月をかけて火山灰とススキなどの植物遺骸が混ざり合い、腐植(有機物)が蓄積してできたものです。足を踏み入れると「ボクボク(ホクホク)」とした柔らかい感触があることからその名がついたと言われています。
この土壌の最大のメリットは、その物理性の良さにあります。
一方で、化学的な性質においては明確なデメリットも存在します。
参考)https://www.naro.affrc.go.jp/archive/niaes/magazine/101/mgzn10108.html
参考)shizen:関東農政局
黒ボク土の特性や分類について詳細に解説されている記事です。
黒ボク土の特徴とは?農業利用のポイントを解説
関東ローム層の黒ボク土が持つ最も不思議で、かつ農業にとって有利な特性が「排水性(水はけ)」と「保水性(水もち)」という、一見矛盾する二つの機能が両立している点です。通常、砂地であれば水はけは良いが水もちが悪く、粘土質であればその逆になります。しかし、黒ボク土はこの両方を高いレベルで兼ね備えています。
この秘密は、土壌の団粒構造(だんりゅうこうぞう)にあります。
黒ボク土の粒子は単独で存在するのではなく、腐植や粘土鉱物の働きによって小さな塊(団粒)を形成しています。
参考)関東ローム層|江戸っ子
さらに、関東ローム層の下層(赤土部分)には、地質学的な歴史の中で形成された「管状孔隙(かんじょうこうげき)」と呼ばれるパイプ状の通り道が発達しています。これは、かつてその土地に生育していた植物の根の跡や、土壌動物の通り道が残ったものです。この構造が天然の排水路のような役割を果たし、表面の黒ボク土から浸透してきた水をスムーズに地下深部へと導きます。
参考)https://www.jsidre.or.jp/wordpress/wp-content/uploads/2017/03/nh_backnumber31.pdf
このように、関東ローム層は「天然のフィルターと貯水タンク」を併せ持ったような構造をしており、適切な管理を行えば、畑作において最強の土壌物理性を発揮するポテンシャルを秘めています。しかし、過度なロータリー耕うんや大型機械による踏圧は、この貴重な団粒構造を破壊してしまう恐れがあるため、適度な有機物の補給と適切な耕起深度の管理が重要になります。
前述の通り、関東ローム層での農業経営において避けて通れないのが「酸性土壌」と「リン酸固定」への対策です。これらを放置すると、いくら窒素肥料を与えても作物の生育が悪く、収量が上がらないという事態に陥ります。
1. 土壌酸度(pH)の矯正
まず基本となるのが、石灰資材による酸度の調整です。関東ローム層は放っておくとpH5.0以下の強酸性になることも珍しくありません。多くの野菜はpH6.0〜6.5程度の微酸性を好みます。
2. リン酸固定への多角的なアプローチ
「リン酸を与えても効かない」という問題を解決するためには、単に量を増やすだけでなく、工夫が必要です。
インドネシア産バットグアノなど、具体的な資材の提案も含めた対策記事。
黒ボク土で農業を行う際のおすすめ資材
関東ローム層の特性である「柔らかさ」「排水性」「保水性」を最大限に活かせるのが、野菜、特に根菜類の栽培です。関東地方が全国有数の野菜産地となっている背景には、大消費地に近いという立地条件だけでなく、この土壌適正が大きく関係しています。
根菜類(ダイコン、ニンジン、ゴボウ、サツマイモ)
参考)香取市の農産物
葉物野菜(ホウレンソウ、コマツナ)
注意が必要な作物
一方で、水田(稲作)にはあまり適していません。ザル田(水がすぐに抜けてしまう田んぼ)になりやすく、大量の灌漑水を必要とするためです。かつて関東地方の農民が米作りよりも畑作、あるいは陸稲(おかぼ)に力を入れたのは、この土壌特性ゆえの必然でした。
最後に、教科書的な検索結果にはあまり出てこない、歴史的かつ独自視点のトピックを紹介します。それは、江戸時代に行われた壮大な土壌改良の歴史です。関東ローム層は、自然のままでは「不毛の赤土」であり、作物が育ちにくい土地でした。これを豊かな農地へと変えたのは、意外な人物たちの知恵と執念でした。
その中心人物の一人が、第5代将軍・徳川綱吉と、その側近である柳沢吉保です。
綱吉というと「生類憐れみの令」のイメージが強いですが、実は非常に勉強熱心で、特に農業政策に強い関心を持っていました。江戸の人口急増に伴う食料不足、特に生鮮野菜の供給不足を解消するため、近郊農業の振興を命じました。
その具体的かつ画期的な成果が、現在の埼玉県三芳町周辺に残る「三富新田(さんとめしんでん)」です。ここでは、関東ローム層の弱点である「有機物不足」と「乾燥」を克服するために、「短冊状地割(たんざくじょうちわり)」というシステムが開発されました。
参考)http://www.jiid.or.jp/ardec/ardec53/ard53_key_note7.html
このシステムは、現代でいう「循環型農業」や「アグロフォレストリー」の先駆けとも言えるものです。私たちが今、関東平野でおいしい野菜を作ることができているのは、単なる自然の恵みではなく、江戸時代から続く農民たちの「落ち葉一掃き」の積み重ねによる土壌改良の結果なのです。現代の農業においても、化学肥料だけに頼らず、堆肥などの有機物を投入し続けることの重要性を、この歴史は教えてくれています。
歴史的な背景と土壌改良のつながりを詳しく知るための資料です。
徳川綱吉と土壌肥料学 (情報:農業と環境)