酸素欠乏・硫化水素危険作業主任者は、酸素欠乏症や硫化水素中毒のおそれがある場所で行う作業のうち、法律で定められた「酸素欠乏危険作業」を指揮・監督するために選任される責任者です。
労働安全衛生法および酸素欠乏症等防止規則では、トンネルやずい道、マンホール、ピット内部、タンク、サイロなど、通風・換気の悪い空間が典型的な対象とされています。
これらの条件にあてはまる施設は、実は農業の現場にも数多く存在します。
参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsidre/78/3/78_3_227/_pdf/-char/ja
例えば、家畜ふん尿をためる汚水槽や地下ピット、密閉度の高い堆肥発酵槽、草や穀物を保存するサイロ、小規模メタン発酵(バイオガス)施設などでは、発酵や腐敗の過程で酸素が消費され、二酸化炭素やメタン、硫化水素といったガスが徐々に蓄積していきます。
参考)https://www.hkd.mlit.go.jp/ob/nougyou_keikaku/ctll1r0000004rz8-att/ctll1r000000czgs.pdf
酸素欠乏症とは、おおむね酸素濃度18%未満の空気を吸入することで発症する状態と定義されており、頭痛やめまいから、短時間での意識消失・死亡に至ることもあります。
参考)https://jsite.mhlw.go.jp/saga-roudoukyoku/var/rev0/0107/9138/2013725162045P.pdf
硫化水素中毒は10ppmを超える濃度から健康影響が問題となり、高濃度では数回の呼吸で倒れるような急激な毒性を示すため、事前の測定と適切な保護具の使用が不可欠です。
参考)硫化水素の危険性について|国内における事故例や防止策なども解…
農業職種向けの安全衛生チェックリストでも、サイロや地下ピットなど酸素濃度低下の可能性がある場所での作業には、酸素欠乏危険作業主任者や保護具の活用を含む管理体制の整備が重要だと指摘されています。
参考)https://smooooth7-site-one.ssl-link.jp/sm_jiv221102/uploads/news/222/64d09c0b69d1b222.pdf
また、農作業安全リスクカルテでは、密閉された槽に立ち入る前に酸素濃度18%以上、硫化水素濃度10ppm以下であることを確認するといった具体的な基準が示されています。
参考)https://www.nitinoki.or.jp/bloc3/karte/r2riskkarte_kaisetsu.pdf
国内では、肥料工場の圧力釜から大量の硫化水素が放散し、工場内外で多数の被災者を出した事例が詳細に報告されています。
参考)No.986 製肥工場の硫化水素ガス発生事故 –…
また、ホタテ加工場汚水処理施設のタンク内で硫化水素が発生し、作業者が転落・中毒して死亡した事故も公表されており、原料が変わる・清掃のために普段と違う操作をするなど、「いつもと違う作業」が大きな事故の引き金になりうることが分かります。
参考)http://www.daiankyo.or.jp/co_11/jiko_jouhou_20250516.pdf
これらの事例は工場や加工場でのものですが、家畜排せつ物処理施設や堆肥化設備でも同様のガスが発生しうることが、国土交通省の安全管理指針で具体的に整理されています。
参考)https://www.hkd.mlit.go.jp/ob/nougyou_keikaku/ctll1r0000004rz8-att/ctll1r000000d124.pdf
酸素欠乏・硫化水素危険作業主任者 技能講習で学ぶ知識を農業分野に応用すれば、「ここは酸欠リスクがあるから測定が必要」「ここは特別に換気設備を追加するべき」といった判断を、感覚ではなく根拠を持って行えるようになります。
参考)酸素欠乏・硫化水素危険作業主任者技能講習の解説説|那加クレー…
農作業でこの資格が特に役立つ場面の一例として、次のようなものが挙げられます。
農作業での酸素欠乏・硫化水素事故の背景や典型的な数値基準は、各地の労働局資料にもコンパクトに整理されています。
酸素欠乏症・硫化水素中毒による労働災害が発生しています(厚生労働省 佐賀労働局)
酸素欠乏・硫化水素危険作業主任者 技能講習は、労働安全衛生法と酸素欠乏症等防止規則に基づく「技能講習」として位置付けられており、講習科目や時間数が政省令で細かく定められています。
規則では、学科で扱うべき項目として「酸素欠乏症・硫化水素中毒と救急措置」「酸素欠乏および硫化水素の発生原因と防止措置」「保護具に関する知識」「関係法令」、実技として「救急そ生」「酸素および硫化水素の濃度測定」が挙げられています。
多くの教習機関では、学科を2日間、実技を1日間とする3日程度のカリキュラムで実施しており、学科の最後には修了試験、実技にも別途修了試験を設けている例が一般的です。
参考)酸素欠乏・硫化水素危険作業主任者技能講習|静岡県労働基準協会…
講習時間の一例を整理すると、次のようなイメージになります。
参考)https://tochikiren.or.jp/pages/34/
| 区分 | 主な科目 | 時間の目安 |
|---|---|---|
| 学科1 | 酸素欠乏症・硫化水素中毒と救急そ生に関する知識 | 3〜4時間程度 |
| 学科2 | 酸素欠乏・硫化水素の発生原因と防止措置 | 4時間程度 |
| 学科3 | 保護具に関する知識、関係法令 | 4〜5時間程度 |
| 学科試験 | 筆記の修了試験 | 1時間程度 |
| 実技1 | 救急そ生(心肺蘇生等)の方法 | 2時間程度 |
| 実技2 | 酸素・硫化水素の濃度測定方法 | 2時間程度 |
| 実技試験 | 実技修了試験 | 1時間前後 |
受講料は実施団体によって異なりますが、労働基準協会などの案内ではおおむね2万円前後(テキスト代は2,000円台前半)に設定されている例が多く見られます。
参考)酸素欠乏・硫化水素危険作業主任者技能講習 – 茨…
受講資格については、「特に制限なし」としており、日本語のテキストと試験に対応できることを条件にしている団体が一般的です。
参考)公益社団法人東京労働基準協会連合会:技能講習:酸素欠乏・硫化…
一方で、この技能講習は、あくまで作業主任者として管理・監督にあたる人を対象としたものであり、現場で作業に従事する全員が受ける「特別教育」とは役割が異なります。
参考)よくあるご質問・回答【酸素欠乏・硫化水素危険作業特別教育】|…
酸素欠乏・硫化水素危険作業特別教育は作業者向けの安全衛生教育であり、技能講習は作業方法の決定や濃度測定、保護具の点検などを担う主任者を養成するための講習と整理されています。
参考)酸欠の業務に関わる人必見!必要な資格について紹介 - 酸素欠…
興味深い点として、酸素欠乏・硫化水素危険作業主任者技能講習を修了した人は、酸素欠乏危険作業の特別教育を別途受講しなくてもよいとされており、主任者資格取得と特別教育の内容が一体的にカバーされる仕組みになっています。
また、かつての「第2種酸素欠乏危険作業主任者技能講習」は法改正により名称変更されていますが、改正前に修了した人の修了証は新名称の講習に読み替えられ、書き換えの必要がないと案内されています。
講習修了後は、労働基準協会などが発行する写真付きの修了証が交付され、事業場で酸素欠乏・硫化水素危険作業主任者として選任できるようになります。
農業法人や農協系施設でも、堆肥舎や処理施設を多く抱える場合には、施設管理者や班長クラスにこの資格を持つ人を配置することで、外部業者との打ち合わせや行政からの指導への対応がスムーズになるケースが多いとされています。
参考)新潟農業・バイオ専門学校|農業・フラワー・造園・食品・醸造・…
資格の法的な根拠や講習科目の条文は、酸素欠乏症等防止規則に整理されています。
参考)e-Gov 法令検索
酸素欠乏症等防止規則(e-Gov法令検索)
講習の具体的な時間割や費用のイメージをつかむには、各地の労働基準協会が公開している案内ページも参考になります。
参考)酸素欠乏・硫化水素危険作業主任者
酸素欠乏・硫化水素危険作業主任者技能講習のご案内(北海道労働基準協会連合会)
技能講習の実技では、酸素および硫化水素の濃度を測定する方法が重要なテーマになっており、実際に測定器を使いながら、測定位置や操作手順を確認していきます。
教習所によって具体的な機種は異なりますが、携帯型のガス検知器を使って、酸素濃度と硫化水素濃度を同時に確認する演習が一般的です。
測定器には、拡散式でポケットに入れて使うタイプや、ポンプでガスを吸引して離れた場所の濃度を測るタイプなどがあり、それぞれ得意・不得意があります。
たとえば、狭いマンホールの底部や堆肥槽の内部のように、空気が滞留しやすい場所では、入口付近だけでなく、実際に人が立つ位置や底部近くの空気をポンプ式で吸い上げて確認することが重要です。
参考)【日程】酸素欠乏・硫化水素危険作業主任者技能講習
硫化水素は腐卵臭で知られますが、高濃度になると嗅覚がまひして臭いを感じなくなるため、「臭いがしないから安全」とは言えないという点も講習で強調されます。
また、湿度の高い環境や腐食性ガスが多い場所では、センサーや金属部が劣化しやすく、定期的な点検や校正を怠ると、測定値が信用できなくなるリスクもあります。
農業現場で測定器を選ぶ際には、次のようなポイントを意識すると実務で使いやすくなります。
参考)酸素欠乏・硫化水素危険作業主任者技能講習
保護具についても、講習では「どの条件で、どのマスクを使ってよいのか」という判断基準を学びます。
酸素濃度が18%未満になるおそれがある場所では、ろ過式防毒マスクのような「空気をその場で吸って浄化するタイプ」は使用できず、空気呼吸器や送気マスクなど、外部から安全な空気を供給する方式が必要になると説明されています。
硫化水素は金属を腐食させる性質があるため、長期間使用する保護具や金属製器具では、腐食による破損・漏えいも無視できません。
農業の汚水槽や堆肥舎では、硫化水素だけでなくメタンやアンモニアが同時に発生しているケースも多く、ガス濃度の監視と同時に、換気設備や配管類の腐食にも注意を払う必要があります。
技能講習で実際に保護具を装着し、視界や動きやすさを体験しておくと、「この作業なら送気マスクと安全帯を必ずセットで使おう」「この深さなら三脚とウインチも必要だ」といった現場での判断が具体的になります。
さらに、救急そ生の演習を通じて、倒れた作業者を無理に助けに入る二次災害を防ぐ判断や、通報・心肺蘇生・AED使用までの流れを体で覚えられる点も、農業現場にとって大きなメリットです。
参考)https://www.mhlw.go.jp/new-info/kobetu/roudou/gyousei/anzen/dl/kagaku_j.pdf
硫化水素の性質や事故例、防止策については、ガス検知器メーカーなどが分かりやすい技術解説を公開しています。
硫化水素の危険性と国内の事故事例・防止策の解説
家畜排せつ物処理施設や小規模メタン発酵(バイオガス)プラントは、再生可能エネルギーや臭気対策の面で注目されていますが、一方で酸素欠乏や硫化水素、中でも多種類のガスが同時に発生する高リスクな作業環境でもあります。
国土交通省北海道開発局がまとめた家畜排せつ物処理施設の安全管理指針では、酸素欠乏危険場所の特定や、特別教育の実施、換気・測定・救助体制などをチェックするための詳細な点検票が提示されています。
日本農業機械化協会の農作業安全リスクカルテでも、堆肥舎や汚水槽などにおける酸素欠乏・硫化水素リスクが取り上げられ、酸素濃度18%以上・硫化水素10ppm以下であることを事前に確認するといった、実務的な管理ポイントが示されています。
こうした資料と、技能講習で学ぶ法令・測定・保護具の知識を組み合わせることで、「農場版の酸素欠乏・硫化水素安全マニュアル」を自作することが可能になります。
農業バイオガス・堆肥施設で、この資格をどのように活かすかを考える際のステップ例は次の通りです。
小規模メタン発酵施設の運転管理に関する研究報告では、少人数で運営する施設ほど、作業が属人化しやすく、危険な「慣れ」が入り込みやすいことが指摘されています。
酸素欠乏・硫化水素危険作業主任者としての視点を持つ人が、日々の運転記録や点検記録を見直し、「この作業は本来なら二人一組で行うべきではないか」「ここのベント管は詰まりやすいので定期清掃をルール化しよう」といった提案を行うだけでも、施設全体のリスクは大きく下げられます。
興味深い事例として、バイオテクノロジー系の専門学校や大学が、学生に酸素欠乏・硫化水素危険作業主任者技能講習を受講させているケースがあります。
参考)https://www.hiroshima-u.ac.jp/system/files/181366/21-056_%E5%AD%A6%E5%A4%96%E7%A0%94%E4%BF%AE%E5%A0%B1%E5%91%8A%EF%BC%88%E6%A3%AE%E4%BA%95%EF%BC%89.pdf
将来、バイオ系企業や下水処理・食品工場など「発酵」と「密閉空間」がセットになる職場に就くことを想定し、在学中に資格を取らせることで、安全に対する基礎体力を付けていると紹介されています。
同じ発想で、家畜排せつ物処理施設やバイオガスプラントを保有する農業法人・農協が、施設管理担当者や若手リーダーにこの資格を計画的に取得させることは、設備投資と同じくらい「安全への投資」として意味があります。
行政が作成したチェックリストやガイドラインは、どうしても一般論にとどまりがちですが、そこに自分たちの現場を熟知した主任者の視点が加わることで、農場ごとに実情に合った、実効性の高い安全管理ルールへと昇華させることができます。
家畜排せつ物処理施設の安全管理の考え方や、チェックリストの例は次の資料が詳細です。
家畜排せつ物処理施設の安全管理について(国土交通省 北海道開発局)
農作業安全のリスク評価やチェックリスト作成のヒントを得るには、農作業安全リスクカルテも有用です。
農作業安全リスクカルテ 解説編(日本農業機械化協会)
さらに、硫化水素ガス大量発生事故の詳細な分析報告を読むと、「同じような条件が自分の農場にないか」を具体的にイメージしやすくなります。
製肥工場の硫化水素ガス発生事故報告(国立保健医療科学院)