土壌中の可給態窒素(地力窒素)を測定することなく毎年同じ施肥量を続けていると、気づかないうちに年間数万円単位の肥料コストを無駄にしている可能性があります。
土壌中の窒素は大きく「有機態窒素」と「無機態窒素」に分かれます。無機態窒素(アンモニア態窒素・硝酸態窒素)は作物がすぐに吸収できる形ですが、実は土壌中に存在する窒素の大部分は有機態窒素です。
この有機態窒素のうち、微生物の働きによって分解(無機化)され、作物に利用できる形へと変化できるものを「可給態窒素」、または「地力窒素」と呼びます。作物への直接吸収はできませんが、栽培期間中にじわじわと無機化されることで、作物の生育を下支えします。
これが基本です。
農林水産省の地力増進基本指針によると、畑土壌の可給態窒素の目標値は乾土100g当たり5mg以上、水田土壌では8mg以上20mg以下とされています。この数値を把握しないまま施肥量を決めると、肥料過剰による過繁茂・倒伏・食味低下、さらには硝酸による地下水汚染といったリスクが生じます。
特に水稲では、地力窒素由来の窒素が作物が吸収する総窒素量の過半を占めることも珍しくありません。つまり土壌からの供給分を無視した施肥計画は、はじめから「二重払い」になっている可能性があります。
まずここを押さえてください。
可給態窒素の測定において長年「ゴールドスタンダード」とされてきたのが、培養法(公定法)です。畑土壌では30℃で4週間、水田土壌では湛水状態で30℃・4週間の静置培養を行い、その期間に無機化したアンモニア態窒素量を測定して可給態窒素量を算出します。
測定の流れは以下のとおりです。
精度は高く、土壌の種類を問わずに広く適用できる信頼性があります。
しかし問題は大きく2点あります。
第一に、結果が得るまでに最低4週間かかる点です。作付け計画を立てる時期に間に合わないケースも出てきます。第二に、分析操作が複雑で、専用の恒温培養機や精密な窒素分析機器が必要なため、多くの分析機関でも測定メニューに含めていない実情があります。実際に農研機構の資料でも「可給態窒素を分析項目に含めている土壌分析機関は少ない」と指摘されています。つまり、知りたくても知れないという状況が続いていました。
この課題を解決するために農研機構が開発したのが「80℃16時間水抽出法」です。2018年には九州大学の上園氏がこの手法の有効性を論文で示し、現場普及が加速しました。精度指標の決定係数(R²)は0.75〜0.83と高く、培養法と高い相関が確認されています。
原理は少し意外なように感じるかもしれません。80℃のお湯で16時間保温すると、土壌中の低分子タンパク質(可給態窒素の主要成分)が溶け出してきます。この溶液中の有機態炭素(TOC)やCOD(化学的酸素消費量)を測定し、回帰式に当てはめることで可給態窒素量を推定する仕組みです。
「窒素を測るのになぜ炭素を測るのか?」と思われるかもしれませんが、可給態窒素の多くは低分子のタンパク質のため、溶け出した炭素量からでも窒素量を正確に見積もることができます。
つまり炭素と窒素はセットで動くということですね。
手順の概要は以下のとおりです。
この方法の大きなメリットは「土壌採取の翌日には判定できる」点にあります。公定法の4週間を、わずか1〜2日に短縮できます。
これは使えそうです。
注意点として、この方法は畑土壌に最適化されており、水田土壌(転換畑含む)では精度が落ちることが報告されています。水田向けには別途「絶乾土水振とう抽出法」または「簡易乾熱土水抽出法」が開発されています。また80℃・16時間の温度と時間の条件は必ず守ってください。
条件がずれると測定値も変わります。
農家が自宅で実施できる最も現実的な方法が、80℃熱水抽出+CODパックテストの組み合わせです。農研機構が公開しているマニュアルによると、初期投資は約17,350円で、1点あたりの測定コストは約145円という低コストで実施できます。
必要な道具は次のとおりです。
測定の流れは2日間で完結します。1日目の夕方5時ごろに保温を開始し、翌朝9時ごろに16時間が経過したところで取り出します。冷ました後に食卓塩を加えてろ過し、得られたろ液をミネラルウォーターで5倍に希釈してCODキットで色判定を行います。
計算式:可給態窒素含量(mg/100g)= 測定値 × 希釈倍率 × (100/3) × (50/1000) × 0.034
例えば5倍希釈で測定値が13だった場合、可給態窒素量は約4mg(乾土100g当たり)と算出されます。畑の目標値(5mg以上)を下回っているため、有機物施用の強化が必要と判断できます。
一点だけ絶対に守ってほしいのが、抽出・希釈に使う水です。井戸水や水道水にはCODがあるため使用不可です。必ずミネラルウォーターを使い、事前にCODがゼロであることをキットで確認してください。
水の選択が条件です。
水田土壌に対応した簡易・迅速評価法として農研機構が開発した「絶乾土水振とう抽出法」は、分析機関・研究機関向けの方法です。決定係数R²=0.86という高い精度で、培養法とほぼ同等の信頼性があります。
手順の概要は以下のとおりです。
「絶乾処理の時間を12時間や一晩に短縮できるか?」という疑問を持つ方もいるかもしれませんが、農研機構の検証では抽出されるTOC値は処理時間によって異なるため、必ず24時間処理することとされています。
絶乾時間の短縮は厳禁です。
また、水田土壌でこの方法を使う場合は、80℃処理(畑向け)ではなくこちらの方法を選択してください。同一の方法でも水田と畑では土壌中の微生物構成や有機物の性質が異なるため、回帰式が別に定められています。機器が整備されていない普及指導機関向けには、家庭用オーブンで120℃・2時間乾熱してCOD測定する「簡易乾熱土水抽出法」も開発されており、R²=0.85と高精度で活用できます。
どれだけ優れた測定法を使っても、土壌のサンプリングが間違っていれば測定値は現場の実態を反映しません。測定精度はサンプリングで決まると言っても過言ではありません。
農研機構のマニュアルで推奨されているサンプリング法は次のとおりです。
5箇所から採取して混合するのは、圃場内の土壌の不均一性を均すためです。1点だけ採取すると、たまたま土壌状態が極端な場所だった場合にその値が圃場全体の代表値として使われてしまうリスクがあります。東京ドームのグラウンド(約13,000㎡)ほどの広さの圃場であれば、もう少し多い点数からの採取が望ましいです。
また、採取時期も重要な要素です。施肥後や耕起後に採取すると、肥料分や有機物の混入によって測定値が大きく変動します。できるだけ「ニュートラルな状態」での採取を徹底してください。
測定が完了したら次は判定です。
数値だけを見ても意味はありません。
基準値と照らし合わせた判断が必要です。
農林水産省「地力増進基本指針」が示す目標値は以下のとおりです。
「数値が高いほど良い」と思われがちですが、水田では上限(20mg)も定められています。可給態窒素が過剰になると窒素供給量の調節が難しくなり、過繁茂・倒伏・食味低下を引き起こします。
多すぎても困るということですね。
野菜作においては「標準的な窒素肥沃度は可給態窒素3mg/100g程度」とされており、この値を超えている場合は施肥窒素量を減じる必要があります(農研機構・野菜作における可給態窒素レベルに応じた窒素施肥指針)。土壌分析レポートを見る際は、この数値を軸に施肥量を加減する発想が大切です。
さらに見落とされがちな視点として、全窒素量に対する可給態窒素の割合があります。土壌分析センターの調査によると、可給態窒素は全窒素の平均わずか約1.5%に過ぎません。逆に言えば残り98.5%は今すぐには作物に使われない形で土壌に眠っています。全窒素が高くても可給態窒素が低い土壌では、有機物の分解を促すための微生物環境整備(炭素源の投入、緑肥のすき込みなど)が先決になります。
測定値を施肥設計に反映するには、いくつかの考え方が必要です。土壌からの窒素発現量を見積もった上で、それを肥料の投入量から差し引くという考え方が基本になります。
例えば栃木県では水稲向けに「土壌可給態窒素量による窒素施肥量診断指標」を公表しており、可給態窒素のレベルに応じて施肥量を変化させる仕組みを導入しています。同様に神戸市農業活性化協議会の令和7年マニュアルでは、営農アプリ(Sagri・xarvio)を活用して可給態窒素量が12mg/100g以上の圃場は化学肥料を慣行比で削減するという体系が実証されています。
農研機構が公開している「畑土壌由来の可給態窒素見える化アプリ」(日本土壌インベントリーサイト内)も非常に有用です。圃場の位置情報と作物の種類・播種日・収穫日などを入力するだけで、栽培期間中の土壌からの窒素発現量を気温データに基づいてシミュレーションできます。
このアプリは無料で使えます。
参考:畑土壌由来の可給態窒素見える化アプリ(農研機構・日本土壌インベントリー)
https://soil-inventory.rad.naro.go.jp/main/fertilizer/visual
肥料コストの削減という観点では、野菜作において「窒素施肥量を慣行の5割程度まで低減できた」というデータも報告されています(農林水産省・肥料コスト低減技術マニュアル)。可給態窒素を無視した施肥は、半分以上の肥料代を土に「捨てている」と言っても過言ではないかもしれません。
参考:野菜作における可給態窒素レベルに応じた窒素施肥指針(農研機構)
https://www.naro.go.jp/publicity_report/publication/files/carc_chissosehishishin20200331.pdf
可給態窒素の簡易測定法はすべての土壌に一律に適用できるわけではありません。
これは意外と知られていない点です。
畑向けの「80℃16時間水抽出法」については、黒ボク土・非黒ボク土・堆肥連用土壌など多様な土壌に適用できることが確認されていますが、水田土壌(転換畑を含む)では精度が低下します。これは水田土壌と畑土壌では、有機物の蓄積形態や微生物群集の構成が異なるためです。
黒ボク土は火山灰を母材とし、リン酸吸収係数が高く有機物が豊富に集積しやすい特性があります。このため可給態窒素の絶対量も他の土壌と比べて異なる傾向があります。回帰式そのものは共通して使えますが、地域ごとの土壌特性に応じて回帰式を補正しておくと精度が向上します。農研機構も「地域ごとに土壌種類で分けた回帰式を求めておくとより精度が高まる」と明示しています。
また測定時の温度管理にも注意が必要です。CODキットの反応時間は液温によって変わります。液温20℃では5分、25℃では4分30秒、30℃では4分と、同じ判定でも1分近く異なります。この時間を守らないと色判定がずれ、測定値が実態より大きく外れます。
判定タイミングの厳守が条件です。
可給態窒素の測定は「今の土壌状態を知る」ためのものですが、その測定結果を長期的な土づくり戦略に組み込むことが、生産の安定と収益向上の鍵になります。
可給態窒素を増やすには、微生物が有機物を分解しやすい環境を整えることが前提条件です。
具体的には次のような手段が有効です。
大切なのは「測定→診断→施用→再測定」のサイクルを回し続けることです。一度測って終わりではなく、毎作付け前の定期的なモニタリングが土壌の変化を捉え、施肥最適化につながります。
サイクルを回すことが原則です。
一般的な解説では測定「方法」に焦点が当たりがちですが、見落とされやすいのが測定「タイミング」の重要性です。
可給態窒素の発現量は気温と密接に関係しています。春先に土壌採取・測定をして算出した可給態窒素量と、同じ圃場の夏季(高温時)の発現量は大きく異なります。なぜなら土壌微生物の活性は温度が高いほど上がるため、夏の高温環境下では培養法で想定した量よりも実際の窒素発現量が大きくなる場合があるからです。
農研機構の「見える化アプリ」がその年の地温データを使って窒素発現量をシミュレーションしているのも、この「温度依存性」を考慮しているためです。同じ可給態窒素3mg/100gの圃場でも、冷涼な夏と猛暑の夏では実際に作物に供給される窒素量は違います。近年の夏の高温化は、この誤差をより大きくしています。
これは痛いですね。
対策として、作付けごとに測定するだけでなく、その年の気温推移を加味したシミュレーションを併用することを強く推奨します。農研機構のアプリは無料で使えますので、測定結果と組み合わせて活用すると施肥精度が格段に上がります。
参考:農研機構 畑土壌可給態窒素の簡易・迅速評価マニュアル(PDF)
https://www.naro.go.jp/laboratory/carc/result_digest/files/snmanu.pdf
参考:農研機構 水田土壌可給態窒素の簡易・迅速評価マニュアル(PDF)
https://www.naro.go.jp/publicity_report/publication/files/narc_available_N_paddy_man.pdf