土壌の肥沃度や物理性を決定づける重要な要素である「土壌有機物」ですが、その測定方法は目的や環境によって大きく異なります。精密な分析が必要な研究レベルの手法から、農業現場で実践できる簡易的な目安のつけ方まで、その原理と特徴を正しく理解することが重要です。
土壌有機物を測定する伝統的かつ公定法として知られるのが、チューリン法と灼熱減量法です。これらは多くの土壌診断室で採用されていますが、その原理は全く異なります。
チューリン法(重クロム酸酸化滴定法)は、土壌中の有機炭素を化学的に酸化分解し、その際に消費された酸化剤の量から有機物量を推定する方法です。
参考)https://www.soilsci.info/Book_SoilSci/10_SoilTesting.pdf
参考)http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00549/1995/47-0298.pdf
一方、灼熱減量法(強熱減量法)は、土壌を高温で焼いた際の重量減少を利用します。
参考)【No.7】「強熱減量」と「熱しゃく減量」|よろず相談室|ミ…
これら二つの方法は、それぞれ「化学的な酸化」と「熱による物理的な消失」という異なるアプローチをとっており、得られる数値の意味合いが少し異なることを理解しておく必要があります。
近年、より高精度で迅速な測定方法として普及が進んでいるのが乾式燃焼法(CNコーダー法)です。これは専用の分析機器を使用する方法で、現在の研究分野や大規模な分析センターでの主流となりつつあります。
参考)https://www.tsutsuki.net/pdf2020/Soil_diag_practice.pdf
乾式燃焼法のメカニズム:
土壌試料を酸素気流中で1000℃近い高温で瞬時に燃焼させます。発生したCO2(二酸化炭素)やN2(窒素ガス)をガスクロマトグラフィーや熱伝導度検出器で定量します。
従来法との決定的な違い:
| 項目 | 乾式燃焼法 | チューリン法 | 灼熱減量法 |
|---|---|---|---|
| 測定対象 | 全炭素 (Total Carbon) | 有機態炭素 | 揮発性物質全般 |
| 精度 | 非常に高い | 滴定誤差が入る | 結晶水の影響大 |
| 操作性 | 機器分析(自動) | 煩雑(手作業) | 単純だが時間がかかる |
| 廃液 | 発生しない | 六価クロム廃液 | なし |
| コスト | 機器が高額 | 試薬代・処理費 | 電気代のみ |
全炭素と有機炭素の区別:
乾式燃焼法で測定されるのは「全炭素」です。日本の多くの農地土壌では「全炭素≒有機炭素」と考えて問題ありませんが、石灰質土壌や貝化石を含む土壌など、無機炭素(炭酸カルシウムなど)を多く含む場合は注意が必要です。無機炭素が含まれると、有機物量が過大評価されてしまいます。そのため、酸処理によって無機炭素を除去してから測定するなどの前処理工程が正確さの鍵となります。
参考)https://www.maff.go.jp/j/seisan/kankyo/attach/pdf/tuti_chyosa-26.pdf
この方法は、人的誤差が入り込む余地が少なく、再現性が極めて高いのが特徴です。また、同時に全窒素(Total Nitrogen)も測定できるため、有機物の分解特性を知る上で重要なC/N比(炭素率)を一度の分析で正確に出せる点も大きなメリットです。
参考)https://www.hro.or.jp/upload/13658/7.pdf
高価な機器や危険な試薬を使わず、圃場の現場で「今すぐに」有機物量のアタリを付けたい場合に有効なのが、土色(つちいろ)による簡易診断です。土壌中の腐植(有機物が分解・再合成された黒っぽい物質)は、土を黒く着色する性質があります。この性質を利用し、土の色から腐植含量を推定します。
参考)https://www.pref.ibaraki.jp/nourinsuisan/noken/seika/r1pdf/documents/r1-23.pdf
標準土色帖(マンセル表色系)の使用手順:
簡易キットとの併用:
「みどりくん」などの簡易土壌診断キットは、主にpH、硝酸態窒素、リン酸などを測定するものであり、有機物そのものを測る試薬は含まれていません。しかし、これらのキットで測定した「窒素の肥効」と「土色による腐植推定」を組み合わせることで、「この土は有機物は多いが、分解が遅く窒素が出てきていない」といった総合的な判断が可能になります。
参考)自分でできる簡易的な土壌診断法。健康な土壌を維持するために知…
注意点:
土色は、有機物だけでなく、鉄の酸化状態(赤や青灰色)や母材(元の岩石の色)にも影響されます。単に「黒いから有機物が多い」と過信せず、あくまでスクリーニング(初期診断)として活用し、数年に一度は分析室での精密検査を行うのが理想的です。
土壌診断書に記載されている「腐植(Humus)」の値は、実は測定値そのものではなく、測定した「炭素量」から計算で求めた推定値であることがほとんどです。この換算係数の存在を知っておくことは、データの裏読みをする上で重要です。
基本的な計算式:
腐植含量 (%)=有機炭素含量 (%)×1.724
「1.724」という係数の根拠:
この数字は、土壌有機物中の炭素含有率を平均して58%と仮定したことに由来します(100 ÷ 58 ≒ 1.724)。これは19世紀の土壌学者Van Bemmelenによって提唱された古い係数ですが、慣例的に現在でも広く使用されています。
参考)https://www.pref.yamaguchi.lg.jp/uploaded/attachment/61580.pdf
計算における落とし穴と近年の見解:
しかし、近年の研究では、土壌の種類や深さによって有機物の組成は異なり、炭素率は必ずしも58%ではないことが指摘されています。
灼熱減量法からの換算:
灼熱減量法(Weight Loss on Ignition)のデータから腐植や炭素を推定する場合もありますが、これはさらに粗い推定になります。
全炭素≈(灼熱減量−粘土鉱物由来の補正値)×係数
という回帰式を用いますが、地域ごとに補正値(切片)が大きく異なるため、全国一律の式は使えません。自分の畑がある地域の農業試験場などが公表している「地域別の相関図」や「換算テーブル」を参照するのが最も確実です。
実務での活用:
診断書の数値を見る際は、「腐植 5.0%」とあっても、それが「チューリン法で測った炭素に1.724を掛けた値」なのか、「乾式燃焼法で測った全炭素から換算した値」なのかを確認してください。測定方法が違えば、同じ土でも数値が1~2%ズレることは珍しくありません。経年変化を追う場合は、必ず同じ測定方法のデータと比較することが鉄則です。
近赤外分光法の仕組み:
土壌に近赤外線を照射し、その反射光のスペクトル(波長ごとの強さ)を解析します。有機物に含まれるC-H結合やO-H結合は特定の波長の光を吸収する性質があるため、その吸収パターンを解析することで、有機炭素量を推定します。
独自視点:スマートフォンとAIによる画像解析:
さらに手軽なアプローチとして、スマートフォンのカメラを用いた解析技術も開発されています。愛知県などの研究機関では、スマホで撮影した土壌画像の色の値(Lab*表色系)と、実際の土壌炭素含有量の相関関係をAI(機械学習)モデル化し、写真一枚で土壌炭素を推定する試みが行われています。
専用の高価な分光計がなくても、アプリさえあれば、圃場のその場で「ここは色が淡いから有機物が抜けているかも」といった定性的な判断を、人間の目よりも客観的な数値として得られます。
撮影時の光の加減(日向か日陰か)、土の水分状態(濡れると黒くなる)による補正が必要です。しかし、撮影時にカラーチャートを同時に写し込むことで色調補正を行う技術が確立されつつあり、将来的には「スマホをかざすだけの土壌診断」が農業現場のスタンダードになる可能性があります。
これらの光学的な手法は、あくまで「推定」であるため、定期的な化学分析(キャリブレーション)は必要ですが、広大な農地の有機物ムラをマッピングし、可変施肥を行うスマート農業においては、最強のツールとなり得ます。