農業に従事されている皆様にとって、作物を育てる過程で使用する肥料や資材の安全性は常に関心の高いテーマかと思いますが、私たちが生産した農作物が加工され、食卓に並ぶ際の「添加物」についても同様に正しい知識を持つことは重要です。特に「グルタミン酸ナトリウム(MSG)」に関しては、長年にわたり様々な情報が飛び交い、消費者の間で不安視されることもありましたが、現在の科学的な評価はどうなっているのでしょうか。
まず結論から申し上げますと、グルタミン酸ナトリウムは国際的な機関によってその安全性が確認されています。国連食糧農業機関(FAO)と世界保健機関(WHO)が合同で運営する食品添加物専門家会議(JECFA)は、グルタミン酸ナトリウムについて詳細な毒性試験を行い、「ヒトが通常の食事で摂取する量では毒性はなく、1日許容摂取量(ADI)を特定する必要がない」という評価を下しています。これは、塩や砂糖と同じように、常識的な範囲で使用する限りにおいては健康への悪影響はないということを意味しています。
しかし、「化学調味料」という名称がかつて使われていたことや、石油由来であるという誤った噂(現在はサトウキビなどの発酵法が主流です)が広まったことで、漠然とした「危険性」のイメージが先行してしまうことがあります。生産者として、消費者に安心安全な農作物を届けるだけでなく、その先の加工段階で使われる成分についても、科学的根拠(エビデンス)に基づいた情報を知っておくことは、風評被害を防ぐ意味でも非常に有意義です。
食品添加物の安全性に関する評価(食品安全委員会)
https://www.fsc.go.jp/fsciis/foodSafetyMaterial/show/syu04750090149
うま味調味料の安全性に関する詳細な解説(日本うま味調味料協会)
https://www.umamikyo.gr.jp/spice/safe.html
私たちがスーパーマーケットで加工食品を手に取ったとき、原材料名の欄に「グルタミン酸ナトリウム」という文字を直接見かけることは実はあまりありません。これは、食品表示法に基づく表示のルールが存在するためです。農業生産者の皆様も、ご自身の作物を加工品として販売する際(6次産業化など)には、この表示ルールを正確に理解しておく必要があります。
食品表示法では、グルタミン酸ナトリウムなどの添加物を使用する場合、その「物質名」を表示するのが原則ですが、調味料として使用する場合には特例が認められています。具体的には、使用目的(用途名)である「調味料」と併記する形で、以下のように表示されます。
このように、「等」の一文字があるかないかで、配合されている成分の種類が異なることがわかります。この「一括名表示」は、消費者が理解しやすいように簡略化されたものですが、逆に言えば「何が入っているか詳細がわからない」という不安を生む要因にもなっています。
| 表示名 | 内容の定義 | 主な成分例 |
|---|---|---|
| 調味料(アミノ酸) | アミノ酸類のみを使用 | L-グルタミン酸Na、グリシンなど |
| 調味料(アミノ酸等) | アミノ酸類+核酸類など | アミノ酸+イノシン酸Naなど |
| 調味料(核酸) | 核酸類のみを使用 | イノシン酸Na、グアニル酸Naなど |
| 調味料(有機酸) | 有機酸類のみを使用 | クエン酸Na、コハク酸Naなど |
また、最近では「化学調味料無添加」や「無化調」と謳う商品が増えていますが、これらは食品表示基準で定義された用語ではありません。実際には、酵母エキスやタンパク加水分解物といった、法的には「食品」に分類されるものの、実質的にうま味成分(グルタミン酸など)を豊富に含む素材が使われているケースが多くあります。これらは添加物ではないため「無添加」と表示できますが、消費者が期待する「うま味成分が入っていない」という意味とは異なる場合がある点に注意が必要です。
食品添加物表示に関するQ&A(消費者庁・徳島県引用)
https://www.pref.tokushima.lg.jp/syoku/syokuhinanzen/anzenqa/7231317/
グルタミン酸ナトリウムと聞くと、現代の化学技術の産物のように思われるかもしれませんが、その起源は日本の伝統的な食材にあります。1908年、東京帝国大学の池田菊苗博士が、湯豆腐の出汁に使われる「昆布」のおいしさの正体を探求し、その主成分がグルタミン酸であることを発見しました。
池田博士は、この味を甘味、酸味、塩味、苦味に続く第5の味として「うま味(Umami)」と名付けました。そして、このグルタミン酸を中和してナトリウム塩にすることで、保存性が高く、水に溶けやすい結晶とし、調味料として工業化することに成功しました。これが世界初のうま味調味料の誕生です。
農業の現場においても、トマトや大豆、トウモロコシなど、私たちが育てている多くの作物には天然のグルタミン酸が含まれています。つまり、グルタミン酸ナトリウムは「全く未知の化学物質」を人工的に作り出したものではなく、自然界や農作物の中に当たり前に存在している成分を、使いやすい形に取り出したものと言えます。
現在、グルタミン酸ナトリウムの製造は、サトウキビやトウモロコシ(キャッサバなども含む)の糖蜜を原料とした「発酵法」が主流です。これは味噌や醤油、酒を作るのと同じ微生物の働きを利用したバイオテクノロジーであり、農産物を原料としている点でも、農業と密接な関わりを持っています。石油から合成されていた時代は過去のものであり、現在は植物由来の原料から作られているという事実は、意外と知られていない情報のひとつです。
うま味発見の歴史と池田菊苗博士(味の素株式会社)
https://story.ajinomoto.co.jp/history/020.html
ここからは、検索上位の記事にはあまり出てこない、しかし農業従事者である皆様にとって非常に興味深い「独自視点」のお話をします。それは、グルタミン酸ナトリウム(およびグルタミン酸)の肥料としての効果です。「食品添加物を畑に撒くのか?」と驚かれるかもしれませんが、実はアミノ酸肥料やバイオオスティミュラント(生物刺激資材)として、グルタミン酸は植物の生育に極めて重要な役割を果たしています。
植物は通常、根から吸収した無機窒素(硝酸態窒素など)を体内で還元し、アンモニアを経て最初に「グルタミン酸」を合成します。そして、このグルタミン酸を起点(アミノ基転移反応)として、他の全てのアミノ酸を作り出し、最終的にタンパク質を合成して体を大きくしています。
実際、うま味調味料を製造する過程で発生する副産物(発酵母液)は、窒素分やミネラル、アミノ酸を豊富に含んでいるため、高品質な有機質肥料として登録・販売され、多くの農家で利用されています。サトウキビからうま味調味料を作り、その副産物がまた畑に戻って作物を育てるという、資源循環(サイクル)が形成されているのです。「食品の成分」としてだけでなく、「植物の栄養源」としてのグルタミン酸の顔を知ることは、作物の生理を理解する上でも非常に役立ちます。
アミノ酸肥料の効果と植物生理(アグリテクノジャパン)
https://agritecno-japan.com/blogs/knowledge/amino-acids-on-plants
最後に、よくある疑問である「天然のグルタミン酸」と「人工的に作られたグルタミン酸ナトリウム」に違いはあるのかについて解説します。
化学的な視点で見れば、昆布出汁に含まれているグルタミン酸(カリウム塩やナトリウム塩として存在)と、工場で発酵法により作られたグルタミン酸ナトリウムは、分子構造においては全く同じものです。水に溶ければ、どちらも「グルタミン酸イオン」と「ナトリウムイオン」に電離します。私たちの舌の受容体も、体内の消化吸収システムも、これらを区別することはありません。
「人工的なものは体に悪い」というイメージは根強いですが、純度が高いということは、裏を返せば不純物が少ないということでもあります。アレルギーや過敏症の原因となるのは、むしろ精製されていない天然物に含まれる微量成分である場合もあります。
農業の現場でも、化学肥料(化成肥料)と有機肥料の使い分け議論に似たところがあります。化成肥料(精製された成分)は即効性がありコントロールしやすい反面、土作りには有機物が必要です。同様に、料理においても、素材から時間をかけてとる出汁(天然)の良さと、手軽にうま味を補える調味料(精製)の利便性を、用途に合わせて使い分けることが賢い選択と言えるでしょう。
重要なのは「天然か人工か」という二元論ではなく、それぞれの特性を理解し、適切に使用することです。食品添加物としてのグルタミン酸ナトリウムも、農業資材としてのアミノ酸も、そのメカニズムを知れば、恐れる対象ではなく、私たちの食と農業を豊かにするための有用なツールであることが見えてきます。
減塩におけるうま味物質の活用(食塩・減塩フォーラム)
https://www.srut.org/academic/lowsalt/