「害獣(がいじゅう)」という言葉をニュースや農業の現場で耳にすることが増えましたが、実は生物学的な分類に「害獣」というカテゴリーが存在するわけではありません。これはあくまで「人間の生活や経済活動に損害を与える野生動物」を指す、人間中心の便宜的な呼称です。
例えば、ペットとして愛されている猫も、野生化してゴミを荒らしたり、固有種の小動物を捕食したりすれば「ノネコ」として害獣扱いされることがあります。また、森の中にいる分には可愛いアライグマも、民家の屋根裏に住み着いて糞尿被害を出せば、即座に駆除対象の害獣となります。つまり、「場所」と「人間との利害関係」によって、昨日までの動物が今日から害獣になるという曖昧な側面を持っています。
ここで非常に重要になるのが、「鳥獣保護管理法(鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律)」という法律の存在です。
多くの人が誤解していますが、たとえ自分の畑を荒らしている害獣であっても、許可なく捕まえたり殺したりすることは法律で固く禁じられています。
このように、害獣対策は単に動物を追い払うだけでなく、複雑な法律の壁をクリアしなければならないという難しさがあります。特に「アライグマ」や「ハクビシン」といった身近な害獣であっても、原則として行政への「有害鳥獣捕獲許可」の申請が必要です。
環境省のサイトでは、鳥獣保護管理法の基本的なルールや、野生鳥獣との正しい付き合い方が解説されており、法的なリスクを避けるために必読です。
環境省:野生鳥獣の保護及び管理〜鳥獣保護管理法の概要〜
また、近年問題になっている「外来生物法」も関係してきます。アライグマなどの「特定外来生物」に指定されている動物は、捕獲した後に生きたまま別の場所に運搬すること(放獣や移動)が禁止されています。捕まえたらその場で殺処分しなければならないという、精神的にもハードルの高い対応が求められるのが現実です。
害獣による被害は年々深刻化しており、特に農業分野では死活問題となっています。農林水産省のデータによると、野生鳥獣による農作物被害額は年間で150億円規模(令和4年度など)で推移しており、その数字の裏には農家の計り知れない苦労があります。
主な害獣の種類と、それぞれが引き起こす被害の特徴を以下の表にまとめました。
| 動物の種類 | 特徴と習性 | 主な被害内容 | 被害の傾向 |
|---|---|---|---|
| シカ(鹿) | 繁殖力が強く、広範囲を移動する。 | 新芽、樹皮、野菜全般の食害。 | 被害額No.1。森林の下草も食べ尽くし、土砂崩れの原因にもなる。 |
| イノシシ(猪) | 鼻が利き、力も強い。掘り返すのが得意。 | 根菜類(芋など)、水稲、果樹。 | 田畑を掘り返してボコボコにする。電気柵を破壊することもある。 |
| ハクビシン | 木登りが得意で、電線も渡る。夜行性。 | 果物(特に甘いもの)、トウモロコシ。 | 頭が良い。民家の屋根裏に侵入し、断熱材を巣にする被害も多発。 |
| アライグマ | 手先が器用で力が強い。気性が荒い。 | 野菜全般、果樹、家畜の飼料。 | 可愛い見た目に反して凶暴。スイカやメロンの中身だけをくり抜いて食べる。 |
| カラス | 視力が良く、学習能力が極めて高い。 | 果樹、野菜、家畜の飼料。 | 収穫直前の「一番おいしい時期」を狙う。ゴミ集積所を荒らす被害も。 |
これらの物理的な被害に加えて、深刻なのが「人獣共通感染症(ズーノーシス)」のリスクです。
害獣は、野生の中で様々な病原菌や寄生虫を保有しています。
農作業中に害獣の糞尿に触れたり、ダニに噛まれたりすることで重篤な病気になるケースも報告されています。「たかが動物」と侮らず、衛生面での被害も考慮する必要があります。
農林水産省が公開している被害状況のデータを見ると、どの動物がどの地域で猛威を振るっているかが具体的によく分かります。
農林水産省:全国の野生鳥獣による農作物被害状況について
特にハクビシンやアライグマは、農村部だけでなく都市部の住宅街でも空き家や屋根裏への侵入被害が急増しており、「都会の害獣問題」としても注目されています。
「害獣」とよく似た言葉に「害虫」がありますが、この二つは対策や法律の面で決定的な違いがあります。この違いを理解していないと、効果的な対策が打てないばかりか、前述のように法律違反を犯してしまう可能性があります。
1. 生物学的な違い
2. 駆除における法的規制の違い(ここが最重要!)
害虫(ゴキブリや農業害虫)を駆除するのに、役所の許可は必要ありません。殺虫剤を使って個人の判断で駆除できます。
しかし、害獣(哺乳類・鳥類)は「鳥獣保護管理法」で守られているため、個人の判断で勝手に殺傷・捕獲ができません。
例外として、ネズミ(ドブネズミ、クマネズミ、ハツカネズミ)やモグラの一部などは、環境衛生上の観点から鳥獣保護法の対象外となることがありますが、それ以外の動物(ハクビシンやイタチなど)は、たとえ家の中に侵入していても、許可なく捕獲器を仕掛けることは違法です。
3. 駆除と対策のアプローチの違い
害虫対策は「殺虫」や「忌避剤」による化学的なアプローチが主になりますが、害獣対策は「知恵比べ」の要素が強くなります。
特に害獣は「学習する」ため、単調な対策(例:いつも同じ案山子を置く、同じLEDライトを点滅させる)だけでは、すぐに慣れて効果がなくなってしまいます。定期的に対策を変えたり、複数を組み合わせたりする「複合的な対策」が駆除のポイントとなります。
害獣被害に遭った際、いきなり「捕まえよう」とするのは悪手です。プロの駆除業者や自治体の指導員が推奨する、効果的な対策の順序があります。これを「被害対策の3要素」と呼びます。
最も基本的かつ重要な対策です。「収穫残しの野菜を畑に放置しない」「生ゴミを屋外に置かない」「家の周りの雑草を刈る」といったことです。これらは害獣にとって「餌付け」と同じ行為です。彼らを呼び寄せている原因を断つことが第一歩です。
畑であれば電気柵やワイヤーメッシュ、金網で囲います。家屋であれば、通気口や屋根の隙間、縁の下をパンチングメタルや金網で塞ぎます。ハクビシンなどは、わずか数センチの隙間(タバコの箱程度の大きさ)があれば頭蓋骨をくぐらせて侵入してきます。徹底した隙間埋めが必要です。
環境整備と侵入防止を行っても被害が止まらない場合に、初めて「捕獲」を検討します。
【重要】役所への相談方法
自分で対策するのが難しい、あるいは捕獲が必要だと感じたら、まずはお住まいの自治体の「農政課」や「環境課」、「鳥獣対策係」などに相談してください。多くの自治体では、以下のようなサポートを行っています。
相談に行く際は、「どの動物か(写真があればベスト)」「どんな被害か」「いつ発生したか」をメモしていくとスムーズです。足跡や糞の写真も、種類の特定に役立ちます。
農研機構(国立研究開発法人)のサイトでは、動物ごとの足跡の特徴や、具体的な柵の設置方法などが図解付きで詳しく紹介されており、対策の参考になります。
農研機構:鳥獣害対策パンフレット・マニュアル
専門の駆除業者に依頼する場合も、自治体が指定・推奨している業者を紹介してもらうのが安心です。悪質な業者による高額請求トラブルも発生しているため、公的機関をワンクッション挟むことを強くお勧めします。
最後に、少し視点を変えて「害獣を資源として見る」という考え方を紹介します。
これまで、駆除されたシカやイノシシの多くは、そのまま廃棄処分(埋設や焼却)されてきました。これは「命の無駄遣い」であると同時に、焼却費用の行政負担という問題も抱えていました。
しかし近年、これらを「ジビエ(野生鳥獣肉)」として有効活用する動きが全国で加速しています。実は、害獣と呼ばれる動物たちの肉は、非常に栄養価が高く、現代人の健康志向にマッチした食材なのです。
🥩 ジビエの栄養価のすごさ
フランス料理などでは高級食材として扱われるジビエですが、日本では「臭い」「硬い」というネガティブなイメージが先行していました。しかし、現在は処理施設の衛生基準(HACCPなど)が厳格化され、適切な血抜きと処理が行われたジビエは、臭みも少なく驚くほど美味しい肉として流通し始めています。
🌍 SDGsとしてのジビエ
農作物を荒らす「厄介者」を、地域の「特産品」に変える。これは地域活性化だけでなく、SDGs(持続可能な開発目標)の観点からも非常に理にかなっています。
「食べることで被害を減らし、命をつなぐ」というサイクルに参加することは、私たち消費者ができる一つの害獣対策とも言えるでしょう。
最近では、ペットフード(ドッグフード)として加工・販売する取り組みも増えています。アレルギーの出にくい良質なタンパク源として、愛犬家の間でも人気が高まっています。
厚生労働省のサイトでは、ジビエを安全に食べるための注意点や、衛生管理のガイドラインが公開されています。生食のリスクについても触れられているので、正しく楽しむために確認しておきましょう。
厚生労働省:ジビエ(野生鳥獣の肉)の衛生管理について
「害獣」という言葉にはネガティブな響きしかありませんが、その正体を知り、法律を理解し、正しく対策し、そして最後には資源として活用する。この一連の流れを知ることが、人間と野生動物が共存するための第一歩になるはずです。