揮発性脂肪酸と牛のルーメン発酵とエネルギー消化の仕組み

牛のエネルギー源である揮発性脂肪酸(VFA)の基礎から、子牛のルーメン絨毛発達における酪酸の重要性、イソ酸などの分岐鎖脂肪酸の意外な効果まで、農家が知るべき消化メカニズムを深掘り解説しました。あなたの牛のルーメンは健康ですか?
揮発性脂肪酸と牛のエネルギー管理
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VFAは牛のガソリン

揮発性脂肪酸(VFA)は牛のエネルギーの約70%を供給し、酢酸・プロピオン酸・酪酸が主成分です。

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微生物が生産工場

ルーメン微生物が飼料を発酵分解してVFAを生成し、これが牛乳や体脂肪の原料になります。

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バランスが命

穀物多給による急激なVFA生成はアシドーシスを招くため、唾液分泌を促す粗飼料とのバランスが重要です。

揮発性脂肪酸と牛のルーメン

基礎 揮発性脂肪酸の酢酸とプロピオン酸と酪酸の役割

 

牛などの反芻動物にとって、飼料から得られる栄養の大部分は、そのまま吸収されるのではなく、一度ルーメン(第一胃)内の微生物によって分解・発酵されるプロセスを経ます。この発酵過程で生産される「揮発性脂肪酸(VFA: Volatile Fatty Acids)」こそが、牛が生きていくための主要なエネルギー源であり、その寄与率は全エネルギーの60〜70%にも達します。

 

参考)https://www.chikusan-club21.jp/wp-content/uploads/2022/03/105_chuken_01.pdf

農業従事者の皆様が日々の飼養管理で意識すべき最も基本的なVFAは、酢酸プロピオン酸酪酸の3種類です。これらはそれぞれ全く異なる役割を持っており、給与する飼料の比率(粗飼料濃厚飼料のバランス)によって生産される割合が劇的に変化します。

 

参考)プロピオン酸と牛の関係|揮発性脂肪酸(VFA)の一種│カウタ…

  • 酢酸(Acetic Acid)

    主に牧草や稲わらなどの粗飼料(繊維質)が分解されることで多く生成されます。酢酸は血液に乗って乳腺へと運ばれ、乳脂肪の主要な合成原料となります。したがって、乳脂肪率を高めたい場合は、良質な繊維質を十分に与え、酢酸発酵を促すことが不可欠です。正常なルーメンではVFA全体の60〜70%を酢酸が占めるのが理想的とされています。

     

    参考)https://www.chikusan-club21.jp/wp-content/uploads/2022/03/067_chuken_02.pdf

  • プロピオン酸(Propionic Acid)

    トウモロコシや麦などの濃厚飼料(デンプン質)が分解されるときに多く生成されます。プロピオン酸は肝臓に運ばれた後、糖新生によってブドウ糖(グルコース)に作り変えられます。これは牛の主要なエネルギー源となるだけでなく、乳糖の原料として乳量を増やしたり、筋肉や体脂肪の蓄積(枝肉重量の増加)に寄与したりします。肥育農家にとってプロピオン酸の割合を高めることは増体効率の向上に直結しますが、過剰になるとアシドーシスのリスクが高まります。

     

    参考)ルーメンアシドーシスの原因と対策を解説│カウタロー by谷口…

  • 酪酸(Butyric Acid)

    酢酸やプロピオン酸に次ぐ第3のVFAで、全体の10〜15%程度を占めます。酪酸はルーメン壁から吸収される際、その多くがβ-ヒドロキシ酪酸(BHBA)というケトン体の一種に変換され、エネルギー源として利用されます。また、後述するようにルーメンの組織発達に深く関わっています。

     

    参考)https://www.snowseed.co.jp/wp/wp-content/uploads/seednews/397-03.pdf

これらのVFAの生産比率は、飼料内容によって大きく変動します。例えば、粗飼料が不足して濃厚飼料ばかりになると、プロピオン酸が増えて酢酸が減るため、乳量は出るが乳脂肪率が低下する(いわゆる「腰折れ」状態)現象が起きます。逆に繊維質が多すぎれば、エネルギー不足で乳量が伸び悩みます。日々のタンク乳成分や牛のコンディションを見ながら、ルーメン内でどのVFAが優勢になっているかを推測することが、プロの飼養管理の第一歩と言えるでしょう。

 

参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/kagakutoseibutsu1962/17/3/17_3_149/_pdf/-char/ja

参考:プロピオン酸と牛の関係|揮発性脂肪酸(VFA)の一種(Cowtaro) - VFAの基礎とエネルギー転換効率について詳しく解説されています。

発育 酪酸が子牛のルーメン絨毛の発達を促進する

成牛の飼養管理において、酪酸は「ケトン体(ケトーシス)」のイメージから敬遠されがちな側面があるかもしれません。しかし、子牛(哺乳期〜育成期)の管理においては、酪酸は「ルーメンを作る建築家」とも言える極めて重要な役割を担っています。

 

生まれたばかりの子牛のルーメンは未発達で、成牛のように機能していません。ルーメンの内壁には栄養を吸収するための無数の突起(絨毛・パピラ)が存在しますが、子牛の段階ではこの絨毛が平らで、表面積が非常に小さい状態です。この絨毛を発達させ、成牛のような立派な胃袋に育てるためのスイッチとなるのが、実は酪酸なのです。

 

参考)牛飼い哲学と基礎技術/連載31

  • 絨毛発達のメカニズム

    ルーメン内で炭水化物が発酵し、酪酸とプロピオン酸が生成されると、それが化学的な刺激となってルーメン壁の細胞分裂を促進します。特に酪酸は、ルーメン上皮細胞のエネルギー源として優先的に利用されるため、プロピオン酸以上に絨毛の伸長・発達を強力に促す効果があることが研究で明らかになっています。

     

    参考)子牛用代替乳への酪酸添加

  • スターター給与の重要性

    多くの農家さんが実践されている通り、早期から良質なカーフスターター(人工乳)を与える理由はここにあります。スターターに含まれる穀類等の発酵性炭水化物は、ルーメン内で速やかに酪酸やプロピオン酸を生成します。これに対し、乾草のみを与え続けると、酢酸の発酵が主となり、ルーメンの容積(袋の大きさ)は大きくなりますが、吸収能力を左右する絨毛(内側のひだ)があまり発達しません。

    「胃袋を作るには草を食わせろ」というのは半分正解で半分間違いです。「胃袋の大きさを作るには草、胃袋の吸収能力を作るにはスターター(からの酪酸)」という理解が、近年の育成技術のスタンダードになっています。

     

  • 人工乳への酪酸添加

    最近の研究や飼料設計では、この効果を狙って代用乳やスターターに酪酸ナトリウムなどを添加する試みも行われています。これにより、離乳後の飼料摂取量の落ち込みを防ぎ、スムーズな発育を促す効果が確認されています。

     

    参考)https://www.pref.saitama.lg.jp/documents/60178/h30-13.pdf

子牛期にいかに効率よく酪酸発酵を起こさせ、吸収面積の広い「高性能なルーメン」を作り上げられるかが、将来の乳量や増体成績を決定づけます。見た目のお腹の大きさだけでなく、見えない内部の絨毛の発達をイメージして飼料設計を行うことが重要です。

 

参考:優良後継牛を確保するための哺乳育成技術の開発(埼玉県) - 酪酸がルーメン絨毛の発達に与える具体的な効果について記述されています。

裏技 分岐鎖脂肪酸のイソ酸が繊維分解菌を活性化する

VFAといえば酢酸・プロピオン酸・酪酸の「御三家」が有名ですが、実はこれら以外にも微量ながら重要な働きをするVFAが存在します。それが、イソ酪酸やイソ吉草酸(イソバレリアン酸)などの分岐鎖脂肪酸(Branch-chained VFA)、通称「イソ酸」です。これを意識して管理している農家さんは、かなりのマニアックな知識をお持ちだと言えるでしょう。

 

  • 繊維分解菌の栄養素

    イソ酸は、主に飼料中のタンパク質がルーメン内で分解される過程で生成されます。興味深いのは、このイソ酸が繊維分解菌(セルロロシック菌)の必須栄養素になっているという点です。

     

    参考)イソ酸革命:無駄なお金を捨てていませんか?

    牛が硬い牧草の繊維(セルロース)を消化できるのは繊維分解菌のおかげですが、この菌が増殖し、活発に働くためには、特定のイソ酸が必要不可欠なのです。もしルーメン内でイソ酸が不足すると、繊維分解菌の活性が低下し、食い込んだ粗飼料の消化率が下がってしまいます。

     

  • 微生物タンパク質の合成促進

    さらに、イソ酸はルーメン微生物自身の体を構成するタンパク質(微生物態タンパク質)の合成を促進する働きもあります。微生物自身が良質なタンパク源として小腸へ流下し、牛の栄養になることを考えると、イソ酸は「菌を元気にし、結果として牛を太らせる」サプリメントのような役割を果たしていると言えます。

     

    参考)https://www.zenrakuren.or.jp/wp/wp-content/uploads/No170HP.pdf

  • 現場での応用

    通常の飼料設計であれば、タンパク質の分解過程で自然に生成されるため極端に不足することはありません。しかし、タンパク質レベルの低い低質な粗飼料ばかりを与えている場合や、特定の窒素源に偏った給与を行っている場合、イソ酸不足により繊維消化率が落ちている可能性があります。

     

    近年では、この「イソ酸」のパワーに注目し、添加剤として供給することで、特に泌乳初期や夏場の食欲減退期における繊維消化率の向上、乳量維持を狙う技術も提唱されています(イソ酸革命などと呼ばれています)。

     

    参考)イソ酸の力を活用して飼料効率と乳生産を向上

    「良い草を与えているのに、糞に未消化の繊維が混じる」「乳成分が安定しない」という場合、単純なエネルギーやタンパク質の不足ではなく、このマイナーなVFAであるイソ酸の不足が隠れた原因かもしれません。

     

参考:イソ酸革命: お金を無駄にしていませんか?(The Bullvine) - イソ酸が繊維分解菌を活性化させるメカニズムについて解説されています。

健康 ルーメンアシドーシスと揮発性脂肪酸と唾液の関係

揮発性脂肪酸(VFA)はエネルギー源ですが、化学的にはその名の通り「酸」です。したがって、ルーメン内で大量に生成されれば、当然ルーメン液のpHは酸性に傾きます。この酸性化が過度に進み、pHが正常範囲(通常pH6.0〜7.0程度)を逸脱して低下し続けた状態がルーメンアシドーシスです。

  • 酸の生成と中和の戦い

    ルーメン内では常に、「VFAによる酸性化」と「唾液による中和(バッファー作用)」のせめぎ合いが行われています。濃厚飼料を多給すると、発酵速度の速いデンプン質から急速にプロピオン酸や乳酸が生成されます。VFAの生成スピードが、牛の吸収能力や唾液による中和能力を超えてしまったとき、ルーメン環境は崩壊し始めます。

     

    参考)https://www.nosai-do.or.jp/manage/wp-content/uploads/2022/03/255c9211f95717ce0388adc14b4f1d6b.pdf

  • pH6.0の壁

    特に重要なのがpH6.0というラインです。繊維分解菌は酸に弱く、pHが6.0を下回るとその活動が著しく低下し、pH5.5以下では死滅し始めます。アシドーシスになると「餌を食わなくなる」「軟便になる」だけでなく、「繊維が消化できなくなる」という悪循環に陥ります。さらにpHが低下すると、ルーメン壁(絨毛)が炎症を起こし、そこから細菌が血流に侵入して肝膿瘍を引き起こすリスクも跳ね上がります。

     

    参考)https://www.hro.or.jp/upload/26232/s_23.pdf

  • 唾液という天然の中和剤

    このVFAの暴走を食い止める最強の武器が、牛自身の唾液です。牛の唾液には重炭酸ナトリウム(重曹)が多く含まれており、強力なアルカリ性を持っています。牛は1日に150リットル以上もの唾液を分泌し、これで必死にルーメン内の酸を中和しています。

     

    参考)反芻動物 - 広島大学デジタル博物館

    しかし、唾液はただ待っていても分泌されません。物理的に粗い飼料(ルーメンマットを形成するような長い乾草など)を摂取し、しっかりと反芻(はんすう)行動をとることで初めて大量に分泌されます。

     

    参考)https://www.pref.mie.lg.jp/common/content/000880417.pdf

  • TMR給与時の注意点

    最近のTMR(完全混合飼料)では、選び食いを防ぐために細断長を短くする傾向がありますが、細かすぎる飼料は反芻刺激を弱め、唾液分泌を減少させる恐れがあります。「VFAを作るための濃厚飼料」と「VFAを中和するための唾液を出させる粗飼料」の物理的なバランス(物理的有効繊維:peNDF)を維持することが、健康なルーメン発酵には不可欠です。

     

参考:ルーメンアシドーシスについて(NOSAI道央) - VFAの生成と唾液による中和バランスの図解が分かりやすく掲載されています。

管理 揮発性脂肪酸の吸収速度とルーメンpHの維持

最後に、少し専門的な視点として、VFAの「吸収」について触れたいと思います。VFAは作られるだけでなく、ルーメン壁から速やかに吸収されて血中に移動しなければなりません。もし吸収が滞れば、ルーメン内に酸が溜まり続け、pH低下(アシドーシス)を招くからです。

 

  • 吸収速度の違い

    実は、VFAの種類によってルーメン壁からの吸収速度は異なります。一般的に、吸収速度は酪酸 > プロピオン酸 > 酢酸の順で速いとされています。しかし、これはpHに強く依存します。ルーメン内が酸性(pHが低い状態)になるほど、VFAは分子型(非解離型)という吸収されやすい形になり、吸収速度が加速します。これは一種の防御反応で、酸性に傾いたルーメンから早く酸を取り除こうとする生理機能とも言えます。

     

    参考)https://libir.josai.ac.jp/il/user_contents/02/G0000284repository/pdf/JOS-PhDZ59.pdf

  • ルーメン壁の角化(過角化)

    問題は、長期にわたって高濃度のVFAに晒され続けると、防御反応としてルーメン壁の表面が硬く厚くなる「不全角化(Hyperkeratosis)」や「パラケラトーシス」と呼ばれる状態になることです。人間の皮膚にタコができるようなイメージです。

     

    こうなると、絨毛が癒着したり、表面が硬くなったりして、逆にVFAの吸収能力が低下してしまいます。吸収されずに残ったVFAはさらにルーメン内pHを下げ、アシドーシスを悪化させるという負のスパイラルに陥ります。

     

    参考)http://www.nissangosei.co.jp/nissan/m078.pdf

  • 現場での対策

    この「作らせる」ことと「吸収させる」ことのバランスをとるためには、以下のポイントが重要です。

     

    1. 急変を避ける: 濃厚飼料の増給は段階的に行い、ルーメン微生物と絨毛が適応する時間(2〜3週間)を与える。
    2. 空腹時間を作らない: ドカ食いは急激なVFA産生を招くため、不断給餌や多回数給餌でVFAの発生を平準化する。
    3. 絨毛の健康チェック: 屠畜場からのフィードバック情報を活用し、自農場の牛のルーメン壁が黒ずんでいたり、絨毛が癒着していないかを確認する(これは過去の飼養管理の通知表です)。

VFAは牛の活力源ですが、諸刃の剣でもあります。「VFAをいかに効率よく生産させ、いかにスムーズに吸収させるか」が、乳量などの生産性を高めつつ、病気を防ぐための最大の鍵となります。最新のセンサー技術では胃内pHをリアルタイムで測定できるようになってきましたが、まずは牛の反芻の様子や便の状態、そして牛乳の成分値から、目に見えないルーメン内の「酸のドラマ」を想像する力が、私たち管理者には求められています。

 

参考:微生物の発酵槽としてのルーメン環境(日産合成工業) - 揮発性脂肪酸の吸収とルーメン機能の低下についての記述があります。

 

 


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