農業生産の現場であっても、事業活動に伴って排出される酸性やアルカリ性の廃液は、廃棄物処理法において「産業廃棄物」として厳格に定義されています。特に注意が必要なのが、その危険性から通常の産業廃棄物よりもさらに厳しい規制が課される「特別管理産業廃棄物」への該当基準です。この判定の境界線となるのがpH(水素イオン濃度)の数値です。
具体的には、廃酸(酸性廃液)の場合、pHが2.0以下であれば「著しい腐食性を有するもの」として特別管理産業廃棄物に指定されます。これは、例えばトマトやイチゴの養液栽培システムで使用される配管洗浄用の強酸性洗浄剤などが、使用後の廃液として高濃度で排出される場合に該当する可能性があります。一方で、pHが2.0を超えていてもpH7.0未満であれば、通常の「廃酸」として産業廃棄物の扱いになります。
参考)https://www.env.go.jp/content/900534406.pdf
同様に、廃アルカリ(アルカリ性廃液)の場合、pHが12.5以上であれば特別管理産業廃棄物となります。これは、pH試験紙や簡易測定器で「アルカリ性」と出たからといって一概に判断できるものではなく、正確な数値測定に基づいた法的な区分けが存在することを意味します。農業従事者が知っておくべきは、自分が排出しようとしている液体が、単なる「汚れた水」ではなく、法律上「爆発性、毒性、感染性その他の人の健康又は生活環境に係る被害を生ずるおそれがある性状を有するもの」として扱われる可能性があるという事実です。
参考)特別管理産業廃棄物の判定基準(廃棄物処理法施行規則第1条の2…
この区分を誤ると、保管基準や運搬基準、委託契約の内容すべてが違法状態となります。特別管理産業廃棄物は、腐食性が極めて高く、コンクリートや金属を溶かす性質を持つため、通常のプラスチック容器やタンクでの保管では漏洩事故につながるリスクがあります。したがって、排出する液体のpHを定期的に、かつ正確に把握することは、コンプライアンス遵守の第一歩となります。
農業現場において、廃酸や廃アルカリの基準を遵守するためには、排出段階での正確なpH測定が不可欠です。しかし、多くの現場では簡易的なリトマス試験紙や安価な土壌酸度計で代用されているケースが見受けられますが、産業廃棄物の判定基準として用いるには精度が不十分な場合があります。特に、特別管理産業廃棄物の境界線であるpH2.0やpH12.5という数値は、極めて強力な酸性・アルカリ性を示しており、通常の農業用水の測定範囲を超えていることが多いため、広範囲かつ高精度のデジタルpHメーターによる測定が推奨されます。
参考)廃酸とは。定義と種類や具体例、処分方法を解説
養液栽培(水耕栽培)における排液管理は特に複雑です。培養液の成分バランスが崩れたり、病害が発生したりした場合に全量交換を行う際、その廃液は多量の硝酸性窒素やリン酸を含むだけでなく、酸やアルカリを用いてpH調整を行っているため、廃酸・廃アルカリの性質を帯びることがあります。これを「ただの肥料水」と捉えて排水路に流す行為は、水質汚濁防止法や各自治体の条例に抵触するだけでなく、その性状によっては廃棄物処理法違反(不法投棄)問われる可能性があります。
参考)日本適正農業規範(GAP規範)の簡単な紹介
また、測定のタイミングも重要です。原液のまま排出する場合と、洗浄水と混ざって希釈された状態で排出する場合では、pH値が大きく異なります。法律上の判定は「排出口から出る時点」での性状が基準となることが一般的ですが、意図的に水で薄めて基準値以下にして排出する行為(希釈放流)は、環境規制の観点から厳しく制限されている場合が多く、推奨される解決策ではありません。根本的な解決には、発生する廃液の性状を正しく数値化し、それに基づいた適正な処理ルートを選択することが求められます。
廃酸や廃アルカリを処理する際、自社に認可された処理施設がない限り、都道府県知事の許可を受けた産業廃棄物処理業者に委託する必要があります。ここで最も重要なのが、「どのような種類の廃棄物(廃酸・廃アルカリ・汚泥など)を処理できる許可を持っているか」を確認することです。特に、前述の「特別管理産業廃棄物」に該当する高濃度・高腐食性の廃液を排出する場合、通常の産業廃棄物収集運搬・処分許可だけを持つ業者には委託できません。「特別管理産業廃棄物収集運搬業許可」および「特別管理産業廃棄物処分業許可」を持つ専門業者を選定する必要があります。
参考)https://reduction-t.com/column/column-1061/
委託に際しては、必ず書面による委託契約を締結し、廃棄物の引き渡し時に「産業廃棄物管理票(マニフェスト)」を交付する義務があります。マニフェストは、排出事業者が廃棄物の流れを把握し、不法投棄されていないかを確認するための極めて重要な書類です。近年では、紙のマニフェストに代わり、電子マニフェストの導入が進んでおり、事務負担の軽減やデータの透明性確保に役立っています。農業法人であっても、これら産業廃棄物の排出事業者としての責任(排出事業者責任)からは逃れられません。
参考)廃酸とは?定義や具体例、処分方法について解説
業者選定の際は、単に価格だけで決めるのではなく、処理施設の能力や過去の行政処分の有無、そして「優良認定業者」であるかどうかを確認することがリスク管理として有効です。また、委託する廃液の性状(pH、含有成分、有害物質の有無など)を詳細に記したWDS(廃棄物データシート)を事前に業者に提示することで、処理トラブルを未然に防ぐことができます。もし委託業者が不適正な処理を行った場合、排出事業者である農家側も「委託基準違反」や「措置命令」の対象となる可能性があるため、業者任せにせず主体的に管理に関与する姿勢が不可欠です。
JWNET:電子マニフェスト制度の導入と仕組みについてはこちら
多くの農業従事者が抱きがちな誤解に、「酸性の廃液とアルカリ性の廃液を混ぜて中和させ、pHを中性付近にすれば、普通の水として排水路や畑に流しても良い」というものがあります。これは法的に非常に危険な落とし穴です。まず、廃棄物処理法において、廃酸と廃アルカリを混合して中和処理する行為自体が「廃棄物の処分」に該当します。この処分行為を業として行うには許可が必要ですが、自社で発生した廃棄物を自ら処理する(自家処理)場合であっても、法律で定められた厳格な「処理基準」を遵守しなければなりません。
参考)https://www.pref.hiroshima.lg.jp/uploaded/attachment/614228.pdf
さらに重大な問題は、中和反応によって生成される副産物です。化学反応により沈殿物や浮遊物が発生した場合、これらは「汚泥」という別の産業廃棄物として扱われます。つまり、液体としての廃酸・廃アルカリは消滅したように見えても、法的には「汚泥」という新たな廃棄物が発生しただけであり、これを畑に埋めたり排水路に流したりすれば、不法投棄として処罰の対象になります。また、中和の過程で有毒なガスが発生したり、発熱反応により容器が破損したりする労働安全上のリスクも無視できません。
参考)https://www.env.go.jp/recycle/waste/disaster/dwasteguideline/pdf/parts/gi1-20-12.pdf
また、たとえ汚泥を取り除いた上澄み液であっても、水質汚濁防止法や下水道法に基づく排水基準(pHだけでなく、重金属やBOD/COD、窒素、リンなど)を満たしていなければ、公共用水域への放出は認められません。農業現場でよくある「とりあえず混ぜて無害化する」という安易な自己判断は、実は複数の法律に違反する複合的なリスクを孕んでいます。中和処理を自前で行うには、適切な廃水処理施設(除害施設)の設置と届出、そして専門的な水質管理が必要となるため、コストとリスクを天秤にかければ、専門業者への委託が最も安全かつ確実な選択肢となることが多いのです。
参考)大阪市:産業廃棄物に関するよくある質問 (…>廃棄物処理事業…
廃酸や廃アルカリの処理に関して、基準を軽視したり、知らなかったでは済まされない厳しい罰則が廃棄物処理法には設けられています。最も重い罰則の一つが「不法投棄」です。例えば、pH調整をしていない廃酸をそのまま土壌に染み込ませたり、近隣の河川に流したりした場合、個人の場合で「5年以下の懲役若しくは1,000万円以下の罰金、またはその併科」が科されます。さらに、法人の業務として行われた場合は、法人に対して「3億円以下の罰金刑」という極めて重い刑罰が規定されています。
また、意外と見落とされがちなのが「委託基準違反」です。これは、無許可業者に処理を委託したり、マニフェスト(産業廃棄物管理票)を交付せずに委託したりした場合に適用されます。たとえ業者が「安く処分してあげる」「肥料として使うから大丈夫」と言って持ち去ったとしても、その業者が適切な許可を持っていなければ、排出事業者である農家自身も「5年以下の懲役若しくは1,000万円以下の罰金」の対象となり得ます。農業における廃棄物処理は、単なるゴミ捨てではなく、法的責任を伴う事業活動の一部であることを強く認識する必要があります。
行政による立入検査や指導は年々厳格化しており、過去の不適切な処理が遡って追及されるケースも少なくありません。特に特別管理産業廃棄物に該当するような強酸・強アルカリの廃液は、環境負荷が高いため監視の目が厳しくなります。法令違反が発覚すれば、罰金だけでなく、農業法人の信用失墜、取引停止、補助金の返還命令など、経営存続に関わる甚大なダメージを受けることになります。コンプライアンスを守ることは、自分たちの農地と経営を守るための最大の防衛策なのです。