デヒドロゲナーゼ(脱水素酵素)は、生体内で有機物質から水素を離脱させる反応を触媒する酵素の総称です。この酵素は酸化還元酵素の一種であり、基質AH₂から水素を取り除いて受容体Bに転移させる「AH₂+B⇄A+BH₂」という脱水素反応を触媒します。生体内における代謝物質の酸化は一般に脱水素反応であり、受容体が酸素以外の色素や酸化還元系である場合に限定してデヒドロゲナーゼと呼ばれています。
参考)デヒドロゲナーゼ|タンパク質実験|【ライフサイエンス】|試薬…
この酵素群は細胞にエネルギーを供給する手段である生体内酸化還元反応において中心的な役割を担っています。脱水素反応では、基質から少しずつ水素を離脱させながら、その都度生じた電子を電子伝達系に供給し、ATP合成につなげる仕組みになっています。デヒドロゲナーゼはニコチンアミドアデニンジヌクレオチド(NAD)やそのリン酸エステル(NADP)、シトクロムなどを水素原子の受容体として利用します。
参考)デヒドロゲナーゼ(でひどろげなーぜ)とは? 意味や使い方 -…
農業分野では、土壌中のデヒドロゲナーゼ活性が土壌微生物の全体的な活性を反映する指標として重要視されており、土壌の健全性評価に活用されています。
参考)https://www.naro.go.jp/project/results/laboratory/narc/2015/narc15_s19.html
デヒドロゲナーゼの反応機構では、補酵素であるNAD⁺やNADP⁺が重要な役割を果たします。NAD(ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド)は生体内で様々な脱水素酵素の補酵素として機能し、電子の授受に関わっています。例えば、乳酸脱水素酵素(LDH)による乳酸のピルビン酸への変換や、アルコール脱水素酵素(ADH)によるエタノールのアセトアルデヒドへの変換において、NAD⁺がNADHに還元される反応が進行します。
参考)DOJIN NEWS / Commercial
NADの脱水素酵素における補酵素機能の詳細
酵素反応では基質がデヒドロゲナーゼの活性部位に結合し、補因子であるNAD(P)⁺と反応して酸化されます。アルコールデヒドロゲナーゼの場合、亜鉛イオン(Zn²⁺)が分子道具として機能し、エタノールのアルコール基を固定して位置を定める役割を担っています。乳酸デヒドロゲナーゼでは、還元剤であるNADHを用いてピルビン酸イオンを乳酸イオンに還元する可逆反応を触媒し、活性部位のアルグニン残基(Arg-109)が触媒活性に重要な役割を果たすことが部位特異的突然変異導入法により明らかになっています。
参考)アルコール脱水素酵素 (Alcohol Dehydrogen…
一般的にNAD⁺依存性とNADP⁺依存性の酵素は厳密に区別され、NADP⁺依存性脱水素酵素はNAD⁺には全く活性を示しませんが、グルタミン酸デヒドロゲナーゼのようにどちらの補酵素でも有効な例外も存在します。
参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/vso/75/2/75_KJ00003703892/_pdf
デヒドロゲナーゼは作用する基質の種類によって多様に分類されます。主要な分類として、(1)CH-OH基を作用点とするもの(アルコールデヒドロゲナーゼなど)、(2)C=O基のもの(アルデヒドデヒドロゲナーゼなど)、(3)CH-CH基のもの、(4)CH-NH₂基を2基もつもの(グルタミン酸デヒドロゲナーゼなど)、(5)CH-NH基のもの、(6)NADHまたはNADPHのものがあります。
補酵素または補欠分子族による大別では、ニコチンアミドヌクレオチド依存性デヒドロゲナーゼとフラビン依存性デヒドロゲナーゼに分けられます。フラビン酵素は1電子過程と2電子過程が混在する反応に必ず関与し、酸素との反応を促進するフラボオキシダーゼと抑制するフラボデヒドロゲナーゼに分類されます。
参考)DOJIN NEWS / Review
脱水素酵素の分類と酵素反応の基礎知識
農業関連では、ダイズにおける湿害応答性因子としてアルコールデヒドロゲナーゼの発現が研究されており、植物の環境ストレス応答における重要性が示されています。また、農業用殺菌剤としてジヒドロオロト酸デヒドロゲナーゼ(DHODH)阻害剤が新規作用機作として開発され、核酸生合成の阻害により病原菌防除に利用されています。
参考)http://jppa.or.jp/onlinestore/shuppan/images-txt/2025/2025_0209.pdf
土壌中のデヒドロゲナーゼ活性は全土壌微生物の活性を反映する重要な指標です。有機栽培転換期と慣行栽培の土壌を比較した研究では、判別関数においてデヒドロゲナーゼ活性の寄与が大きく、有機区と慣行区を判別する重要な要素となっています。土壌微生物由来の酵素と管理法との関係では、デヒドロゲナーゼやβグルコシダーゼ活性が堆肥連用によって高まることが明らかになっており、持続可能な土壌管理の指標として活用されています。
参考)安藤 哲 (Tetsu Ando) - 農耕地の永続的利用に…
油汚染土のバイオレメディエーションにおいても、デヒドロゲナーゼ活性は油分減少に対して相関があり、養分不足や浄化終了の判断に適用できることが実証されています。この酵素測定は比較的短時間で実施可能であり、土壌浄化プロセスのモニタリングツールとして実用性が高い特徴があります。
参考)https://www.obayashi.co.jp/technology/shoho/067/2003_067_05.pdf
有機栽培における土壌酵素活性の評価手法
植物を利用した油汚染土壌の浄化方法では、油汚染土壌のデヒドロゲナーゼ活性を促進する技術が開発されており、微生物の代謝活性を高めることで土壌改善効果を得る仕組みが研究されています。土壌微生物のリン要求度評価においても、デヒドロゲナーゼ活性がリン添加の影響を評価する指標として利用され、土壌の養分利用性を診断する手法として確立されつつあります。
参考)https://patents.google.com/patent/JP2005238017A/ja
植物の光合成過程では、カルビン・ベンソン・バッシャム回路(CBB回路)によるCO₂同化において、グリセルアルデヒド-3-リン酸デヒドロゲナーゼが糖類生成のための重要な役割を担っています。この酵素はATP、NADPHおよび還元型フェレドキシン(Fd)を通じた密接な関係の中で機能し、吸収した光エネルギーを効率的にCO₂同化や光呼吸の代謝に振り向ける調節機構の一部となっています。
参考)明らかになってきた光合成のしくみ—C3植物での例を中心に—
興味深いことに、植物では乾燥ストレスなどによりCO₂同化が抑制される状況において、光呼吸がΔpH形成を通じてP700酸化に大きく寄与する仕組みがあり、デヒドロゲナーゼ反応が関わる代謝系全体が植物の環境適応戦略として機能しています。光呼吸が大きく抑制される低酸素条件(2 kPa O₂)でも、CO₂同化速度とPSIIでの電子伝達速度がバランスを保ちながら変動することが観察されており、植物代謝におけるデヒドロゲナーゼの多面的な機能が明らかになっています。
また、亜リン酸デヒドロゲナーゼを利用した微生物の選択的培養技術では、土壌細菌由来の酵素遺伝子を導入することで、雑菌が含まれる培地でも目的株のみを選択的に培養できる革新的な手法が開発されており、農業微生物学における新しい応用可能性を示しています。このように、デヒドロゲナーゼは基礎代謝の触媒としてだけでなく、バイオテクノロジーツールとしても注目されている酵素群です。
参考)亜リン酸デヒドロゲナーゼを利用した微生物の選択的培養技術

ピルビン酸デヒドロゲナーゼ複合体の3D構造ポスタープリント National Institutes of HealthStocktrek 画像(11 x 17)