私たちの体や生活環境には、目に見えない無数の微生物が存在しています。その中でも特に身近でありながら、時に脅威となるのが「ブドウ球菌」です。「ブドウ球菌はどこにいるのか?」という疑問を持つ方は多いですが、答えは驚くほど身近にあります。実は、健康な人の皮膚や鼻の粘膜、髪の毛、そして腸管内など、身体のあらゆる場所に常在しています 。
「常在菌」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。これは、病原性を示さずに普段から私たちと共生している菌のことを指します。ブドウ球菌の一種である表皮ブドウ球菌などは、皮膚のバリア機能を保つ善玉菌としての側面も持っています。しかし、黄色ブドウ球菌のように、条件が揃うと牙をむく種類も存在します。
具体的にどこにいるのかを見ていきましょう。
通常、これらの菌は皮膚という強力なバリアがあるため、体内に侵入して悪さをすることはありません。しかし、切り傷や擦り傷ができたり、アトピー性皮膚炎などで皮膚のバリア機能が低下したりすると、そこから侵入して感染症を引き起こします。また、手指に付着した菌が食品に移り、そこで増殖して毒素を出すことで、食中毒の原因となることもあります。
農作業や園芸を行う方にとっては、土壌や植物に触れる機会が多いため、手袋の中に湿気がこもりやすく、菌が増殖しやすい環境になりがちです。また、小さな棘(とげ)による傷から感染するリスクもあります。「たかが常在菌」と侮らず、その存在場所と性質を正しく理解することが、健康を守る第一歩となります。
厚生労働省による黄色ブドウ球菌の解説はこちらが参考になります。
ブドウ球菌と一口に言っても、実はいくつかの種類があり、その性質は大きく異なります。私たちが特に意識すべきなのは、「表皮ブドウ球菌」と「黄色ブドウ球菌」の2つです。これらは同じブドウ球菌属ですが、いわば「善玉寄り」と「悪玉寄り」のような違いがあります。
表皮ブドウ球菌(善玉・日和見菌)
この菌は、その名の通り皮膚の表面に広く住み着いています。彼らは皮脂を餌にして、グリセリンや脂肪酸を作り出します。これにより皮膚は弱酸性に保たれ、アルカリ性を好む他の病原菌の繁殖を防ぐバリアの役割を果たしています。また、皮膚にしっとりとした潤いを与える天然のクリームのような働きもしています。基本的には無害で、私たちの肌を守ってくれる頼もしい存在です。
黄色ブドウ球菌(悪玉・病原性あり)
一方で注意が必要なのが黄色ブドウ球菌です。顕微鏡で見ると黄金色に見えることからこの名がつきました。彼らも鼻腔や皮膚に常在していますが、表皮ブドウ球菌に比べて毒性が強く、感染力が高いのが特徴です。
両者の主な違いを比較してみましょう。
| 特徴 | 表皮ブドウ球菌 | 黄色ブドウ球菌 |
|---|---|---|
| 主な生息場所 | 皮膚全体(特に顔や額) | 鼻の中、喉、傷口、皮膚の湿った場所 |
| 毒性 | 非常に弱い(通常は無害) | 強い(毒素を産生する) |
| 役割 | 皮膚の保護、保湿 | 通常は無害だが、侵入すると化膿や食中毒の原因に |
| 感染リスク | カテーテル留置など特殊な状況 | 切り傷、火傷、食品汚染など日常的にあり得る |
黄色ブドウ球菌が厄介なのは、エンテロトキシンという毒素を作り出す能力があることです。この毒素は熱に非常に強く、一度食品の中で作られてしまうと、加熱調理しても無毒化することが困難です 。これが、「加熱したから大丈夫」と思っていた料理で食中毒が起きてしまう原因の一つです。
農業従事者の方の場合、汗をかいた皮膚はアルカリ性に傾きがちで、これは黄色ブドウ球菌にとって増殖しやすい環境です。また、作業中の小さな怪我を放置すると、そこが黄色ブドウ球菌の巣窟となり、化膿してしまうことがあります。特に「とびひ(伝染性膿痂疹)」は、この菌が原因で起こる代表的な皮膚感染症です。
意外と知られていないのが、「手荒れ」と黄色ブドウ球菌の関係です。荒れた手は表面の凹凸が多く、菌が隠れやすいうえに、洗浄しても落ちにくい構造になっています。さらに、手荒れの傷口には黄色ブドウ球菌が定着しやすいため、手荒れをしている人が調理や農作物の加工作業を行う際は、手袋の着用が必須と言えます。
「ブドウ球菌はどこにいる?」という問いに対して、最も警戒すべき回答の一つが「私たちの手から移った食品の中」です。黄色ブドウ球菌による食中毒は、日本国内でも発生件数が多く、身近なリスクとして知られています。
この菌による食中毒の最大の特徴は、菌そのものではなく、菌が食品の中で増殖する際に排出する「エンテロトキシン」という毒素によって引き起こされる点です。この毒素は摂取後、早ければ30分、平均して3時間程度という極めて短い潜伏期間で激しい嘔吐や腹痛を引き起こします 。
リスクが高い食品の特徴
黄色ブドウ球菌は、人の手が直接触れる工程があり、その後室温で放置される食品で増殖しやすい傾向があります。
予防の鉄則:菌を「つけない」「増やさない」「やっつける」
ただし、黄色ブドウ球菌に関しては「やっつける(加熱殺菌)」が通用しにくいという特殊な事情があります。毒素(エンテロトキシン)は100℃で30分加熱しても分解されません。つまり、毒素が作られる前に防ぐことが唯一かつ最大の対策となります。
手に切り傷や化膿創がある場合は、食品に直接触れてはいけません。黄色ブドウ球菌は傷口で大量に増殖しています。どうしても作業が必要な場合は、絆創膏の上から使い捨て手袋を着用してください。
おにぎりを握るときはラップを使用する、盛り付けには清潔な箸やトングを使うなど、食品への接触を最小限にします。
黄色ブドウ球菌は10℃以下ではほとんど増殖せず、毒素も産生しません。調理済みの食品は速やかに冷蔵庫に入れ、常温放置(特に20℃〜36℃の温度帯)を避けることが重要です。
農業生産者の方が、収穫した野菜をそのまま浅漬けにして振る舞うといったシチュエーションも考えられます。新鮮な野菜そのものに黄色ブドウ球菌がついていることは稀ですが、調理する人の手から移ることがほとんどです。
農林水産省による食中毒対策のガイドラインも確認しておきましょう。
意外に思われるかもしれませんが、黄色ブドウ球菌の最大の供給源(リザーバー)は、私たちの「鼻の中」です。鼻の入り口付近(鼻前庭)は適度な湿り気と温度があり、繊毛によって異物が留まりやすいため、細菌にとって絶好の隠れ家となっています。
「鼻をほじる癖」が、実は感染拡大の大きな要因です。無意識に鼻を触り、その手でドアノブや食品、他人の皮膚に触れることで、菌を運び屋のように拡散させてしまいます。医療現場でも、院内感染対策として医療従事者の鼻腔内保菌者のスクリーニングが行われるほど、鼻の中の菌は重要視されています。
鼻の中の菌を減らすことはできるのか?
完全にゼロにすることは、常在菌である以上難しいですし、強力な消毒薬を粘膜に使い続けることは副作用のリスクもあります。しかし、菌量をコントロールし、拡散を防ぐ対策は可能です。
最もシンプルで効果的な対策です。無意識に顔や鼻に手が伸びていないか意識してみましょう。特に農作業中、土のついた手袋で顔の汗を拭う際に鼻に触れてしまうことがあります。
鼻を触ってしまった後、または鼻をかんだ後は、必ず石鹸と流水で手を洗いましょう。これにより、手から環境への拡散を断ち切ることができます。
マスクは飛沫を防ぐだけでなく、無意識に鼻を触ることを物理的にブロックする効果があります。食品加工や農産物のパッキング作業時には特に有効です。
繰り返す皮膚感染症や、家族内での感染が疑われる場合、医師の処方によりムピロシン軟膏などの抗生物質軟膏を鼻腔に塗布して除菌を行うことがあります。これは「除菌療法」と呼ばれますが、耐性菌(MRSAなど)を生み出さないよう、専門家の指導が必要です。
独自視点:農業現場における「鼻」のリスク
農業の現場では、土埃や花粉によって鼻がムズムズする機会が多いはずです。タオルを首に巻いている方も多いですが、そのタオルで鼻を拭い、同じタオルで手や顔を拭くことは、菌を全身に広げているようなものです。
鼻を拭くためのティッシュやハンカチは専用のものを用意し、作業用のタオルとは明確に分けることをお勧めします。また、作業後のシャワーでは、顔だけでなく鼻の周りも優しく洗顔し、清潔を保つことが皮膚トラブルの予防につながります。
ここまで日常生活や農業現場でのリスクを見てきましたが、場所が変わればブドウ球菌の脅威レベルも変わります。特に病院や介護施設では、「メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)」と呼ばれる薬剤耐性菌の存在が大きな問題となっています 。
MRSAとは何か?
通常の黄色ブドウ球菌は抗生物質で退治できますが、MRSAは多くの抗生物質が効かないように進化した菌です。健康な人が保菌していても発症することは稀ですが、手術後の患者さんや高齢者、免疫力が低下している人にとっては、肺炎や敗血症などの重篤な感染症を引き起こす恐ろしい存在となります。
どこに潜んでいるのか?
病院や施設内では、以下のような場所に菌が付着している可能性があります。
私たちができる対策
お見舞いや通院、あるいは家族の介護で施設を訪れる際、私たち自身が菌を持ち込んだり、持ち帰ったりしないためのマナーがあります。
病室や施設に入る前と出る後には、設置されているアルコール消毒液で手指を消毒します。これは自分を守るだけでなく、抵抗力の弱い患者さんを守るための最重要行動です。
ベッド柵や床頭台など、患者さんの周囲の環境には菌がいる可能性があります。不必要に触れないように心がけましょう。
床に荷物を置かないようにしましょう。床は靴底を通じて外部の汚れが持ち込まれる場所であり、ホコリとともに菌が落下している可能性があります。
農業従事者の方は、地域のコミュニティ活動や親戚付き合いなどで、高齢者施設や病院を訪問する機会もあるかもしれません。「自分は健康だから大丈夫」と過信せず、自分が菌の運び屋(ベクター)にならないよう配慮することが、地域全体の健康を守ることにつながります。特に、農作業での切り傷がある場合は、しっかりと被覆して菌を撒き散らさないように注意しましょう。
国立感染症研究所によるMRSAに関する詳細情報です。